No.1647 メディア・IT | 歴史・文明・文化 | 社会・コミュニティ 『Society 5.0』 日立東大ラボ著(日本経済新聞出版社)

2019.01.07

 『Society 5.0』日立東大ラボ著(日本経済新聞出版社)です。「人間中心の超スマート社会」というサブタイトルがついており、経済的発展と社会的課題解決を両立させ、快適で活力に満ちた質の高い生活の実現をめざす日本発の未来社会像が描かれています。  

本書の帯

 帯には、日立会長の中西宏明氏と東大総長の五神真氏の写真とともに、「サイバー空間とフィジカル空間の融合による革新(イノベーション)」「Society 5.0を共通のゴールに掲げ、新しい社会の創造を実現していく」(中西)、「デジタル革命が拓く未来の社会は個を活かす持続可能な社会である」(五神)と書かれています。

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 ”Society 5.0″とは
1 ”Society 5.0″へのアプローチ
2 サーバー空間とフィジカル空間の融合
3 知識集約型社会
4 データ駆動型社会
5 ”Industry4.0″と”Society 5.0″
第2章 居住からの変革
             「ハビタット・イノベーション」
1 日本が直面する社会課題
2 ハビタット・イノベーションのフレームワーク
3 主要社会課題に対するハビタット・イノベーションのフレームワークの適用
第3章 スマートシティから”Society 5.0″へ
1 スマートシティとは
2 エネルギーマネジメントのスマート化
3 日本のスマートコミュニティ・スマートシティ
4 サスティナブルな都市とスマートシティ
5 市民主導のスマートシティから”Society 5.0″へ
第4章 都市のデータ化とサービスの連携
1 都市情報連携のめざすもの
2 都市システムの共生・共生自律分散システム
3 個人情報の保護・秘匿分析技術
4 幸福感の計測:IoTからIoH(Human)へ
第5章 社会課題解決への産学協創アプローチ
1 ”Society 5.0″で都市はどう変わるか
2 人生100年時代を支えるハビタット環境をつくる
3 脱酸素社会とエネルギー×ライフのマネジメント
4 地域創生とデータ駆動型プランニング
第6章 貨幣価値社会から非貨幣価値社会へ
1 データ駆動型社会と非貨幣価値社会
2 ”Society 5.0″におけるデジタルプラットフォーム
3 データ駆動型社会におけるキャッシュの役割
4 私有から共有へ――資本主義のその先にある豊かさ
5 ”Society 5.0″と”Human  co-becoming”
第7章 対談「知」の協創により豊かな未来社会を拓く
   ――社会変革を牽引するイノベーションエコシステムの構築
   五神真 東京大学総長/中西宏明 日立会長
第8章 課題と展望
「おわりに」
「謝辞」「執筆者一覧」

 グローバル化の進展、人々の価値観の変化などにより、知識や価値の創造プロセスが大きく変化し、経済や社会のあり方、産業の構造が急速に変化する大変革時代が到来しています。日本政府は、そのような経済や社会の変革に対応した新たな価値を創出し、豊かな暮らしがもたらされる「超スマート社会」を未来の姿として共有し、世界に先駆け社会課題の解決を実現していく「Society(ソサエティ)5.0」という方針を掲げます。

 この”Society 5.0″を構想・実現するために、2016年に東京大学と日立製作所は「日立東大ラボ」を設置。同ラボでは、従来の課題解決型産学連携から発想を転換し、ビジョンを創生・発信し、実現に向けた課題解決に取り組むという新しい形の研究開発を推進しています。本書では、日立東大ラボで得られた知見に基づくSociety5.0のビジョン、方法、技術開発を広く社会と共有すると共に、現代の都市が抱える課題解決に向けた新たな方向性を提示しています。

 その最大のキーワードは「超スマート社会」です。ビッグデータ解析、人工知能などの技術が創り出す「サイバー空間とリアル空間の融合」が牽引する未来とは、どのような社会であり、どのような方法で目指していくのか、産学協創の体制により、企業の持つ技術開発力と大学の持つ知の力を組み合わせた研究開発を通じて、居住からの変革”ハビタット・イノベーション”によるその理論や方法、技術開発について解説しています。

 「はじめに」の冒頭には、こう書かれています。
「ビッグデータ解析、AI(人工知能)、IoT(Internet of Things)などの研究開発の成果は、急速に私たちの生活の中に浸透してきている。私たちの日常の生活や仕事を取り巻くデータとITを活用したアイデアは、日々沸き起こるかのように新たなビジネスを生み出している。スマートフォンが普及し、買い物の仕方や仕事の仕方を含め、私たちの生活は10年前と比べると明らかに変化してきた。50年前、30年前の時代には考えられないほどに進化している。ものづくりを中心とした工業社会から、コンピュータの進化に支えられ、情報に価値を見出してきた情報社会へと移行してきた私たちの社会は、また新たな時代への入口に差し掛かっているとも言える。これから迎えようとしている新たな社会を私たちはどのように捉え、どのように受け入れ、どのような方向へと進めていけばよいのだろうか」

 2016年1月22日に閣議決定された「第5期科学技術基本計画」では、新たな科学技術が牽引する来るべき次の時代の社会像として、”Society 5.0″という概念が提唱されました。その意図するところは、「ICTを最大限に活用し、サイバー空間とフィジカル空間(現実世界)とを融合させた取組により、人々に豊かさをもたらす『超スマート社会』を未来社会の姿として共有し、その実現に向けた一連の取組をさらに深化させつつ『Society 5.0』として強力に推進し、世界に先駆けて超スマート社会を実現していく」ことであるとしています。また、”Society 5.0″には「狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続くような新たな社会を生み出す変革を科学技術イノベーションが先導していく、という意味を込めている」とされています。

 この「狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続くような新たな社会」というのは、わたしがこれまで提唱し続けてきた「心の社会」に通じます。「心の社会」とは、あらゆる人々が幸福になろうとし、思いやり、感謝、感動、癒し、そして共感といったものが何よりも価値を持つ社会のことです。

 人類はこれまで、農業化、工業化、情報化という三度の大きな社会変革を経験してきました。それらの変革はそれぞれ、農業革命、産業革命、情報革命と呼ばれます。第三の情報革命とは、情報処理と情報通信の分野での科学技術の飛躍が引き金となったもので、変革のスピードはインターネットの登場によってさらに加速する一方です。 

『ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 わたしたちの直接の祖先をクロマニョン人など後期石器時代に狩猟中心の生活をしていた人類とすれば、狩猟採集社会は数万年という単位で農業社会に移行したことになります。そして、農業社会は数千年という単位で工業社会に転換し、さらに工業社会は数百年という単位で20世紀の中頃に情報社会へ転進したわけです。それぞれの社会革命ごとに持続する期間が一桁ずつ短縮しているわけで、すでに数十年を経過した情報社会が第四の社会革命を迎えようとしていると考えることは、きわめて自然だと言えるでしょう。わたしは、その第四の社会とは人間の「心」というものが最大の価値を持つ「心の社会」であると考えます。現在は、「心の社会」に向けて進みつつある、いわば「ハート化社会」ではないでしょうか。そんな考えを、わたしは『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にまとめ、2005年9月に上梓しました。

 さて、本書『Society 5.0』の第1章「”Society 5.0″とは」の1「”Society 5.0″へのアプローチ」では、「”Society 5.0″を支える仕組み」として、以下のように書かれています。
「”Society 5.0″の基本となる仕組みは、現実の世界からデータを集め、それを計算機の中で処理し、その出力を社会で活用する、というものである。この仕組みの考え方自体は新しいものではない。身近な例で言えば、エアコンが部屋の設定室温を自動的に保っているのもそうである。エアコンは、室温を定期的に測り、エアコンの中のマイクロコンピュータが測った室温と設定室温を比較する。その比較結果に基づいて、エアコンの機能を自動的にオンにしたり、オフにしたりしながら部屋を快適な温度に保つ」

 また、”Society 5.0″で大きく異なるのは、快適にする対象が部屋1つではなく、また電力供給システムや鉄道システムだけでもなく、社会全体となることであるとして、以下のように書かれています。
「快適な社会にするためには、部屋の温度だけではなく、エネルギー、交通、医療、買い物、教育、仕事、娯楽など、生活のあらゆる面での快適さの向上が達成されなければならないだろう。実社会から集めるデータの種類と量は膨大になり、それを処理するためにはAIなどの高度な情報処理技術が必要になる。生み出された情報は、実社会を快適にするために活用されるが、エアコンや発電機や鉄道といった設備や機械を動かすだけではなく、多くの人の行動に直接働きかけるものにもなるだろう。データを収集、分析し、分析したデータを意味ある情報に変換して活用するサイクルを、社会的規模で発展的に繰り返すのが”Society 5.0″である」

 ”Society 5.0″では、このような仕組みをもって、「人間中心の社会」を実現するといいます。「『人間中心の社会』の実現に向けて」として、こう書かれています。
「エアコンの例で言えば、快適な室温に保つのが実現したいことであった。室温だけが対象であれば話は単純であるが、社会の目標として人間中心の社会を実現するとはどういうことであろうか。”Society 5.0″の説明では、人間中心の社会を『経済的発展と社会的課題の解決を両立し、人々が快適で活力に満ちた質の高い生活を送ることのできる』社会としている。実は、経済発展、社会課題解決、快適性の実現というのは、時に両立するのが難しいという認識が背景にある。難しいからこそ”Society 5.0″でその実現に挑むという意味である」

 3「知識集約型社会」では、”Society 5.0″では、「データ(Data)」「情報(Information)」「知識(Knowledge)」の3つが社会変革を駆動する動力源となるとして、こう書かれています。
「『データ』とは、一般的にフィジカルを空間(現実世界)に存在するモノや事象を記述した数値、状態、名称、またはその有無(0か1)などを指す。例えば、ある市区町村(ここではA市とする)に住む人口は、我が国の場合、A市の住民基本台帳に収められた住民票に基づき集計される。住民票に記載された各住民の性別や世帯構成、住所等はまさしくA市の『データ』であり、サイバー空間内に蓄積された第一次的な要素である」

 これに対して、「情報」とは、収集されたデータをある目的や方向性の下で選別・加工し、意味付けしたものを指すとして、こう書かれています。
「A市の人口データを年代別に集計して、直近10年間の人口推移や現在の高齢化率を算出する。また、年齢別人口に基づき人口ピラミッドのグラフを作成する。これが、A市にとっての『情報』となる。人口推移を見ると、A市が人口増加の続く成長過程にあるのか、あるいは人口減少傾向の下で衰退過程にあるのかがわかる。『情報』は、『データ』にそうした意味が付与されたものである」

 そして「知識」とは、作成された情報が経験則や前例等に基づいて理解され、分析・洞察された結果であり、積み重ねた個別解に基づいて一般化した経験則であるとして、「問題の要因を推定するのも『知識』があればこそであり、その要因を解消する解決策を考えるのも『知識』の役割である。『知識』はまた、蓄積されていく(知識が豊富になる)ことで、『情報』に基づくより的確な判断が可能となる」と書かれています。

 このように、データ、情報、知識の3つが”Society 5.0″への社会変革を駆動する動力源となるわけですが、「知識集約型社会とは」として、こう書かれています。
「『データ』が『情報』、『知識』へと変換されることによって初めて、人や社会にとってデータが有用なものとなる。従来の社会では、『データ』を『情報』『知識』へと変換する一連のプロセスが、コンピュータと人間のインターラクション(相互行為)によって進められてきたが、”Society 5.0″ではこのプロセスに人間が介さず、人間自身はAIを通じて出力される『知識』だけを最終的なアウトプットとして得る機会が増えると考えられる。

 第4章「都市のデータ化とサービスの連携」の4「幸福感の計測:IoTからIoH(Human)へ」では、「IoHとは何か? ~まずは人間を測る~」として、以下のように書かれています。
「モノではなくヒトをネットワークにつなぐIoHとは何か、すでに実施されている具体事例を示す。日立では近年、ウエアラブルセンサーを用いた人々の幸福感(ハピネス)の計測技術に取り組んでいる。幸福な人は、そうでない人に比べて、営業の生産性は37%、クリエイティビティは300%も高く、友人に恵まれ、健康で寿命までも長い、というように人の幸福感がそのパフォーマンスに大きく影響する、さらには幸福な人の多い会社の一株あたり利益率が高いという経済的な意義が報告されている」

 第5章「社会課題解決への産学協創アプローチ」の2「人生100年時代を支えるハビタット環境をつくる」では、「人生100年時代の課題:少子高齢化問題」として、以下のように書かれています。
「日本は世界一の高齢化先進国であり、2050年には、65歳以上の高齢者率が40%近くなることが予測されている。こうした、高齢者が人口の3分の1以上を占めるような超々高齢社会というのは、人生100年時代になれば、少子化現象が起きなくとも、単に、長寿化の結果としてそうなるものなので、特に、驚くべきことでもなく、嘆くべきことでもない。人生100年を誰もが活き活きと全うできるような長寿社会ならば、それは、まさに古来の人類の夢とも言えるわけで、高齢者率が高いこと自体は、むしろ喜ばしいことであると言える」

 続けて、日本の高齢化について、こう書かれています。
「問題は、増加する要介護者を、社会が支えられるかどうかである。年齢に応じた要介護者の発生比率が2010年と同様なまま今後も続くとすると、日本の要介護者1人あたりの生産年齢人口の数は、2010年では、20人で1人を支えていたものが、2030年には10人で1人、2060年には5人で1人を支えることになる。これはなかなか厳しい社会である。一方、介護保険によるサービスは拡充されてきてはいるが、要介護者の3分の2は家族が介護しているのが実情であり、24時間の在宅介護サービスが可能な地域は、まだ一部でしかない。家族介護のしんどさにともなう、老々介護、介護離職、虐待等の問題は大きい」

『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)

 「人生100年時代」は社会の問題だけでなく、個人の問題でもあります。拙著『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)にも書きましたが、現在、世の中には「終活ブーム」の風が吹き荒れています。しかし、もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。正直に言って、わたしは「終末」という言葉には違和感を覚えます。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。具体的な「人生の修め方」を実現するツールとして、『人生の修活ノート』(現代書林)も作りました。

『人生の修活ノート』(現代書林)

 ずいぶん以前から「高齢化社会」と言われ、世界各国で高齢者が増えてきています。各国政府の対策の遅れもあって、人類そのものが「老い」を持て余しているのです。特に、日本は世界一高齢化が進んでいる国とされています。しかし、この国には、高齢化が進行することを否定的にとらえたり、高齢者が多いことを恥じる風潮があるようです。それゆえ、高齢者にとって「老い」は「負い」となっているのが現状です。人は必ず老い、そして死にます。「老い」や「死」が不幸であれば、人生はそのまま不幸ということになります。これでは、はじめから負け戦に出るのと同じではないですか。そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。

 第6章「貨幣価値社会から非貨幣価値社会へ」の3「データ駆動型社会におけるキャッシュの役割」では、「2つのキャッシュレス化」として、こう書かれています。
「キャッシュ(現金)は人々の経済生活を支える最も重要なインフラである。そのキャッシュが情報通信技術やIoTの進展にともない大きく変容しつつある。その変容には2つの側面がある。第一は紙の現金のデジタル化である。紙の現金を使わない取引が増えることは『キャッシュレス化』とよばれることが多く、例えばクレジットカードやデビットカードの普及もキャッシュレス化のひとつの側面である。しかしここで考えたいのは、紙の現金がデジタルの現金――『デジタル通貨』とよばれる――に置き換えられる現象である」

 技術革新にともない非貨幣経済が急拡大しつつあります。非貨幣経済の拡大という意味でのキャッシュレス化が進展しつつあるとして、以下のように書かれています。
「例えばウィキペディアだ。ひと昔前であれば各家庭にはブリタニカの百科事典があった。百科事典は当然有料で決して安くない買い物だった。何かわからないことがあれば子供も大人も百科事典で調べるというのが普通だった。しかし今やウィキペディアがある。ウィキペディアは簡単に検索できるし、記事内容も迅速に更新され、利便性が極めて高い。しかも無料だ。昔ながらの百科事典で調べ物をする人が激減しブリタニカの経営が苦しくなるのも当然だ。百科事典をおカネを払って買うという行為は貨幣経済での経済活動だ。一方、無償のウィキペディアで調べ物をするという行為は非貨幣経済における経済活動だ。かつては貨幣経済の領域の経済活動であったものが非貨幣経済に移ったということだ」

 5「”Society 5.0″と”Human  co-becoming”」では、「近代的人間とモノの資本主義」として、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の一節が以下のように紹介されています。
「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが18世紀の曲り角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば――そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと。(渡辺一民・佐々木明訳)

 また、「人の資本主義と”Human Becoming”」として、以下のように書かれています。
「おそらく、20世紀が描いた未来社会に欠けていたのは、人間が根底的に変容するという可能性であった。それを哲学的に言い直せば、西洋の鍵概念である存在beingや所有havingではなく、生成変化becomingに基づく人間像を考えることである。人間存在”Human Being”から人間となる”Human Becoming”へ、である。資本主義capitalismの中心にある資本capitalがラテン語のcap-すなわち『頭の』『頭に関わる』『生死に関わる』に由来することを思い起こしておこう。来るべき資本主義は、人間の頭に関わる、もしくは生死に関わる重大事に向かうはずだ」

 さらに、「ケイパビリティと社会のモビリティ」として道元が取り上げられ、以下のように書かれています。
「かつて道元は、『学道用心集』(1234年)の中で、『直下承当の事』(ただちに受け取る)を論じていた。それは、仏道修行には『参師聞法』と『功夫坐禅』の2つがあり、前者は心を変化させ、後者は身体的な経験を変化させるもので、どちらが欠けてもならないというものだ。そして、『直下承当』という境地に達すると、他者のために自己を縮小させ、そこにスペースを空けて、他者をただちに受け取るのだという。ここで重要なのは、他者である。『参師聞法』がとりわけそうだが、自力の象徴に見える禅においても、自らを導いてくれる『師』が必要なのだ。このことを現代的に考えてみよう。ほとんど他人と会話もない孤立した人を念頭においてみる。日がな1日、家の中でテレビを見るばかりである。その人のケイパビリティcapability(アマルティア・センの言葉で、「現実の暮らしにおいて人々が実際に何ができるのか」を問う概念)が十分には豊かでないことはすぐにわかるだろう」

『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)

 道元に続いて、空海も登場します。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しましたが、空海は日本宗教史上最大の超天才です。「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士は、空海について「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」と述べましたが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

 その空海について、本書では「関与する知」として、以下のように書かれています。「空海の思いとは、ある人をいかにして知るのかと何か似たように、リアリティを知ることであった。それは、その人について知ること(その人について読んだり聞いたりすることから派生するもの)と混同してはならない。真にその人を知ることには、何か分かち合うインティマシー(親密さ)が含まれている。他人を知るとは、その人の世界の内側にいるということ、その人と触れ合い重なり合うということだ。そうすると、他人があなた自身の生の一部となる。他者を対象化するよりもむしろ、他者と何かを分かち合うことなのだ」

 続けて、空海の「関与する知」について以下のように書かれています。
「空海が望んだのは、すべてを知ることであった。それは、対象と距離をとった離れた知detached knowledgeだけでは届かないものであった。そうではなく、関与する知、すなわち何か内奥のものを分かち合うような、親密な知が必要だと考えたのである。そしてそれこそが、空海にとっての密教であった。今の私たちにとって大事なことは、空海であるかのように生きることだ。そのためには、空海の教えを文献学的に体系化することも少しは役立つかもしれない。あるいは、空海的なAIロボットをつくって、今日的な密教を説いてもらうこともよいかもしれない。しかし、それらはあくまでも離れた知にすぎず、それだけではわたしたちは観客のままだ。大事なことは、『他人があなた自身の生の一部となる』ような関与する知を空海とともに身につけることである。そして、これこそが生死に関わる重大事であるはずである」

 第7章「対談『知』の協創により豊かな未来社会を拓く――社会変革を牽引するイノベーションエコシステムの構築」では、東京大学の五神真総長と日立の中西宏明会長が”Society 5.0″について語り合います。「”Society 5.0″はゴールの共有である」として、五神総長が以下のように述べます。
「日本は20世紀後半の高度経済成長期に、オートメーションと品質管理技術によって高品質な製品を廉価に提供することに成功しました。ただ、規格化された大量生産品の普及は『人が物に合わせる』社会をもたらしたと言えます。この次は、生産技術のイノベーションによって、個別に生産しても高品質の物を大量生産と同等の価格で提供できるようにし、『物を人に合わせる』社会へと転換すべきです」

 続けて、五神総長は、デジタル革命がもたらす未来の社会とは、個を活かし、資源を有効活用する持続可能な社会であるとして、「個を尊重するものづくりへのシフトはその一端であり、ほかにもテーラーメイド医療、フレキシブル勤務など、物ではなく個々の人を中心に考えることが、これからの社会変革のカギになるでしょう。デジタル革命は、単なるツールの問題ではなく、社会の構造そのものを本質的に変えていくものです」と述べています。

 第8章「課題と展望」の1「幸福への課題:個と社会の調和に向けて」では、「”Society 5.0″での『人』と『幸福』」として、以下のように書かれています。
「サイバー空間とフィジカル空間(現実世界)が融合した超スマート社会。これが”Society 5.0″の姿である。AI技術やビッグデータに支えられ、社会のあり方が大きく変わる。めざすべきは、社会の持続性を妨げる根本的な諸問題が改善し、人々が人間らしく幸福に生きられる社会である。その実現の鍵となることの1つが、私たちが暮らす環境をいかに創出するかということだ。新たな都市のあり方、社会の設計が模索され、様々な学問分野が連携し、ものづくり、まちづくりに関わる最先端の技術や考察が統合される。よりよい生き方を支える生活環境や、持続可能な社会構築に必要な制度を創出していくことが、”Society 5.0″にむけての重要なステップとなる」

 では、その中で「人」はどのような立ち位置にいるのでしょうか。それについては、「ヒューマニティの向上、人間性の尊重、人間中心の社会、人に寄り添う、個人がより自由になれる、人の嗜好の多様性に応えるなど、人をめぐるキーワード、キーコンセプトが、”Society 5.0″に関する記述の中に飛び交っている。これらの言葉が示唆するのは、環境や制度を設計する際の主軸は『人』の幸せにあり、その達成に向けて社会を構築するという視座である」

 ようやく、このへんで”Society 5.0″がわが「ハートフル・ソサエティ」のビジョンと重なってきますが、さらに以下のように続きます。
「情報の自由で有効な活用、環境や制度設計の工夫とテクノロジーにより、私たちは人としての望ましいあり方を縛ってきた様々な制約から解放され、個人として必要とすること、希求することが、社会全体の持続的発展と調和したかたちで充たされる。身体的健康はもちろんのこと、日々の生活の中で、満足や生きがいを感じ、精神的にも健康であり『幸福』が得られる社会。それが『人』という軸からみた”Society 5.0″の姿だろう」

 さらに「幸福のかたち」として、こう書かれています。
「内閣府は、社会心理学や経済学などの諸分野の専門家を集め、2010年に『幸福度に関する研究会』を立ち上げ検討を行った。この研究会では、それまでの日本国内、および諸外国における学術研究の成果を検討した上で、幸福度を示す指標の選別が行われた。議論の結果は2011年12月に提出された報告書にまとめられ、ネット上で公開されている。詳細は報告書に譲るが、それによると、主観的幸福感は、年齢などの条件により異なるものの、社会の持続可能性を前提とした上で、次の3つとつながっている。1つ目は、富や所得、仕事、住環境、教育、安心や安全といった経済社会状況、2つ目は身体や精神の健康、そして、3つ目が、個人・家族のつながり、地域や社会とのつながり、ライフスタイルのあり方など関係性に関わることである」

 さらに、「より幸福な社会とは」として、こう書かれています。
「個人の幸福の達成だけではなく、全体の福利を守るためのモラル、またそれに整合した個人の行動を社会は必要とする。”Society 5.0″が幸福をもたらすためには、技術やデータだけではなく、行動の自由と制御のバランスにも着目した社会設計が必要になる。その際、人間の心の特性を踏まえた制御がなされなければ、個と社会の関係は「調和」しない。社会が個を縛る、また個が社会を欺くということになってしまえば、人間らしさが尊重された社会からはかけ離れてしまう。個人は自らの価値観にのっとり、選択の自由を行使し、幸福を追求する行動をおこなう。そのような行動が、社会の持続的発展のために要求されるモラルと整合するところに、より幸福な社会を構築する可能性が開ける」

 そして、本書の最後には以下のように書かれています。
「IT技術の応用と普及により、社会は着実に超スマート社会の方向に進化している。ただ、その端緒についたばかりのビジョンが描く通りに、『超スマート社会』が『人間中心の社会』へと進むかどうか、未だ確証はない。私たちの心の中には、IT技術やAIの進化は、ややもすると非人間的な社会になりかねないという懸念や危惧もあるだろう。”Society 5.0″では、そうした科学技術がより良い社会へと導く方向性を常に意識する姿勢と、技術開発や地域開発に携わる組織と、技術者や市民社会の構成員1人1人が持つべき『人間中心社会』への意識が、最も重要なのかもしれない」

 「おわりに」では、以下のように書かれています。
「”Society 5.0″が提唱された背景は、日本が課題先進国であることとも無関係ではない。課題先進国を課題解決先進国としていくためには、右肩上がりの高度経済成長期に創られた国、都市、地域社会の各レベルでの仕組みの見直しが必要となり、すでに実務の世界でも様々な取り組みが進む。そのような中、科学技術が先導する新しい社会の姿として提唱された”Society 5.0″は、社会課題の解決と次の経済成長の両立をめざすビジョンでもある。デジタル革命と言われるIT技術の浸透は、産業や社会の仕組みを根底から変えつつあり、この流れを正面から受けて、新しい産業の創出へとつなげていく好循環を創り出していくことが求められている。特に、VUCA(Volatility,Uncertainty Complexity,Ambiguity)という言葉に代表されるように、不確実性の高い現在、重要なのはゴールを設定し、共有することにある」

 本書で描かれる未来社会としての”Society 5.0″の姿はあくまでも「デジタル革命が拓く」未来社会ですが、わたしは冠婚葬祭互助会のようなコミュニティ産業が重要な役割を果たすのではないかと考えています。わたしは互助会のアップデートを以下のように考えています。
■互助会1.0
(昔から存在する結や講といった日本的相互扶助システム)
■互助会2.0
(戦後に横須賀で誕生し、全国で発展した冠婚葬祭互助会)
■互助会3.0
(無縁社会を乗り越えて、有縁社会を再生する互助会)
■互助会4.0
(結婚をプロデュースし、孤独死や自死をなくす互助会

『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)

 この互助会4.0の目指すところは「結婚は最高の平和である」「死は最大の平等である」というわが社の理念の実現です。「結婚をプロデュースする」とは、いわゆる「婚活」のことですが、もともと、夫婦こそは「世界で一番小さな互助会」であると言えます。また、「隣人祭り」や「グリーフケア」を通じて、孤独死や自死のない社会づくりに尽力します。これらを実現することこそわがサンレーの大きなミッションであり、ハートフル・ソサエティへの道だと信じています。わたしは”Society 5.0″のビジョンをわかりやすく説明しつつ、『ハートフル・ソサエティ』の内容をアップデートした『ハートフル・ソサエティ2020』が書きたいです!

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