No.0687 社会・コミュニティ 『漂流老人ホームレス社会』 森川すいめい著(朝日新聞出版社)

2013.03.12

 『漂流老人ホームレス社会』森川すいめい著(朝日新聞出版社)という本を読みました。
 著者は1973年生まれの精神科医で鍼灸師でもあります。かつ、ホームレス支援のNGO団体「TENOHASI(てのはし)」代表です。

 帯には、「平等だということが、差別になることもある。私たちに希望はあるか?」と大書され、「職をなくし、家をなくし、再就職もできない。年齢、障がい、家族、そして制度との行き違いが、彼らの心と命をむしばんでいく。19年間、身を削って向き合った野宿の人たち・・・。いま、池袋の現場から著者が伝えたい現実とは?」との文章が続きます。また、「NHKスペシャル『老人漂流社会』で大反響!!」とも書かれています。

 わたしも、この番組については、かなりの衝撃を受け、まさにそのイメージで本書を読みはじめました。
 しかし、あの番組と本書の内容には直接の関係はありませんでした。本のタイトルには「漂流老人」と「ホームレス」が並んでいますが、実際は「漂流老人」よりも「ホームレス」の方に重点が置かれています。NHKスペシャルの放映は今年の1月の20日ですが、本書は30日に刊行されています。もしかすると、NHKの放映を意識して、タイトルを決定したのかもしれません。
ホームレス支援といえば、「隣人愛の実践者」こと奥田知志さん(北九州ホームレス支援機構理事長)を思い浮かべてしまいます。

 本書の「もくじ」は、以下のようになっています。

「はじめに」
1章:死ななくてもよかった
2章:家族の形
3章:派遣切りの末に
4章:認知症者の行く末
5章:アルコール依存症
6章:知的障がい
7章:統合失調症
8章:希望
終章:私が野宿の人たちとともにいる理由

 「はじめに」の冒頭で、著者は次のように書いています。

 「『平等だということが、差別になることもある』と言った人がいた。『平等でなくてはならないのだ』、という言葉には、マジョリティ(多数)側による、無言の圧力が含まれている。極端にいえば、『平等』という概念は、マジョリティの論理から生まれる。そこには、無意識にマジョリティが共有している『私たちは普通だから、普通でない人は、平等じゃない状態にある人だ』という前提がある」

 わたしの読解力がないせいか、この言葉の意味がよくわかりませんでした。でも、帯にも書かれていますし、「平等だということが、差別になることもある」という言葉は本書の基本をなす考え方のようです。

 本書には、ホームレス状態となった人たちの現状や生い立ちなどが綴られていますが、これまで知らなかったことがたくさん書かれていて、勉強になりました。たとえば、ホームレスの人には高血圧や糖尿病を患う人が多いそうです。著者は、次のように書いています。

 「高血圧や糖尿病などの慢性疾患は、薬を飲み食事を節制していければコントロールできるものである。しかし、長期に治療を続けなければならず、医療費がかさむため、経済的に苦しい状況にある人にとっては治療継続が難しい。ホームレス状態となった人々の中にも、高血圧や糖尿病を患う人は少なくなく、これらの病気が原因となって仕事を失った人も実態は明らかとなってはいないが多数存在する。かつてこれらの疾患は、ぜいたく病と誤解を受けていたが、今では生活が困窮する人ほど慢性疾患を患っている人が多いことが明らかになっている。貧困であればあるほど食事を選ぶことも、医療にかかることも難しいからである。人を支えることが国の責務であるはずだから、こうした人々を支えることを国は考えなければならない」

 また、アルコール依存症の実態についても、非常に考えさせられました。著者は、次のように書いています。

 「アルコール依存症は、完治をしない病気であるために治療方法はない。断酒を続けるのみである。飲むことで様々な問題を起こしてしまい、仕事も家族も失うことがある。そこで、依存症者は本人の意思に関係なく断酒をすることが求められる。断酒をしない限りは、自由を失うことも少なくはない。よって、教育、強制入院、説教などが行われることもある。何とか自分の意思で断酒をできる人もいるが、激しい飲酒渇望や、生きることの意味に迷い孤独であるときは、酒をやめ続けることは難しい」

 ホームレスといえば、生活保護の問題と切っても切り離せませんが、なかなか難しい問題が山積しています。生活保護について、著者は次のように述べます。

 「生活保護法は国の責任において行わなければならないものであるが、その費用のうち地方公共団体が1/4の費用負担をする(*実際は別の形で地方は交付金を得るため、地方負担はもっと少なくなる)ことになっている。そのため、目前の相談に来た人について当該地方公共団体が費用の負担をして保護をするべきなのか? という議論が、現場では生じてしまう。生活保護の開始が決定されるということは、労力に加えてお金も使うことになるため、住民票のある地区が責任を持ってほしいという思いは強くなり、『住民票のある地区で相談をしてください』と言ってしまうのが当然の結果かもしれない。人として冷たい対応ではあったかもしれないが、相談担当者が悪いのだとは言い切れない現実がある」

 著者は、かつて自殺も考えたことがあるほど悩んだそうです。いつも「生きることは苦しい」と思い、「生きる意味」を問い始めました。そして、「世界が平和になるために、私は生きる」と決めました。生きる意味を問い始めた苦しい思いのままに自分が生きていくためには、「遠く無限の彼方にあるような生きる目的」が必要だったという著者は次のように述べます。

 「人は、なぜ、生きなければならないのかという問い。人類の、深く長く続く問い。仏陀と言われた人でさえも、それを問うて苦しみ、答えを探すために苦行に出たという。生老病死。人類の、答えのない問いに沈み込む。理由を問い続けると迷い込む。誰かが答えを出してくれることにしがみついてみるか、または、考えないで生き抜いていくのもいいのかもしれない。問い続けることは苦しいことだった。私はどこから来て、どこに向かうのか。それでも私は、誰かから答えを聞くよりはいくらか、迷った方がましだと思った」

 著者は「生きる意味」を求めて大量の本を読みましたが、父親から「あなたは本の知識で話をしている。現場を見なさい」と言われて、世界各地へ旅に出ます。その中で、最も彼の心に影響を与えたのはビルマでした。著者は、次のように書いています。

 「ビルマ。ミャンマーともいう。その国を4週間旅した。
 たいていのアジアの国では、私は外人だということから、多くの人が私から金を奪おうと悪意を持って近寄ってきた。ところが、私が訪ねた時期のビルマには、笑顔だけがあった。たった4週間の旅だったが、多くの若い人が、片言の英語で、『どこから来たのか?』と声を掛けてくれて、たいていの場所で、ご飯をおごってくれた。とても小さな子どもが、上半身裸のまま、露店で手作りの何かわからない土でできたものを売っていたお母さんの横で、泥の付いた食べかけの果物を、満面の笑顔で私に渡した。ある場所では、軍人と商人と民間のおばちゃんと私がいた。全員が私に何かを買ってくれた。
 日本で知っているビルマ、ミャンマー。アウン・サン・スー・チー氏の姿。国境付近の絶え間なく続くジェノサイド。軍と個人との関係。しかしその内陸の人たちは、そのように生きていたのを見た」

 わたしは、いま仏教交流の関係でミャンマーと深い縁があります。来月にはミャンマー全土を回る予定ですので、このくだりは非常に興味深く読みました。

 また、世界で一番寿命の短い国シエラレオネで、軍人に身体を売りながら子どもを守った母親のエピソードが心に残りました。彼女はHIVとなって、高額な治療を受けられないままに死んだそうです。著者は、次のように書いています。

 「彼女を買った軍人の多くは、国連軍だったと言った人もいた。
その国での、戦争の理由は、ダイヤモンドの利権争いだった。利権とは私たちの国のお金を巡ってのそれである。くそ食らえ、と思った。私たちが、『結婚するときはダイヤモンドを贈れたらいい』と思っていた程度のことで、戦争が起きるのである。知らないことが多過ぎると思った。何かに、私たちはだまされてしまっていて、自ら脱する方法がわからない」

 著者の怒りの叫びが、胸に突き刺さる思いがしました。

 このような旅を続け、現場を見続けた後、著者は精神科医になりました。でも、精神科医となってもわからないことだらけでした。著者は述べます。

 「ただ1つわかったことは、『こころは、病気にならない』ということだった。そして、難しいのはこころだと感じた。生きづらい世の中で、こころが疲れていって、ついに脳が、悲鳴を上げる。医療は、脳という臓器への治療は提案できたとしても、こころを治すことはない。私は、多くの精神科医がしようとしているように、精神科医療を持ちながら、こころに付き合うことができるようになろうとした」

 そして、精神科医である著者はホームレス状態の人々と接するようになります。それらの人々の中には、病気で苦しむ患者も多くいました。そして彼らは、病気で困っているというよりは、生きづらさに困っていました。著者は、「人を支えるためには生活保護の知識が必要だし、仲間づくりや、居場所を定義する活動が必要」と思い至ります。この思いが、現在のホームレス支援活動につながっているのです。

 終章「私が野宿の人たちとともにいる理由」で、著者は述べます。

 「この社会は、どうしたら生きやすくなるのか。
 水曜日の夜に、池袋の夜回りをする。そして野宿の人と出会う。確かに、精神科医の私が、今日、その人と出会わなかったとしたら、その人は、死んでいたかもしれないと思うことが、何度かあった。水曜日になって、今日は、夜回り活動を休みたいなと思うことも、本当は何度もある。それでも結局、現場に向かう。そして、目から生気を失った若い野宿をしたての人に、こころの疲れを気遣いながら、具体的に、野宿から脱するいくつかの方法を伝える」

 それは、あまりにも哀しい現実です。でも、それは普通の生活を送る人々とは無縁の世界ではありません。それは、「私たちの半歩だけ隣にある」現実なのです。そう、行き場をなくしたホームレス老人たちは、わたしたちの隣人なのです。野宿の人たちに寄り添う精神科医である著者もまた、「隣人愛の実践者」なのだと思いました。

 2周年を迎えた東日本大震災の話題で一色となったテレビで、被災地の仮設住宅のようすを見ながら、わたしは「ホームレスの老人たちには終の住処が必要である」と思いました。被災者も、漂流老人も、わたしたちの隣人です。けっして、この現実から目をそらしてはなりません。

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