No.0473 文芸研究 『クトゥルー神話全書』 リン・カーター著、朝松健監訳、竹内啓訳(東京創元社)

2011.10.21

 『クトゥルー神話全書』リン・カーター著、朝松健監訳、竹内啓訳(東京創元社)を読みました。

 H・P・ラヴクラフトの生涯を追いながら、クトゥルー神話体系を詳しく紹介した研究書の待望の邦訳です。ちなみに、原書が刊行されたのは1971年です。帯には、「クトゥルー神話とは、20世紀最大級の驚くべき文学的現象である。」というキャッチコピーが踊っています。序「プロヴィデンスの影」の冒頭で、著者は次のように書いています。

 「私たちの世紀は何人もの、かつてないほど素晴しい怪奇作家を輩出した。私が個人的に作成したリストにはアーサー・マッケンとM・R・ジェイムズに始まり、アンブローズ・ビアスやアルジャナン・ブラックウッドといった名が含まれている。ことによるとロバート・W・チェンバースも載せていいだろう。だが誰がリストを作成するにせよ、人それぞれに好みがあるから、A・E・コッパードやサキやウォルター・デ・ラ・メアといった名前をリストの先頭にする人もいるかもしれない」

 こういった作家たちの中でも、もっとも有名で、もっとも人気があり、もっとも広範に単行本が出版されたり頻繁に作品がアンソロジーに収録される今世紀の怪奇作家こそがH・P・ラヴクラフトです。いわゆるパルプ作家だったラヴクラフトは、1937年にロードアイランド州プロヴィデンスで無名のうちに世を去りました。しかし、その死後の名声はエドガー・アラン・ポオ以降の他のあらゆる作家を霞ませてしまうほどです。

 なぜ、彼は「20世紀最大の怪奇作家」となりえたのでしょうか。著者は、次のように述べています。

 「ラヴクラフトの成功の秘密は、そして彼の人気の秘密もおそらく、革新性にある。ジェイムズやコッパードなど今世紀が生んだ他の怪奇作家たちの方が才能はあったのかもしれないが、幽霊や人狼・吸血鬼・祟りといった馴染み深いテーマを書き直すだけで彼らがもっぱら満足していたのに対し、ラヴクラフトは果敢にも新しい道を切り開いていった。黒いマントをまとった吸血鬼が薄明のトランシルバニアを跳梁したり、炎のように燃える眼をした毛深い人狼がラインの暗い森を徘徊したりする話を書けば、どんな三文文士でも読者に鳥肌を立てさせられるのだということなどラヴクラフトは百も承知だったように思われる。これらの作品は既に書かれてしまったのであり、うんざりするほど繰り返されてきた。ラヴクラフトは決して自分の作品を高く評価していたわけではないが、他の人間がすでに成し遂げたことを繰り返すのを拒んだのである」

 作家としてのラヴクラフトの特徴として、超自然的な恐怖の物語を築き上げる上で、科学的な解説文に似た手法を用いることが挙げられます。でも、これ自体は取り立てて目新しくはありません。ブルワー=リットンは、『幽霊屋敷』で同様のことを試みています。

 また、マダム・シェリーの『フランケンシュタイン』でも話をもっともらしくするために、外科手術や電気の情報を用いています。しかしラヴクラフトはこうした発想を論理的極限まで推し進めました。そして、その結果として生まれたのが、まったく新しいスタイルの怪奇小説でした。ただ、それを怪奇小説とは見なさず、SFと捉える人々もいました。著者は、次のように述べています。

 「厳密に言えば、ラヴクラフトの最高傑作はおよそ超自然的と呼べるようなものではない。ありふれた幽霊や、がちゃがちゃ鳴る鎖や、先祖の呪いや、馴染み深い怪物は彼の作品にはまったく登場しない。実のところ、ラヴクラフトの本質的なテーマはよりSFに近いものだ―あまりにも近いので、彼は実際にSFを書いていたのだと断言してもいいほどである。とはいうものの、彼が書いていたのはホラーSFであり、それゆえ独自の新しいジャンルとなるはずだった」

 ラヴクラフト自身は、書簡で次のように言及しています。

 「私の作品は、表向きは関連性がないように見えても、ひとつの原理的な伝承または伝説に基づいている。この世界にはかつて他の種族が住んでいたという伝説である。その種族は黒魔術を用いたために地歩を失って追放されたが、現在も外世界で生きながらえており、この地球を再び支配する時機を窺っているのだ」

 「黒魔術」うんぬんといった箇所を別にすれば、著者のカーターが言うように、これは本質的にSFの概念かもしれません。

 本書で興味深かったのは、わたしのテーマでもある「DNAリーディング」的視点の箇所です。すなわち、ラヴクラフトが影響を受けた作家についての言及部分です。ラヴクラフトは、1916年の書簡で「幼少期の読書」について次のように書いています。

 「私は12歳の時に科学なかでも地理(後に天文学に取って代わられましたが)にたいそう興味をもつようになり、ヴェルヌの愛読者となりました。そのころ私は小説を書いており、私の作品の多くには不滅なるヴェルヌの文学的影響が見られました。私が書いた小説のひとつは、決して私たちの方を向いてくれない月の裏側に関するもので、月の重力中心が偏っている結果として月の裏側には空気や水がまだ存在するというハウゼンの理論を創作のために用いていました。この仮説は実際には論破されているということは付け加える必要もありますまい―その事実には当時ですら気づいていたのですが―『スリラー』を書いてみたかったので・・・・・いま小説を書くときはエドガー・アラン・ポオが私の手本です」

 またラヴクラフトは、別のところで「私はしょっちゅう探偵小説を書いていたのですが、構想に関する限りA・コナン・ドイルの作品が私の手本でした。ですが我が創作の神はポオです。私は怖ろしいものやグロテスクなものが大好きだったのです――今よりもずっと――殺人者とか幽霊とか輪廻転生とか、戦慄を生み出す仕掛けとして文学に知られているものがことごとく思い出されます!」と述べています。

 このように、ラヴクラフトはポオ、ヴェルヌ、ドイルという3人の作家の影響を受けていたことがわかります。そして、忘れてはならない作家がもう1人います。アイルランドの男爵だったダンセイニ卿です。ダンセイニといえば、幻想文学、つまりファンタジーの巨人的存在です。

 本書の著者カーターも、ダンセイニについて「今世紀前半のファンタジー作家に対する彼の影響は明白にして決定的なものだ――ことによると、今世紀後半のファンタジー作家にJ・R・R・トールキンが及ぼした影響に比肩しうるかもしれない」と最大級の賛辞を送っています。ダンセイニは『ぺガーナの神々』などの創作神話を書きましたが、最終的にダンセイニはペガーナから離れました。どうやら人工の神話を窮屈に感じたようです。

 この創作神話という概念はラヴクラフトを魅了しましたが、それが彼の作品に明確に現れるようになるまでには数年を要しました。

 でも、幻想文学の背景にある伝承として人工の神話を使うという根本的な考えは彼を大いに惹きつけ、今日「クトゥルー神話」と呼ばれているものの種が蒔かれたのです。

 本書には、もうひとつ非常に興味深い箇所がありました。それは、ラヴクラフトにおける人種観、もっと言えば差別感情です。彼は1920年代のニューヨークに住んでいました。当時のニューヨークには新しい移民の波が絶えず押し寄せてきており、そのほとんどは英語が満足に話せませんでした。著者は次のように述べます。

 「ラヴクラフトは彼らを蔑んでいた。『小さく丸く輝く目をした、鼠のような顔のアジア人ども』とラヴクラフトは彼らのことを呼んだが、それは主にユダヤ系の人々を指していた。彼の考えでは、あらゆる外国人はひとまとめにして1枚の好ましくないレッテルを貼り付けられるのだった―『雑種』というレッテルを。

 死者に鞭打つような真似を御容赦いただきたい。だが『外国人』と呼ばれる人たち―とりわけユダヤ系の人たち―に対するラヴクラフトの反感は、反感などという生やさしい言葉で形容できるようなものではなかったという一事は率直に認めねばなるまい。嫌悪または忌諱という言葉で彼の感情を形容した方が適切だろう。憎悪というのはおよそ芳しくない言葉だが、一番ぴったりした言葉でもある」

 しかし、彼と結婚した女性は意外な相手でした。著者は述べます。

 「いくら控えめに言っても―ナチス的でさえあるいわゆる「北方種族」との一体感や礼讃と考え合わせると―H・P・ラヴクラフト夫人がウクライナ出身のユダヤ人であったというのは驚くべきことだ。彼女はラヴクラフトより10歳も年上の職業婦人で、5番街にある洒落た店を経営しており、大きな娘がいる寡婦だった。しかしながら2人は出会い、恋に落ち、そして―ラヴクラフトがそれまでおよそ女性に興味を示していなかったことを考えると、あり得ないことのように思われるのだが―結婚したのである」

 わたしがラヴクラフトの作品に魅力を感じるのは、作中に『ネクロノミコン』をはじめとする怪しげな書物が登場するところです。それらの書物には架空のものもありますが、中には実在するものもあります。著者は述べます。

 「クトゥルー教団が世界中に存在しているかもしれないという可能性が浮上してくるにつれて、学問的に聞こえる書物の題名をちりばめることによって、教団が実在するという設定をラヴクラフトは強化している。ここでは作者の抜け目なさがはっきりと見て取れる。語り手が言及している書物としてはスコット=エリオットの『アトランティスと失われたレムリア』、狂気のアラブ人アブドゥル・アルハザードの『ネクロノミコン』、フレイザーの『金枝篇』、マレーの『西欧における魔女宗』があるからである。もちろん『ネクロノミコン』は純然たるラヴクラフトの空想の産物だが、スコット=エリオットやフレイザーやマーガレット・マレーの書物(これらは実在の人物であり、大概の図書館で見つかる)と並べて言及することによって真実味が増している」

 1937年3月15日にラヴクラフトが没した後、クトゥルー神話の布教に最も貢献した人物は、オーガスト・ダーレスでした。そして、その次に貢献した人物こそ、本書の著者であるリン・カーターでした。巻末の「監訳者解説」で、朝松健氏は次のように書いています。

 「『クトゥルー』なる言葉が、ホラー、ミステリ、SF、冒険小説、さらに一部の前衛文学の作家やファンにとって『吸血鬼』や『タイムマシン』や『探偵』といった単語と同じ”周知の記号”となった今日の状況はいつ、誰の働きによって為しえたのであろうか。クトゥルー神話がホラーを愛する人々の共通の財産となり、全米はおろか全世界的に、その存在が知れ渡るように至った今日の状況に最も貢献した人物は誰であったのか。こう質問したら、あなたは誰と答えるだろう?
 あるいはこう問い直すべきかもしれない。『ダーレスの次に、クトゥルー神話が文学的市民権を得る運動に貢献した人物は誰だったのか』
 本書の著者リン・カーターこそ、その人物であったのだ」

 60年代、クトゥルー神話は死にかけていました。朝松氏は、次のように述べています。

 「時代が第2次大戦から冷戦を経てベトナム戦争へと流れ行き、いつか大衆はロマン溢れる怪奇と幻想ではなくて、より現代的な恐怖を味あわせてくれるSFやサスペンス、スリラー、犯罪実話を求めていたのである。こうした事態がクトゥルー神話の伝道者ダーレスにどれほどの危機感を与えたかは想像に余りある。
 現代人にアピールするクトゥルー神話作品集を作らねばならない。ラヴクラフトやロングやスミスの作品のみならず、現代作家が書き下ろした作品まで含めたアンソロジーを――それ1冊読めばクトゥルー神話の全体像を俯瞰できるようなアンソロジーを。
 それはクトゥルー教の使徒が聖典を纏めることを決意した瞬間であった。
 かくして1969年、周到な準備と根回しによって、歴史的なアンソロジーが刊行された。
 Tales of the Cthulhu Mythos『クトゥルー神話集』である」

 『クトゥルー神話集』は大ヒットし、アメリカの若者を中心に世界中で読まれました。なぜ、不気味な暗黒神話ともいうべき物語が受けたのでしょうか。朝松氏は、次のように分析しています。 

 「折しもベトナム戦争と反戦運動、反政府運動の流行といった怒濤の60年代が終わったばかりである。世界的に閉塞感が蔓延し、映画も出版も残酷なもの、異端のもの、官能過多なものに偏っていた。そんな時、超過去と超未来を同時に幻視する神話が提供されたのである。大学生を中心に、異様なものを喜ぶヒッピーや、異端文学やオカルティックな雰囲気を好むインテリ層にクトゥルー神話は熱狂的に受け容れられ、ダゴンやヨグ・ソトートやアブドゥル・アルハザードといった異界の単語はマリファナによるトリップや、フリーセックスや、ピースマークや、ローリング・ストーンズと同じ次元で、アメリカ文化の新しい『記号』となったのだった」

 この『クトゥルー神話集』は、日本でも翻訳出版されました。幻想文学翻訳家であった若き荒俣宏氏によって、『ク・リトル・リトル神話集』のタイトルで国書刊行会の「ドラキュラ叢書」の1冊として世に出たのです。

 ちなみに、当時の国書刊行会の編集者が朝松健氏でした。その本を、わたしは中学生のときに入手したのです。ラヴクラフトの作品との初めての出合い、運命の邂逅でした。それ以来、未だにわたしにかかった邪教の呪いは解けないようです。

 ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!

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