No.0468 コミック 『クトゥルフの呼び声』 ハワード・フィリップス・ラヴクラフト 原作、宮崎陽介 漫画(PHP)

2011.10.15

 『クトゥルフの呼び声』ハワード・フィリップス・ラヴクラフト 原作、宮崎陽介 漫画(PHP)を読みました。

 怪奇小説の巨匠であるラヴクラフトが生み出した一連の「クトゥルフ神話」は、ロバート・ブロック、スティーヴン・キング、H・R・ギーガー、栗本薫、菊地秀行といった多くの有名クリエイターたちに強い影響を与えてきました。本書は、その原作小説をコミカライズしたものです。

 祖父が遺した奇怪な粘土板を手がかりとして、クトゥルフの秘密を暴こうとする青年の物語です。彼は、そのうちに想像を絶する「宇宙的恐怖」に陥ってしまいます。

 宮崎陽介氏の漫画のタッチが原作のイメージとよく合っています。

 ここ数年、文学のコミカライズがブームになっていますね。イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズが有名ですが、わたしも愛読しています。もっとも原作を読まずに漫画で済ますというのではなく、すでに原作を読んでいて漫画でも読むというのが楽しいのです。ちなみに、わたしはラブクラフトのほぼ全作品を読んでいます。

 本書は宮崎氏の漫画のレベルも高いですが、クトゥルフ神話研究家である森瀬繚氏による各章末の補足解説が素晴らしいです!

 森瀬氏は、ラヴクラフトの生誕地である米国プロビデンスを訪れて綿密な取材を行った上で、本書の解説を書いたそうです。森瀬氏は、本書の「まえがき」でラヴクラフトという怪奇作家の本質を次のように表現しています。

 「20世紀最後にして最大の怪奇幻想作家、エドガー・アラン・ポーの後継者と呼ばれたラヴクラフト。この呼び名がどれほど大きいものかを理解するためには、ポーの価値を知らなければ意味はないだろう。ポーは探偵小説の父である。彼の創造した探偵オーギュスト・デュパンを参考に、アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズというキャラクターをひねり出した。ポーはSF小説の父でもある。小説の筋立てに最新の科学知識を盛り込む彼の手法に学んだジュール・ヴェルヌは、『海底2万リュー』をはじめとする数々の科学冒険小説を執筆した。そして、怪奇小説家としてのポーの衣鉢を継いだのが、我らがラヴクラフトなのである」

 これは、じつに見事なラヴクラフトについての説明であり、しかもラヴクラフトの創作のルーツがポーにあったことも明らかにしています。

 わたしは、ある作家が影響を受けた作家を辿っていくという「DNAリーディング」という読書法を提唱しています。それにならえば、ポーのDNAはドイル、ヴェルヌ、ラヴクラフトへと受け継がれたわけです。

 いわば、ドイル、ヴェルヌ、ラヴクラフトは、ポーという同じ父を持つ三兄弟なのです。

 そして、ラブクラフトは父であるポーのみならず、2人の兄の影響も強く受けていました。

 森瀬氏は、解説「村上春樹の愛した作家」(村上春樹夫妻は、ラヴクラフトを愛読していることで知られます)で、現存するラヴクラフトの最初の小説は1905年に書かれたものであるとして、次のように述べています。

 「そうした作品の中にはアーサー・コナン・ドイルに触発されたものと思われる探偵小説も含まれていたが、数年を経ずして『詩や随筆に比べて小説は劣る』という理由から彼の創作活動はぱったりと止まり、彼の関心は地理学や天文学に向けられた。このことについて、ラヴクラフトは『海底2万リュー』が中でも有名な『驚異の旅』シリーズで知られるSF小説家の草分け、ジュール・ヴェルヌの影響があったと書いている」

 SFとは「サイエンス・フィクション」、つまり「空想科学小説」です。

 ヴェルヌのSFに魅せられたラヴクラフト少年は、当然ながら「科学」に強い興味を抱きました。地元の科学雑誌に投稿するようになり、そうした文章の幾つかが掲載されることもあったそうです。学校の友人たちからは「教授」と呼ばれていたといいます。

 少年時代のラヴクラフトは、特に天文学の分野に強い関心を抱きました。

 産業革命以降、写真技術が急速に発展していましたが、それは天体観測にも大きな恩恵を与えていました。数多くの天文学的発見が次々報告されていたのです。

 1919年に、ラヴクラフトは運命的な作家に邂逅します。

 イギリスの高名な幻想作家であるロード・ダンセイニです。

 祖父の蔵書から知った「18世紀の英国紳士」を理想としていたラヴクラフトにとって、ダンセイニは憧れの存在となりました。

 なぜなら、ダンセイニはエドワード・ジョン・モアトン・ドラックス・プランケットという本名を持つ、れっきとしたダンセイニ男爵領の後継者だったからです。ダンセイニの文学的DNAもラヴクラフトへ流れます。森瀬氏は、次のように述べます。

 「その流麗な文体のみならず、ダンセイニがラヴクラフトに与えた影響の最大のものが「創作神話」という手法だろう。『ペガーナの神々』『時と神々』などの作品群の中で、ダンセイニはオリジナルの神々や地名をふんだんに用いた全く新しい神話を描き出していたのである。今日、創作神話というと映画化もされたJ・R・R・トールキンの『指輪物語』が有名だ。しかしながら、『指輪物語』が執筆されたのは第2次世界大戦の最中で、刊行されたのは戦争終結後、1950年代の中ごろのことだった。
 ダンセイニの『ペガーナの神々』が刊行されたのは、それより遥かに早い1905年。
 H・P・ラヴクラフトと同世代の人々にとって、創作神話というのはロード・ダンセイニが切り拓いた『全く新しいジャンル』だったのだ」

 そして、ラヴクラフトといえば、「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」を描いた作家として知られます。ラヴクラフトの主な活躍の舞台は、「ウィアード・テールズ」という雑誌です。

 これは、エンターテインメント色が強く、けばけばしいカラーイラストを表紙に掲げたパルプ雑誌でした。そこに掲載されているのは、犯罪、ホラーなどが中心でした。SFといっても、馬の代わりに宇宙船を出しただけのようなチープなスペースオペラが主流だったのです。ところがラヴクラフトの描く小説は、他のものとは一味違いました。

 ラヴクラフトは、祖父の書斎で読んだ神話物語を着想の根幹とし、10代を通してのめりこんだ科学知識とりわけ天文学に関する該博な知識を武器として携え、その文体を18~19世紀の英国文学に学んだのです。

 森瀬氏は、解説「コズミック・ホラー」で次のように述べています。

 「アメリカにおける当時の怪奇小説が、幽霊や吸血鬼といった古色蒼然としたテーマ――ヴィクトリア朝のイギリスと対して変わらないゴースト・ストーリーに占められ、おどろおどろしい語り口や容貌魁偉な登場人物、そしてショッキングな怪物の登場に恐怖を求めていたのに対し、ラヴクラフトは物語を客観視する立ち位置からの科学的な観察眼で、恐怖の雰囲気、印象自体を描写しようとしたのである。

 現代にあってリアリティを失わず、むしろ迫真性を増すような恐怖の対象を求めたとき、生まれたのが、ラヴクラフトが作中で描いたクトゥルフやヨグ=ソトースといった神々なのである。神話、神々と言うが、実際には、それらは宗教的、伝説的な『神』にとどまらない。それらは人類が進化する以前に存在した様々な異形の生命体であり、高度な知性や恐るべき能力を持ち、忘れ去られはしたが決して滅びてはおらず、人類が謳歌しているつかの間の平和を、いとも簡単に反故にしかねない恐ろしい存在なのだ」

 さらに森瀬氏は、「ラヴクラフトのスタンスは、夢見る力と19世紀英国文学的な素養に立脚しながら、あくまでも科学的論理主義の立場でその執筆に取り組むものだった。当初は、ロード・ダンセイニの影響が強い幻想物語めいた恐怖物が多かったが、1920年代前半、『文学における超自然の恐怖』に代表される論文を書くことにより、自分が為すべき執筆態度として、紋切り型の定番設定に流されず、独自のスタイルを組み上げることに成功した」と述べています。

 この論文は1年近くの時をかけて執筆されました。1925年頃のことです。

 この論文の中で、ラヴクラフトは今後の幻想文学で描かれるべき切り口として「宇宙的恐怖」という言葉を掲げています。そして、北欧神話における『エッダ』や『サガ』が「宇宙的恐怖を轟かせ、ユミルとその異形の落とし子たちの恐怖でもって読者をふるえあがらせる」と述べた後、ダンセイニ、ポーを経てアーサー・マッケンまで、さまざまな幻想作家とその作品を順次解説していくのです。

 最後に、「恐怖小説覚え書」の中の有名なラヴクラフトの次の言葉を紹介します。

 「わたしの書く物語は、しばしば恐怖の要素を強調するものであるが、それは恐怖が人間のもっとも深いところに潜むもっとも強い感情であり、自然の法則に反する幻想の創造にもっとも有効なものだからだ。恐怖と不思議と未知なるものは常にかたく結びついており、自然法則を破るような現象や宇宙における孤立、あるいは”局外者”としての感覚に、恐怖感を高めてゆく以外の方法によって信じ得る描写を与えることは難しい。そして、わたしの物語の多くにおいては<時間>が大きな役割を与えられている理由は、この<時間>こそ宇宙を構成する要素のうちでもっとも奥深く、もっとも劇的、もっとも冷酷で恐ろしいものとして、わたしの心の中にその姿をおぼろげに浮き立たせているからである。およそ人間の表現しようとするテーマのうち、時間との葛藤ほど力強く実り多いものはないように思う」(「恐怖小説覚え書」より)

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