No.1997 グリーフケア | 死生観 『命には続きがある』 矢作直樹&一条真也著(PHP文庫)

2021.01.27

 PHP研究所から、新著の見本が送られてきました。今年2冊目の一条本となる『命には続きがある』(PHP文庫)です。東京大学名誉教授の矢作直樹氏との「命」と「死」と「葬」をめぐる対談本で、一条真也の読書館『命には続きがある』で紹介した単行本の文庫版。

命には続きがある』(PHP文庫)

カバー表紙には輝く陽光のイラストが使われ、帯には「未知なるウイルスとの共存、肉体の死そして永遠に生きる魂のこと」「文庫版だけの特別対談を収録!(序章25ページ)」と書かれています。

本書の帯

 また、カバー裏表紙には「命に終わりはない。魂は永遠に続く――」として、「臨死、体外離脱、憑依、お迎え現象……。救命医師と葬儀のプロが、見えない存在のことから人を看取り葬ることの意味まで語り尽くす異色の対話集。文庫版だけの特別対談を収録!」と書かれています。

本書の帯の裏 

 帯の裏には、「本書の内容」として、こう書かれています。
◆コロナが世界を一つにした!?
◆医療現場にある「お迎え現象」
◆葬儀の場でも起こる「不思議」
◆死者は「声」を使って接してくる
◆供養は生きている者のため
◆死を思うことは、幸福を考えること

 本書の「目次」は、以下のようになっています。
はじめに「文庫化の刊行にあたって」矢作直樹
 序章 ウイルスとともに生きていく
    コロナ騒動で問われる日本人の対応力
    正しい情報をもつことの大切さ
    新型コロナウイルスが加速させる「転換」
    コロナが世界を一つにした!?
第1部 死の不思議
    ――霊的体験の真相
第1章 死の壁を越えて
    ベストセラーの意外な反響
    霊との遭遇
    山で体験した臨死
    二度目の滑落と霊聴
    体外離脱の経験者
    憑依について
    医療現場にある「お迎え現象」
    葬儀の場でも起こる「不思議」
    カルマが天災を生んだのか
    ダライ・ラマとの対話
    童話が生まれた理由
第2章 見える世界と見えない世界をめぐって
    見えるものだけを信じる
    死者は「声」を使って接してくる
    現代人の不幸とは何か
第3章 死者=肉体を脱いだ霊魂
    死を思うことは、幸福を考えること
    人間は死者として生きている
    延命治療、だれが望んでいるのか
    迷惑が肥大化している
    先祖を思ってきた日本人
第2部 看取る――人は死と
    どう向き合ってきたか
第4章 日本人の死生観を語る
    幽霊とは「優霊」
    供養は生きている者のため
    お盆は日本人が編み出した供養のかたち
    母との交霊体験
第5章 死を受け入れるために
    死が生活の中から遠くなってしまった
    神話こそグリーフケアのルーツ
    グリーフケアとしての読書
    読書とは交霊術である
第6章 日本人の死に欠かせないもの
    宗教の役割――答えは自分の心の中にある
    天皇の有難さを語る
    愛国心と日本人のこころ
    日本には「祈る人」がいる
第3部 葬る――人は
    いかに送られるのか
第7章 葬儀という儀式に込められたもの
    母の晩年とその死が教えてくれたもの
    自分の葬儀を想像する
    團十郎の葬儀に思う
    もう一つの「シキ」とは?
    辞世の歌や句を残す習慣
    「おくりびと」の本当の意味
    問題は人が死ぬことではなく、
         どう弔うかにある
第8章 人は葬儀をするサルである
    人はなぜ葬儀をするのか
    葬儀は何のためにあるのか
    霊安室が持つ機能
    葬儀が自由でいい理由
    ブッダは葬儀を否定したのか
    フューネラル産業の未来
おわりに「前向きな死生観・生きる希望」一条真也

7年ぶりに対談した矢作直樹氏と

 今回の文庫化の目玉は、なんといっても7年ぶりの特別対談です。感染者が過去最高の534人(現在から見ると少ないですが……)になった2020年11月20日の東京で対談しました。本書の序章「ウイルスとともに生きていく」として、まとめられています。わたしは、以下のように話しました。コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。拙著『儀式論』(弘文堂)でも訴えましたが、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。

 人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか?
 それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があるのです。

対談のようす

 多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

 それから、「葬儀」の意味が見失われてきていることを力説しました。厚労省の「人口動態調査」によれば、自宅死と院内死がほぼ拮抗するのは1975(昭和50)年のことです。そのあたりを境に自宅死と院内死は逆転していきます。じつは、現在の直葬や家族葬に代表される「薄葬」化はここから始まったと見られています。この当時、子どもだった人々は現在50代ですが、自宅で祖父母が亡くなった経験を持たないために、「死」や「葬」の意味を知らない世代だと言えるのです。いずれにせよ、1975(昭和50)年からは院内死は増え続け、自宅死は減り続けて、現在では院内死が75パーセント、自宅死が10パーセント強となっています。

対談のようす

 また、医療人である矢作氏の姿を久々に拝見して「人の道」ということを思い起こしました。一条真也の新ハートフル・ブログ『コロナの時代の僕ら』で紹介した本で、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノは、最後に「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書いています。これを読んで、わたしはアンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想しました。この短い物語には2つのメッセージが込められています。

 1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第一のメッセージでしょう。では、第二のメッセージは何か。それは、少女の亡骸を弔ってあげなければならなかったということです。行き倒れの遺体を見て、そのまま通りすぎることは、人として許されません。死者を弔わなければなりません。そう、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。今回のコロナ禍は、改めてそれを示したのです。

対談を終えて

 コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も悲惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。以上のようなことを、わたしは語りました。久々に、矢作直樹氏と存分に語り合えて至福のひとときでした。

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