No.0621 哲学・思想・科学 『マイケル・サンデル 大震災特別講義』 マイケル・サンデル著、NHK「マイケル・サンデル 究極の選択」制作チーム編(NHK出版)

2012.06.21

 『マイケル・サンデル 大震災特別講義』マイケル・サンデル著、NHK「マイケル・サンデル 究極の選択」制作チーム編(NHK出版)を読みました。

 先日、サンデル教授の特別講義を体験しました。そこでも大いに語られた「東日本大震災」が本書のテーマです。帯には、サンデル教授の上半身の写真とともに以下の言葉が記されています。

 「日本の人びとが表した美徳や精神が、世界にとって、大きな意義を持った」
 「NHKで放送され大反響を呼んだ特別講義。ハーバード大学での講演も併載」
 「*サンデル教授の印税金額と本書の売り上げの一部は、東日本大震災への義援金として寄付します」

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

Ⅰ.大震災特別講義 私たちはどう生きるのか
  日本人が見せた混乱の中での秩序と礼節
  原発処理には誰があたるべきか
  原子力とどう関わっていくべきか
  支援の輪は世界を変えるか
Ⅱ.大震災とグローバル・アイデンティティ

 本書は、「マイケル・サンデル 究極の選択 特別講義~大震災 私たちはどう生きるのか~」(NHK総合 2011年4月16日放送)、「ハーバードからのメッセージ~世界は震災から何を学べるか~」(NHK BS1 2011年5月15日放送)の2つの番組の内容に加筆・修正を施したものだそうです。
 未曾有の大災害となった東日本大震災から約1ヵ月後、インターネット中継によって、アメリカ・中国・日本の学生たちが一堂に会しました。そこでサンデル教授と経験豊かなゲストたちと一緒にグローバルな議論が行われました。ゲストは、石田衣良(作家)、高田明(ジャパネットたかた社長)、高橋ジョージ(ミュージシャン)、高畑淳子(女優)の4人でした。

 特別講義の冒頭で、サンデル教授は次のように語りました。

 「震災直後の日本人の行動を海外の人々はどう受け止めただろうか。強盗も便乗値上げもほとんど起こらなかった。アメリカのハリケーン・カトリーナ(2005年8月末、アメリカ南部を襲った大型ハリケーン。死者約1800人、避難者約120万人。ルイジアナ州ニューオリンズは壊滅的な打撃を受け市街地のほとんどが水没した)の災害の時に見られた現象が、日本ではほとんど起こらなかったのだ」

 この事実は、外国人ジャーナリストの間で多くの感動を呼び起こしたそうです。
 例えば、「ニューヨーク・タイムズ」2011年3月26日号に、「日本での混乱の中での、秩序と礼節。悲劇に直面しての冷静さと自己犠牲、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と書かれた記事が掲載されました。

 この事実に対して、ボストンの男子学生リチャードは、次のように述べました。

 「日本では『モノは略奪しない。間違ったことはしない』という秩序だった精神、責任感のようなものが人々の間で共有されているようです。まるで、日本という国全体がそう思っているかのように見えたのです。本当に感心しました。驚くとともに、なんだか希望のようなものを感じたのです」

 また、ボストンの女子学生ハーリーンは、次のように述べました。

 「西洋では『自分のために』という個人主義の価値観が強く、一方、東洋では、共同体的な『助け合う』という価値観が強いのではないかと思います。ただ、ハリケーン・カトリーナの際には、人々は自分で自分の身を守らなくてはいけませんでした。誰にも頼れない、誰も助けに来てくれない、という意識があの時は強かったのだと思います。
 これに対して日本では、お互いに頼り合って、助け合うという感覚だったのではないでしょうか。皆が我慢し、皆が協力し合う。原発での復旧作業でも、国のために自主的に人々が作業に協力し、自分ができることをする。こうした強い共同体意識は、今後の復興、再建にあたる時に大きな力となるのではないでしょうか。人々が争ったり、略奪が繰り返されるアメリカのような場所では、再建はもっともっと困難だと思います」

 ここで、ゲストをはじめ、「家族を守るのは当然。別に特別なことではない」といった発言が日本人の間から出ました。
 それを受けて、日本の男子学生ユウタロウは、「今回暴動があまり起こらなかった理由として、皆さんは、『家族だったら守る』と言っていますけれども、日本は多民族国家ではないので、国全体として1つのファミリーだという気持ちが強いと思うのです。ですから、隣の人はもちろん家族じゃないかもしれないけれども、昔どこかでつながっていたかもしれない。そういった気持ちを皆が共有しているからこそ、”きっと隣の人も自分を助けてくれるはずだ”という期待のもと、自分も隣の人を助けるのだと思うんです。それが日本で暴動が起こらなかった理由の1つだと考えています」と述べました。このユウタロウの発言は「隣人の時代」の幕開けを示唆する重要な指摘です。

 次に、ハーバード大学での講演「大震災とグローバル・アイデンティティ」では、サンデル教授は次のようにアダム・スミスの問いを紹介します。

 「アダム・スミスは『道徳感情論』の中である設問を立てています。当時の哲学者たちは様々な仮説に基づいて思索を深めていたわけですが、スミスは中国をたとえに使っています。偉大な中華帝国で突然住民のすべてが地震によって飲み込まれてしまった時、中国とは全く縁もゆかりもないヨーロッパの人道主義者はそのニュースをどのように受けとめるのか。これがスミスの問いです」

 結論から言うと、スミスは「人間は、地球の反対側に対しては、共感を持ち続けることはできない」と述べました。このスミスの発言を念頭において、サンデル教授は次のように問いかけます。

 「今回の震災は私たちを変えるのでしょうか。今回、日本に寄せられた厚い支援や共感は一時だけのものなのでしょうか。ニュースの見出しのように、徐々に人目につかないものになってしまうのでしょうか。あるいは、文化や国家の枠組みを越えて、より大きな、より深い、持続的な新たな関係性の芽生え、始まりとなるのでしょうか」

 続けて、サンデル教授は言います。

 「私には、その答えがまだわかりませんが、あえて答えるならば、それは『私たち次第』ということになるでしょう。ここで言う『私たち』とは、『世界のすべての人』という意味です。私たちが、今回のことをただの共感に留めるのではなく、その共感や思いやりからさらに深い関わり合い、つまり文化や社会を超えた、公共の場での表立った関係性を築く道を見つけられるかどうかにその答えはかかっていると思います」

 1755年、リスボンで壊滅的な地震が起こりました。サンデル教授は、この地震について次のように語っています。

 「この地震は火災を引き起こして被害をさらに拡大させ、津波によって港の船も破壊されました。そしてこの地震は、当時の人々の見方を変えることになりました。ひとつの地震が西洋の文化、哲学、文明の性格を一変させたのです。地震後、ヴォルテール、ルソー、カントらによってある議論が巻き起こります。それは『この災害はいったいどういう意味を持つのか』というものです。地震は神の怒りの表現なのか。罪への罰、黙示録的な警告なのか。それとも、地震は科学によって説明されるべき自然の出来事に過ぎないのか。地震が持つ意味をめぐって大きな議論が起こったのです。ちょうど当時は、啓蒙思想の幕開けとも時代的に重なっていました」

 リスボン地震から東日本大震災へと視点を移し、サンデル教授は述べます。

 「もしかすると、今回の震災は、私たちがグローバルなコミュニティの考え方を再構築するうえで、何かしらの役割を果たすことになるかもしれません。リスボンの地震は、ちょうど啓蒙思想が幕を開ける激動の時に起こりましたが、今回の震災はコミュニケーションと通信技術が前例のない発展をとげた時代に起こりました。テクノロジーによって、世界中で同時に目撃され、理解されたのです。しかし、今回の地震を、グローバルな市民意識の拡大のための機会とするためには、テクノロジーの発展だけでは十分ではありません。震災とその意義について、共に考えようとする私たちの意欲と能力こそが問われているのだ、と私は思います」

 質問者の問いに答える形で、サンデル教授はグローバルな共感や市民意識を養うために哲学的な議論が必要であると述べます。
 そして、哲学的な議論とは論理と理性だけで語られるのではなく、感情や感覚といったものを決して切り離してはならないとして、次のように述べます。

 「私が関わっている哲学、つまり政治哲学、道徳哲学では、人間の関係性や義務、責任について扱います。少なくとも、この分野の哲学では、論理と理性を一方に、そして共感や理解を他方に、というように分けることは不可能だと思います。
 最良の政治哲学は、西洋ではソクラテスに遡り、それは対話と議論、理解と反論を伴うものでした。人が理解し、反論するということの中には、理性だけでなく情熱や信念といったものが当然含まれるのです。ですから、私が提案しているグローバルな対話の場においては、人々の信念や文化、伝統や情熱や感情から切り離された、貧弱な論理や理性を目指してはいません。 むしろ、いかにしてそうした信念や伝統、情熱や感情が反映された熟慮を重ねることができるのか。それが目的です。
 そして究極的には、私はそれこそが共同社会というものだと思います」

 ここで「ソクラテス」という人名が登場しました。「哲学の祖」であるソクラテスが開発した「問答法」の現代における最高の後継者こそ、マイケル・サンデルその人に他なりません。
 そして、ソクラテスは孔子、ブッダ、イエスとともに世界の「四大聖人」とされています。孔子の「仁」、ブッダの「慈悲」、イエスの「アガペー」も、つまるところソクラテスがめざした共同社会の礎になるものではないでしょうか。その「共同社会」とは「ハートフル・ソサエティ」の別名でもあると思います。

 ハーバード大学での講演終了後、サンデル教授は次のように発言しました。

 「私から日本にお願いしたいことがあります。今後、原子力をめぐって議論が起こると思いますが、その時には、率直に意見を交わし、お互いに敬意を払った議論を重ねていただきたい。恐れることなく、避けることなく向き合ってほしいのです」

 そして最後に、サンデルは次のように述べて、本書を締め括っています。

 「今回のことは民主主義に対する究極のテストだと思います。人々にとって最も重要な問題、最も熾烈に争われるような問題が、公然と敬意をもって議論できるかどうか。ですから、日本でこの議論が真剣に行われることを期待します。そして、もしそれができたのなら、その時世界が今回の震災から学ぶことは、教訓や復興に関することに留まらないでしょう。日本での率直で、思慮に富んだ議論のあり方が、世界のお手本となるでしょう。そして、日本にとっても、より強靭な民主主義を築く機会となるはずです」

 本書は、全部で60ページちょっとの薄い本です。本というより小冊子と呼んだほうがいいかもしれません。
 しかし、薄いですが、その内容は厚くて濃いです。今後の社会を見通すためのヒントがたくさん詰まった小さな名著です。
 ぜひ、御一読をおすすめいたします。

Archives