No.0827 論語・儒教 『四書五経一日一言』 渡部昇一編(致知出版社)

2013.11.27

 『四書五経一日一言』渡部昇一編(致知出版社)を再読しました。
 人間学の源流は何と言っても儒教ですが、儒教における重要文献は「四書五経」と総称されました。『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四書と、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経です。この四書五経の中から現代日本人が「志を高め運命を高める」ための言葉を選んだのが本書で、編者は「現代の賢人」として知られる渡部昇一氏です。

 渡部氏は、「まえがき」の冒頭で次のように述べています。

 「地球の歴史の上で、人智というものを急に開いてくれるような人たちが現れた時期というものがある。孔子が亡くなった年は釈迦が亡くなった年とほとんど同じである。孔子が亡くなった時、ソクラテスはまだ生きていた。儒教文明圏、仏教文明圏、西欧文明圏のもととなる理想を顕現した人たちは、同時代人と言ってもよいのである。そしてこの人たちがもとを作った思想も、似たような歴史を経てきている。釈迦の教えはインドで一時栄えたが、その後はインド人でない人たちのところで継承されてきている。ソクラテスを受け継いだプラトン、更にアリストテレスは西洋哲学の元祖になったが、それはギリシャ半島の土着民によってでなく、ドイツやフランスやイギリスにおいて主として研究、発展せしめられた。つまり偉大なる思想にはその思想家を生んだ民族や国境や時代を超えた普遍性があるということである。『四書五経』というのも、孔子を中心として作られた古代の書物であり、普遍的な価値を持つものである」

 このあたりは、わたしが『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)を書くときに痛感したことです。孔子をはじめ、釈迦やソクラテスの思想には普遍性がありました。同書を書いたとき、わたしは渡部氏からのアドバイスも直接受けています。

 渡部氏は、「四書五経」について、さらに次のように述べています。

 「このように「四書五経」というのは、要するに孔子とその弟子の編著作と言ってもよいのである。孔子の生きた時代は周の時代、その中でもいわゆる『春秋時代』であり、西暦紀元前500年の前後の約1世紀である。その著述の主体は孔子自身が『述ベテ作ラズ』と言っているように、更にそれより前の時代のことである。この頃はまだ『北シナ』と言われる地域が中心であった。孔子のあと、国が乱れ戦国時代となったが、秦になり、更に漢になり、後漢のあとは三国志の時代になり、また諸国乱立の時代があり、隋になり唐になった。この間に民族の入れ替わりが何度かあって、孔子の時と同じ民族が続いているとは言えない状態になったとされる。その後も蒙古王朝やら満洲王朝やら、いろいろな民族の王朝があった。今でも55もの民族がおり、言語も異なる。共通なのは漢字という表意文字だけであり、『中国語』というものが20世紀までなかったという岡田英弘氏の指摘もある。しかし孔子の思想は、『四書五経』という形で伝えられ、尊重された。それはプラトンやアリストテレスの思想が、時代や民族や時代を超え尊敬されてきたのと似ている。つまり「普遍的な価値」を持っているのである。」

 近世日本での儒教の勃興は、藤原惺窩であるとされています。その後、日本人は儒教の思想を心の支えとし、生きる規範としてきました。渡部氏によれば、「四書五経」は人類に普遍の価値を持つものであり、日本人の教養の中の一部になり切っていました。ギリシャ、ラテンの古典が、近代ヨーロッパの教養階級の一部になり切っていたように。

 それでは、わたしの心に強く残った「四書五経」の言葉を紹介したいと思います。
 なお、「 」内の言葉は、編者による金言のタイトルです。

「格物致知」
知を致すは物に格るに在り。 
(大学・経1章)

「『明治』の由来」
聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む。 
(易経・説卦伝)

「志が気力を生む」
志は、気の帥なり。
(孟子・公孫丑上)

「過大評価を恥じる」
声聞情に過ぐるは、君子之れを恥ず。 
(孟子・離婁下)

「心ここにあらず」
心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず。
(大学・伝7章)

「面従背腹」
面従して退いて後言あることなし。 
(書経・益稷)

「言葉だけで判断しない」
辞を以て人を尽くさず。
(礼記・表記)

「君子の影響力」
一人慶あれば、兆民之れに頼る。 
(左伝・襄公13年)

「『大正』の由来」
大いに亨りてもって正しきは天の道なり。 
(易経・臨)

「孔子の号泣」
天予れを喪ぼせり。 
(論語・先進第11)

 この「孔子の号泣」について、渡部氏は次のように述べています。

 「顔回が死んだとき、孔子は『天は私を滅ぼした』と言って人目もはばからずに泣いた。これは、自分にとって非常に重要な後継者が死んでしまったことに対する嘆きである。
 私にも人前で30分近く泣いた経験がある。それはロゲン先生という上智の恩師が亡くなったときの話である。府中のカトリック墓地で先生の遺体が沈められるとき、『本当に私を知ってくれた人が亡くなった』という感じが強くして、おいおいと泣いたのである。後にも先にも人前であんなに泣いたことはない。孔子は顔回について『予を見ること父の如し』と言ったが、私にとってロゲン先生は『予を見ること子の如し』だったと思うのである」

「畏れる気持ち」
畏れざれば畏れに入る。 
(書経・周官)

「偕老同穴」
子と偕に老いん。 
(詩経・鄭風)

「究極の幸福感」
朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり。
(論語・里仁第4)

 この「究極の幸福感」について、渡部氏は次のように述べています。

 「朝と夕の間を非常に短い時間にとれば、朝に立派な宗教の話を聞いて悟りを開いたら、夕方に死んでもいいというふうにとれる。それを長い時間にして考えるとすれば、いい話を聞いたら、その内容を身につけて死にたい、という読み方もあるだろう。
 私にも幸せのあまり『死んでもいい』と思った経験が1回だけある。私は英語学を研究していたわけだが、長年、日本の英語学はどこか本物ではないように感じていた。ところがドイツに行ったときに、カール・シュナイダーという英語学の大学者に長い間わからなかった疑問を尋ねる機会を得た。すると先生は、必要な資料のリストをすべて出してくださった。それで長年の疑問が氷解したのである。そのときのハッピーな感じと言えば、歩きながら『本当に死んでもいいな』と思うほどの幸福感であった」

 このように、本書には「四書五経」の金言のみならず、その言葉にちなんだ編者・渡部昇一氏の個人的な思い出が綴られているのです。その思い出が、どれもこれも、金言とぴったりマッチしています。世に『論語』や儒教書のエッセンスを紹介した本は多いですが、ここまで自分の人生と絡めて解説してくれる本は初めてです。「現代の賢人」の底力を改めて思い知りました。参りました!

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