No.0174 社会・コミュニティ 『生き方の不平等』 白波瀬佐和子著(岩波新書)

2010.09.13

 生き方の不平等』白波瀬佐和子著(岩波新書)を読みました。「お互いさまの社会に向けて」というサブタイトルがついています。

 わたしは、いつも「死は最大の平等である」という言葉を口癖にしています。それは逆に言えば、「生とは不平等である」ということです。そんなことを考えながら、読んでみました。

 著者によれば、現代の日本社会で実際に選択できる「生き方」には、収入や性別、年齢によって著しい不平等があるといいます。本書では豊富なデータをもとに、子ども、若者、勤労者、高齢者というライフステージごとに、その不平等の実態と原因について考察していきます。

 「生き方」というと、自らが進んで積極的に選択したものというイメージがあります。しかし、現代日本では自己責任論が叫ばれ、多様なライフスタイルが奨励されるわりには、実際に選択することができる「生き方」はそれほど多様ではありません。人生において、進学、就職、結婚、出産、老後など、いくかの節目がありますが、その節目、節目で選択を強いられます。著者は次のように述べます。

 「例えば、本当は大学に行きたいけれど、経済的に苦しいので就職することにした人がいます。当人にとって、高校を卒業して就職するという『生き方』を選んだわけですが、そこでは就職せずに大学に進学するという選択肢は現実的にはほとんどありませんでした。一方、大学に行きたいと特に思わなかったけれど、就職するにもどのような仕事につきたいのかわからないので、とりあえず、大学に行くことにしたという人もいるでしょう。これも大学進学という『生き方』の選択ですが、それを積極的に選択したというわけではありません。しかし、経済的に裕福であるので、大学に進学することが実現可能な選択肢として彼・彼女にはあったわけです」

 著者によれば、これまで生きてきた節目、節目の選択は必ずしも積極的なものばかりではなく、時は不条理な選択もあったというのです。たしかに、そうかもしれません。よく「自分の力で運命を切り拓け」などと言いますが、たとえば『死線を越えて』という本に記された過酷なスラムに生まれた子どもに自助努力を訴えるのは無理でしょう。

 著者の言うように、選択肢の数や種類は人によって違います。また、特定の選択を周囲から期待される度合いも異なります。このように、人生の選択には不平等がからんでくるのです。この点を本書では「生き方の不平等」として着目しています。

 では、「生き方の不平等」に対して、わたしたちはどうすればよいのでしょうか。著者は、「お互いさまの社会」というキーワードをあげ、次のように述べます。

 「個人の選択に関与するたまたまの不条理を少しでも解消するには、社会という大きな単位でもってそのリスクを分散し、小さくしていくことが望まれます。では、そのために何が必要なのでしょうか。それについて本書では『お互いさまの社会』をめざすことを提案したいと思います。『お互いさま』などといわれると、顔見知りの人たちの間での助け合い、といった印象が強いかもしれません。しかし、社会というマクロなレベルでのお互いさまの関係を制度として確立することが、これからの社会に求められています」

 現在の日本社会は「少子高齢社会」であり、「無縁社会」です。そんな中、もっとも必要とされているのは「社会的連帯」です。わかりやすくいえば、「お互いさまの社会」の形成です。

 これは「互助社会」とか「福祉社会」にも通じるのでしょうが、「お互いさま」というキーワードについて、著者は「ここでお互いさまというのは利害関係を短絡的に見ないで、長いスパンの中でお互いの利益をとらえることです」と説明しています。短期的な利害を超えて、ともに豊かな社会への連帯を形成することだというのです。そして、お互いさまの社会を形成するには、「見えること」だけを基準に物事をとらえない想像力が問われているというのです。著者は述べます。

 「いまは元気で病気などと無縁の人であっても、将来、病気をし、怪我をする可能性はゼロとは言い切れないでしょう。その意味で人の人生はたまたまの偶然性の積み重ねの部分もあります。ですから、さまざまな将来のリスクをみなで分散して助け合うことは、みなが考えている以上の利益があります。なによりも、さまざまな年齢にある、さまざまな時代に生きた者がお互いさまの社会を形成することは、助け合いによるさまざまな恩恵を中長期的に循環させていくことにも通じます」

 このあたりの発言は、リチャード・ウィルキンソン&ケイト・ビケットの『平等社会』での主張にも通じると思いました。この本では、さまざまなデータを駆使して、「格差社会」すなわち「不平等社会」よりも「平等社会」のほうが人々が幸せになれることを力説しています。

 一般に「平等」という思想を強く打ち出せば「社会主義」や「共産主義」をつながるのではないかと思われますが、本書にはそこまでのイデオロギー性はなく、幸福な社会を創造するための合理的な方策を求めるといった内容になっています。

 『平等社会』では、国際社会やアメリカ各州の状態を表すさまざまな社会指標を検証して、所得格差が小さいほど好ましい結果、つまり、より良い社会となっていることを示します。格差が大きい社会は、格差が小さい社会に比べて低所得層のみならず中間層や高所得層でも健康が衰える傾向にあります。

 その理由としては、次のような可能性が考えられます。社会の「きずな」が薄まることによってストレスが高じ、自律神経やホルモンの働きが慢性的に乱されて免疫機能が低下する。それによって血圧や血糖値が非常に高くなるからではないかというものです。この研究結果は、イギリスの医師会誌に報告されたそうです。なんと、「格差社会」や「不平等社会」が医学的見地から否定されたわけですね。

 現代の日本社会は、さまざまな問題に直面しています。貧困、失業、非正規雇用、長時間労働、介護問題、年金問題、さらには高齢者の所在不明問題に孤独死や無縁死の問題・・・・・社会問題は山積みどころか、どんどん増えてゆく一方です。これまで、病気、老い、失業といった個人に襲いかかるさまざまなリスクに対しては、家族が第一義的な防波堤となってきました。しかし、その家族そのものが大きく揺らいでいます。著者は述べます。

 「例えば、日本では母子家庭や生涯未婚高齢者の貧困率は欧米よりも高く、その理由として、これまで正統とされてきた家族のあり方から外れた場合に、社会が適切な支えを提供しきれないことがあげられます。世の中は変わった、ひとの生き方も変わったといわれるわりに、実際の諸制度は硬直的で、現在進行中の変化に十分対応していません。その齟齬の現れが、母子家庭や生涯未婚高齢者の高い貧困率です。多数派が通る道からいったん逸れた場合に、家族ではなく社会がどの程度の受け皿を提供しえるのかが、これからの日本社会を維持、発展させる上での鍵を握ります」

 わたしは、この著者の意見に全面的に賛成です。大阪の二児置き去り死事件、生涯未婚高齢者の相次ぐ無縁死・・・・・これらの問題を解決するために「お互いさまの社会」を一刻も早くつくる必要があります。相互扶助のアイデアも検討してみる価値があると思います。具体的には、独居老人と一人親家庭との縁組みです。独居老人にとっては一人親の母親あるいは父親に安否確認してもらう、一人親家庭にとっては子どもをいざという時に預かってもらう、そういう相互扶助の関係を作るのです。

 「お互いさまの社会」に向けて、多くの人々がさまざまな知恵を出し合い、お互いが思いやりの精神をもって助け合ってゆくことが大切だと思います。もちろん「隣人祭り」がその最大の知恵であることは言うまでもありません。

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