No.0656 心霊・スピリチュアル | 死生観 『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』 矢作直樹・坂本政道著(徳間書店)

2012.08.20

 『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』矢作直樹・坂本政道著(徳間書店)を読みました。

 著者・矢作直樹氏から贈呈された本です。「『あの世』をめぐる対話」というサブタイトルがついています。「勇気の人」こと矢作直樹氏は、1956年生まれの東大医学部教授です。

 一方の坂本氏は、モンロー研究所レジデンシャル・ファシリテーターです。
 1954年生まれ。東京大学理学部物理学科卒、カナダトロント大学電子工学科修士課程終了。77年から87年まで、ソニー(株)で半導体素子の開発に従事しました。87年から2000年までは、米国カリフォルニア州にある光通信用半導体素子メーカーSDL社にて半導体レーザーの開発に従事。2000年、変性意識状態の研究に専心するために退社。有名な「体外離脱」研究のメッカであるモンロー研究所のスタッフとして、『体外離脱体験』『死後体験』シリーズ『絵で見る死後体験』『SUPER LOVE』『ヘミシンク入門』など多くの著書を上梓します。

 本書の帯には、次のように書かれています。

「人は死んだらどうなる? あの世はいったいどこにある?
向こう側がわかれば、死ぬのはまったく怖くない!
『人は死なない』『死後体験』ベストセラー対談が実現」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

はじめに―「あの世」と「この世」をめぐって(矢作直樹)
序章:死を考えると「常識の壁」を超える
第一章:日本人と霊性
第二章:宗教、スピリチュアリズム、そして科学
第三章:三次元世界の実相
第四章:超常識な現象について
第五章:これからの生き方
おわりに―常識の壁を越えて(坂本政道)

 「はじめに」で矢作氏は、これまで坂本氏の一連の著書を読み、あちらの世界を目に見えるように描いたことに大いに感動したと述べ、さらに次のように書いています。

 「特に最初の著『体外離脱体験』の序文の”私は、大学で物理を専攻したぐらい徹底した物質論(唯物論)者だった。すべての現象は、物質とエネルギーで説明できると固く信じていた。人間の精神活動も、脳細胞の、つまりは、物質の作用だと信じて疑わなかった。この体験は、そういった考えが間違いであること、人間の存在はこの肉体だけではないこと、というよりむしろ、人間の本質はこの肉体(物質)から独立して存在し、精神とでも呼ぶべき非物質のものであることを明らかに教えてくれた。物質論的な考え方は誤りだった。――”というくだりは、衝撃的でした。体外離脱体験については、海外では近代になってからもスウェーデンボルグ以来、幾多の人たちの報告があるものの、物理学を修めた日本の現役のエンジニアがこのような詳細な記録を残したことにたいへんな感銘を受けたものです」

 序章「死を考えると『常識の壁』を超える」で、坂本氏は次のように述べています。

 「『死』は誰にとっても共通項です。にもかかわらず、世の中には、まだ『死』というテーマに対するタブーが根強くありますから、いい意味でそれを破りたいと思うわけです。
 日本では現在、年間で約120万人が死んでいます。大都市1個分くらいが毎年死んでいるわけです。出生率はなかなか回復しませんし、他国と違って移民政策もありませんから、日本の人口は着実に減っています。今後は急激に減少するでしょう。
 世界の人口は70億人を突破したそうですが、それでも毎年1億人は死んでいるはずです。世界的に見ると平均寿命が50歳くらいでしょうか。
 この『毎年1億人が死んでいる』という数字のスケール感はすごいです。日本の人口分くらいが、毎年毎年、地上から消えているわけですから。2011年に起きた東日本大震災でも2万人前後の方々が死亡、もしくは行方不明になりました。そしてあの大震災で、皆感じたと思います。『死の問題は他人事ではない、実はすごく身近な問題なのだ』と。本当は常日ごろから、真剣に考えなければならないテーマです」

 興味深かったのは、「固定観念によって簡単に色づけされてしまう」という坂本氏の話です。ある夫婦がUFOを見たそうですが、見たUFOを後になって絵に描くと、夫婦それぞれに形状が違っていたそうです。互いに「どうして嘘を言うのか」と口論になったそうですが、これについて坂本氏は述べます。

 「人間が何かを見た時には、自己の記憶にあるいくつかのパターンを引っ張り出し、それを視覚映像として認識します。本当は2人ともエネルギー体みたいなものを見たのだと思いますが、それを見た瞬間、自分の中にすでにあるUFO像を持ってきてしまう。しかしお互いの頭にある像は当然違いますから、違うものを見てしまうというわけです」

 また、坂本氏は「自分が見ている、認識しているはずのものは、自分の記憶からあるパターンを引っ張り出して、それに一番近いものを『見ている』わけです。しばらく見ているとパッと変わるんですが、その瞬間だけは、はっきりと認識させます。ここが怖い。認識というのは嘘をつくんだなと感じます」とも述べています。

 第一章「日本人と霊性」で、矢作氏は日本人について次のように述べます。

 「西洋では霊というかスピリットを感じても、先祖崇拝という感覚がないと言われます。ところがゲリー・ボーネル(心理学者、催眠療法家)いわく、日本人は霊的なものと先祖的なもの(=肉体的なつながり)の両方を併せ持つ、特殊な感覚の持ち主だと述べていますが、私はこの表現が腑に落ちました」

 日本人の先祖崇拝について、矢作氏はさらに述べます。

 「ただ、昔から先祖崇拝があったかと言えば、奈良時代や飛鳥時代の前は、一般人は風葬していたので墓は持っていなかったはずです。もちろんそのもっと前の、例えば青森県の三内丸山遺跡みたいに、5000年くらい前の縄文人たちは、ずっとその数千年、コミュニティーの構成分子が変わらず、そこには人が亡くなったら埋める場所という意味での墓というか、亡くなった人を『戻す場所』という感覚はあったように思えます。
 ひょっとしたら、心の中にそういう墓の感覚を持っていたのかなと、思う部分もあります。
 それこそ古代人たちにとっては、”つながる”といった時に、スピリット的にもつながるし、先祖という感覚でもつながる、つまりその両方を自然と持っていたのだろうと思います」

   先祖を崇拝する日本人

 わたしは、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)に書いたように、先祖崇拝こそは日本人にとって最大の信仰であると考えています。幕末の国学者・平田篤胤はわが国の民間信仰の根幹をなすものとして「先祖祭り」を重視しました。氏神信仰などは「先祖祭り」の典型と言えます。祭りの対象は、先祖代々の霊すなわち「祖霊」ということになります。
 通常は33年の最終年忌をトムライアゲ・トイアゲといって、葉付塔婆やうれつき塔婆という塔婆を立てます。これを境に死者は死穢から清まり、先祖や神になるといいます。最終年忌がすむと、位牌を流したり、墓石を倒したりする地方もあります。
 ちょうど一世代たつと、死霊は個性を失って、祖霊という群霊体に融合し、子孫や郷土を守る先祖として祀られるわけですね。ドラマティックな「先祖」の誕生です!
 今はやりのスピリチュアル用語を使えば、ここでいう「死霊」とは「ソウル」、祖霊という群霊体は「グループ・ソウル」ということになるでしょうか。これまで宜保愛子、細木数子、江原啓之といった人々がテレビをはじめとしたメディアを騒がせ、「霊視」とか「占星術」とか「スピリチュアル」とか多様な表現を使ってきました。でも、彼らのメッセージの根本はいずれも「先祖を大切にしなさい」ということでした。日本人にとっての最大の信仰の対象とは「先祖」に他ならないことをメディアの申し子である彼らは熟知していたように思います。
 まさに、伝統宗教から新興宗教、新宗教、そしてスピリチュアルまで、日本人の精神世界における最大のコンセプトとは「先祖供養」なのだと思います。日本人にとっての三大宗教である神道・仏教・儒教も、いずれも「先祖崇拝」という共通点を持っています。

 ところで、本書にはいわゆるオカルトの話題がたくさん登場します。主に坂本氏がムー、アトランティスなどの超古代大陸、あるいはUFO、地球外生命などについて実在を前提として語っています。矢作氏のほうも心霊に関してはかなり大胆な発言をしており、たとえば第二章「宗教、スピリチュアリズム、そして科学」の中で次のように語っています。

 「飛び込み自殺のすべてがそうだとは思いませんが、あれは憑依の可能性が結構あるのだという話を聞いたことがあります。私自身、その可能性は否定できないと考えます。憑依は、実はそれほど珍しいことではないのですが、仮に憑依現象を科学で認めると、厄介な問題になってしまいます。
 法曹関係者にも見えない世界が理解できる人がいますが、彼らが一番悩むのが憑依です。例えば、ある殺傷事件が憑依だと判明した場合、被疑者が心神喪失になってしまうと、その時点で無罪になってしまうからです。
 これはつまり『憑依が存在する』ことを法律で認めることが、今の社会でできるのかという論争ですね。一般的には『そんなものは存在しない』とされます。その点は私たちのような医療関係者も、頭の隅に置いておかないといけないと思います」

 正直言って、わたしは「東大医学部教授がここまで言うか!」と仰天しました。

 同じく第二章に登場する「死ぬんだけれども死にたくないというパラドックス」という矢作氏の話も面白かったです。矢作氏は次のように述べています。

 「100年後には死んでいるのに、でも何とかそこから逃れようとするという、これはある意味でのパラドックス(妥当に思える推論から受け入れ難い結論が導き出されること)です。そんなパラドックス感が人類のほぼすべてに存在するということが、逆に私には不思議でなりません。理解するかしないか、受け入れるか入れないかに関係なく、死は誰もが等しく現実に迎えるものであり、そこに執着しなくてもいいのだけれど、心構えとして意識の中に入れておいてもいいではないですか」

 また坂本氏は「死は科学理論がすべて破綻してしまう出来事」だとして、モンロー研究所の創設者ロバート・モンローが開発した「ヘミシンク」について説明します。

 「ヘミシンクというのは意識の中心をずらすことで別の世界にアクセスするためのサポートツールです。人によっては、モンロー氏が体験した意味での体外離脱的なことをする人もいます。その場合、肉体はほとんど意識しません。別の世界を100%意識しているというか、自分はすでに別の次元に存在していると知覚する人もいます。
 私の場合はそうではなくて、どちらかと言えばこの肉体を感じながら、他の世界のことを把握できるような感覚です。これは『バイロケーション』と言われます。つまり、2つの状態を同時に把握できるような感覚です。ヘミシンクというのは、そういうことも可能にするのです。その結果、実にいろいろなことがわかります。自分が持っている狭量かつ極めて三次元的な、要は物質世界的な価値観から、もっと大きくて悠然とした価値観にシフトします。すると、より『自由な身』になれます。今までの古い価値観や不要なものがたくさんありますから、そこから解き放たれ、もっと気軽で身軽になれます。
 ヘミシンクはそのための方法です。山の頂上を目指すのにさまざまな方法があるのと同じことで、上の世界にアクセスするための、下の物質世界的な価値観からもっと自由な価値観へと移るための方法です」

 第四章「超常識な現象について」では、矢作氏は「この世」と「あの世」は断絶していないとして、次のように述べています。

 「病理で解剖というのがあります。ちょっと表現が悪いかもしれませんが、あえて言うと、身体がこんなになるまでよく生きていたなという状態の方に遭遇します。
 1分1秒前まで、その身体が生きていたのだと思うと、非常に不思議なご遺体がたくさんあるのです。その時、私は理屈抜きに思います。
 『本物は、本当のその人は、そこにいるはずがない』
 そんなふうに直感で思ってしまうわけですね。
 それは理屈ではありませんので、自分はそうだと感じたというくらいしか、ここでは表現できません。しかしこれは正直な感想です。臓器なんかもボロボロです。
 ではそこにスピリットが入れば動くのかと言うくらい、どこもかしこもボロボロな身体を大勢見ていると、そこに感じるものがあるのです。
 例えが適切ではないかもしれませんが、人が住まなくなった家はすぐに傷むと言います。家の中を掃除するとか、風を通したくらいで、そんなに違うものかなと、私は不思議でしょうがないのですが、人が住まなくなると傷みが早いのは事実だそうです。
 要するに、肉体も家も、『器』や『入れ物』なんだと思います」

 東大医学部教授にして東大病院における緊急医療の最高責任者である矢作氏の言葉だけあって、非常に説得力がありますね。

 最後に、坂本氏の「死後世界の体験は一種の社会貢献である」という言葉が印象的でした。体外離脱とかチャネリングといった分野は広く世間に認知されてきたけれども、未だにトンデモ扱いされている現状であるとして、坂本氏は述べます。

 「ロバート・モンローがヘミシンクを開発して、ある程度はシステマチックに死を超えた先を自分で体験できるようなアプローチを作りましたが、それがさまざまなメディアを通じて伝播されているのが、唯一の救いです。ヘミシンクを使えば、ギリシャ時代から懸案となっている『死後世界の問題』がはっきりするわけです。あとはもう少し、実験データというか現象を検証したデータが蓄積されると、より多くの人の理解度が高まります。その結果、常識として受け入れられるようになります」

 ただし、向こう側の世界は夢と同じで、それぞれの人が自分の体験を通して知るという状況だとか。坂本氏は、夢について次のように述べています。

 「夢というのはみんなが見ますから、誰も夢が存在することを否定しません。
 夢というのは存在する、それと同じで、死後世界もみんなが体験すれば『存在するんだ』と納得します。科学という意味での証明にはならないかもしれませんが、皆が何らかの方法で死後世界を自分で体験し、死者と会って話をしたとか、すると死後世界の実在が当たり前になります。すると何が起きるか?
 答えは、死に対する恐怖の激減です。これが大きな目的じゃないかなと思うのです」

 これは、一種の社会貢献に当たるというのです。正直言って、本書における坂本氏の発言のすべてに納得したわけではありませんが、この「死に対する恐怖の激減」こそは社会貢献であるという考え方には大いに共感しました。

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