No.0798 プロレス・格闘技・武道 | 人生・仕事 『元気があれば何でもできる アントニオ猪木流「燃える」成功法則58』 松本幸夫著(総合法令出版)

2013.09.23

 『元気があれば何でもできる アントニオ猪木流「燃える」成功法則58』松本幸夫著(総合法令出版)を読みました。
 2013年7月21日に行われた参議院選挙において、日本維新の会から出馬し、同会内最多得票となる35万6606票を獲得して当選、18年ぶりの国政復帰を果たした猪木氏。7月29日より議員氏名として「アントニオ 猪木」を使用することが、参議院で許可されています。

 この猪木氏の大ファンであるという著者が書いた成功への指南書です。帯には猪木氏の顔写真とともに「苦しいとき、どん底の時にこそ、過激に生きなければならない」という言葉の後で「ビジネスに欠かせないエッセンスをあらゆる世界で戦ってきた男から学ぶ」と書かれています。

 本書の目次構成は、以下の通りです。

「まえがき」
第1章:ビジネスで生き残るためには技を持て!
第2章:変化を恐れず、成長を止めないことが大きな力となる
第3章:ライバル・ピンチをものともせずに突き進め
第4章:猪木とプレゼンの意外な関係
第5章:人を引きつける魅力あるビジネスマンであれ!
第6章:アントニオ猪木に学ぶリーダーシップ
第7章:心と理念が大きな飛躍のカギをにぎる
「あとがき」

著者の松本幸夫氏は1958年東京都出身ですが、若い頃から極真空手をやっていたそうです。「まえがき」で、著者は次のように書いています。

 「『格闘技世界一決定戦』と名付けた、柔道家、空手家、ボクサーといった一連の戦いを、猪木は行っていた。
 1980年2月27日。ウィリー・ウィリアムスと『極真空手対プロレス』といった図式の興行を、私は、蔵前国技館まで観に行った。
 極真の私の先輩たちは、『猪木ただじゃおかない』というムードで、私はそれに従って、空手サイドで試合を観ていた。『プロレス』の試合であり、引き分けではあったが、間近で見る猪木は、『戦い』を見せることに、とても秀でていた。
 当時は『敵』であった猪木だが、私は、猪木の『戦い方』が好きで、内心はずっとファンでもあった。そんな猪木に捧げる本書は、アントニオ猪木からビジネスパーソンが、何を学べるかを問い、煮詰めて生み出されたものだ。
 今までにないとらえ方で、アントニオ猪木を書けたものと自負している」

 わたしも、昔から大の猪木ファンです。いや、猪木信者と言ってもいいでしょう。ということで、わたしは興味津々で本書を読み始めたわけです。

 しかし、正直言ってちょっと肩透かしでした。猪木氏に学ぶ成功法則というのが「自分の『卍固め』を持とう」とか「相手に『技』を出させる」とか「闘う相手を持て」といった感じで、プロレスの世界観をそのままビジネスに応用しようとしており、どうも「こじつけ」といった感じがするのです。

 著者は165冊に及ぶ著書があり、「アントニオ猪木」をテーマに本を書くことが念願であったそうですので、気負ったところがあったのかもしれません。そもそも、常識では図れないというか、非常識な猪木氏の生き方を普通のビジネスマンの処世術に置き換えるという発想そのものに無理があったと思います。

 それでも、「負けなければ強くなれない」という成功法則には共感しました。著者は猪木氏の「私には、負けなければ人間は強くなれないという信念がある」という言葉を紹介して、次のように述べます。

 「ヒクソン・グレイシーのように『負けない相手』とだけ戦い続けて、不敗の伝説を創るのも1つのあり方だ。が、ヒクソンにしても息子の死のような人生においての試練には遭っているのだ。
 その逆、『負けるとわかっている強大な敵に立ち向かう』
 これも、自分を成長させて、実力をつけていく道ではあるまいか。
 アントニオ猪木のような強さを作るために、まだまだ若いあなたは、猪木は70歳なのだから、もっともっとチャレンジして、『自ら負ける』体験を積むべし。
 今の負けは、必ず将来の糧となる」

 ちょうど、本書と前後して野村克也著『負け方の極意』という本を読んだのですが、「負け」についての猪木氏の考え方は野村氏と同じでした。ただし、著者は猪木氏が負けた相手として、デビュー戦の大木金太郎、新人時代に16戦全敗したジャイアント馬場をはじめ、師匠であるカール・ゴッチ、旧ソ連の柔道家ショータ・チョチョシビリ、それに第1回IWGP決勝戦で失神KOされたハルク・ホーガンらの名前を挙げています。

 しかし、わたしは、そんなプロレスの試合で負けた相手など、どうでもいいと思います。それよりも、アリ戦での酷評と多額の借金、アントン・ハイセルなどの事業の失敗などが、猪木氏にとっての本当の「負け」であり、そこから挽回するドラマが興味深いのではないでしょうか。

 また、「信念を貫く」という成功法則には、以下のように書かれていました。

 「猪木の父は、吉田茂の自由党結成にかかわり、横浜市議会議員に立候補して落選。次の衆院選に出馬する前に、亡くなっている。つまり、猪木の父にとって政治家は夢だった。また、師の力道山も引退後に政治家になるという青写真があったが、叶わずに亡くなった。だから、亡き父と力道山の夢を、アントニオ猪木が実現させたのである」

 これを読んで、猪木氏の政治家への意欲が少し理解できたような気がしました。参院選当選直後の年7月25日から、猪木氏は北朝鮮の「朝鮮戦争休戦60年」の記念行事に出席し、世間を驚かせましたが、何度も北朝鮮を訪れるのも師匠・力道山の故国だからでしょうか。そこに「信念を貫く」何らかの考えがあるのかどうかは、わたしにはわかりませんが・・・・・。

 最後に、猪木氏は知人の聞いたとして「リーダーとしての条件」というものを時々引用するそうです。それは、以下の4つです。

1.ボス猿であること
2.預言者であること
3.演技者であること
4.自ら馬鹿になれること

 この4つがそのまま「リーダーとしての条件」に当てはまるのかは正直言って疑問ですが、少なくとも猪木氏自身についてはピッタリ当てはまっているように思います。というわけで、これからも「ボス猿」で「預言者」で「演技者」で「馬鹿になれる」猪木氏から目が離せませんね。

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