No.0988 プロレス・格闘技・武道 | 人生・仕事 『希望の格闘技』 中井祐樹著(イースト・プレス)

2014.09.30

 『希望の格闘技』中井祐樹著(イースト・プレス)を読みました。
 帯には著者の写真とともに、「レジェンドが初めて語る勝負哲学」「格闘技は、人生を肯定する。」「大宅賞作家・増田俊也氏との特別対談収録」と書かれています。

   著者の写真入りの本書の帯

 帯に「レジェンド」と書かれているように、著者は伝説の格闘家です。そして、わたしが最もリスペクトする格闘家の1人でもあります。1970年北海道生まれの著者は、高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学びます。寝技中心の七帝戦で、4年生の時に無敵の京大の11連覇を阻止し、悲願の団体優勝を果たしました。すると著者はすぐに退学届けを提出し、佐山聡が創始したプロ修斗に参戦するために上京し、スーパータイガージム横浜へ入門しました。1994年には、プロ修斗ウェルター級チャンピオンシップで草柳和宏と対戦し、判定勝ち。修斗ウェルター級王者となっています。

 当時はプロレス全盛時代で、修斗の真剣勝負興行は世間に認知されていませんでした。その頃、海外ではノールール(バーリトゥード)の大会「第1回UFC」が開催されました。優勝したのはホイス・グレイシーという無名の柔術の選手でした。ホイスはその後もUFCの連覇を続けますが、「実は僕より10倍強い兄がいる」と語った発言に、修斗を主宰する佐山聡が注目しました。佐山は、ホイスの兄でグレイシー一族最強のヒクソン・グレイシーを日本に招いて、日本初のノールール(バーリトゥード)の格闘技大会を開くことを決定したのです。

 1994年に開催された「バーリトゥード・ジャパン・オープン94」では、当時の修斗のエース2人が惨敗を喫し、ヒクソン・グレイシーの優勝に終わりました。翌年の95年、雪辱に燃える修斗が日本の格闘技界の最後の切り札として出場させたのが、本書の著者・中井祐樹でした。
 ところが、著者のトーナメント1回戦の相手は「第1回UFC」で準優勝し、「喧嘩屋」の異名をとるオランダの巨漢空手家、ジェラルド・ゴルドーでした。ゴルドーが198cm・100kgなのに対し、著者は170cm・70kgしかありませんでした。マスコミは「危険だ」といって騒ぎましたが、激闘の末に著者は4ラウンドにヒールホールドでゴルドーに一本勝ちしました。しかし、この試合中にゴルドーのサミングを受け、右目を失明したのです。じつに凄惨な試合でした。このあたりの事情は、著者の北大柔道部の先輩であり、ブログ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で紹介した傑作ノンフィクション、およびブログ『七帝柔道記』で紹介した青春熱血小説の作者であもある増田俊也氏が「VTJ前夜の中井祐樹」に詳しく書いています。

 著者は続く2回戦も、巨漢プロレスラーのクレイグ・ピットマンを腕ひしぎ十字固めで下しました。そして、ついに決勝戦でヒクソン・グレイシーと対戦します。結果は、1ラウンドにスリーパーホールドで一本負けを喫しました。

 大会後、著者は右目失明のため総合格闘技を引退し、決勝戦で対戦したヒクソンの柔術テクニックに魅せられブラジリアン柔術に専念するようになりました。97年に「パラエストラ東京」を設立し、以来、日本人ブラジリアン柔術家の育成に携わっています。2010年には日本修斗協会会長に就任。

 さて、本書の目次は以下のような構成になっています。

【序章】 私の闘い
【一章】 勝負論を超えて
【二章】 人生を肯定する格闘技
【三章】 増田俊也×中井祐樹 
特別対談「”大きい筋肉”を使って生きる」
「あとがき」

 本書を読んで思ったのは、とにかく著者が前向きというか、いわゆる「ポジティブ・シンキング」の人だということ。たとえば、【一章】勝負論を超えての「私の岐路」という項でで、著者は次のように述べています。

 「悪口、不平や不満は言わない。何かを変えるなら、自分から動く。
 人のせいにはしない。ある状況を生み出しているのは、社会の一員でもある自分にもその一因があると思うからだ」

 また「ヴィジョン」という項では、真の気持ちの強さについて述べます。

 「真の気持ちの強さとは恐怖心との対比の中であらわれ、平常心を保ち続けることや、自分の描いたプランを粛々と進めていくこと、また、プラン通りに行かなくても修正でき、どんな窮地に陥っても挽回し復活することのできる『強さ』、それが本当の気持ちの強さだと思う」

 「根性の正体」という項では、劣等感の裏返しとしての根性について次のように述べています。

 「ポジティブ志向が何かと良いとされているが、ネガティブがベースにあってのポジティブのほうがはつかに強いと思う。根性は、自分はこんなものじゃない、という思い込みの強さから来ているというのが私の実感だ。そうでなければ息切れする。実際は、いつも理想よりも足りていないのが常。だからこそ、我々は頑張ることができるのだと思う」

 七帝柔道で青春を過ごした著者は「自分は団体戦型の人間」と言います。そして、「チームと個人」について次のように述べます。

 「もしかしたら、団体のために闘う、と考えたほうが、日本人は力が発揮できるのかもしれない。狩猟民族でなく農耕民族だから集団で作業することがDNAに刷り込まれている、などという話はよく聞く。確かに、思い当たるフシはある。日本人の強化法としては、基本的に有効だと思える」

 ゴルドーの反則サミングで右目を失明した著者は、あの出来事をどう受け止めたのか。そこが、わたしにとって大きな関心事でしたが、「怪我したときに」の項で次のように書いています。

 「私にとってはVTJ95での目の怪我はにわかには信じ難く、また受け入れ難いものではあったが、結果的には好機であったのだろう。私は何か大きなものに運命を変えられたのか、人生は面白い方向に転がり始めた。そう、目の怪我は自分に柔術という道を開いてくれたのだ。そう考えれば、逆境も悪くない」
 ここに、著者のポジティブ・シンキングは極まりました。

 では、人生を賭けた格闘技について、著者はどう考えているのか。【二章】人生を肯定する格闘技の「闘う理由」の項の冒頭で著者は言います。

 「なぜに人は闘うのか、本当のところは、わからない。
 ヒトの脳は本来わかり合いたい。融和したいという方向に向かっているらしい。それはそうだろう。人は決してひとりでは生きられない。
 それでも血で血を洗う戦いがやむことがないのは、きっとそれも防衛本能によるものなのだろう。究極的には、守るためには戦うことが必要で、戦うということは大切なものを守ることそのものなのだ、と思う」

 そして、「闘う理由」の最後に、著者は次のように書いています。

 「格闘技のみならずスポーツは、きっと疑似戦争ではあるのだろう。だから、ここから多くのことが学べる。ただし、これは戦争同様だが、勝ったほうが必ずしも正しいというわけではない。なぜならずっと勝ち続けられるわけではないからだ。人の生き死にを疑似体験する格闘技だからこそ、勝ち負けを超えた人生の喜怒哀楽が存分に味わえるだろう。それが、僕らが『闘う』、真の意味ではないだろうか」

 【四章】増田俊也×中井祐樹 特別対談「”大きい筋肉”を使って生きる」では、著者の先輩にあたる増田氏が次のように興味深い発言をしています。

 「僕ら作家なんかはね、一日中部屋にこもってキーボードを叩いているから、前腕とか手首とか指の付け根とか小さい筋肉が腱鞘炎になるんです。でも、最近始めたTRXというトレーニング器具で広背筋や大胸筋、大腿筋なんかの大きい筋肉を鍛えると、ポンプ作用があって前腕なんかの小さな筋肉の老廃物も流してくれるし、大きな筋肉が小さな筋肉をカバーするようになって、ずっと腱鞘炎で悩まされていたんですけど、治ってしまった。風呂で湯につけるよりも、断然効果的。グラップリングだと、もっと身体にいい」

 また、増田氏は以下のようにも発言しています。

 「大きい筋肉は、また長持ち。70歳のおじいさんでも、背中や腰の筋肉は強い。コンディションを整えていれば、体幹の筋肉って長持ちする。
 だから、思想・思考の上でも『大きい筋肉』を使おうと。それが生きる上で、一番じゃないかな。細かい論争をやっていると進めなくなるから、もうちょっと大乗的な、大きい筋肉を使って生きていく。だって、生まれてきて、生きて、やがて消えていく中で何をするかっていう、それだけなので」

 そして増田氏は、後輩である著者に次のように語りかけるのでした。

 「人生、1回しかないんですね。どうやって生きていくか。今、中井が格闘技を通してやっていることと僕が作家活動を通してやっていることの共通性は、大きい筋肉をより鍛えていくってことなのかなと思う。指の小さな筋肉ばかり鍛えても仕様がない」

 この「大きい筋肉」についての発言には、非常に考えさせられました。さすが増田氏です。たしかに著者・中井祐樹は、小さいことにこだわらず、大きい筋肉を鍛え続ける格闘家であると思いました。著者のより一層のの活躍に期待しています。

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