No.0932 プロレス・格闘技・武道 | 人生・仕事 『大山倍達の遺言』 小島一志&塚本佳子著(新潮社)

2014.05.26

 『大山倍達の遺言』小島一志&塚本佳子著(新潮社)を読みました。
 本書と同じ著者コンビによるノンフィクション『大山倍達正伝』が面白かったので、続編にあたる本書を読みました。しかしながら、期待していた空手や武道や格闘技の話題はほとんど登場せず、ひたすら極真会館の分裂騒動に関連した告訴とか裁判とか中傷合戦とかの話でした。それが525ページにわたって延々と続くので、読み終えたときは疲労感を覚えましたね。でも、奇妙な面白さを感じたことも事実です。.

   極真会館、大分裂騒動の真実とは?

 本書の帯には、「事実ゆえの圧倒的迫力!! 極真会館、大分裂騒動の真実とは?」「あの衝撃作『大山倍達正伝』に続く、渾身ドキュメント!」と書かれています。本書には2人の著者がいますが、『大山倍達正伝』とは異なり、すべての章の元原稿を塚本氏が担当し、小島氏が加筆するというスタイルで書かれたそうです。本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」塚本佳子
序 章  大山倍達の死
第一章  新生極真会館の誕生
第二章  分裂騒動の勃発
第三章  極真「帝国」の崩壊
第四章  混迷する極真空手
第五章  勢力争いの結末
第六章  最後の大分裂
第七章  それぞれの道
終 章  大山倍達の遺志
「おわりに」小島一志

 『大山倍達の遺言』の序章は、次のような書き出しで始まります。

 「1994年4月26日、国際空手道連盟極真会館の創始者にして総裁、過去『牛殺しの大山』『世界最強の空手家』と謳われた大山倍達が逝った。
世界140ヵ国に公認支部道場を有し、累計1200万人を超える会員数を誇った世界最大の空手流派・極真会館は、この日を境に未曾有の混乱状態に陥っていく。大山の『密葬』から約2ヵ月後、『二代目館長を松井章圭に指名』した大山の遺言書に対し、日本側遺族(遺言書により韓国に妻と息子3人の韓国側遺族がいることが判明した)が異議を表明、遺言書無効の訴訟を起こす。ついで一部支部長たちが遺族を担いで組織を離反、大山の未亡人・智弥子を館長とする『国際空手道連盟極真会館(遺族派)』を旗揚げした。そして1995年4月、二代目・松井に対して、古参支部長を中心に圧倒的多数を占める『支部長協議会派』による一大クーデター事件が勃発。さらにもうひとつの『国際空手道連盟極真会館(協議会派、現新極真会)』が誕生した。
 大山倍達の死からたった1年を経ずして、大山が一代で創り上げた『極真空手帝国』は分裂・崩壊の危機に瀕することになった―」

 現在の極真会館は、さらに分裂が進んでいます。Wikipedia「極真会館」によれば、「現在の状況」として「国際空手道連盟 極真会館」もしくは「極真」を名乗る主な団体が以下のように紹介されています。なお、順序は分裂順で、( )内は代表者名です。

極真会館(松井章圭)
極真会館 宗家(大山喜久子)
極真大山空手(津浦伸彦)
新極真会(緑健児)
極真空手 清武会(西田幸夫)
社団法人極真会館 全日本極真連合会(小井義和)
極真会館 増田道場(増田章) ※社団法人極真会館参加協力団体
極真会館 桑島道場(桑島靖寛) ※社団法人極真会館参加協力団体
極真会館 木村道場(木村靖彦) ※社団法人極真会館参加協力団体
極真会館 松島派(松島良一)
極真会館 安斎グループ(安斎友吉)
極真会館 手塚グループ(手塚暢人)
財団法人極真奨学会 極真空手道連盟 極真館(盧山初雄)
極真会館 極眞會(水口敏夫) ※財団法人極真奨学会参加協力団体
極真会館 浜井派(浜井識安) ※財団法人極真奨学会参加協力団体

 すさまじい分裂ぶりですが、これでも主なものだけとか。小さな道場などを含めれば、その数はさらに増えるそうです。振り返れば、大山倍達の遺した危急時遺言が法的に認定されなかったことが分裂劇をより悲劇的にしました。そもそも利害関係人と法的に見なされる人物を証人に立てており、この弁護士の初歩的ミスの責任の甚大さを訴える関係者は多いそうです。わたしも「葬儀」や「終活」などに関わっていると必然的に遺言というものとも縁が深くなりますが、法的に認められる遺言作成の重要性を本書を読んで痛感しました。

 本書には分裂劇の主役たちが実名で登場しますが、それぞれ存命の人々で利害も関係しています。本書の内容に関しても異議のある人々もいるようですので、門外漢のわたしはコメントを控えさせていただきます。ただ、多くの派の中でも中心的な重要人物が極真会館(松井派)の館長・松井章圭氏であり、次いで重要な人物が新極真会の代表・緑健児氏であることは間違いないと思います。じつは、わたしは学生時代にあらゆる格闘技や武道の試合を観戦し、またビデオ観戦していた時期があり、当然ながら極真空手もフォローしていました。そして、そこで最も好きだった選手が現役時代の松井選手であり、緑選手だったのです。

 わたしは柔道をやっていましたので、空手に対して親近感があまりありません。特にケンカ空手を標榜する極真空手は非常に泥臭いイメージがありました。しかしながら、松井選手と緑選手の2人には爽やかな印象を持っていました。まず2人ともハンサムであり、その戦いぶりも綺麗というかスマートな感じがしたのです。もともとこの2人の関係は悪くなかったといいますが、その後、さまざまな要因で袂を分かってしまったのは残念です。

 本書を読んで最も興味を引かれたのは、松井館長率いるニュー極真会館が開放路線というか、プロ化をめざしたくだりです。特に1997年7月20日に、極真の世界王者であったフランシスコ・フィリオがK―1のリングに立った裏話は面白かったです。本書には、まさにその瞬間の様子が以下のように書かれています。

 「リングに立ったフィリオは道着を脱ぎ、母国ブラジルの国旗を彩った緑色のトランクス姿になった。極真空手家が一転してキックボクサーに変貌した。リングアナウンサーは、『極真会館所属、世界ウェイト制重量級チャンピオン』と、絶叫するようにフィリオを紹介した。大山倍達の生前には考えられない光景だった。すでにK-1のリングで活躍していたアンディ・フグやサム・グレコらも、つい数年前までは極真会館に所属する空手家だった。しかし、彼らはK-1の舞台に立つために、『破門』『除名』という汚名を背負って極真会館を離脱している。プロの大会に弟子たちが参戦することを、大山が許さなかったからだ。かつてのウィリー・ウイリアムスへの処遇同様、極真会館における厳格な掟と言ってもよかった」

 わたしも、フィリオのK-1初参戦を信じられない気持ちでテレビ観戦したことを記憶しています。結果は、試合開始わずか2分37秒で、フィリオは対戦相手のアンディ・フグをKOしました。試合ルールで顔面殴打が禁止されている極真空手家には、顔面攻撃ありのK-1ルールは不利だと言われていました。しかし、フィリオはもっとも弱点であるはずの顔面へのフック一発でフグをマットに沈めたのです。テレビで観ていたわたしも、ものすごい興奮をおぼえました。しかし、本書には次のように書かれています。

 「センセーショナルなフィリオのKO勝ちの一方で、極真会館とは縁のない格闘家の多くが、納得できないような当惑の表情を浮かべた。なぜなら、フィリオの戦い方はキックボクシングスタイルとはほど遠く、明らかに極真空手スタイルだったからだ。顔面への殴打が禁止されている極真空手と、認められているキックボクシングスタイルの格闘技とでは、当然、間合いの取り方や防御法に違いがある。フィリオは殴打による工房の稚拙さを試合開始早々、露呈した。それは、一般のファンにもわかるほどの無様さだった。へっぴり腰でアンディのパンチをかわす、弱気なフィリオの姿が幾度も見られた。極真空手の大会で見せる凛とした姿とは、あまりにもかけ離れたフィリオの醜さに、思わず目を背けてしまったと語る支部長は少なくない」

 関係者の中には「フィリオが試合をするのはまる1年早過ぎた」「K-1はプロ興業だから、あの試合はフィリオが勝ったのではなく、アンディが勝ちを譲ったのだ」という声もあったようです。本書には、次のように書かれています。

 「この不安が現実となるのは、そう遠いことではなかった。初のK-1参戦から1年後の1998年7月18日、再びフィリオはK-1の舞台に立った。この日のK-1には、フィリオだけでなく、極真会館所属のグラウべ・フェイトーザとニコラス・ぺタスの姿もあった。だが、彼らの試合は極真空手ファンの夢を打ち壊すに十分なほど、惨めな形で終わった。フェイトーザとぺタスの2選手は、ほとんど攻撃することなく、一方的な形であっけなく敗れ去った。唯一、フィリオだけが微妙な判定で勝利を収め(この判定についても、メディア関係者の間では不正ではないかといった疑惑の声が上がった)、その後も勝ち続けるが、同年末、とうとうフィリオのキックスタイルにおける未熟さが勝敗に直結する。ファイタータイプのマイク・ベルナルドの強力なパンチの前に、フィリオは朽木が倒れるようにマットに沈んだ。試合中、フィリオは一発も有効打を放つことができなかった。極真空手の頂点に君臨するフィリオにとって、格闘技人生で初めて経験する屈辱的なノックアウト負けだった。それは同時に、長きにわたって『最強』を標榜し、『最強』と謳われた極真ブランドが、地に落ちた瞬間でもあった」

 あと、本書を読んで心に残ったのは、分裂騒動による組織混乱のあおりを受けて、大山倍達の墓碑がなかなか建立されなかたという事実でした。逝去から3年が経過した時点でも、遺骨は納骨されることなく、東京都練馬区上石神井に建つ、大山邸の押入れの中に無造作に置かれていたといいます。その後、墓碑は建立されたようですが、これを読んで「いくら組織が混乱しても、遺族さえしっかりしていれば墓は建つのに・・・」と思わざるを得ませんでした。本書を通読して思ったのは、「もっと遺族がしっかりしていれば」と思わせる場面が多いということでした。門外漢のわたしに真相はわかりませんが、ここまで事態が大混乱した背景には、遺族、特に未亡人の優柔不断さがあったのではないでしょうか。
 ちなみに、生前の大山倍達は「極真空手は永遠なり」という言葉とともに、「極真会館運営には家族を決して関わらせないが、弟子たちは誠意を持って生活の支援をすること」と言っていたそうです。著者の1人である小島氏は「これらの言葉が、まさに真の意味で大山氏の『遺言』であると私は理解している」と述べています。

 本書に描かれた醜い分裂劇は、企業の世界においても珍しくありません。わたしは経営者として、本書には「事業継承の反面テキスト」としての価値があるのではないかと思いました。「おわりに」には次のように書かれています。

 「多くの企業の後継者問題に際して、過去現在と今回の極真会館の分裂に酷似した事態が起き続けている。このようなトラブルはすべての国家・組織において何千年も昔から普遍的に繰り返し起こされてきた。国内産業界では過去、『松下電器産業』と『三洋電機』をはじめ、ギターメーカーの『Kヤイリ』と『Sヤイリ』との醜い分裂事件が知られている。最近では『ほっかほっか亭』と『ほっともっと』の分裂も話題になった」

 さらに、分裂というものがいかに普遍的な事態であるかが次のように述べられています。

 「日本には古くから伝統芸能と呼ばれる世界が存在する。一例を挙げれば、日本舞踊、詩吟、剣舞、狂言、茶道、華道、書道・・・・・・。カリスマ的指導者を失うと必然的に分裂の危機に襲われるのが常である。近年では狂言の和泉元彌のスキャンダルが記憶に新しい。社会的見地によればこのような争いは、人間が生まれ持った権力欲と闘争本能の具現化に過ぎず、人間集団においては宿命的な愚行である。本書で描いた極真会館の分裂騒動も、その意味では決して特別なことではない」

 最後に、小島氏は本書の執筆について、次のように述べています。

 「この分裂劇のなかにおいて、 『大山倍達の遺言』はいかにして弟子や関係者たちによって理解され、または無視されたのか? このままでは極真空手の歴史に埋没しかねない一連の分裂騒動を、徹頭徹尾事実に基づいて解明しなければならないという使命感を私たちは抱いた。これもまた大山倍達が設立し、一世を風靡した極真会館の『歴史』の一部なのだから。決してうやむやに葬らせてはいけないのだ。執筆中も厭でならず、ときに吐き気に見舞われ、文字を打つことの痛みを味わった。だが逆説的に言えば、そのようなマイナス思考に負けず、最後まで書き尽くしたことで、この作品は下らぬ暴露本ではなく『歴史書』になり得たと多少の誇りも感じている」

 前述したように、本書の内容に関しては異議のある人々もいるようで、アマゾンのレビューを見ても、さまざまな意見が出ています。小島氏が言うように本書を「歴史書」とは見なさない人もいるでしょう。その真偽については、門外漢のわたしにはわかりません。しかし、分裂という事態そのものが人間の本性に根差していることだけは理解できました。本体、こういう事態を避けるために「帝王学」というものは存在したのでしょう。すべての企業経営者、あるいは組織の運営者にとって、本書は一読の価値があると思いました。

Archives