No.0482 日本思想 『武士道』 新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳(岩波文庫)

2011.11.06

『武士道』新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳(岩波文庫)を再読しました。

神道・仏教・儒教の三宗教は日本において共生しました。そして、三宗教は混ざり合って、武士道の中で合体を果たしました。そのことを初めて明言したのが、新渡戸稲造の『武士道』です。わたしは、もうこの本を10回以上読み返しています。

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「訳者序」
「緒言」(グリフィス)
第一章:道徳体系としての武士道
第二章:武士道の淵源
第三章:義
第四章:勇・敢為堅忍の精神
第五章:仁・惻隠の心
第六章:礼
第七章:誠
第八章:名誉
第九章:忠義
第十章:武士の教育および訓練
第十一章:克己
第十二章:自殺および復仇の制度
第十三章:刀・武士の魂
第十四章:婦人の教育および地位
第十五章:武士道の感化
第十六章:武士道はなお生くるか
第十七章:武士道の将来
「人名索引および注」

武士道とは、いったい何でしょうか。「日本に武士道あり」と世界に広く示した新渡戸は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土地に固有の花、それが武士道であると述べています。

それは、日本史の本棚の中に収められている古めかしい美徳につらなる、ひからびた標本の1つではありません。それは、今なお、私たちの心の中にあって、力と美を兼ね備えた生きた対象です。それは、手にふれる姿や形は持ちませんが、道徳的雰囲気の薫りを放ち、今も私たちを引きつけてやまない存在なのです。

新渡戸は、明治32年(1899年)に『武士道』を英文で著しました。『武士道』が、その直後の日本のめざましい歴史的活躍を通して、いかに見事にその卓見を実証していったか、今では想像もできないほどのものでした。武士道とは封建制度の所産ですが、その母である封建制度よりも永く生き延びて、「人の道」をありようを照らし続けました。

『資本論』を書いたカール・マルクスは、生きた封建制の社会的、政治的諸制度は当時の日本においてのみ見ることができるとして、読者にその研究の利点を呼びかけました。これにならって、新渡戸は、西洋の歴史および倫理の研究者が日本における武士道の研究にもっと意を払うことをすすめています。

日本に武士道があるように、ヨーロッパには騎士道がある。新渡戸が大まかに「武士道(シバルリー)」と表現した日本語は、その語源において「騎士道(ホースマンシップ)」よりももっと多くの意味合いを持っています。

ブ・シ・ドウとは、その文字を見れば、武・士・道です。戦士たる高貴な人の、本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味しているのです。新渡戸は、武士道とは一言でいえば「騎士道の規律」、武士階級の「高い身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」であると、海外の人々に説明しています。

新渡戸の『武士道』は、今日に至るまで多くの日本人に影響を与え、かつ世界中の人々に「武士道」のイメージを植え付けました。

義和団の乱、日清戦争、日露戦争における日本人の正々堂々たる戦いぶりと、敗者への慈悲や自らの潔い死・・・・・こうしたふるまいは、すべて、極東の未知の小国における、他のどこにもない「ブシドー」という生き方の極みのフォルムによるものであると知って、世界は熱狂したのです。

新渡戸は「武士道は、舞台のサムライが花道を去るがごとく、遠からず消えていく運命にある」との予言を残していましたが、栄光につつまれて昭和8年(1933年)に世を去りました。当然ながら、後の世に、自分の「予言」が的中したか否かを知りません。そして、「戦後日本」を生きた人々は新渡戸の予言が的中したと信じました。つまり、日中戦争から太平洋戦争にかけて、武士道は失われたと日本人自身が思ったのです。

しかし、わたしは日本人の「こころ」のDNAには、今でも武士道が生き続けていると信じています。ブログ「マナー世界一」にも書きましたが、東日本大震災後に世界に示した日本人のモラルの高さにも武士道の影を見たように思いました。

日露戦争後にポーツマス条約の仲介をしたアメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトは、この本に大きな感銘を受け、30冊も取り寄せたことで知られます。

彼は、5人のわが子に1冊ずつ渡したといいます。さらに残りの25冊は大臣や上下両院の議員などに分配し、「これを読め。日本武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである」と言ったそうです。

岩波文庫版でわずか150ページ、360円の小さくて薄い本です。しかし、その中には広大な精神の宇宙が広がっています。

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