No.0811 エッセイ・コラム 『作家の道楽』 夢枕獏著(KKベストセラーズ)

2013.10.12

 『作家の道楽』夢枕獏著(KKベストセラーズ)を読みました。
 SFから格闘技まで・・・さまざまなジャンルの小説を書く人気作家による道楽指南の書です。カバーには書斎で椅子に座る著者の写真が使われ、帯には「たくさん遊ぼう、それが人生だ。」というキャッチコピーに続いて、「倒れるまで仕事、起きあがれなくなるまで遊ぶ!  歌舞伎、漫画、落語、格闘技、カヌー、登山、書道、陶芸、写真、釣りetc・・・」と書かれています。

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
歌舞伎~四百年の「血脈」と「型」に魅せられて~
漫画~時代をそこに見る~
落語~愛すべき人と噺と空気~
格闘技~よりよく生きるために闘う~
カヌー~死と隣り合わせの、「旅の手段」~
登山~「往って還って」の繰り返し~
書~書いて、魅せて、昂る~
陶芸~火と見え、下手を楽しむ~
写真~写真は「光との対話」で撮っていく~
釣り~ぼくには「夢見る釣り」がある~
「あとがき」

 すべて著者の語り下ろしですが、肩の力を抜いて好きな趣味について楽しく語っている様子がこちらにまで伝わってきます。特にわたしの心に響いた発言をいくつか紹介したいと思います。まず、歌舞伎について著者は以下のように述べています。

 「ある意味で、歌舞伎は『血を観に行く』ものであるといってもいいかもしれませんね。多くの歌舞伎ファンの心の中には、役者の先代と当代を見比べて、舞台に出ている当代に、『おとうさんそっくり!』と声をかけてみたい、そんな気持ちがあるんじゃないかと思う」

 また一緒に仕事をし、話す機会も多いという板東玉三郎さんいついて、著者は次のように述べます。

 「板東玉三郎さんって、やっぱり、ぼくの中では特別な人なんだね。
 歌舞伎の中でも、役者としても。
 日本の役者の中でも、『女形』という特殊なことをやっている人なので、舞台の上の動きなんてどんな女性よりも女らしいわけです。女の人は何をやっても女なんだけど、玉三郎さんは男性でしょう。彼は才能もあることながら、日々、休みない精進そして美しい女性の所作を身につけた人だから。この世には存在しないイデアの世界の究極の女を、生身の肉体を使って、そこに見せてしまう。そこが凄いんだねえ。舞台ではそんな訓練の苦労は微塵も見せないけど、相当な苦労をしないと、あの境地には辿り着かないと思う」

 次に、漫画について、著者は次のように述べます。

 「ぼくが読んだ漫画でいうと、やっぱり外せないのは『あしたのジョー』だよね。『少年マガジン』での連載のリアルタイムが、大学時代まるまるから、社会人に入って少しの間ぐらいだから、ぼくは完全に『あしたのジョー』世代なんです。
 『これまでで一番面白かった漫画は?』という質問には、『あしたのジョー』か、手塚治虫さんの『火の鳥』と答えます。
それと、もう一本絶対に外せないのが、萩尾望都さんの『ポーの一族』だね。萩尾さんは、人間を描くのが本当に上手。物語の中に『詩』がある」

 ここに挙げている『あしたのジョー』『火の鳥』『ポーの一族』もわたしの大好きな漫画なので、嬉しくなりました。オフィシャルサイト「ハートフルムーン」の中の「私の20世紀」における「20冊のコミック」には3つの作品がすべてリストアップされています。

 さらに、落語について、著者は次のように述べます。

 「寄席っていいもんだよね。あのゆったりした感じが落ち着く。好きな劇団の芝居を観に行く時は、大きなスペースで、時間もきっちり決まっていて、こちらもそれなりに使うでしょ、気力も体力も。ところが、寄席にはそれがないんだな。ホール落語とも独演会とも違う。『ちょっと時間が空いているから、行ってみようか』っていう気軽さと、誰か好きな落語家が出ていて、それを観に行こうとしても、『彼の出番が何時だから、それまでに行けばいいや』っていう気軽さがあるんだよね。寄席では一日中何かの演し物をやっているから、お目当ての噺家の出番前に行って、ゆっくり他の演し物を楽しんでもいい」

 読んでいるうちに、なんだか寄席に行きたくなってくる文章ですね。芸人についての次の発言も興味深かったです。

 「落語家を含めて、テレビに出ている芸人の人って、やっぱりみんな頭がいいですよ。場の空気を読むのが素早くて、抜群に上手い。クイズ番組なんかで好成績を出してる高学歴の芸人なんかはもちろん、学歴なんかなくても、クイズに答えられなくても、頭がいい。バカにみえるのはバカなフリしてるだけ(ホントの人もいるけれど)なんだよね。ぼくらは逆ですよ。頭のいいフリをしている。作家って、ちょっと見、物知りで、なんにでも精通しているようだけど、クイズ番組なんかにたまに出ると、ぼくなんかそうでないことがバレちゃう。芸人の世界って、潜在的な頭の良さがあって、それにプラスして何かが秀でている人が勝ち上がっていく世界でしょ? そんな人たちと、教養の勝負なんて、作家は絶対にしない方がいいね」

 この発言にも大いに納得しました。わたしは芸人さんや落語家さんにお会いする機会がありましたが、いずれも非常に頭がいい方だなと感心しました。

 そして、わたしが最も関心のある格闘技について、著者は述べます。

 「格闘技を応援するようになったとっかかりは、小学校の頃だね。
 男は必ず、競争するものじゃないですか。最初はやっぱり、『肉体の競争』なんだよね。『誰が一番足が速いか』『誰が一番相撲が強いか』『腕相撲は誰が強いか』なんて。で、一番気になるのは、『誰が一番喧嘩が強いか』でしょ。
 そうやっていろんなことで比べると、自分より足の速い奴、スポーツのできる奴、喧嘩の強い奴がわかってきて、小学校の時点で、多くの人が肉体の競い合いから脱落していくわけ」

 この文章には深く共感しました。わたしも、とにかく幼少の頃から強い男に憧れていました。「柔道一直線」の一条直也に憧れ、「空手バカ一代」の大山倍達に憧れ、ウルトラマンや仮面ライダーに憧れました。誰の発言だったかは忘れましたが、「男は誰でも、最初は世界最強の男を目指していた」という言葉が記憶に残っています。小さい頃、男の子は誰でも強くなりたいと願う。それが叶わないと知り、次に「世界で最も速く走れる男」とか「世界で最も頭のいい男」とか、長じては「世界で最も女にモテる男」や「世界で最も金を稼ぐ男」などを目指す。つまり、世界最強の男以外の「世界一」はすべて夢をあきらめた落ちこぼれにすぎないのだという意味ですね。極論のようにも思えますが、「速さ」や「賢さ」や「魅力」や「金儲け」などより、「強さ」こそは男の根源的にして最大の願望であることは事実かもしれません。

 格闘技をテーマにした名作『餓狼伝』などを書いた著者は、自身も大の格闘技マニアで、自宅のガレージにサンドバックを吊るして叩いているそうです。うーん、うらやましい! 俺も自宅にサンドバック欲しい! でも著者は格闘技のみならずプロレスも愛しており、次のように述べます。

 「プロレスの中にだって、お約束を取っ払った真剣な試合が生じてしまうこともある。単に八百長という試合じゃないんですね、プロレスは。
 アントニオ猪木が、銃を抱えた兵士たちに囲まれる中、パキスタンの英雄アクラム・ペールワンの眼を潰した試合も凄かったし。
 同じく猪木が、伝説のボクサー・アリと戦った試合。
 前田日明が、アンドレ・ザ・ジャイアントをやってしまった試合。
 プロレスファンは、世間の冷たい目と闘う時に、そういう試合を、心の中にコレクションしているんですよ。
 そうしているうちに、プロレスの奥深さが分かって、『ジャイアント馬場対ブッチャー』のような試合も愛でられるようになってくるんですよ」

 この著者の発言にはプロレスへの限りない愛情が感じられ、感銘を受けました。

 カヌーとか登山とか釣りといったアウトドア系の趣味に無縁のわたしには、それらの話題に触れた部分はあまりピンときませんでしたが、陶芸などは「いつか、やってみたいな」と思いました。でも、この「いつか、やってみよう」ではダメだと著者は言っており、「はじめに」の最後で次のように書いています。

 「定年退職を数年後に控えた人が、『定年後に時間ができたら、やってみよう』と趣味をキープしておくという話をたまに聞くが、それは少し、もったいないのではないか。今でしょう。やりたいと思ったらすぐに始める。そういうものではないか。
 趣味や道楽は、生きていくことの『間』を埋めてくれるものだと、ぼくは思っている。もっと正確に言うのなら、ぼくにとって趣味とは『遊び』のことである。楽しいからそれをやる。楽しむために、それをする。
 ぼくの場合は例えば釣りがそうである。
 趣味や道楽、遊びは、おろかで哀しい人間が生きていくための杖ではないか」

 著者は、本当に人生を謳歌している人なのですね。わたしも、少しでもあやかりたいものです。

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