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オリンピックと東京改造』

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No.1660


『オリンピックと東京改造』川辺謙一著(光文社新書)を読みました。「交通インフラから読み解く」というサブタイトルがついています。著者は、交通技術ライター。1970年三重県生まれ。東北大学大学院工学研究科修了後、メーカー勤務を経て独立。高度化した技術を一般向けにわかりやすく紹介しています。著書は『東京総合指令室』(交通新聞社)、『図解・首都高速の科学』『図解・新幹線運行のメカニズム』『図解・地下鉄の科学』(以上、講談社)、『東京道路奇景』、『日本の鉄道は世界で戦えるか』(以上、草思社)など多数。本書では図版も担当しています。 

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本書の帯

 

 本書の帯には、「首都高、東海道新幹線は東京五輪のために造られたのではない。」「2020年、『あの頃をもう一度』は叶わぬ夢です。」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

序章  プレイバック1964年

0-1 東京五輪

▼コラム 記録映画「東京オリンピック」の視聴方法

0-2 羽田空港→選手村

▼コラム 東京は五輪を機にきれいな街になった?

▼コラム タイムスリップ2020年

第1章 巨大都市を生んだ都市改造史

1-1 東京は未成熟な巨人?

1-2 陸上交通がいびつな都市

1-3 都市の改造史

▼コラム 東京は日本の首都なのか?

▼コラム 五輪と都市総合力ランキング

第2章 五輪とレガシー

2-1 古代五輪と近代五輪

2-2 五輪の副産物「五輪レガシー」

▼コラム 『オリンピック憲章』に記されたオリンピズム

▼ギャラリー 五輪の「負のレガシー」

▼コラム 新時代のレガシーを遺した2012年ロンドン五輪

第3章 1940年大会・幻の五輪

3-1 欲張りすぎた東京と日本

3-2 迷走した開催の準備

3-3 中断された「東京改造」

3-4 五輪と万博が遺したレガシー

▼コラム 新橋・駒沢間を鉄道で結ぶ?

第4章 1964年大会・初の五輪

4-1 初開催の東京大会

4-2 巨額を投じたインフラ整備

4-3 1964年大会が遺した「五輪レガシー」

▼コラム 首都高は五輪のために造られた?

▼コラム 東京の夜は暗かった? 

第5章 2020年大会・再起の五輪

5-1 再起をかけた五輪

5-2 大会を支える道路と宿泊施設

5-3 2020年大会が遺すレガシー

▼コラム 2020年までに変貌する街

▼コラム 日本橋と首都高

第6章 これからの東京と交通

6-1 終わらない「東京改造」と2040年問題

6-2 東京が輝き続けるためには

6-3 変幻自在に姿を変える都市

▼コラム 東京都が描くビジョン

▼コラム 民間が描く4つのシナリオ

「あとがきにかえて」

「おもな参考文献と図版出典」

 

「はじめに」では、著者は以下のように述べています。
「五輪が復活の起爆剤になることは否めない。
 実際に日本では、大きな喪失のあとの復活を目的として、五輪を3回招致した歴史がある。1964年には第二次世界大戦(東京大空襲)による戦災からの復興、2020年には東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を国内外にアピールすることを目的として五輪を招致した。戦中の1940年には、当時世界最大の都市火災と言われた関東大震災からの復興をアピールすることを目的として五輪を招致したものの、戦争の激化で中止に追い込まれた。つまり、日本は大規模な震災や戦災で多くのものを喪失するたびに五輪を活用して復活を遂げようとしてきたのだ。実際に1964年の東京五輪は、国際社会への復帰や経済成長の追い風となった」

 

「1964年の五輪はインフラ整備に『利用』された」として、著者は、1964年の東京五輪の前には、多くのインフラが整備されたことを指摘します。首都高速道路(首都高)や東海道新幹線は、その代表例です。著者は述べます。
「このとき整備されたインフラは、東京五輪を円滑に運営するための『受け皿』にもなった。たとえば日本武道館や代々木競技場、駒沢オリンピック公園などのスポーツ施設は、競技会場として利用された。首都高は、空の玄関口である羽田空港と各競技会場を結ぶ重要な会場輸送ルートとなった。大規模ホテルは、世界から集まった外国人観光客を受け入れた。つまり、インフラ整備を進める口実として、五輪が『利用』されたのだ」

 

 序章「プレイバック1964年」では、著者は1964年の東京五輪に言及し、「和やかな閉会式」として、「YouTubeのオリンピックチャンネルで、1964年以前の大会の記録映像を見るとわかるが、五輪の閉会式はあっさりと終わることがほとんどで、これほど盛り上がったことはなかった」と述べています。

 

 そのためか、NHKの実況アナウンサーは、今回の閉会式の様子を、次のように伝えましたた。
「押し寄せる拍手、そして拍手の波。オリンピック始まって以来、この東京大会のような閉会式がかつてあったでありましょうか。あの秩序正しく華麗であった開会式も素晴らしかった。だが、いま、今夜、ここに繰り広げられた、国境を忘れ、人種を忘れ、渾然と一体になって、ただ同じ人間として笑い、親しみ、別れを惜しむ人々の群れ。
 素晴らしい。ただ素晴らしいとしか言いようのない、訳もなく涙が滲んでくるような、世界の平和とは、人類の平和とはこんなものであろうと、胸が熱くなるような瞬間であります。
さようなら、お元気で。あなたも私もいつかお目にかかりましょう。そのときまでお元気で。(以上、記録映画より抜粋)」
 わたしは、これを読むだけで胸と目頭が熱くなってきます。

 

 また、「既存の鉄道を救済した都市鉄道(地下鉄)」として、著者は以下のように述べています。
「地下鉄は、首都高と同様に、都市空間を立体的に利用した交通インフラであり、基本的に街路の地下を通るので、踏切がない。それまで市街地の交通を支えてきた都電とくらべると、輸送力が大きく、駅間を長くすることで所要時間を短縮でき、既存の鉄道との相互直通運転(相互乗り入れ)もできる。それゆえ当時は、首都高とともに、東京の都市交通を改善する救世主と考えられていた。
 ところが、地下鉄の整備は容易に進まなかった。地上の交通にできるだけ影響を与えないように工事を進めた結果、時間がかかっただけでなく、莫大な建設費の捻出が難しかったからだ。これが、東京の地下鉄を2つの鉄道事業者が運営する要因になった」

 

 五輪開催のためには、交通インフラだけでなく宿泊インフラの整備も必要でした。「ユニットバス誕生の地・ホテルニューオータニ」として、著者は以下のように述べています。
「日本オリンピック委員会(JOC)と日本政府は、宿泊施設を増やすことを決め、ホテル事業者に打診した。その結果、東京五輪直前までに複数の宿泊施設が建設されたのだ。そのなかには、ホテルニューオータニのほかに、ホテルオークラ(現ホテルオークラ東京)や、東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)、東京プリンスホテルなどがある。
 ホテルニューオータニの建設は、当時としてはかなり異例なものだった。国内で前例がない超高層建築を、わずか17ヶ月の工事で完成させる必要があった」

 

 わたしも東京出張の際にホテルニューオータニはよく訪れるのですが、あの日本有数の巨大ホテルが17ヶ月の工事で作られたとは驚きです。続けて、著者は述べます。
「国内で前例がない超高層建築になったのは、高級ホテルにふさわしい外観を保ちながら、内部に多くの客室を収める必要があったからだ。ホテルニューオータニは、日本で初めて客室数が1000を超えた巨大ホテルだった。
ところが高さ制限がネックとなった。ホテルニューオータニは地上17階建てで地上高さが72mの超高層建築として計画されたが、1963年3月時点の日本の建築基準法では、地上高さ31mを超える建築物を許可していなかった。そこで、建築基準法の改正を前提に見切り発車で工事が進められた」

 

 また、「ホテル不足を補ったホテルシップと民泊」として、著者は以下のように述べています。
「1964年大会会期中は、こうしたホテル以外に、ホテルシップや民泊が用意された。ホテルを増設しても、宿泊施設が4000人分不足すると予測されたからだ。ホテルシップは、大型客船を宿泊設備として代用するものだ。大会会期中は、港湾に13隻(東京港5隻、横浜港6隻、川崎港2隻)の大型客船が停泊した。なお、ホテルシップは2020年大会会期中も用意される予定だ。
 民泊は、個人宅に外国人客を宿泊させるものだ。現在は、個人宅だけでなく、マンションの空室などを利用した民泊が解禁され、安価な簡易的宿泊施設として話題になっているが、半世紀以上前にその先駆けがあったのだ。東京五輪会期中は、229軒の個人宅にのべ5266人(1日平均310人)の外国人が宿泊した」

 

 1964年大会は、都内の上下水道を整備する契機にもなりました。「上下水道の整備による生活水準の向上」として、著者は以下のように述べます。
「上水道では、1958年ごろから毎年のように渇水が発生した。人口の急増によって水需要も増大し、上水道の処理能力が追いつかなかった。とくに1964年の大会時には『オリンピック渇水』と呼ばれる大規模な渇水が発生し、衛生状態の悪化から食中毒が発生するなど、都民の生活に多大な影響が出た。
いっぽう下水道では、1955年ごろから水質汚濁が深刻化し、河川や湖沼などで悪臭が発生した。人口の集中や産業の発展にともなって家庭や工場などから出る排水が増大し、水質が悪化したからだ」

 

 そこで東京都は、上水道を改善するため、利根川と荒川が結ぶ水路に通水するなどの導水計画や、ダムなどの水資源施設を整備しました。また、下水道を改善するため、水質がとくに劣悪な中小河川を暗渠化(水路を地下に埋設したり、上に蓋をしたりすること)するなどの対策を実施しました。なお、東京都で下水道局が新たに設けられたのは、1964年大会の2年前の1962年でした。著者は、「こうした上下水道の整備は、交通インフラの整備とくらべると地味ではあるが、都民の生活を守る社会基盤を整える上では、街路整備とともにきわめて重要なことであった」と述べています。

 

 第2章「五輪とレガシー」の2-1「古代五輪と近代五輪」では、「宗教行事として始まった古代五輪」として、以下のように書かれています。
「古代五輪は、体育と芸術の競技会で、古代ギリシャで4年に1度開催された。紀元前9世紀から紀元後4世紀まで行われ、ギリシャ人の男性のみが参加できた。後述する近代五輪とは異なり、地域や性別を限定したイベントだったのだ。

 

 続けて、著者は以下のように述べています。
「古代五輪は、もともとギリシャを中心としたヘレニズム文化圏の宗教行事として始まった。それは全能の神・ゼウスをはじめ、多くの神々を崇めるためのイベントだった。なお、ゼウスの神殿があるオリンピアは、オリンピックの語源となった。

 

 また、「国際スポーツ大会となった近代五輪」として、著者は以下のように述べます。「いっぽう近代五輪は、世界の多くの国々の選手が参加するスポーツの祭典であり、古代五輪の終焉から1500年以上経ってから始まった。近代五輪は、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提案によって実現した。彼はもともと古代ギリシャに興味があり、五輪の復活を提案した」
 このあたりは、わたしは『遊びの神話』(PHP文庫)に「オリンピック」という一章を設け、詳しく書きました。

 

 五輪のシンボルマークについて、「五つの輪は何を意味するか」として、著者は以下のように述べています。
「近代五輪のシンボルマーク(正式名称は「オリンピック・シンボル」)は、1914年にIOC設立20周年の記念式典で発表されたものであり、クーベルタン男爵が考案した。そのヒントは、古代五輪で使われた古い祭壇の紋章にある」

 

 続けて、以下のように説明されています。
「オリンピック憲章には、『オリンピック・シンボルはオリンピック・ムーブメントの活動を表すとともに5つの大陸の団結、さらにオリンピック競技大会に世界中から選手が集うことを表現している』と記されている。ここにおける5つの大陸とは、ヨーロッパ・南北アメリカ・アジア・オセアニアのことだ。オリンピック・シンボルの色も、クーベルタン男爵が考案したもので、6色で構成されている。5つの輪で使われる5色(青・黄・黒・緑・赤)と、旗の字の色である1色(白)だ。世界の国々の国旗のほとんどは、この6色があれば描けるということで選ばれた」

 

 さらに、「冬季大会とパラリンピック」として、以下のように述べられています。
「夏季大会と冬季大会は、当初は同年に行われたが、1994年のノルウェーのリレハンメル冬季大会から、冬季大会が夏季大会の2年後に開催されるようになった。
いっぽう、夏季大会とセットで語られることが多いパラリンピックは、障害者のスポーツの祭典で、IOCではなく、国際パラリンピック委員会(IPC)が主催している。その前身は、1952年に始まった国際ストーク・マンデビル競技大会であり、1964年の東京大会から『パラリンピック』という名前が公式に使われるようになった。現在のような形態となった第1回のパラリンピックは1960年のローマ大会とされている」

 

 著者は「近代五輪は、いま存続の危機にある」と訴えます。第1回のアテネ大会から120年以上の歴史を刻んだ結果、参加国や選手数は回を重ねるごとに増加し、大会の規模が大きくなっただけでなく、大会経費が徐々に膨らみ、開催できる都市が限られてきたというのです。それゆえにIOCが大会の継続に危機感を抱くようになったのだといいます。

 

 第6章「これからの東京と交通」の6-2「東京が輝き続けるためには」では、「国際競争力における『強み』と『弱み』」として、著者は以下のように述べています。
「東京は、国際競争力において『強み』と『弱み』を持っている。
大きな『強み』は、経済規模で世界一の巨大都市であることだ。1都市あたりのGDPは、東京都は約94兆円(約1兆ドル)で、2位のニューヨーク市(約0.6兆ドル)を超えて世界第1位だ。これは、世界の1国あたりのGDPのランキングにおける16位に相当する。
都市の総合力もトップレベルだ。たとえば第1章のコラムで紹介した森記念財団都市戦略研究所の「世界の都市総合力ランキング(GPCI)」の2017年版によれば、東京はロンドンやニューヨークに次いで3位だ」

 

 いっぽう大きな「弱み」は、アジアのトップ都市になりきれていないところだとして、著者は以下のように述べます。
「東京を訪れる外国人旅行者数は、ロンドンやパリ、ニューヨークに及ばず、香港やシンガポールを下回っている。東京の物流拠点である東京港は、国際コンテナ取扱量が1991年に12位、2006年には23位に下がっている。A・T・カーニーの調査(2018年)によれば、グローバル都市指標(GCI)は4位で世界トップクラスであるのに対して、将来の発展を見越したグローバル都市展望(GCO)では14位で、シンガポール(5位)に及ばず、今一歩だ。
つまり東京は、世界の他都市とくらべると、人・モノ・金の流れや受け入れで後れをとっており、GDPのように上位をキープできていないのだ。今後、アジアの新興国が力をつけていけば、東京の国際競争力はさらに低下する恐れがある。このため、国際競争力を高めることが、東京が今後も発展し続ける上で必要となる」

 

 そして、6-3「変幻自在に姿を変える都市」として、著者は「東京は、関東大震災や東京大空襲で壊滅的被害を受け、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で都市機能の維持が危ぶまれる事態に直面しても、衰退せずに復活し、五輪を3度招致し、2度開催する立場になれた。これだけの潜在能力があるならば、今後東京が直面する人口問題にも、結果的に対応できるのかもしれない」と述べます。また、東京は、「安全」や「清潔さ」、「多様なカルチャー」などの魅力を持ち、今なお国内のみならず世界から人々を惹きつけているので、「弱み」さえ克服できれば、世界の他都市の追従を許さない都市に変貌する可能性があると主張するのでした。
 本書は、データも豊富で勉強になりました。東京の「これから」を考えるのに最適な一冊であると思います。