No.0138 小説・詩歌 『沈まぬ太陽(全5巻)』 山崎豊子著(新潮文庫)

2010.08.12

 今年、25年前に悲惨な墜落事故を起こした日本航空が破綻しました。『沈まぬ太陽』山崎豊子著(新潮文庫)全5巻は、日本航空を描いた小説です。わたしが今年最初に観た映画は渡辺謙主演の「沈まぬ太陽」でした。3時間を超える大作を観終わって、今度は文庫本で全5巻の原作小説を一気に読みました。

 わたしは経営者として日本航空という会社に、また一人の利用者として御巣鷹山の日航機墜落事故に深い関心を抱きました。1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航機123便が墜落、一瞬にして520人の生命が奪われました。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。『沈まぬ太陽 御巣鷹山篇』(新潮文庫)には、次のような墜落現場の描写が出てきます。

 「突然、眼前の風景が一変した。幅三十~五十メートル、長さ三百メートルの帯状に、唐松が薙ぎ倒され、剥き出しになった山肌は、飛行機の残骸、手足が千切れた遺体、救命胴衣、縫いぐるみ、スーツケースなど、ありとあらゆるものが粉砕され、巨大なごみ捨て場の様相を呈していた。千切れた遺体には、既に蠅がたかっていた。」

 また、地元の体育館には遺体が次々に運び込まれて22面のシートを埋めました。著者は、その様子を次のように書いています。

 「下半身のみの遺体や、頭が潰れ、脳味噌が飛び出した背広姿の遺体、全身打撲で持ち上げると、ぐにゃぐにゃになり、腹部から内臓が流れ出る遺体もあった。そんな中で、とりわけ憐れを誘ったのは、全身擦過傷だけの子供の遺体で、今にも起き上り、笑いかけてきそうな死顔であった。それだけに鑑識課員は『俺の息子と同じぐらいだ・・・・』と声を詰まらせ、カメラのシャッターを切る手を止めた。看護婦たちも涙を浮かべながら、男の子の体も洗い清め、髪の毛も、きれいに梳ってやった。」

 「中ほどのシートで、騒めきが起った。そこでは、割れた大人の頭蓋の中から、子供の顎が出てきたのだった。そこで、柩の中の遺体は必ずしも一体ではなく、二体の場合もあり得ることが解り、新しい別の柩に入れて、『移柩遺体』として扱われることになった。」

 『沈まぬ太陽』という小説は基本的にフィクションですが、御巣鷹山の墜落事故についての記述はほぼ事実に沿っているようです。それにしても、「移柩遺体」などという言葉、わたしも初めて知りました。遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。

 頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、この世の地獄でした。

 事故の当時、わたしは大学生で、日航が提供しているFM東京の「ジェットストリーム」をよく聴いていました。「遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています・・・」という城達也のナレーションが大好きでした。事故が起こった8月12日の深夜、ラジオをつけたところ、通常通りに番組が開始され、城達也のナレーションとテーマ曲「ミスターロンリー」のメロディーが流れてきたことを記憶しています。

 「ジェットストリーム」は、イージーリスニング・ブームを起こした伝説のラジオ番組で、多くの名曲が流されましたが、わたしは特に「80日間世界一周」が好きでした。それを聴きながら、いつの日か、JALに乗って世界一周したいと夢見ていました。

 その日本航空が、映画「沈まぬ太陽」の公開中、ついに破綻しました。事業会社としては過去最大の2兆3221億円の負債を抱え、今年の1月19日に会社更生法の適用を申請したのです。そして、日本航空の会長に京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が就任しました。

 わたしが最も尊敬する経営者の一人が稲盛氏です。政治にしても、経営にしても、倫理や道徳を含めた首尾一貫した思想、哲学が必要であることは言うまでもありません。しかし、政治家にしても経営者にしても、その大半は哲学を持っていません。そのような現状で、稲盛氏は、経営における倫理・道徳というものを本気で考え、かつ実行している稀有な経営者ではないでしょうか。

 かつて、御巣鷹山の墜落事故の直後に、鐘紡の伊藤淳二会長が日航会長になりましたが、労務対策に失敗して、早々に辞任しています。『沈まぬ太陽 会長室篇』(新潮文庫)は、彼の苦闘の歴史が下敷きになっています。ですから、本当は77歳と高齢の稲盛氏は会長を引き受けなかったほうが良かったのかもしれません。激務とストレスが稲盛氏の寿命を縮める可能性がありますから。

 いくつも存在する日航の労組は一筋縄ではいきません。『沈まぬ太陽』の主人公のモデルは日航労組の委員長であった小倉寛太郎ですが、彼はカラチ、テヘラン、ナイロビと海外の僻地ばかりを10年もたらい回しにされた人物として知られています。

 『沈まぬ太陽』のテーマの一つに「会社と人間」がありますが、いたずらに小倉寛太郎を美化し、一方的に日航という企業を絶対悪として叩くだけではダメだと思います。会社にも悪いところがあり、組合にも悪いところがあったというのが真相でしょう。

 「会社は社会のもの」であり、「人が主役」と喝破したのはドラッカーです。会社とは経営者のものでも組合のものでもなく、社会のものなのです。そして会社とは、人間を幸せにするために存在しているのです。その意味で、「なぜ、日航会長を引き受けたのか」というマスコミの質問に対して、「日航の社員を幸せにしたいから」と即答した稲盛氏には感動しました。

 氏が敬愛する西郷隆盛ゆずりの「敬天愛人」の哲学が死せる日本航空を再生させ、再びJALの翼が世界の空を天がけることを期待しています。

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