No.0311 小説・詩歌 『行為の意味』 宮澤章二著(ごま書房新社)

2011.04.22

 『行為の意味』宮澤章二著(ごま書房新社)を読みました。

 「出発の季節」「前進の季節」「結実の季節」「黎明の季節」の4章に、77編の詩が収められています。この詩集の中の1編の詩が震災直後に民放テレビ局で大量に流されたACのコマーシャルで紹介され、ほとんどすべての日本人が目にしました。

 ACについては多くの人々が誤解し、筋違いの批判も見られました。仁科明子・仁美の母娘など、本当に気の毒でした。

 わたしは、基本的にACが選んだCMは名作揃いだと思います。

 でも、あまりにも大量のCMが放映されてしまいました。

 そのため、何も知らない人たちのストレスを高めたことも事実です。

 しかし、多くの視聴者の意見を聞くと、宮澤章二の「行為の意味」という詩を使った「見える気持ちに。」というCMだけは不快感が少なかったようです。

 「だれにも『こころ』は見えないけれども、『こころづかい』は見える。『思い』は見えないけれども、『思いやり』はだれにでも見える」という詩ですね。

 同じく、金子みすずの詩を使ったCMなども不快感が少なかったようです。

 やはり、商業用のコピーライターが作った言葉よりも、金子みすずや宮澤章二といった本物の詩人の言葉には魂に訴えるものがあるように思いますね。

 その「行為の意味」という詩の全文は以下の通りです。

「行為の意味」

―あなたの〈こころ〉はどんな形ですか

と ひとに聞かれても答えようがない

自分にも他人にも〈こころ〉は見えない

けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに〈こころ〉はだれにも見えない

けれど〈こころづかい〉は見えるのだ

それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の〈思い〉は見えない

けれど〈思いやり〉はだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり

やさしい思いが やさしい行為になるとき

〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きる

 ―それは 人が人として生きることだ   (『行為の意味』「結実の季節」より)

 この詩集に収められている詩のほとんどは、中学生のために書かれたものだそうです。

 著者は、小中高約300校の校歌を作詞した人です。

 また、埼玉県の中学生のために、ある教育関係の出版社が毎月発行している冊子に詩を書き続けましたが、それが、なんと30年も続いたというのです。

 中学生のために、毎月、30年間も詩を書き続ける・・・・・こんな人は、日本の詩人の中でも宮澤章二ただ1人でしょう。

 それで、本書の副題は「青春前期のきみたちに」となっているわけです。

 人生のスタート地点に立ったばかりの読者を想定している宮澤章二の詩は、「人間としての基本」を教えてくれるものが多いです。

 たとえば、「原点について」という詩は、基本中の基本を教えてくれます。

「原点について」

鳥が鳥である 原点

それは つばさを持ったこと

魚が魚である 原点

それは 水中に生まれたこと

ぼくらは ぼくら人間の原点について

一度でも考えてみたことがあるか・・・・・・

鳥たちは つばさを持ったから 飛ぶ

魚たちは 水中に生まれたから 泳ぐ

ぼくら人間は 直立する人類として

生き 歩く その意識を初めから持った

―歩いていこう 生きていこう

それが 意思する人間の原点であるなら

ぼくらは 常に その原点に立とう   (『行為の意味』「出発の季節」より)

 人生には希望が必要です。でも、人生は楽しいことばかりではありません。

 逆に、つらいこと、苦しいことが多いのが人生でもあるのです。このたびの東日本大震災で甚大な被害を受け、今も避難所での生活を強いられている人々がいます。

 岩手県出身の詩人・宮沢賢治は「雨ニモマケズ」を書きましたが、宮澤章二は「耐える」という詩を書きました。

 「耐える」

 風や雨に 耐える

長い時間に 耐える

すべて 耐えることの意味の深さ

自然は決して急ぎはしない

冬が終われば 春が来て

草木 おのずから 花ひらき・・・・・・

春はまた つぎの夏を招き

大木に透明の樹液は流れつづけて

新緑となり 茂る青葉となり

とだえるものなど なにひとつない

急ぐことなく 耐えて

耐えながら おのれを鍛えて

そこに初めて開ける 真新しい風景よ

私たち一人一人に 成長の重さを 語れ   (『行為の意味』「出発の季節」より)

 人生は、「別れ」に満ちています。

 そのことを若い人たちは、まだ知りません。

 人生とは、新しい出会いの連続であると思っていることでしょう。

 しかし、これから多くの大切なものを失い、「小さな死」を繰り返していくのが人生です。

 東日本大震災でも、多くの「別れ」があり、愛する人を亡くした人たちが生まれました。

 「ほんとうの決別は 一生に一度しかない」という言葉が心に沁みます。

「別れの季節」

 〈成長したね〉という言葉に うそはない

〈これからだね〉というのも 正直な言葉

〈がんばれよ〉と励ましてくれる言葉を

素直に信じて 前進を心に誓う季節

―人の好意を その時疑ってはいけない

季節がめぐむ心の躍動は 本物だ

別れの握手も なみだも みな本物だ

だから 春の光に 濁りなく輝く

美しい別れを 幾たびも繰り返しながら

強く 健やかに育ってゆく 私たちの精神

ほんとうの決別は 一生に一度しかない

その日まで 着実に歩みつづける決意を

たくさんの 新しい出会いが飾ってくれる   (『行為の意味』「前進の季節」より)

 「別れの季節」の後には、「出発の季節」があります。

 そう、3月の卒業式の後には、4月の入学式があるのです。

 これから輝かしい人生が待っている少年たちは、未来への希望にあふれています。

 そんな希望を描いた詩が「出発の季節」です。

 これは、東日本大震災の被災者への「魂のエール」にも思えます。

「出発の季節」

 言葉の持つ ふしぎな響き

たとえば―出発

なんという明るい匂いだろう

けれど 遠いむかし

暗い響きを帯びる出発もあった

この地球が砲煙弾雨に包まれた日だ

 ―ひとびとは死への道を出発し続けた

出発 という心打つ言葉に

いつでも 明るさを持たせたい

さわやかな喜びと光を担わせたい

未知なるもの に向かう道を

四月 あなたが出発する

わたしも 花を求めて出発する

目立たぬ草木にも 春は花を恵むのだ   (『行為の意味』「出発の季節」より)

 このように、この詩集に収められている詩は、まさに今読まれるべきものばかりです。

 まるで、これらの詩が被災者の人々のために書かれたような錯覚さえしてきます。

 30年間も、ひたすら中学のために詩を書き続けた宮澤章二。

 しかし、「まえがきにかえて」で、著者の息子である宮澤鏡一さんは、「中学生ばかりでなく、老若男女、世代を問わず、たくさんの方々に読んでいただければと思います」と書かれています。不幸な大震災あってのことだとはいえ、宮澤章二の「行為の意味」の一節をあらゆる日本人が知ったことは、今後の日本人の「こころ」にとって大きな意味があったのではないかと思います。

 そう、「だれにも『こころ』は見えないけれども、『こころづかい』は見える。『思い』は見えないけれども、『思いやり』はだれにでも見える」という真理を数日間で全日本人が知ったのです。それを「快挙」と呼んでも、けっして不謹慎ではないと思います。

 鏡一さんは「あとがきに代えて~使命」で、亡き父について次のように述べます。

 「詩人は いつも自分の死に様を考えていた
  人は必ず死ぬ
  だから 死に際は取り乱すまい
  詩人は いつもそんな思いを抱いて生きてきた」

 また、父である詩人は、「人間なんて、なんのことはない。死んであの世とやらに行ってしまえば、それで終わりだ」と考えていたのではないかと述べています。

 では、宮澤章二の心情は奈落にあったのでしょうか。

 もちろん、そんなことはありません。

 詩人は、死んであの世に行くまでの心構えをきちんと言葉で残してくれました。

 その言葉は、本書の巻頭詩「君たちが歩くとき」の最後にも残されています。

 それは、次のような言葉です。

 「君たちが歩くとき 
  君たちは一人ではない
  隣りにも 前にも 後ろにも
  同じ道を歩く仲間がいる
  互いに支え合う仲間がいる」
 これは、まさに『隣人の時代』(三五館)のメッセージと重なります。

 大震災後に注目を浴びた詩人・宮澤章二は、「隣人の時代」の宣言者だったのです! 

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