No.0710 書評・ブックガイド 『福岡ハカセの本棚』 福岡伸一著(メディアファクトリー新書)

2013.04.16

 『福岡ハカセの本棚』福岡伸一著(メディアファクトリー新書)を読みました。
 福岡ハカセが本棚に腰掛けて読書するイラストが描かれたカバー表紙には、「思索する力を高め、美しい世界、精微な言葉と出会える選りすぐりの100冊」と書かれています。また帯には、著者の写真とともに「科学的思考と巧緻な文章力の原典」と大書され、「科学者・福岡伸一を生んだきわめつけの良書を熱く語る」「知性を輝かす名著たち」とのコピーがあります。

 著者は、1959年東京都生まれ。京都大学卒業。ロックフェラー大学およびハーバード大学研究員、京都大学助教授を経て、現在は青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授です。専攻は分子生物学。主な著書に『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス、講談社出版文化賞科学出版賞受賞)、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、サントリー学芸賞受賞)、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『動的平衡』(木楽舎)などがあります。2006年、第1回科学ジャーナリスト賞を受賞しています。

 本書の構成は、以下のようになっています。

[はじめに]「それは図鑑から始まった」
第1章:自分の地図をつくる―マップラバーの誕生
第2章:世界をグリッドでとらえる
第3章:生き物としての建築
第4章:「進化」のものがたり
第5章:科学者たちの冒険
第6章:「物語」の構造を楽しむ
第7章:生命をとらえ直す
第8章:地図を捨てる―マップへイターへの転身
[おわりに]「地図なき世界にこそ、面白さがある」
福岡伸一「動的書房」全リスト

 [はじめに]「それは図鑑から始まった」で、著者は少年時代に公立図書館の「自然科学」コナーで『原色図鑑 世界の蝶』という本に出会った思い出を書いています。その図鑑には原寸大フルカラーで世界中の蝶が網羅されていましたが、著者は最初のページに掲げられた美しいエメラルド色の蝶に釘づけになりました。それはアレクサンドラトリバネアゲハという世界最大の蝶でした。

 この本との、そしてこの美しい蝶との出会いは、著者にとってかけがえのない宝物になったそうです。『原色図鑑 世界の蝶』を知る以前から、著者は『標準原色図鑑全集』という20巻揃いの図鑑を愛読していたそうですが、このシリーズはわが家の書庫にもありました。版元は保育社でした。保育社は図鑑出版の名門で、「ポケットブック」というシリーズも出しており、わたしが子どもの頃は日本中の書店にコーナーが設置されていました。生物や植物のミニ図鑑をはじめ、鉄道とか国旗とか古書などのマニアックな世界の入門書として広く読まれていました。わたしも100冊ぐらい買った記憶があります。懐かしいですね。

 著者は、『標準原色図鑑全集』の「第1巻 蝶・蛾」「第2巻 昆虫」の2冊をボロボロになるまで読みあさったそうです。自分が野山で見つけた昆虫を図鑑と照らし合わせて、それが確かに記載されていることに安堵と落胆を覚えながら、この世界がどのように成り立っているのかを確認していったという著者は、次のように書いています。

 「なによりその図鑑が私の心をとらえたのは、複数の昆虫が1つのページの中に、同じ縮尺をもって、ほぼ等間隔に並べられていたことです。人間の勝手な判断によって価値の軽重をつけることなく、この世に存在するものをありのまま、くまなく網羅してみせる。混沌たる自然の事物を、公平極まりないグリッド(格子)の中に過不足なく整理する。この『世界が公平なグリッドの中に整理されている』という状態を目にして、私は一種の陶酔のようなものを覚えました。いま思えば、それはこの世界を支配する「秩序」というものへの最初の憧れだったのかもしれません」

 著者が図鑑から学んだことが、もう1つありました。それは、どんな小さな虫にもきちんと名前がつけられているということでした。著者は、昆虫への名づけについて、次のように書いています。

 「ある昆虫が図鑑に載るにあたっては、必ずそれを自然の中に見出し、そこから取り出した人がいる。そして、その昆虫に名前をつけるためには、実物の中からたった1つだけ選ばれた完模式標本という完全な標本が必要なことも知りました。これはつまり、図鑑に載った昆虫の名前には、必ずそれと対応する唯一無二の実物が世界のどこかに大切に保管されているということです。名前という実体のない『言葉』は、その個物によって世界と結びつけられている。私は身のまわりの昆虫について調べるために図鑑を開き、その向こう側に再び実体を見出したのです」

 このようにして、著者と本とのかかわりが始まったわけです。著者にとって図鑑のページをめくることは一種の探検でした。また、まだ見ぬ世界を言葉によって確認していく作業でもありました。著者は読書という旅を、「この世界の事物を洗いざらい枚挙し、それらを公平なグリッドの中に並べる」という場所からスタートしたのだと述べています。

 著者は、もともと自分には自然がもつ公平さや秩序に惹かれる性向があったのではないかと自己分析しています。秩序は、すべてを枚挙して初めて目の当たりにすることができる。科学者になった後も、著者は生物の体を分子レベルにまで分解し、そこにある要素を徹底して枚挙し、それらに名前をつけるという仕事を長年にわたって取り組んできました。そこから「地図」というキーワードを導き出した著者は、次のように述べます。

 「人間には、地図をこよなく愛し、目的地に向かうときに必ずそれを頼りにするマップラバー(map lover)と、最初から最後までそんなものを必要とせず、自分の勘と嗅覚で目指す場所にたどり着けるマップヘイター(map hater)の2つのタイプがあると思います。たとえばデパートに入ったとき、『売り場案内板』に直行するのがマップラバー。まわりの様子を一瞥して、いきなり歩き出すのがマップヘイター。マップラバーは鳥瞰的に世界を知ることを好み、起点、終点、上流、下流、そしてもちろん東西南北をなによりも大切にします。行動に移る前に、世界全体の見取り図を手にしたいのです」

 「世界全体の見取り図を手にしたい」というのは、博物学に惹かれる人なら、みんな願うことではないでしょうか。日本における図鑑研究の第一人者である荒俣宏氏などにも通じる願望であると思います。また、わたし自身も科学者でも博物学者でもありませんが、幼少の頃より百科事典や辞書や図鑑の類に目がなく、高校生ぐらいになると1人で東京の神保町に出かけてそれらの古書を買い漁っていたことを思い出すと、「世界全体の見取り図を手にしたい」という欲望に衝き動かされていたように思います。

 著者の図鑑から始まった本を巡る旅は豊かな広がりを見せました。本書に紹介されている100冊の本は理系の要素が強い観もありますが、フィクションもなかなか充実していて、バラエティに富んでいます。ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズによって、著者は空想の物語へと興味をもち、さらには小説世界の豊かさへとつながっていったそうです。著者は、次のように書いています。

 「私にとってその原点ともいえるのが、1960年代後半に岩崎書店から刊行された『エスエフ世界の名作』です。世界中のSF作品から有名無名にかかわらず優れた作品を選び出し、少年少女向けにリライトした全26巻のシリーズ。ヒューゴー・ガーンズバックの『27世紀の発明王』、エドワード・スミスの『宇宙船スカイラーク号』、ロバート・シュエリフの『ついらくした月』・・・・・そしてもちろん、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』」

 このくだりを読んで、わたしの胸の鼓動は高まりました。なぜなら、この『エスエフ世界の名作』は小学校の図書館で全巻読んだ思い出があるからです。
 わたしの通った小学校には江戸川乱歩の『少年探偵』シリーズは置かれていませんでしたが、この『エスエフ世界の名作』は揃っていたのです。たしか真鍋博氏がイラストを担当していたように記憶していますが、ヴェルヌ、ウェルズ、アシモフ・・・・・SF史に残る名作の児童版を貪るように読みました。このシリーズで読書の楽しさを知ったと言ってもいいでしょう。小学校の仲の良い同級生たちも読んでおり、わたしたちは「エスエフの会」という同好会を作って、誰が一番早く全巻を読破するかを競ったのでした。結果はわたしの優勝でした。

 あんなに夢中になって読んだ『エスエフ世界の名作』の名を本書で見つけて、わたしはもう初恋の人の名前を聞いたかのようにドキドキしました。「ぜひ、もう1回、あのシリーズを手に取ってみたい!」と思っていたら、本書には次のように書かれていました。

 「その後、惜しくも絶版となっていた『エスエフ世界の名作』を、私は大人になってから再び手にする幸運に恵まれます。コミックの古本で有名なチェーンの店のオークションに、このシリーズが出品されたのです。開始価格はなんと30万円。しかし、初版本の全巻揃い、しかも箱付きはめったにありません。迷った末に1割増しで入札し、すべてを手に入れることになりました。おかげで、自分の読書の原点となった名作を好きなだけ読み返せるようになったのです」
 これを読んで、わたしはクラクラしてきました。うーん、うらやましすぎる! 1割増しどころか、さらに多く払ってもいいから、わたしも欲しい。古書チェーンのオークションというやつを今度チェックすることにします。

 本書は、2011年5月14日~2012年3月18日にジュンク堂書店池袋本店で開催された「動的書房」をもとに生まれたそうです。同店の7階理工書フロアの奥に作家や学者が自分の愛読書を集めてつくる「作家書店」というコーナーがあるとか。その第15代店長となった著者は、自身の書店に「動的書店」という名前をつけたのです。そのとき集めた400点の推薦書から厳選し、さらに新たな本も加えて100冊のラインナップをつくりました。そして誕生したのが本書です。

 どれも本好きの心の琴線に触れるような本ばかりが紹介されていますが、「おわりに」で著者は次のように述べています。

 「読むべき本とは、野山をひらひらと舞う蝶のようにいつも『動いている本』です。その本を書いた人の切実な思い、気づきの感動、言葉を探すことの苦しみと喜び。そんな動的なものに満ちた本は、人をも動かすに違いありません。揺れながら、光を反射しつつ、くるくると回転し続ける、生きた本。自分の人生を振り返りながら、私はここにそんな本だけを集めてみたのです」
 著者が選んだ100冊の「動いている本」は「輝いている本」でもあります。100冊のうち、わたしがすでに読んでいた本は30冊くらいでした。本書の読了後、何冊かをアマゾンで注文したことは言うまでもありません。

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