No.2190 哲学・思想・科学 | 歴史・文明・文化 『人類は絶滅を逃れられるのか』 スティーブン・ピンカー、マルコム・グラッドウェル、マット・リドレー他著、藤原朝子訳(ダイヤモンド社)

2022.11.29

『人類は絶滅を逃れられるのか』スティーブン・ピンカー、マルコム・グラッドウェル、マット・リドレー他著、藤原朝子訳(ダイヤモンド社)を読みました。「知の最前線が解き明かす『明日の世界』」というサブタイトルがついています。2016年11月25日に翻訳出版された本ですが、「人類は絶滅を逃れられるのか?」をテーマに、「人類の明日」を科学・歴史・哲学すべての側面から解き明かしています。まさに、わたし好みの本ですね。

本書の帯

 本書の帯には、「緊急出版! 日米同時発売!」「世界最高峰の知性が語る〈人類の限界〉とは。」「スティーブン・ピンカー (『暴力の人類史』)」「マルコム・グラッドウェル(『ティッピング・ポイント』)」「マット・リドレー(『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』)」「人口爆発の危機、核戦争へのシナリオ、増大し続けるテロの恐怖、AIの脅威、気候変動リスク……」「繁栄か、滅亡か。」と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には、「『知』の巨人たちが明らかにする人類を待っている21世紀の未来の姿とは?」として、「第三次世界大戦は核戦争となるのか?」「遺伝子工学、人工知能においてムーアの法則は有効か?」「非国家アクターの増大は世界史を塗り替えるか?」「気候変動は有史上にない災害を引き起こすのか?」「世界的なポピュリズムへの傾倒はなぜなのか?」「低炭素社会は実現できるのか?」と書かれています。

 カバー前そでには、「『知』の大論戦が明らかにする人類の歴史の真実!」として、本書の舞台となったムンク・ディベートについて以下のように書かれています。
「……ムンク・ディベートは、カナダ屈指の公共政策イベントである。半年に1度開催され、先駆的思想家を招き、世界が直面する重要な公共政策課題について議論してもらう。ディベートは毎回トロントで一般公開で行われ、国内外のメディアにも報じられる。最近のディベート参加者にはトニー・ブレア、イアン・ブレマー、ニーアル・ファーガソン、ヘンリー・キッシンジャー、ポール・クルーグマン、ビョルン・ロンボルグ、ブレット・スティーブンズ、ローレンス・サマーズらがいる」

本書の「目次」は、以下の構成となっています。
「訳者まえがき」
「はじめに」
「登壇者紹介」
第1章 人類の歴史から導かれる明日の世界
    ――4つのシナリオ

【マルコム・グラッドウェル】
進歩が人間に牙をむく
【アラン・ド・ボトン】
人間の本質は1000年たっても変わらない
【マット・リドレー】
貧困・飢餓・疫病のリスクを人類は乗り越えてきた
【スティーブン・ピンカー】
人類の爆発的進歩は止まらない
第2章 人類は絶滅を逃れられるか
    ――世界の未来を占う論戦

第3章 悲観主義にならないための未来予測

「訳者まえがき」の冒頭を、藤原朝子氏は「人工知能、ゲノム工学、シンギュラリティ……目覚ましいテクノロジーの進歩は、これまでになくエキサイティングな未来をもたらすと、最近よく言われる。その一方で、経済格差、気候変動、難民問題は悪化しており、ポピュリズムや排外主義といった副作用を生んでいる。いったい人類の未来は明るいのか、それとも、実はピークを過ぎて絶滅に向かっているのか――」と書きだしています。

 2015年11月、そんな疑問と不安をテーマにしたディベートが、カナダで開かれました。登壇者は、カナダ生まれの認知心理学者でハーバード大学心理学教授のスティーブン・ピンカー、イギリス生まれのジャーナリストで作家のマルコム・グラッドウェル、科学ジャーナリストでイギリス貴族院議員のマット・リドレー、スイス生まれの哲学者でエッセイストのアラン・ド・ボトンの4人です。

 ピンカーとリドレーについて、藤原氏は「ピンカーとリドレーは、『人間の未来は明るいか』という論題を肯定する。いわく、データ(寿命、貧困、平和、民主主義といった指標)を見れば、人間の暮らしが豊かになっているのは明らかで、そのトレンドを支えるイノベーションも活発化する一方だ。したがってこの上昇軌道は今度も続き、人類にはさらに明るい未来が待っていると言う」と紹介。

 一方、グラッドウェルとボトンについては、「まったく視点の異なる主張を展開する。いわく、そうしたデータは、人類の未来を予測するうえで何の役にも立たない。中国やインドで10億人が貧困から脱却しても、それによって、見えない場所で、もっと大きなリスクが生じているかもしれない。それに、人類が進歩しているように見えても、それを構成する個人の幸不幸は古代ギリシャの時代から何も変わっていないと言う」と述べます。

 ディベートを仕掛けたカナダのムンク財団について、藤原氏は「世界最大の産金会社バリック・ゴールドの創業者であるピーター・ムンクが設立した財団で、2008年から半年に1度、グローバルな政策課題について、世界の第一線の識者を招いた討論会を開いてきた。この『ムンク・ディベート』は、4人の識者に議論してもらうだけでなく、聴衆がディベートの前と後でどのくらい意見を変えたかによって勝敗を決めるのも魅力の1つ。おかげで、会場のチケットが毎回すぐに売り切れてしまう人気ぶりだという」と説明するのでした。

 第1章「人類の歴史から導かれる明日の世界――4つのシナリオ」のマット・リドレー「貧困・飢餓・疫病のリスクを人類は乗り越えてきた」では、「極貧人口は世界人口の10%まっで減った」として、リドレーは「人間の生活水準は、この50年で著しく上昇してきた。いまや極貧人口は世界全体の10%にすぎません。人数はまだ多いですが、これはとてつもない進歩です」と述べ、さらに「総合的に見て、人々は昔よりも豊かになり、健康になり、ハッピーになり、賢くなり、清潔になり、ある意味でより自由になり、もっと平和で、もっと平等にさえなっています。貧困国の人々が豊かになるスピードは、富裕国の人々が豊かになるスピードを上回っているので、世界は平等になりつつあるのです。すべてが正しい方向に向かっているわけではありません。しかし多くの場合、間違った方向に向かっている物事は、正しい方向に向かっている物事よりも重要性が低い」と述べています。

 また、「20世紀は『戦争』の世紀? 『進歩』の世紀?」として、リドレーは「いいことは少しずつ起きますが、悪いことは突然起きるものです。だからテレビで報じられるのは悪いニュースばかりで、いいことはニュースにならない。でも、だからこそ20世紀は世界戦争やジェノサイドが数多く起きたのに、終わってみれば(ニュースにならない小さないいことが積み重なって)、私たちは100年前より豊かになりました」と述べます。

 スティーブン・ピンカー「人類の爆発的進歩は止まらない」では、「あらゆるデータで世界は改善されている」として、ピンカーは「人類の未来が明るいかどうかは、個人的な意見や信条や雰囲気ではなく、事実に即して判断されるべきです。データを見れば、私たちの暮らしを測る指標はすべて上向いていることがわかります。寿命は伸び、病気にかかることは減り、より金持ちになり、民主主義国に住む人の割合は高まった。(戦争のない)平和な場所で暮らしている人が増えて、人々はより賢く、教育水準も高まった」と述べています。

 第2章「人類は絶滅を逃れられるか――世界の未来を占う論戦」では、「データに基づけば人類の未来は明るい」として、ピンカーが「新聞やテレビの見出しに左右されるのもいけません。ジャーナリストは、飛行機が墜落したことは報じますが、飛行機が離陸したことは報じないものです。地球上から悪いことがすっかりなくならないかぎり、新聞やテレビは悪いニュースばかり流し続けるでしょう。私たちはそれを見て、これまで何世紀もそうだったように、世界は崩壊に向かっていると思ってしまうのです。今後世界がどうなるか見極める唯一の方法は、事実とデータに基づき、いいことと悪いことの発生率を経時的にグラフに示し、その軌道がどこに向かっているか見定め、何がその軌道に影響を与えているか探ることです」と述べます。

「ムーアの法則はゲノミクス、神経科学、人口知能にも運用される」として、ピンカーは「豊かな国ほど、環境を改善し、犯罪組織を監視し、市民を教育し、医療を提供する資金的余裕がある。教育水準が高く、女性のエンパワーメントが進んだ世界は、独裁者に支配されたり、愚かな戦争に関わりにくい。これらの進歩を後押しする技術革新は加速する一方です。現在もムーアの法則は有効であり、ゲノミクス、神経科学、人工知能、材料科学、データに基づく政策立案が急速に増えています」と指摘します。ちなみに、ムーアの法則とは、半導体最大手の米インテルの共同創業者の1人であるゴードン・ムーア氏が1965年米「Eelectronics」誌で発表した半導体技術の進歩についての経験則で「半導体回路の集積密度は1年半~2年で2倍となる」という法則です。

 SF小説に出てくるディストピア(ユートピアとは反対の暗黒の世界)は到来しないのかという問題について、ピンカーは「サイボーグの暴走やナノボットの氾濫は、おおむね空想にすぎません。おそらく2000年問題のように、大騒ぎしたわりには大した問題にならなかった『テクノパニック』と同じ運命をたどるでしょう。それでも懸念するべき深刻な問題は2つありますが、どちらも解決可能です。まず核の第三次世界大戦や、ハリウッド映画的な核テロリズムの問題。これらが起きる「予言」はされてきましたが、世界では長崎への原爆投下以来、核兵器が使用されたことはありません。冷戦は終結し、イランを含め16ヵ国が核開発を断念し、世界の核弾頭数は80%以上減りました」と述べています。

 また、「再生可能なエネルギー&低炭素社会は実現する」として、ピンカーは「もう1つの大きな懸念は気候変動です。これは人類にとって最も難しい問題かもしれません。しかし是正可能な問題だという点で、経済学者の意見は一致しています。炭素税が世界的に導入されれば、数十億人か節電に取り組み、低炭素エネルギーに切り替えるインセンティブになるでしょう。また、再生可能エネルギーや第四世代原子炉、炭素捕捉技術の開発が加速化して、そのコストは低下するでしょう」と述べ、さらには「私が思い描く輝かしい未来にも、疫病や貧困はあるでしょう。テロや圧政、戦争と暴力犯罪もあるでしょう。しかし、こうした悪いことは今よりもずっとずっと減るはずです。何十億人もの人々が、現在よりもはるかによい暮らしをしているでしょう」と述べるのでした。

「寿命は1日5時間のペースで伸びている」として、リドレーは、この50年で人間の寿命が1日5時間のペースで伸びてきたこと、誰もが最も悲惨な指標だと考える乳児死亡率は3分の2も低下したことを指摘し、「昔より悪くなったことは何でしょう。交通渋滞、肥満……いずれも豊かさに起因する問題です。奇妙なのはここです。ほとんどの改善は少しずつ起きるためニュースになりません。これに対して、自動車の衝突事故など悪いことは突然起きる傾向があります。乳幼児死亡率の改善は違います。だから、スティーブンが言うように、世界の平均的な人は年々金持ちになり、より健康に、よりハッピーに、より賢く、より清潔に、より親切に、より自由に、より安全に、より平和に……そしてより平等になっています」と述べています。

「人口爆発は決して起きない」として、リドレーは「進歩は環境を犠牲にして起きてきたのでは、と思う方がいるかもしれません。答えはノーです。むしろその反対であることが多いのです。多くの国で多くの環境指標が改善しています。森林は拡大し、野生動物は増え、大気も水もきれいになっています。環境保護活動家たちのおかげで、私たちがよく知る生物、すなわち鳥類と哺乳類の絶滅は100年前より減っています。そして富裕国ほど、環境が改善されている可能性が高い。最悪の環境問題が起きているのは貧困国です」と述べます。

 続けてリドレーは、人口について「世界の人口増加率は、私が生きている間に2%から1%に低下しました。現在、アフリカでは出生率が急落しています。世界の人口は20世紀に4倍になりましたが、21世紀には2倍にもなりそうにありません。国連は、2080年には人口の伸びは完全に頭打ちになると考えています。それは悲観的な老マルサス牧師が語った戦争や疫病や飢饉のせいではなく、豊かさと教育と健康のせいです」と述べます。ちなみに、『人口論』のマルサスは、イギリス国教会の牧師でした。

 さらに、「人々は終末論を語りたがる」として、リドレーは、1830年にトーマス・マコーリー卿が言った「いつの時代の人も、自分の代までは物事が漸進的に改善してきたことを知っている。ところが次の世代でも物事が改善するとは誰も思わないようだ。社会は転機に差しかかっているとか、もはや最高の時代は終わったという考えが絶対間違っていると証明することはできない。しかし先人たちもみな、同じようなそれらしき理由をつけて、同じことを言ってきた」という言葉を紹介し、「私たちは過去にフィルターをかけて幸せなことだけを記憶し、未来にフィルターをかけて暗い予想だけに目を向けがちです。それは今が最高の時代だという一種のナルシシズムです。自分の世代は転機が訪れる特別な存在だと思いたくて仕方がないのです。残念ながら、それはナンセンスです」と述べます。

「世界的飢餓の発生はありえない」として、リドレーは「世界的な貿易のおかげで、現在はグローバルな大飢饉が生じるおそれはほぼありません。複数の国が同時に干ばつに見舞われないかぎり、グローバルな大飢饉はありえません。貿易が発達したおかげで、1ヵ所で飢饉が起きても、その生産量の不足は国際価格の上昇に転嫁されるだけで、飢饉が起きた場所で多くの人が餓死する事態にはつながらないのです。このように貿易は世界を結びつけ、飢饉による餓死のリスクを低下させてきました。世界じゅうの人の結びつきが高まったことで、世界はより危険になったと言う人もいます。それはある領域では事実かもしれませんが、すべての領域においてではありません。人々の結びつきが高まったことで、リスクが拡散され、低下した事例は多くあります」と述べます。

「人文科学は何の役に立つのか」では、哲学者のボトンが「人間の精神の複雑性や、魂という超自然的なものの存在を認めつつ、科学者たちの仕事も高く評価することは可能なはずです。人間はもがき苦しみ続けますが、哲学や芸術などの助けを借りることができます。哲学や芸術は科学と肩を並べて存在し、完璧でなくても痛みの小さな人生を送る助けになってくれるのです」と述べます。それに対して、リドレーは「イノベーションが地球を救う」として、自説を展開しています。

 リドレーは、ジョン・スチュアート・ミルの「大多数の人が賢人とみなすのは、他人が絶望しているときに希望を抱く人ではない」「人々が希望を抱いているときに、絶望している人だ」という言葉を取り上げ、「つまりカッサンドラ(悲観論者)は賢く、ポリアンナ(楽観論者)は愚かだというのが一般的な認識なのです。しかし現実は反対であることを歴史は教えてくれます。カッサンドラはほぼ常に間違っていて、ポリアンナはもっと楽天的でもよかったくらいです」と述べます。

「なぜ人々は悲観論を好むのか」として、ピンカーは、疫学者のハンス・ロスリングが最近、人口、識字率、寿命、貧困について1000人の一般常識を問うテストをしたことを紹介します。結果は、「バナナに選択肢を書いて、動物園のチンパンジーに答えを選ばせたほうが、人間よりも正答率は高かっただろう」と、ロスリングは言いました。ピンカーは、「回答者は正しい答え(すなわち事実)を知らず、当てずっぽうに悲観的な選択肢を選んでいたからです。私が過去と現在の暴力について調査したときも、同じような結果が得られました」と述べています。

 このテストの結果を受けて、ピンカーは「みなさん方はチンパンジーよりも正しい回答ができるはずです。認識上の誤謬を治癒するのはデータであり、トレンドラインははっきりしています。平均して、人間は長生きするようになり、より金持ちになり、より安全で自由になり、より識字率が高まり、より平和な人生を送っているのです。過去のような進歩が未来も続く保証はありません。しかし世界はウォール街とは違います。ある朝目覚めたら、天然痘が流行し、奴隷の売買が行われ、麻酔なしで手術を受けなければならない世界に戻っていることはないのです」と述べます。

 そして、最近の調査によると、100年以内に現在のような生活はできなくなると考える人は、「この世の未来は暗いから、自分のことだけを考えるべきだ」という文章に同意する確率が高いことがわかったとして、ピンカーは「ご来場のみなさん、そんな風になってはいけません。たとえ客観的な指標が、世界が悪くなっていることを示していたとしても、運命に身を委ねるのは無責任です。客観的な指標が、世界がよくなっていることを示している今、運命論者になるのは、もっと無責任です」と述べるのでした。

 このディベートは、スティーブン・ピンカーとマット・リドレーが「人類は絶滅から逃れられる」という肯定派であり、マルコム・グラッドウェルとアラン・ド・ボトンが「人類は絶命から逃れられない」という否定派で、両チームの対抗戦として開催されました。ディベート前の投票では肯定派は71%、否定派は29%でしたが、ディベート前の投票では肯定派が73%、否定派が27%でした。否定派から肯定派に意見を変えた人のほうが多かったことから、このディベートの勝者はピンカーとリドレーに決定しました。しかし、第3章「悲観主義にならないための未来予測」では、ムンク・ディベート議長のラドヤード・グリフィスが「今回のディベートで最も興味深い発言をしたのは、ボトンかもしれない」と書かれています。ボトンは、人間は「ひどく欠陥のある生物」であり、世界が何らかの希望をつなぎたいなら、「もっと暴力性を抑え、もっと他人を許し、もっと教育を受け入れる」必要があると主張。

 ボトンの主張について、グリフィスは「残念ながら、世界には彼の勧告を真剣に受け入れるべき状況があまりに多い」と書き、「人間が考案した拷問方法や、戦争で命を落とした何百万人もの無名の人々、して人類の存続に必要な資源の無駄遣いを考えてみるといい。自分たちは前の世代よりも啓蒙され、人道的だと考えるのは、あらゆる世代のうぬぼれにすぎない。しかし私は、ボトンほど未来を悲観する心の準備はできていない。それには少なくとも2つの理由がある。第一に、私たちが自分と、私たちが守るべき世界には救いがあると信じるのを完全にやめてしまったら、さまざまな壁を乗り越える努力さえできなくなってしまうのではないか。第二に、人類はとてつもない破壊行為を働いてきたが、同時に、無数の人の空腹を満たし、恐ろしい病を治し、巨大な不正義を正してきた」と述べます。

 本書は2015年のディベートの記録ですが、その内容は普遍性があり、古いとは感じませんでした。本書で取り上げられた人口爆発の危機、核戦争へのシナリオ、増大し続けるテロの恐怖、AIの脅威、気候変動リスクなどは、今も現在進行形の問題だからです。白熱のディベートを制したのはスティーブン・ピンカーとマット・リドリーでしたが、わたしはもともと彼らの愛読者でした。彼らの思想の根底には人類への信頼があり、それは拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)のメッセージにも通じるものです。

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