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ぼぎわんが、来る』

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No.1640


『ぼぎわんが、来る』澤村伊智著(角川ホラー文庫)を読みました。一条真也の新ハートフル・ブログ「来る」で紹介した日本映画の原作です。第22回日本ホラー小説大賞受賞作で、全選考委員が絶賛したそうです。著者は1979年、大阪府生まれ。東京都在住。幼少時より怪談/ホラー作品に慣れ親しみ、岡本綺堂を敬愛するとか。

 カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「"あれ"が来たら、絶対に答えたり、入れたりしてはいかん――。幸せな新婚生活を送る田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。それ以降、秀樹の周囲で起こる部下の原因不明の怪我や不気味な電話などの怪異。一連の事象は亡き祖父が恐れた"ぼぎわん"という化け物の仕業なのか。愛する家族を守るため、秀樹は比嘉真琴という女性霊能者を頼るが......!? 全選考委員が大絶賛! 第22回日本ホラー小説大賞"大賞"受賞作」

 本書を読んだ最初の感想は「映画とずいぶん違うなあ」です。ホラー小説として、よく書けています。第一章「訪問者」、第二章「所有者」、第三章「部外者」という構成になっているのですが、物語の組み立て方が秀逸です。特に、第一章の完成度が高く、これだけで終わっても怪奇短編小説の名作になったと思います。
 これは正直、映画は原作に及ばないと思いました。原作のほうが、ずっと怖いです。わが愛読書に『夢想の研究』瀬戸川猛資著(創元ライブラリ)という名著があります。本と映画という2つのメディアの想像力を比較したユニークな論考なのですが、映画「来る」は小説『ぼぎわんが、来る』に完敗だと思いました。

 映画で「来る」ものは来訪神の類でしたが、原作では西洋のブギーマンに由来する明らかな魔物や妖怪、つまりは化け物です。この小説、はっきり言って、「ぼぎわん」という得体の知れない化け物の描写が一番興味深いのに、映画版ではそこがすっぽり抜け落ちています。中島哲也監督は化け物が嫌いというか、関心がないのでしょうね。本人も「人間の心の闇」に興味があると言っていましたが、そこだけ拡大して映画化したという印象です。わたしは、化け物にも、人間の心の闇にも、両方関心があるので、前者の部分がそのままカットされていることは残念でしたね。『ぼぎわんが、来る』から「来る」へ。このタイトルの変更には大きな意味がありました。そう、「ぼぎわん」は捨てられたのです。

 では、「ぼぎわん」とは何か。
 本書のP.318には、「人をさらう妖怪。それを必要とした村。老人が、子供が余っていた村。子供を産んではみたものの、減らさなければならない村人たち。そんな社会が日本のあちこちにあったのだ」と書かれています。ぼぎわんは、そんな悲しみに満ちたグリーフ・ソサエティが生み出した化け物でした。
 霊媒の比嘉真琴いわく、ぼぎわんは、人や家族の心のスキマとかミゾに入ってきます。だから、家族に対して優しくしたり、明るく楽しく接することが、ぼぎわんを寄せつけない最良の方法ということになります。

 本書の第一章「訪問者」の主人公である田原秀樹は、イクメン・パパを目指していますが、根は悪人ではなく、ただ浅はかなだけです。家族を大切に思っているのは事実で、自らの命を懸けてでも家族を守ろうとします。そのへんは妻の香奈もよく理解しているのですが、映画だと秀樹は徹底して自己チューの嫌な男として描かれています。香奈も、秀樹の家族への愛情など認めていません。これでは、あまりにも秀樹が可哀想というか、中島監督はなんでここまでデフォルメされた「ダメ男」として秀樹を描く必要があるのかなと思いました。

 もしかしたら、中島監督は「人間」そのものを信じていないのかもしれません。それは、映画「来る」の中の冠婚葬祭の描写に悪意を感じたからです。冒頭から、地方の旧家の十三回忌のシーンが登場するのですが、年忌法要を旧・有縁社会の負の産物のように醜悪に描いていました。その旧家は秀樹の実家で、彼は妻となる香奈を連れて帰るのですが、香奈は非常に窮屈で嫌な思いをします。彼らの結婚披露宴のシーンも登場しますが、これも「結婚披露宴に何かトラウマでも?」と中島監督に訊ねたくなるほどに不快指数の高い描き方をしていました。
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「サンデー毎日」2015年10月18日号


 わたしは、「冠婚葬祭とは人生を肯定すること」であると考えています。日本人の冠婚葬祭を描き続けた映画監督が小津安二郎です。わたしは、小津映画が昔から大好きで、ほぼ全作品を観ています。黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津映画のマドンナである原節子は白無垢を着たり、喪服を着たりしました。

 小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。そして、そこには「人間」への信頼というものを感じます。冠婚葬祭を醜悪に描く中島監督は、「家族」というものを肯定的にとらえておらず、ひいては「人間」を信頼していないような気がします。

 話を『ぼぎわんが、来る』に戻します。
 この小説がなんともいえない不気味さを醸し出しているのは、タイトルの「ぼぎわん」という意味不明の固有名詞の存在が大きいでしょう。本書からはじまる「比嘉姉妹シリーズ」では、「ぼぎわん」の他にも『ずうのめ人形』の「ずうのめ」、『などらぎの首』の「などらぎ」、『ししりばの家』の「ししりば」といった、得体の知れない単語を著者は駆使しますが、これによって、独特の恐怖や不安が醸成されています。この著者の言語センスは、クトゥルー神話を築き上げたラヴクラフトをも連想させます。

 本書の「解説」は、ミステリ評論家の千街晶之氏が書いています。冒頭、本書が第22回日本ホラー小説大賞を受賞したことに言及します。この賞は、1994年の第1回から2017年の第24回までのあいだ、大賞受賞作が出たのは12回です。平均すれば、2年に一度しか大賞が出ないほどのハードルが高い新人賞なわけですが、本書は予選の時点できわめて評価が高く、最終選考では全選考委員(この回は綾辻行人、貴志祐介、宮部みゆき)に絶賛され、文句なしの大賞受賞作となりました。これは、きわめて異例なことであり、本書は近年のホラー小説では飛び抜けた話題作になったわけです。

 このようなエピソードを紹介した千街氏は、さらに以下のように述べています。
「驚くべきは、これが著者にとって初めて書いた長篇、そして初めて書いたホラーであるということだ。著者の澤村伊智は、1979年、大阪府生まれ。大阪大学を卒業後、出版社に勤めるが、2012年に退職しフリーライターとなった。著者が小説を書くようになった事情は少々風変りだ――小学校時代の友人から、知り合いが趣味で書いた140枚ぐらいの小説の感想を訊かれた際、つまらなかったので貶す批評を書きかけたものの、ワンテーマで140枚も書けている時点でその書き手に水をあけられているではないかと気づき、自分でも書いてみようと思ったのがきっかけだったのだ(因みに、初めて書いた小説はOLを主人公とする純文学的な短編だったという)」

 2015年、著者は第22回日本ホラー小説大賞に応募した長編小説『ぼぎわん』(澤村電磁名義)で見事に受賞。タイトルを『ぼぎわんが、来る』と変えてデビューを果たしたわけです。千街氏は「ライターをしていたということは、文章を書くのにある程度慣れていたと推測されるとはいえ、初長編でのいきなりの受賞は異例であり、まさに大型新人と呼ぶに相応しい」と述べていますが、日本の伝奇ロマンと現代のSNSを繋げた点など、非凡な才能を感じてしまいます。
 本書の続篇となる『ずうのめ人形』で、著者の世界観や嗜好はより明らかになりますが、そこには、これまで多くの怪奇幻想小説を愛読してきた著者のホラー愛が溢れていると言えるでしょう。