No.2019 プロレス・格闘技・武道 『俺たちのプロレス名勝負読本』 アントニオ猪木+天龍源一郎+ビビる大木+神田伯山+テリー伊藤ほか著(宝島社)

2021.03.20

 『俺たちのプロレス名勝負読本』アントニオ猪木+天龍源一郎+ビビる大木+神田伯山+テリー伊藤ほか著(宝島社)を読みました。「人生に必要なことはすべてプロレスから学んだ」というサブタイトルがついています。「プロレス者」たちが語る、俺たちの名勝負!伝説のレスラーから作家、ミュージシャン、お笑い芸人まで34人が人生を変えた一戦、 己の世界観を変えたあの一戦を思い入れたっぶりに語り尽くした本です。

本書の帯

 カバー表紙には、フリッツ・フォン・エリックにアイアンクローをかけられそうになって必死で抵抗しているジャイアント馬場、ハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神して舌を出しているアントニオ猪木、天龍源一郎にニーパットをかますジャンボ鶴田、佐々木健介の胸板にチョップを叩きつける小橋建太、船木誠勝にスリーパーホールドを仕掛ける鈴木みのるの写真が使われ、帯には「34人の『プロレス者』が語る魂を揺さぶられた、あのシーン」と書かれ、裏表紙には猪木にアックスボンバーを見舞うホーガンの写真が使われ、帯の裏には34人が選んだ名勝負とその日付が書かれています。

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」ターザン山本
第1章 ザ・名勝負!
  ―レジェンドたちが選んだ「極私的激闘録」
アントニオ猪木
アントニオ猪木vsローラン・ボック
1978年11月25日・西ドイツ・シュトゥットガルト・ギルスベルクホール
天龍源一郎
天龍源一郎vsジャンボ鶴田
1989年6月5日・日本武道館
鈴木みのる
船木誠勝vs鈴木みのる
2010年3月21日・両国国技館
葛西純
葛西純vsMASADA
2012年8月27日・後楽園ホール
豊田真奈美
豊田真奈美vsアジャ・コング
1994年11月20日・東京ドーム
第2章 幻想を超えて
  ―”プロレス芸人”たちが語る熱狂の記憶
関根勤
ジャイアント馬場vsフリッツ・フォン・エリック
1966年12月3日・日本武道館
神田伯山
力道山vs木村政彦
1954年12月22日・蔵前国技館
東京03・豊本明長
グレート・ムタvs馳浩
1990年9月14日・広島サンプラザ
天龍源一郎vsランディ・サベージ
1990年4月13日・東京ドーム
レイザーラモンHG
三沢光晴vs秋山準
2000年2月27日・日本武道館
レイザーラモンRG
橋本真也vs馳浩
1994年12月13日・大阪府立体育会館
ビビる大木
長州力&藤波辰爾&馳浩&木戸修&飯塚孝之vs
天龍源一郎&阿修羅・原&石川敬士&冬木弘道&北原光騎
1993年2月16日・両国国技館
神奈月
髙田延彦vs武藤敬司
1995年10月9日・東京ドーム
玉袋筋太郎
髙田延彦vs北尾光司
1992年10月23日・日本武道館
テリー伊藤
力道山vsザ・デストロイヤー
1963年12月2日・東京体育館
ターザン山本
アントニオ猪木vsハルク・ホーガン
1983年6月2日・蔵前国技館
第3章 文化系プロレス論
  ―作家・音楽家たちに刺さった名勝負
サンボマスター・木内泰史
棚橋弘至vs飯伏幸太
2018年8月12日・日本武道館
ファンキー加藤
高田延彦vs武藤敬司
1995年10月9日・東京ドーム
サイプレス上野
葛西純vs伊東竜二
2009年11月20日・後楽園ホール
内館牧子
小橋建太vs佐々木健介
2005年7月18日・東京ドーム
夢枕獏
アントニオ猪木vsビル・ロビンソン
1975年12月11日・蔵前国技館
小林照幸
アントニオ猪木vs
ラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇
1983年2月7日・蔵前国技館
第4章 名勝負と秘話
  ―業界人たちが忘れられない「あの一戦」
門馬忠雄
ジャイアント馬場vsフリッツ・フォン・エリック
1966年12月3日・日本武道館
布施鋼治
フライング・フジ・ヤマダ(山田恵一)vsマーク・ロコ
1987年4月28日(現地時間)・キャットフォード・レイシャムシアター
小佐野景浩
ジャンボ鶴田vs天龍源一郎
1989年6月5日・日本武道館
斎藤文彦
カール・ゴッチvsアントニオ猪木
1972年10月4日・蔵前国技館
柴田惣一
髙田延彦vs武藤敬司
1995年10月9日・東京ドーム
金沢克彦
橋本真也vs栗栖正伸
1990年8月3日・後楽園ホール
安西伸一
長州力vs橋本真也
1991年8月10日・両国国技館
市瀬英俊
小橋建太vs三沢光晴
1997年1月20日・大阪府立体育会館
ジャン斎藤
ザ・エスペランサ―vsTAJIRI
2006年6月17日・さいたまスーパーアリーナ
堀江ガンツ
ジャンボ鶴田vs天龍源一郎
1989年6月5日・日本武道館
辻よしなり
長州力vs天龍源一郎
1993年1月4日・東京ドーム
ロッシー小川
北斗晶vs神取忍
1993年4月2日・横浜アリーナ
山本雅俊
ダイナマイト関西&福岡晶vs
 キューティー鈴木&尾崎魔弓
1992年4月3日・後楽園ホール
「プロレス名勝負 完全年表 1954-2019」  

 「はじめに」の冒頭を、ターザン山本は「プロレスにとって名勝負とは何か? それはプロレスファン1人ひとりの思い入れ、記憶、個人史に関わってくるものだ。だから基本的には他人とかぶることはないというのが大前提としてある。つまり名勝負に関しては客観的という見方、考え方はない」と述べます。また、「プロレスファンは勝者より敗者に感情移入するという特別な性格をしている。他の競技、スポーツでは勝者に光が当てられる。敗者に居場所はない」とも述べています。 

 さらに、ターザン山本は「プロレスにも勝者と敗者がいるが、どういうわけか結果的に両者はWIN-WINの構図を見せてくる。それがMAXになったとき、名勝負という称号が与えられる。問題はその1点に尽きるのだ。本当の勝者はどっちなのかわからなくなるというパラドックス。結局、すべては偶然なのだ。何も決まっていなかった。終わってみたら名勝負になっていた。その場所に居合わせたファンは幸運というしかない。いつ、何月、何日。どこで、××体育館で。この、その時、そこでという‟時空体験”がもたらす、聖なる一回性というドラマ」と述べます。 

 本書の最初に登場する名勝負は、‟燃える闘魂”アントニオ猪木が選んだ「アントニオ猪木vsローラン・ボック」。1978年11月25日、西ドイツ・シュトゥットガルトのギルスベルクホールで行われた試合です。2年前にモハメド・アリと「格闘技世界一決定戦」を闘った猪木には、世界中のプロモーターからオファーが舞い込んでいました。猪木は、「俺からすれば初手合わせは慣れたもんですから。知らない土地に行って知らない選手と闘う。もう出たとこ勝負ですよ。それはヨーロッパにかぎらずアメリカの修業時代も事前に相手の情報なんてないんだから、そこは経験ですよね。その日に相手が決まったりなんて話もちょっちゅうです。ヨーロッパ遠征もそんな感じでしたよ。会場に着いてアイツと闘うのか、聞いていた相手と違うなとかね。リングに上がって向かい合って相手をどう読み取るか。いちばん大事なのはやっぱり自分のスタミナなんですよね。俺は昔からスタミナには自信があったんですよ。どんな相手でも引っ張りさえすれば自分の試合にできる。テクニックがあろうがスタミナがなければ闘えない。スタミナがなくなったら延髄斬りをやろうにも足は上がらないわけですよね」と語っています。

 伝説の強豪ローラン・ボックについて、猪木は「ヨーロッパにはすごい選手がたくさんいたんですが、当時はカール・ゴッチさんも含めてみんなアメリカに渡ってしまった。そのなかにローラン・ボックというレスラーがヨーロッパに残っていたということですよね。プロモーターが望まないという話でいえば、あのシリーズはボック自身がプロモーターでしたから、試合も自分のやりたいようにできたのかもしれません。ひょっとしたらアメリカには期待できるレスラーはいないとボックも思っていて、日本のプロレス、まあ俺なんかに注目していたんじゃないですかね」と語ります。それにしても、ジョニー・バレンタイン、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンらと名勝負を演じた猪木が、自らの代表的名勝負にボック戦を選んだことは興味深く思います。 

 ‟ミスター・プロレス”天龍源一郎が選んだ名勝負は、「天龍源一郎vsジャンボ鶴田」。1989年6月5日に日本武道館で行われた試合です。天龍は「いつもメーンでやって、そえをビシッと締めて、誰にも負けない試合で締めくくってやろうって燃えていた。もっと面白い試合をしよう、一生懸命やらないといけないと思わせてくれたのは、(スタン・)ハンセンや(ブルーザー・)ブロディ。2人がシリーズに来ていても、俺たちの試合がメーンになった時があるんだよ。そうすると、テントの後ろやバックステージからチラッと俺たちの試合を見ていた。だから、彼たちに負けたくないっていう気持ちがことさらあったのは確かだね。とくに印象深いのは、やっぱりジャンボ鶴田との一連の試合。当時は新日本プロレスがシビアな闘いをしていて、全日本プロレスはクラシックな闘い。ジャンボの本気を引き出して、新日本にも負けない試合だったという自負があるよ」と語っています。 

 また、天龍は「ジャンボとの一連の闘いで、俺はどんどんタフになっていったよ。あの攻撃を真正面から受けるわけだから、それで置きあがらないと試合は終わっちゃうから。だから、闘っていく間に俺もどんどん鍛えられた。相撲で言えば、下っ端のヤツが番付が上の人と稽古してどんどん伸びていくのと同じような感じだよ。ジャンボからバンバンいじめられて、マジでバッタバッタ喰らったりすると、受け身とか耐える力がどんどん出てくる。それを見たジャンボが怒って、アメリカの汚い四文字熟語ばかり使っていた。俺はそんなことしないで、いつも顔を張っていたよ(笑)」と語るのでした。 

 浅草キッドの玉袋筋太郎は、「ビートルズも矢沢もこの日の武道館の興奮は超えられない!」として、「髙田延彦vs北尾光司」を名勝負に挙げます。1992年10月23日に「格闘技世界一決定戦」と銘打って日本武道館で行われ、”最強”と呼ばれた髙田が‟元横綱”の北尾をハイキック一発で倒した試合です。しかしながら、玉袋筋太郎は以下のような素晴らしい名言を吐きます。
「ベストバウト、名勝負っていうのは‟点”じゃねえ気がするんだよ。髙田vs北尾だって、新日本やSWSで北尾が不祥事を起こして、その後、まさかのUインター参戦を果たしたら、山ちゃんが完敗してしまった。そういう流れがあったうえでの武道館でのハイキックだったから、あれだけの盛り上がりになったわけだから、‟線”なんじゃねえかなって。そもそもUインターの『格闘技世界一決定戦』路線なんて、アントニオ猪木の一連の異種格闘技戦がなければ、ありえなかったわけだしね。 

 また、玉袋筋太郎は「桜庭vsホイスにしたって、安生洋二のヒクソン道場破り失敗があって(94年12月7日)、髙田vsヒクソンがあってこそ。もっとさかのぼれば、木村政彦vsエリオ・グレイシー(51年10月23日、マラカナン・スタジアム)から始まってるとも言えるし、その途中で力道山vs木村(54年12月22日、蔵前国技館)があったり、イワン・ゴメスが新日本に来てたりとか(75年)、そういう大河の流れの中で生まれたものだと思うんだよ。だからベストバウトは、その試合自体の攻防が『いい試合だった』とか、そういうことじゃねぇんじゃねぇかな。プロレスって、試合展開だけ観ても面白いけど、それじゃあ一瞬で消化されちゃうと思うんだよね。そうじゃなくて、歴史の流れを見たら、もっと面白い。NHKの『映像の世紀』じゃねぇけど、加古隆の音楽『パリは燃えているか』を流しながら、大きな流れを観たいね」と語るのでした。これは本当に名言です。玉袋筋太郎を見直しました! 

 ミュージシャンのファンキー加藤は、「あらゆるライブイベントで感じた爆発と興奮のなかで頂点」として、1995年10月9日に東京ドームで行われた「髙田延彦vs武藤敬司」を選びました。ファンキー加藤は、「僕は音楽を含めたライブイベントに参加して、最も爆発しっぱなし、興奮しっぱなしだったのが、やっぱり10・9東京ドームでの『新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争』になるんですよ。あれは95年ですから、もうすでに四半世紀たったわけですけど、あの興奮は昨日のことのように鮮明に憶えていますし、とくにメインイベントの武藤敬司vs髙田延彦の試合は、あらゆるライブイベントで感じた興奮の頂点ですね。音楽とかミュージカル、舞台……いろんなステージを観てきましたけど、あれに勝るものはいまだにないですから」と語っています。 

 そして、作家の夢枕獏は「‟リアルなファンタジー”が小説の書き方を教えてくれた」として、「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」を挙げます。夢枕獏は、「僕がアントニオ猪木vsビル・ロビンソン(1975年12月11日、蔵前国技館。新日本プロレス)を名勝負ベスト1に選んだ理由はただひとつ、この一戦が小説の作法に目覚めさせてくれた一戦だったからです。どうやって小説を書いたらいいのかを教えてくれた。もっと具体的にいうと、『ファンタジーを書くならばリアルに書け』ということです。そのきっかけをつくってくれたのは、この一戦のウイットネス(立会人)として来日していたルー・テーズでした。観戦後のインタビューでテーズは『なんてファンタスティックな試合何だろう』と語っているんでしすよ。その一言で僕は『ファンタジーはリアルな文体で書かないといけない』と悟ったんです」と語っています。

 本書には、このように各界の人々が思い入れたっぷりにプロレス名勝負を語っていますが、そこには溢れるようなプロレス愛がありました。わたしもプロレス愛に溢れている男なので、ぜひ、わたしにも名勝負ベストを選ばせていただきたかったです。自分で勝手に選ぶなら、やはり1試合というのは難しいですが、1位が「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」(1976年6月26日、日本武道館)、次点が「前田日明vsアレクサンダー・カレリン」(1999年2月11日、横浜アリーナ)ですね。異種格闘技戦、それも「世界最強の男」を決めるというロマンの前には、どんな名勝負も霞んでしまいます。

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