No.0732 小説・詩歌 『ジヴェルニーの食卓』 原田マハ著(集英社)

2013.05.30

 『ジヴェルニーの食卓』原田マハ著(集英社)を読みました。
 著者の『楽園のカンヴァス』に連なる「美術」短編小説集です。カバーにモネの「睡蓮」が使われ、帯には「そこには光が―光だけが見えた。」のキャッチコピーに続いて、「マティス、ピカソ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、モネ」「新しい美を求め、時代を切り拓いた巨匠たちの人生が色鮮やかに蘇る。『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、”読む美術館”」と書かれています。

 また帯の裏には「美の巨匠たちは何と闘い、何を夢見たのか。」として、以下の画家たちの言葉が紹介されています。

 「なんといっても、私には、マティスしかいないんだ―パブロ・ピカソ」
 「踊るために生まれた子よ 愛せよ ただ踊ることだけを―エドガー・ドガ」
 「世紀末、この国の芸術を一変させる旋風が起きた。タンギーの小さな店で―エミール・ベルナール」
 「ジヴェルニーは、私にとって、輝くばかりにうつくしい国だ―クロード・モネ」

 本書には「うつくしい墓」「エトワール」「タンギー爺さん」「ジヴェルニーの食卓」の4編の短編小説が収められていますが、それぞれマティス、ドガ、セザンヌ、モネといった印象派の画家を題材にしています。その画家の代表作についてのエピソードを生前の画家と関係のあった人物が語るスタイルとなっています。マティスの場合は家政婦、ドガは友人でありライバルであった女流画家、セザンヌは画材屋の娘、そしてモネは義理の娘といった具合で、いずれも女性たちがそれぞれに画家の思い出を語ります。4人の語り手は、いずれも画家を心からリスペクトしている人々でした。

 各作品には、それぞれの画家の本質を的確にとらえた文章が登場します。
 たとえば、「うつくしい墓」には次のように書かれています。

 「マティスの目。それは、恋する娘がのぞきこむ鏡。
 マティスの心。それは、みつめる対象にせいいっぱい傾けられた清らかな水を注ぐ水差し。
 マティスの指。それは、胸にしみ入る旋律を弾き出すピアノの鍵盤。
 この世に生を享けたすべてのものが放つ喜びを愛する人間。
 それが、アンリ・マティスという芸術家なのです」
   (『ジヴェルニーの食卓』p.33)

 たとえば、「エトワール」には次のように書かれています。

 「そういえば、ポーズしている踊り子を、ドガは前からばかりではなく、背後からも、横からも、斜めからも、あらゆる角度で眺め回し、スケッチしていた。ときには壁に梯子を立てかけて、その上に乗って上から見ることもあるようだった。『下からも見たいんだが、さすがに穴を掘って入るわけにはいかないな』と、ぶつぶつ言っていたのも聞いたような気がする」
   (『ジヴェルニーの食卓』p.90~91)

 たとえば、「タンギー爺さん」には次のように書かれています。

 「わしは、いつも思うんだ。新しい芸術を生み出すためには、技術も、センスも、縁故も、後ろ盾も必要だろう。志を同じくする仲間や、資金的な援助や、発表する場も必要だろう。けれど、ほんとうのところは、芸術家自身の精神力が、いちばん重要なんじゃないかって。
 ポールには、ほかの誰にもないような強い精神力がある。絶対に、ほかには追随しない。唯一無二の、自分だけの表現をみつけ出したいんだという、強烈な欲求がある。――祈りがある。
 ポール・セザンヌは、ドラクロワでも、ブグローでも、モネでもドガでもルノワールでもない。ポールはな・・・・・いいかい、ポール・セザンヌはな。結局、ポール・セザンヌでしかないんだ」
   ( 『ジヴェルニーの食卓』p.138~139)

 そして、「ジヴェルニーの食卓」には次のように書かれています。

 「モネは深めにつば帽子を被っていた。どれほど医師に口酸っぱく言われようと、黒眼鏡は絶対にかけようとしなかった。この世界から色を奪ってしまう恐ろしい道具だと忌み嫌っていたのだ。庭へ続く緑色に塗られた階段を一歩一歩、ゆっくりと下りて、モネは、生涯をかけて愛情を注いだ庭の全景を眺めた。
 広大な庭の中で、人工の作り物は、中央をまっすぐに貫く小径にかかる薔薇のアーチだけだった。できるだけ自然に近い形で、自由に、生き生きと草木を茂らせる。それがモネの庭作りの方針だった。
 庭には花らしい花がいまはまだなく、ひっそりと静まり返っていた。小径の両側には、やがて本格的に春がきたら、そして夏になればなおのこと、さまざまな花々が咲き乱れる。ヒナゲシ、キンレンカ、スイートピー、ルピナス、ボタン、リンドウ、チューリップ、シオン、クレマス、ダリア、ツルバラ。そして、この庭の向こう側の敷地にも、もうひとつのすばらしい庭が、息を潜めて主の来訪を待っている。それは、睡蓮が群れて咲く、太鼓橋が架かった池のある『水の庭』だった」
   (『ジヴェルニーの食卓』p.211)

 ジヴェルニーというのは、セーヌ川とエプト川が合流するヴェルノンの東に位置します。ノルマン・ヴェクサン地方の入口にあたる場所ですが、1893年に画家クロード・モネがジヴェルニーに定住しました。モネの愛した庭として有名なのが、ノルマンディーの「ジヴェルニーの庭園」です。モネは43歳からちょうど生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごしました。そして、創作以外のほとんどの時間を庭仕事にあてていたと言われています。

本書で取り上げられる4人の画家たちは、いずれも「印象派」の人々です。「印象派」について、著者は以下のように端的に説明しています。

 「計算され尽くした構図や、歴史的風景、神話、肖像などのありふれたモチーフ、滑らかな仕上げの絵肌を捨てて、見たまま、感じたままを、瞬間的なタッチで描く。『印象のままに描いている』、つまり緻密な構成も技術の熟練もなしに勝手気ままに描く稚拙な絵、と批評家に嘲笑を浴びせられた彼らの作品は、やがてその揶揄を冠して『印象派』と呼ばれるようになる」

 「画家たちがこの名画を描いたとき、どんな心境だったか」に焦点を当てた物語ばかりですが、一読すれば4編とも豊かな知識に裏づけされた作品であることがわかります。美術館のキュレーター経験のある著者らしく、画家たちの人柄や生活ぶりを克明に描写しているのです。そして、何よりも著者のアートに対する深い愛情を感じることができました。なお、本書の電子書籍版を購入すると、画家たちが描いた名作を一緒に楽しむことができるそうです。可能ならば、紙の書籍でも口絵として観賞できるようにして欲しかった!

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