No.0355 日本思想 『日本人の誇り』 藤原正彦著(文春新書)

2011.06.17

 『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)を読みました。

 大ベストセラー『国家の品格』を書いた数学者による日本人への熱いメッセージです。東日本大震災の直後に出版され、大きな話題となっている本です。カバーの折り返しには次のように書かれており、そのまま内容の要約になっています。

 「『個より公、金より徳、競争より和』を重んじる日本国民の精神性は、文明史上、世界に冠たる尊きものだった。しかし戦後日本は、その自信をなぜ失ったのか? 幕末の開国から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、国難の時代を生きる日本人に誇りと自信を与える、現代人必読の書。 」

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章:政治もモラルもなぜ崩壊したか
第二章:すばらしき日本文明
第三章:祖国への誇り
第四章:対中戦争の真実
第五章:「昭和史」ではわからない
第六章:日米戦争の語られざる本質
第七章:大敗北と大殊勲と
第八章:日本をとり戻すために

 「はじめに」の冒頭に、著者は「歴史を書くというのは憂鬱な仕事です」と書いています。特に、近現代史を書くことは大変だといいます。なぜなら、著者の政治・経済・社会などの見方に深く関わった「近現代史観」がもろに出てしまうからです。さらに近現代史を書くことの厄介さについて、著者は次のように書いています。

 「近現代史の見方は、日本では大きく右と左のほぼ正反対の見方に割れていて、一方が他方を罵倒するという関係になっています。すなわちどちらの線で行っても半数から批判されることになります。左右は感情的対立にまでなっているので、中間的なことを書いても両派から嫌味以上のことを言われます。自らの見識を露わにしたうえ半数の人々から叱られるのですから、余程の勇気ある人か余程のおっちょこちょいにしかそんな仕事はできません。無論、私は後者です。一介のおっちょこちょいで無鉄砲な数学者が、右でも左でも中道でもない、自分自身の見方を、溢れる恥を忍んで書き下ろしました。戦後六十六年にもなるのに、いつまでも右と左が五分に組んで不毛な歴史論争を続けているという状態は、日本人が歴史を失っている状態とも言え、不幸なことと思ったからです」

 このように自身の立場を明らかにした上で、著者は近現代史を振り返るのです。第一章の冒頭では、いきなり現代日本が危機にあることを次のように述べています。

 「日本はいま危機に立たされています。リーマンショックや大地震とは関係なく、十数年前から何もかもうまくいかなくなっています。すべての人々がそれに気付いているのにどうしてよいか分らず暗い気持のまま日常を送っている、というのが現状です」

 このあたりの日本の現状についての分析は、大前研一氏の著書の内容にも通じています。

 著者が本書で展開している近現代史に、新しい事実や見解は基本的にありません。少し歴史に興味がある人ならすでに知っている内容だと思います。

 ただ、数学者らしく雑多な事実や見解の数々を美しく整理してくれています。本書の中で最も著者が言いたかったことは、次の言葉に集約されるでしょう。

 「最も重要なことは現代の価値観で過去を判断してはいけないということです。人間も国家もその時の価値観で生きるしかないからです」

 そして、幕末の黒船襲来以降、日本がずっと追求してきた価値とは「独立自尊を守る」ことでした。いわゆる「大東亜戦争」の前後の歴史だけを見たのでは真実はわからないと唱える著者は、次のように述べています。

 「日本近代史における戦争を考える時に、満州事変頃から敗戦までを一くくりにした15年戦争や昭和の戦争がありますが、このように切るのは不適切かと思います。その切り方はまさに東京裁判史観です。林房雄氏は『大東亜戦争肯定論』の中で、幕末の1845年から大東亜戦争終結の1945年までを100年戦争としました。私の考えはそれに近く、ペリー来航の1853年から、大東亜戦争を経て米軍による占領が公式に終ったサンフランシスコ講和条約の発効、すなわち1952年までの約100年を「100年戦争」とします。ペリーの4隻の黒船による騒然から紆余曲折の末に日本が曲がりなりにも自力で歩きはじめるまでを100年戦争と見るのです」

 (*漢数字は算用数字に一条が直しました)

 この歴史観に基づいて、本書では現在に至るまでの日本の歩みが語られます。その詳しい内容には、ここでは立ち入りません。しかし、本書のテーマの1つである「日本人のモラルはなぜ崩壊したか」を語った箇所は、わたしが日頃から考えていることでもあるので、非常に共感しました。

 著者は、欧米人が「自由」とか「個人」を最も大事なものと考えるのに対し、日本人は「秩序」や「和」の精神を重んじると見ています。それが世界でも独特な日本文明を特徴づける価値観であるというのです。そして、そのような価値観が大東亜戦争後に消えてしまった原因について、著者は次のように述べています。

 「占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしまいました。これはGHQが意図的にしたことでした。家や公との強い紐帯から生まれるそれ等への献身と忠誠心こそが、戦争における日本人の恐るべき強さの根底にある、と見抜いたからです。占領の一大目的である日本の弱体化には、軍隊を解体するばかりではなく、そこから手をつけなければならなかったのです。そこで天皇を元首から象徴に変え、長子相続の廃止など『家』を破壊し、個人ばかりを強調したのです」

 家やコミュニティーとの紐帯を失った人々は、どうなったか。いずれも寄る辺のない浮草のようになり、互いに無関心になりました。困った時には親族や隣人が助け合うという美風も失いました。ついに、日本は「無縁社会」とか「孤族の国」などと呼ばれるようになったのです。

 著者がいう「紐帯」とは、いわゆる「絆」ということです。そして、わたしがいつも言う「凧の糸」でもあります。人間はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。

 ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、わたしは凧が最も安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要ではないかと思います。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」です。この縦糸を「血縁」と呼びます。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。この横糸を「地縁」と呼ぶのです。

 この縦横の2つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての「幸福」の正体ではないかと思います。この「凧の糸」を「紐帯」と言い換えて、著者は次のように述べます。

 「実はこの紐帯こそが、幕末から明治維新にかけて我が国を訪れ日本人を観察した欧米人が、『貧しいけど幸せそう』と一様に驚いた、稀有の現象の正体だったのです。日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが、精神の安定をもたらすものであり幸福の源だったのです。
 これを失った人々が今、不況の中でネットワーク難民やホームレスとなったり、精神の不安定に追いこまれ自殺に走ったり、『誰でもいいから人を殺したかった』などという犯罪に走ったりしています」

 大人だけでなく、子どもたちも不安定な精神状態の中にあります。個人を尊重し過ぎた結果、先生と生徒、親と子が平等であるかのように錯覚され、学級崩壊や学力低下を招きました。このままでは、国の未来を背負うべき子どもたちはどうなるのでしょうか。著者は喝破します。

 「日本に昔からある『長幼の序』や『孝』を幼いうちから教えこまないと、どうにもなりません。自殺にまでつながる陰湿ないじめなども『朋友の信』や『卑怯』を年端もいかぬうちから叩きこまない限り、いくら先生が『みんな仲良く』と訴え、生徒や親との連絡を緊密にしようともなくなりません」

 これは前著『国家の品格』でも展開した著者の主張ですが、まったく同感です。まだ、あきらめるのは早いでしょう。本書の最後には次のように書かれています。

 「スマイルズは次のように言いました。『歴史をふり返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、もっとも実り多い時代だった。それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからである。』現代の日本はまさにその苦境に立たされています。日本人の覚醒と奮起を期待したいものです」

 さて、本書で展開されている近現代史に、新しい事実や見解はないと述べました。

 実際、本書を読み進むうちに、わたしは一度読んだ本の内容を再読するようなデジャ・ヴ感が多々ありました。そして、それは渡部昇一氏や故・前野徹氏の著作の内容を思い出していることに気づきました。

 わたしは渡部氏を「こころの師」と慕っています。また、前野氏には仲人を務めていただいたほどお世話になりました。両氏とも、本書と同様の近現代史観を持ち、それを著書で示してこられました。

 しかし、どちらかというと一部の読者には熱狂的に支持される一方で、「右翼」などのレッテルを貼られることもありました。本書のように正しい歴史を示し、日本人の誇りを呼び起こす本がベストセラーになっていることに感慨を覚えずはいられません。

 東日本大震災で、日本人の意識は大きく変わったように思います。それは一部の人々がいうような「右傾化」ではなく、「正常化」であると、わたしは思います。

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