No.1859 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『人生に必要なことは、電流爆破が教えてくれた』 大仁田厚著(徳間書店)

2020.04.16

 このたびの「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 
 『人生に必要なことは、電流爆破が教えてくれた』大仁田厚著(徳間書店)を読みました。著者は「邪道」で知られたプロレスラーです。1957年10月25日生まれ。15歳で日本一周徒歩旅行を敢行。73年、全日本プロレスに入門。ジャイアント馬場の付き人を経て82年、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に就く。40歳で高校入学。2001年、明治大学に入学。同年、第19回参議院議員選挙比例区にて46万票で初当選。文部科学委員会理事、災害対策委員会理事を歴任。12年よりプロレス「大花火」シリーズを開始。15年「プロレス地方創生! いじめ撲滅! 」をテーマに電流爆破ツアー敢行。16年8月、本当に自分がやりたいプロレスを掲げ「ファイヤープロレス旗揚戦」から新団体スタート。17年8月、アメリカで初の電流爆破デスマッチ。同年10月「大仁田厚ファイナル後楽園ホール大会」で7年ぶり7度目の引退。18年4月、佐賀県神埼市長選挙に出馬するも惜敗。4年後の再挑戦を宣言し神埼市内に株式会社大仁田屋を設立し生活拠点を移す。18年10月、プロレスリングA‐TEAM鶴見青果市場大会において(実費弁償)ボランティアレスラーとして復活。19年4月14日でプロレスラーデビュー45周年。 

本書の帯

 本書のカバーには有刺鉄線電流爆破バットで相手を殴っている著者の写真が使われ、帯には「生き様に火薬を込めろ。」「自分の『これしかできない』を最大限にやりきるだけじゃあッ!!」「電流爆破30周年!」「故ジャイアント馬場さんも推薦!?『きっと天国から推してくれるはずじゃあッ!』」と書かれています。故人に推薦させるコピーというのもすごいですね。初めて見ました。

本書の帯の裏

 カバー裏には、リング上の有刺鉄線で傷つく著者の写真とともに「おい、大仁田、電流爆破って痛いのか? 」(ジャイアント馬場)と書かれています。帯の裏には、「嗚呼、人生、電流爆破!」「前に進むしかないんだよ! 自分に正直に生きなかったら、人生、ナンボのモンじゃあッ! 邪道と言われようとも、俺は自分の人生、真っ直ぐ生きたいだけなんじゃあッ! お前らが認めようと認めまいと、構わん! 俺の人生じゃあッ! 電流爆破じゃあーッ!」とあります。

 カバー前そでには、以下のように書かれています。
「特殊効果の専門会社がことごとく断った電流爆破の最初の爆破実験を実現したのはある放送局内の特効会社の駐車場だった。爆音の凄まじさに警備員が駆け付け、大仁田は逃げた。走りながら思いついたのがノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。『だから電流爆破はNHKで誕生したんだ』」

 カバー後そでには、以下のように書かれています。
「『馬場さん、俺と電流爆破やりませんか? 国立競技場に6万人とか7万人呼べますよ』って誘ったことがあるの。そうしたら馬場さん、『おい、大仁田、それって痛いのか?』って。まんざらでもないような感触だったから、『大丈夫です。全然動かなくていいですから。全部僕がやりますから』って説明したんだ」

 アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「あのジャイアント馬場も興味を示した日本のハードコアプロレスの金字塔、電流爆破デスマッチ! 邪道・大仁田厚が全身1500針の傷痕と共に歩んだ電流爆破との壮絶な30年を、自身の来歴と重ねて語り尽くす!」「馬場夫妻、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、長州力、蝶野正洋、武藤敬司、髙山善廣、曙、真鍋由アナ、滝沢秀明氏……大仁田と電流爆破の渦と交錯した面々との知られざるエピソード」「圧倒的な存在感と共に、プロレス界から芸能界、政界でも貫いてきた唯一無二の生き様に刮目せよ!」

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「嗚呼! 人生、電流爆破~まえがきにかえて~」原彬
第1章 炎の稲妻からの流転
第2章  FMW、電流爆破の夜明け前
第3章  長州力と「大仁田劇場」
第4章  大仁田少年、全日本プロレスへ
第5章  馬場と猪木と俺と電流爆破
第6章  政界へ、引退へ、そして復帰へ
第7章  世界に羽ばたく電流爆破
終章   こういう生き方しかできないんだよ 

 「嗚呼! 人生、電流爆破~まえがきにかえて~」の冒頭を、本書の取材・構成を担当した原彬氏が書きだしています。
「初めて『ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ』が行われたのは、1990年8月4日。場所はレール・シティ汐留。旧国鉄がJR新橋駅の海側に所有していた広大な空き地だ。旗揚げされたばかりのプロレス団体・FMWを率いる大仁田厚とターザン後藤による、この究極のデスマッチは、日本のプロレス界を大きく転換させることになる」
 当時は全日本プロレス、新日本プロレスに老舗2団体に加えて、格闘技色の強いUWFが社会的ブームを起こしていました。そうした三つ巴の1990年、東京スポーツ新聞社が制定する「プロレス大賞」では3団体を抑えてMVPは大仁田厚、ベストマッチは大仁田vs後藤のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが獲得したのでした。 

 有刺鉄線電流爆破デスマッチといえば著者の代名詞にもなっていますが、第1章「炎の稲妻からの流転」で、著者は「本当に追い詰められていなかったら、有刺鉄線電流爆破デスマッチなんてやらないって。怖いし、痛いし。当たったら皮膚がスパと切れちゃうんだからさ。だから、長州(力)なんか1回も被爆しなかったし、蝶野(正洋)なんか、防弾チョッキみたいなのを着てリングに上がったんだよ。その覚悟がないんだからさ」と語っています。 

 続けて、著者は「結局、電流爆破デスマッチって、その人の器量が試されるんだ。ボブ・サップなんか、『そんなに逃げなくでもいいだろう』ってくらいリングの外まで逃げていたからね。怖がって電流からずっと遠くに離れててさ。電流爆破デスマッチって、その選手の器が見えるんだよ。だから天龍さん、髙山(善廣)さん、AKEBONO(曙)さんなんかは、堂々と爆破されてるから尊敬できる」とも語ります。 

 それでは、電流爆破デスマッチとは対極の位置にあったといえるUWFのことを、著者はどう思っていたのか。第2章「FMW,電流爆破の夜明け前」で、こう語っています。
「UWFはプロレスの否定から入っていったけれど、俺のFMWはプロレスの肯定から入った。そこが最大の違い。ロープに振っちゃいけない、場外に出ちゃいけないとか、従来のプロレスを否定して狭めたのがUWFだったら、FMWは従来のプロレスをさらに何でもありにして広げていった。音楽にもクラシックからパンクやハードロックまであるじゃない。だったら、プロレスの中にも、もっと幅広いジャンルがあっていいだろうと。本当に何でもありだったよな」 

 UWFはあくまでもプロレスであり、いわゆるシュート(真剣勝負)ではありませんでしたが、著者が佐々木健介と対戦した1999年1月4日の東京ドームでは、橋本真也が小川直也に一方的にやられて大騒動になるシュートマッチがありました。この伝説の一戦について、第3章「長州力と『大仁田劇場』」において、著者は「あれはやっぱり、猪木さんが俺を新聞1面の話題に持っていかれたくなかったからなんじゃないかな。俺が新日に上がるだけでも、東スポとかほとんどのプロレスメディアが俺のことをトップにしてたんだから。だから、猪木さんが、あんなことやり始めたんじゃないかな、きっと。小川をスターにしたかっただけっていうか。やっぱり、猪木さんは策士だからさ。でも、たまに策士策に溺れるっていうときがあるんだよ。あのころの猪木さん、溺れてたんじゃないか。格闘技路線に行って、ことごとく溺れてたっていうか、失敗していたと思うよ。やっぱり、自分が演じ手じゃなくて、他の人間を使ってのことだったからさ」と語っています。 

 猪木が著者のことを「ゲテモノ」と呼んで毛嫌いしていることは有名です。著者は、猪木のことをどう思っているのでしょうか。自身の師匠であったジャイアント馬場と比較して、「馬場さんと猪木さんの大きな違いっていうのは、猪木さんは常にトップじゃなきゃいけなかったんだよ。メインイベントを張っていないといけない。馬場さんっていうのは、自分が引くことを知ってる。(中略)馬場さんの存在感って半端じゃないんだから」と述べ、さらには「確かに猪木さんも存在感っていうのはすごくあるうんだけど、猪木さんの場合はね……。新日本で育った人間っていうのは、やっぱり『自分がトップじゃなきゃいけない』っていうのがあって、やっぱりそういうのが強いのかな。自分が下がることを知らない。存在感で見せるだけじゃ不安なんだろうね」と語っています。

 「邪道」と呼ばれながらも、著者は「プロレスを愛している」と公言します。大4章「大仁田少年、全日本プロレスへ」では、著者は「プロレスを八百長とか言う素人たちには「いい加減にしろよ」って言いたい。おまえらなあ、ボディスラム1発食らってみろよって。完全に息詰まるぞ。全日本は、馬場さんが毎日受け身を徹底的してやらせたの。『受けることこそプロレスラーの基本だ』って。でも新日本プロレスはまったく違う。アントニオ猪木さんのやり方っていうのは、自分を強く見せることが第一だからさ、攻撃先行型なんだ。馬場さんの受け身型のプロレスって、どうしてもいろいろ言われるんだけど、プロレスは相手の技を受けないと始まらない。俺はそういうのをイチから馬場さんに教えられて、どんどん馬場さんLOVEになっていったからね。新日本プロレスと全日本プロレスの違いを見ていたら、やっぱり馬場さんっていうのはすごいなって思うよ。今でも、邪道とか言われて俺が何にもできないみたいに思われてるみたいだけど、別に普通のプロレスをやれって言われたら普通のプロレスだってやれるんだぜ。それなりの練習量はやってきてるんだから」 

 著者がその気になれば普通のプロレスだってやれたかどうかは知りませんが(苦笑)、師である馬場への愛情だけはわかります。その馬場は大変なお金持ちだったとか。第5章「馬場と猪木と俺と電流爆破」で、著者は「猪木さんがモハメド・アリとの試合後に20億だか30億だかの借金を抱えて大変なことになっているっていわれたとき、普段そういうことを言わない馬場さんがボソッと言ったんだよね。『おう、大仁田、俺はそのくらいキャッシュで払えるぞ』って。要するに猪木さんの借金の額ぐらいは現金で持っているってことだったんだ。そんなこと、馬場さんも俺にしか言わないから、みんな知らないんじゃないかな。だって、あの和田京平が『馬場さんはおまえのことが一番かわいかったんだ』って言うぐらいかわいがられていたんだからね」と告白します。本当の話なら、馬場はすごい資産家だったのですね。 

 馬場はプロレスラーになる前は巨人軍の投手でしたが、そのことに非常なプライドを持っていたそうです。「馬場を支えた元巨人軍投手のプライド」として、著者は「馬場さんて、ちゃんとした挨拶ってしないんだよ」と前置きした上で、「馬場さんとホテルのラウンジでコーヒー飲んでたら、そこに猪木さんが入ってきたことがあってね。『あれっ、猪木さんが来た』って思っていたら、猪木さんが馬場さんの前まで来て直立不動で、『馬場さん、お疲れ様です』って言うんだ。それでも馬場さん、足組んだまま『おう』って言うだけなんだもんな。しかも誰にでもそれだから。今の安倍総理のお父さん、安倍晋太郎さんが『馬場君、どうも』と来ても、『おう』だし、あの天下の高倉健が挨拶に来たときだって、『おう』で終わりなんだ。それが、去年(2019年)に亡くなった金田正一さんから、『おい、馬場、馬場~』って呼び止められたときだけは、頭下げて『先輩、お疲れさまです』って。そんな馬場さん、初めて見たよ」 

 馬場と猪木のBI砲からともにフォール勝ちしたのが、天龍源一郎です。メジャーのプロレスラーで電流爆破に上った初めてのプロレスラーであり、しかも長州や蝶野のように爆破からも逃げなかった天龍のことを、著者はリスペクトしています。しかしながら、天龍が「ミスタープロレス」と呼ばれることについては異論があるそうです。「本当のミスタープロレスはジャンボ鶴田さんだよ。鶴田さんがいなかったら、今の天龍源一郎はなかったんじゃないの? 鶴田さんってやっぱり素晴らしかったよ。技1つ教えられたら、もうその場でやっちゃうんだから。しかもすぐに自分のものにできちゃうんだ。天龍さんなんか、何回アメリカ修行に生かされたかっていう話だよ。やっぱり天才は鶴田さんなんだ」と語っています。 

 終章「こういう生き方しかできないんだよ」では、「すべては世間に対するアンチテーゼ」として、著者は「俺がプロレスを通じて見せたいのは『世間に対するアンチテーゼ』なんだ。泥臭いと言われても、感情剥き出しのプロレスで、やりたいように自分の人生を生きている人間が持つ情念を伝えたい。ネットの世界、YouTubeの世界ばかりを見て、それをリアリティだと思っているようなやつらに振り切った感情を感じてもらいたい。遠慮なく生きてやるっていう、元気が出てくるようなメッセージを発したいね。自分に枠を決めて窮屈になってるんじゃないかって人は結構いる。人生1回きりなんだから、やりたいことをやればいいんだよ」と語るのでした。
 YouTubeといえば、最近、あの滑舌の悪いことで知られる長州力がユーチューバーになったそうですが、この著者の言葉を聞かせたいものですね。

 猪木信者であるわたしもずっと著者が嫌いでした。それは今でも続いており、本書を読むのも最初はためらったほどでしたが、この著者の発言を読んで、少しだけ好きになりました。本書は、プロレスラーというより1人のアウトローの生き方の記録として面白く読みました。一条真也の読書館『男 山根 「無冠の帝王」半生記』で紹介した本を読んだ印象に近いかもしれません。それにしても、全身に1500針もの縫い傷がある日本人など、著者の他にいるのでしょうか?

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