No.0294 小説・詩歌 | 死生観 『納棺夫日記』 青木新門著(文春文庫)

2011.03.15

 東日本大震災による死者の数は増える一方です。15日午後0時の段階で、死者・行方不明者は6086人でした。遺体を納める棺も、絶対数が不足しています。

 今日、わが社にも支援要請が来ました。もちろん、ぜひ協力させていただきます。とりあえず、150本の棺を被災地に提供する手配をしたところです。

 『悼む人』に続き、『納棺夫日記』青木新門著(文春文庫)を再読しました。被災地に送る棺を見ていたら、無性に読み返したくなったのです。

 本書は、映画「おくりびと」の原作として知られています。20年近く前に本木雅弘さんがこの本に出会って感動し、映画化の構想をあたためていたそうです。 

 「おくりびと」が第81回アカデミー賞の外国語映画賞を受賞してから時が過ぎましたが、あの興奮は今でも憶えています。日本映画初の快挙でした。

 わが社では前売り券を大量購入し、ほぼ全社員でこの名作を鑑賞しました。

 「日本人は、いや世界中どこでも同じだが、死を忌み嫌う傾向がある。企画をいただいたときは不安だった。しかし、実際に(映画で扱っている)納棺師の仕事をみて、これはやらなければいけないと感じた」という滝田洋二郎監督の受賞コメントを聞いて、わたしの目頭が熱くなったことを記憶しています。

 著者は、富山にある冠婚葬祭互助会の葬祭部門に就職し、遺体を棺に収める「納棺夫」として数多くの故人を送ってきました。

 ちなみに「納棺夫」とは著者の造語で、現在は「納棺師」と呼ばれています。

 死をケガレとしてとらえる周囲の人々からの偏見の目に怒りと悲しみをおぼえながら、著者は淡々と「おくりびと」としての仕事を重ねていきます。

 そして、著者は次のように記します。

 「毎日、毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。驚き、恐れ、悲しみ、憂い、怒り、などが錯綜するどろどろとした生者の視線が、湯灌をしていると背中に感じられるのである」

 まるで宇宙空間から地球をながめた宇宙飛行士のように、著者は視点を移動して「死」を見つめているのです。「生」にだけ立脚して、いくら「死」のことを思いめぐらしても、それは生の延長思考でしかありません。また、死と無関係に生きている人が死の世界を語っても、それは推論か仮説でしかありません。納棺という現実の営みを通じたからこそ、「生」に身を置きながらも「死」を理解できたのでしょう。

 そして、そこからは「詩」と「哲学」が生まれるのではないでしょうか。

 最後に、映画「おくりびと」によって葬祭業者への世間の偏見が解消されつつあったのに、「葬式は、要らない」などという暴論によって再び多くの業界関係者が肩身の狭い思いをしました。そのことに、わたしは強い怒りをおぼえました。

 『葬式は必要!』(双葉新書)を書いたひとつの原因かもしれません。

 同書には、『悼む人』とともに本書『納棺夫日記』も紹介させていただいています。

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