No.0771 民俗学・人類学 『都市の年中行事』 石井研士著(春秋社)

2013.08.05

 『都市の年中行事』石井研士著(春秋社)を再読しました。
 本書には「変容する日本人の心性」というサブタイトルがついています。帯には「クリスマスやバレンタインはどうして日本人の生活に定着したか。」と書かれ、帯の裏には「日本人の人生に大きな影響を与えてきた年中行事とは? 伝統的行事の変貌と衰退、新たな行事の創出など、柔軟かつダイナミックな社会考察を通し、日本人の変容と〈宗教〉の意味を問い直す意欲作」とあります。

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章  脱落する年中行事
第二章  伝統行事の変貌
第三章  新しい年中行事の創出
第四章  現代日本人の年中行事
「あとがき」

 「はじめに」の冒頭で、著者は「日本人が近年いかに年中行事を変化させてきたか、変化はなぜ起こり、それはどのような意味を持っているか」について明らかにしたいとして、次のように述べます。

 「我々の生活の中に織り込まれ、生活に区切りと季節感を与える年中行事も、近年はずいぶんと変化してきたように思われる。クリスマスは日本人の間にすっかり定着したし、聖バレンタインデーやホワイトデーも若者を中心に幅広い年代層に広がっている。クリスマスやバレンタインデーに続けとばかりに、ハロウィン、イースター、聖パトリックデー、サンクスギビングデー、ボスの日、セクレタリーの日、あるいはサン・ジョルディの日など、本来日本の年中行事にはなかった記念日や年中行事を普及させたいとする業界や団体は、かなりの数にのぼる。年中行事のカタカナ化は、外来の行事の輸入にとどまらず、近年では『七夕』を『ラブ・スターズ・デー』や『サマー・バレンタイン』と称して宣伝するデパートも現われている。他方、初詣やお盆のお墓参りなど、いくつかの伝統的な年中行事は現代の都市においても盛んに行われている」

 著者によれば、民俗学でいう通過儀礼や年中行事に基づく分析は、日本に固有な基層文化と常民のあり方を明らかにするためになされたものだそうです。
 そして、著者が関心を持つような現在の都市民の世界観や霊魂観の現状を解き明かすためには、現在都市で行われている「年中行事」の解明が必要なのではないかと述べます。年中行事の宗教性を扱うことによって、著者は「日本人全体の宗教性の変化もしくは持続」を分析したいと考えているのです。

 本書を読んで興味深かったのは、第三章「新しい年中行事の創出」での戦後のクリスマスについて述べた部分でした。銀座をはじめとした東京の繁華街は人々で賑わい、クリスマス・イブの都電は2割増発されたそうです。消費をあおったのはデパートや商店街でした。昭和22年、銀座の小松ストアーはクリスマスセールに秩父の山奥からヒマラヤスギを運んで店頭に据えましたが、じつに約15メートルの巨木でした。また、都内のデパートでは多くの女性サンタクロースを店頭サービスに配置したといいます。

 遊興をあおったのはバーやキャバレーでした。著者によれば、銀座のカフェの賑わいは、関東大震災後に大資本のカフェが銀座へ集中的に進出したことと関係があるそうです。「エロ・グロ・ナンセンス」といわれた時代でしたが、戦後のバーやキャバレーでの馬鹿騒ぎは昭和30年前後にピークに達しました。

 クリスマスの夜、火災報知機や110番にいたずらが終夜続発し、盛り場では窓ガラスがあちこちで割られ、歩道標識は倒され、商店街の門松はひっくり返されたそうです。このような、いわば「クリスマス狂徒」の出現は、ある意味では国が促した側面がありました。なぜなら、東京都はクリスマス・イブと大晦日に限って、キャバレー、カフェ、料亭などの風俗営業者に対して届出制でオール・ナイト営業を認める方針を打ち出したからです。

 当時、イエス・キリストと関係ないクリスマスの馬鹿騒ぎを批判する識者も多かったとか。本書には、「日本ではただ飲んで騒ぐだけ。こんなクリスマスはアジアでも日本だけでしょう。日本人の軽薄な模倣性も考えられますネ(坂西志保)」(朝日新聞1954年12月25日)、「世界中どこへいってもこんなバカ騒ぎはみられない。結局これはみんながいつも何か亭楽のハケ口をみつけており、クリスマスがその絶好のきっかけになるということだろう。・・・・・・とにかくこういうランチキ騒ぎは健全な国家の姿ではない(大宅壮一)」(朝日新聞1955年12月25日)などの声が紹介されています。

 なぜ、こんなにも戦後の日本人はクリスマスに馬鹿騒ぎをしたのか。これについて、著者は次のように述べています。

 「ところが、昭和33年頃からしだいにキャバレーでの賑わいは消えていき、三角帽子とセルロイド製の鼻眼鏡をかけてランチキ騒ぎをしていた父親たちは家へと帰り始めるのである。当時のクリスマスのランチキ騒ぎは皮相な社会現象などではなかった。それは戦後の荒廃からの立ち直りと自信の表出、戦前からの国による統制や節制への強烈なしっぺ返し、豊かなアメリカ文化への憧れ、そうしたものがないまぜになって生じた集団的沸騰であった」

 さらに、クリスマスと日本人の「幸せの形」について、著者は述べます。

 「クリスマスは『消費による豊かさ・消費による幸せ』と密接に関係して浸透していった。昭和30年代に、幸せの形態がマイホーム主義や私生活主義へと変化していったときに、クリスマスも盛り場から家庭行事へと移行していったのである。そして幸せが『ケーキや料理を家庭で食べる』ことではなく、外食することによって象徴されるようになると、クリスマスにレストランへと繰り出すことが流行となった。さらには幸せや豊かさが個人化し、恋人と二人でいることで達成されると考えられるようになると、『二人のクリスマス』がテレビなどで大映しにされることになる。クリスマスは商略によってもたらされたものではなく、我々日本人が選んだ『幸せの形』である。そしてその『幸せの形』は、消費によって支えられており、消費こそ幸せへの最短距離であったということになる」

 クリスマスに続いて、著者はバレンタインデーについても考察していますが、ここで興味深いのは著者の教え子である女子学生のレポートの内容です。著者は「現代の女性のチャペル・ウェディングに対する強い志向と、バレンタインデーやクリスマスの隆盛は、同一の文化的状況の上に成立しているに違いない」と考えているのですが、そのような点に関する解決の糸口を女子学生のレポートの文章が与えてくれるのではないかというのです。以下のような内容です。

 「近年の学生の多くは、本業である大学の授業は単位をとるためのものであり、その他はなんとなくバイトをしたりして日々をすごしている。しかし、人間とは不思議なことに、”何となく日々を過ごす”ということに不安を感じてくるものである。そこで、実りのある学生生活にするために”恋愛”をしたいという欲望が現れてくるのである。なぜ、”恋愛”なのかというと、これは必ず2人揃わなくてはならないものであり、その先どんな日々を過ごそうが『自分1人だけではない』という安心感と、2人で同じ時を積み重ねて行くことで1つの実りを得ていると思うことができるからである。そのため、2人で同じ時を積み重ねている証として、初詣・バレンタインデー・お互いの誕生日・クリスマスという”2人での行事”が大切になってくるわけである。これはまるで1つの”信仰”のように思えてくる。つまり、”恋愛信仰”である。なぜなら、今のほとんどの学生にとって恋愛は唯一自分を救ってくれるものであり、・・・・・・」

 たしかに、コトの本質をずばりと言い当てているような気がしますが、このレポートに対して著者は次のように述べています。

 「もし彼女のいうように『恋愛信仰』があり、特定の機会に信仰を確かめ合う儀礼が必要であるとすれば、そうした儀式に適しているのは、これまでの行事とはまったく異なったキリスト教の香りをまとった儀式である、ということになるのだろうか。しかしながら、その宗教性はあまりに消費や情報の中で擦り切れ、拡散しているように思えてならない。自らの世界観や人生観の構築とは無縁な、ひとときの聖性である」

 ここで、「ひとときの聖性」という言葉が登場しました。これは、現代の年中行事におけるキーワードであると思います。現在都市を中心に行われている日本人の年中行事を分析すると、伝統的な年中行事の意味は明らかに喪失しています。また、祖霊を中核とした霊魂観や世界観は壊れていると指摘できるでしょう。著者は、次のように述べます。

 「もはや年中行事は社会生活全体の節目としての規制力を弱めていき、個々人や集団ごとに選択される行事へと変化する傾向が見られる。年中行事は社会や集団、そしてそれらに帰属する個人に社会全体を覆う意味体系を与えることができなくなり、個人化内心倫理化していった。さらには、宗教の世俗化を分析したピーター・バーガーが『宗教的伝統は、かつては威信をもって強制することができたが、今や市場化されねばならない』と指摘したように、日本の年中行事は、社会構造や産業構造の変化による共同体の崩壊、生活環境の変化の中で、あるいは消費と情報の中でもみくちゃにされ、本来の聖性を喪失して市場化されたと言い換えてもいい」

 しかしながら、著者は「伝統的な宗教性を喪失しながらも、年中行事から完全に宗教性が脱落したとはどうしてもいえない」と言います。現代の年中行事に見られる宗教性が、たんなる<残滓>以上の意味を持っているように思えるというのです。そして、「伝統的な宗教性の喪失と都市民の聖性を求める彷徨は、ひとつの現象の表裏である」と述べています。

 年中行事の宗教性を考える上で、著者は今一度、民俗学に立ち返ります。そして、次のように述べています。

 「民俗学では、正月は『生命の更新を祝う春の行事』であると説明する。しかしながら、『大正月は歳神の来臨を迎えての霊魂の更新に重点』があるという分析は、もはや都市の正月には適応できないだろう。それは歳神を成立させている構造自体を失っているためである。都市民の生活を構造的に規定しているのは、農耕のリズムではなく消費や情報であろう。濃密な共同体を喪失した都市民が、それでも個人、家族、社会を維持していこうとするのであれば、疲弊したそれらを更新させる儀礼が必要である。私には、都市民は聖なる時を体験させてくれる儀礼をマスメディアを通して凝視し、都市の中に聖なる空間を探し求めて彷徨しているように見えるのである」

 なぜ、明治神宮に多くの人が初詣に出かけるのでしょうか。さまざまな理由が考えられるでしょうが、著者は次にように述べます。

 「私の結論は、明治神宮は東京において都市民が「再生」するために最も適した「聖なる空間」である、というものである。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社であり、大正年間に設けられた神社である。しかしながら、渋谷の地に22万坪に及ぶ広大な境内地を有し、その杜は古代から自生していたかの感を抱かせる。鳥居によって明確に聖なる領域と俗なる領域が峻別され、参道に敷かれた玉砂利は、効率よく短時間で目的地に到達することを強いる現代社会を拒絶している。我々は広大な緑の中へ一歩一歩吸い込まれていくことによって、俗なる空間から身を引き離し、聖なる世界へと入っていくことになる。共同体が崩壊したために、共同体全体の聖化が不可能であるとすれば、個人や家族は自らの努力によって聖なる領域を捜し生命の更新を行わなければならない。そのために最もふさわしい空間が明治神宮であると考えることができないだろうか」

 戦後、日本人の間には広くバレンタインデーやクリスマスが浸透しました。それは、けっしてキリスト教本来の意味を有していたわけではありません。
 しかし、やはりキリスト教とかかわりを持った行事であることも間違いありません。著者は次のように述べます。

 「それでも、クリスマスやバレンタインデーの普及は、キリスト教行事であった点に重大な理由があった。人間が、なんらかの行為に対して、平常とは異なった特別の思いを抱く時、その表現様式はしばしば宗教的な性格を帯びる。儀礼の持つ象徴性は、基本的に何か日常を越えた聖なるものを志向するのであって、それは情報化や商品経済がとことん浸透した現在においても同様である。人間が現実を越えた思いを抱くときや、合理的効率的に説明できない領域に踏み込むときに、その象徴性自体が聖性を帯びるのである」

 さらに、著者は宗教儀礼の力について以下のように述べています。

 「現在弱まりつつある宗教儀礼の力も、人生や1年の節目に厳粛な時を迎えたいとする人々や集団によって、ふたたび活性化されるかもしれない。年中行事からの宗教性の脱落は、近代化にともなう機械的なプロセスなどではなく、人や集団が関わる複雑で可逆的なプロセスである。現在の年中行事に残る宗教性は、たとえ祖霊などの伝統的な意味での宗教性ではないとしても、宗教性の復興の可能性を示す現象であると思われる」

 本書の最後では、著者は以下のように「年中行事の宗教性」について、その本質を解き明かすのでした。

 「宗教はさまざまな形態で都市や日常生活の裂け目から姿を現す。我々は宗教が個人や社会にとって不可欠な側面であることを率直に認めるべきだと思う。産業構造や経済構造が欧米と同様の構造になっているとしても、文化のパターンは異なると考えることができないだろうか。さらには、同じに見える産業構造や現代社会における人間関係自体も、実は異なったものであるのかもしれない。年中行事に見られる宗教性は、現代社会やその中で生活する我々の現実をよりよく理解するための鍵である」

 「宗教はさまざまな形態で都市や日常生活の裂け目から姿を現す」という言葉には深く共感します。個人や社会にとって宗教が不可欠というのも同感です。ある意味で、わたしたち人間は「宗教的存在」なのでしょう。そして、宗教的存在であるわたしたちの正体が年中行事の中に隠されているのだと思います。本書は1994年に刊行された本ですが、今読んでもまったく古くなく、非常に示唆に富んでいました。

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