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燃えつきるまで』

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No.1628


『燃えつきるまで』唯川恵著(幻冬舎文庫)を紹介します。一条真也の新ハートフル・ブログ「本と映画とグリーフケア」で紹介した上智大学グリーフケア研究所での講義で取り上げた小説です。グリーフケアの対象となる悲嘆には、大切な人との死別の他にも多くのものがあります。本書は失恋という理不尽な悲しみを真正面からとらえた小説です。著者は、1955年金沢市生まれ。金沢女子短期大学を卒業後、銀行勤務を経て作家に。2002年に「肩ごしの恋人」で第126回直木賞を受賞しています。


 本書のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「恋も仕事も順調だった31歳の怜子は、5年付き合い、結婚も考えていた耕一郎から突然別れを告げられる。失恋を受け入れられず、苦しむ怜子は、最優先してきた仕事も手に付かず、体調を崩し、精神的にも混乱する。そして、友人の『好意』から耕一郎に関するある事を知らされた怜子は...。絶望から再生までを描き、誰もが深く共感できる失恋小説」

 わたしも小説は読むほうですが、この作品は「失恋」というテーマを扱った作品としては最高傑作ではないかと思います。自分が女性で失恋経験者だったら、ボロボロに泣きながら読まずにはおれないようなリアルな小説でした。
 耕一郎に失恋した怜子は、どうしても気持ちを整理できずに、「なぜ、ダメになったのか」の理由を考え続けますが、答は見つかりません。心変わりした相手の気持ちとうのは、どうやっても思い通りにならないもの。

 そんなとき、怜子は友人の真樹子から耕一郎に新しい恋人ができたことを知らされます。その女性が自分よりもずっと年上のキャリアウーマンで、離婚歴まであることを知った怜子は冷静さを失い、彼女を尾行して耕一郎との逢引きの現場を目撃するのでした。そのときの怜子の心中を、著者は以下のように書いています。

 想像というより、妄想だ。
 怜子はそれと戦うことに疲れ果てていた。
 あの後、ふたりがどんなふうに過ごしたか。どこで食事をし、どんな会話をし、どんなふうに視線を絡め、時々くすくすと笑い合い、ほんのり酔って手をつなぎ、キスをして、ベッドに入って、セックスをする。怜子にしたと同じことを、あの女にする。囁きも吐息も、怜子をとろけさせたあの指も、今はすべてあの女のものだ。
(『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.124)

 怜子は「自分は嫉妬している」とはっきり意識しながらも、「どうしてあの女なのだろう」と疑問に思います。「年上の、仕事好きの、さほど美しくもなく、おまけに離婚歴まである」女に本当に耕一郎は惹かれているのだろうかと不思議でなりません。自分と別れてから2ヵ月足らずで別の恋人を作ったことも気に入りませんが、百歩譲ってそれは良しとしても、それならせめて自分とはまったく違う相手であって欲しかったと怜子は思うのでした。

 若くて、可愛らしくて、仕事よりも家事が好きで、趣味はケーキ作りとフラワーアレンジメント、小説は恋愛ものしか読まず、口紅はピンク系を選ぶような、ウェディングドレスはバルーンのように広がったものを好みそうな、そんな女の子であって欲しかった。それなら、ほんの少しの軽蔑を含ませて、祝ってあげることができたように思える。それが、あの女だ。
 いわば、怜子と同じカテゴリーに含まれる。言ってみれば、怜子の方が価値がないと言われたようなものではないか。あの女より劣っていると真正面から突き付けられたようなものではないか。
 その夜は、ほとんど眠れなかった。
(『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.125)

 そのうち、怜子は耕一郎が新しい恋人とバリ島へ旅行に行くことを知り、ショックを受けます。まだやり直せるのではないか、あの女と別れて自分のところへ戻ってくるのではないかという淡い期待が消えてしまった怜子は、以前の耕一郎と行った国内旅行の代金を立て替えていたことを思い出し、耕一郎に電話をかけて立替え分を返してほしいと告げます。その後、怜子はまた深く落ち込みます。

 何ていやな女なんだ。
 耕一郎はそう思ったに違いない。たとえ別れてしまっても、この世でいちばん好きな男に、この世でいちばん嫌われることになってしまった。あんな女と自分は付き合っていたのか、別れて正解だったと、耕一郎は思っているだろう。二度と顔も見たくない、思い出したくもない、そんな存在になってしまった。
(『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.159~160)

 怜子は「あんなことをするつもりじゃなかった」と激しく後悔します。本来、自分はそんなケチ臭いことをする女じゃないと思い、「そうさせたのは、みんな耕一郎のせいだ」と自分に言い聞かせます。耕一郎があんな女を自分よりもずっとずっと大切にし、自分は国内旅行だったのに、あの女とはバリになんか行くからだというわけです。しかし、いくら耕一郎を恨んでも気分は晴れません。

 憂鬱はタチの悪い風邪のように、しつこく怜子を痛めつけた。実際、体調が悪く、生理はいつもより5日も早くきたし、ちょっとしたことで腸がぐるぐるいいだし、通勤電車の吊り革に摑まりながら脂汗をかかなければならない時もあった。肌の調子も相変わらず戻らない。額のラインにできた吹出物は、いつまでもぐずぐずと赤い腫れがひかないでいた。(『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.159~160)

 怜子は乱れる心を落ち着かせるために、酒も飲みました。しかし、飲めば飲むほど、暗闇のような悲しさが身体の奥底から込み上げてきて、「私の何が悪かったの?」「あの女のどこがいいの?」という死ぬほど繰り返した自分への問いかけを、また一から始めてしまいます。少しづつ重ねた積木を自分で壊し、またひとつめから重ね始めるように、同じことを性懲りもなくやってしまいます。そんな怜子が待っているのは次の段階でした。

 思い切り泣いて、思い切り自問自答した後、気の抜けたような「もう、いいや」がやってくる。そうして強気の自分が顔を覗かせる。
 どうせなら、私から別れを宣告してやればよかった。今の自分は、耕一郎を失ったことばかりでこうなっているわけではなく、別れを切り出したのが耕一郎だったということが許せないだけだ。あんなに好きだと言っていたくせに、あんなに結婚してくれと頼んだくせに。その耕一郎にふられたという腹立たしさから派生しているのだ。自尊心の問題であって、決して未練じゃない。
 うまくいけば「耕一郎より、ずっとレベルの高い男を見つけてやるわ」と意気揚々とした気分になれる。そうなってくれれば、後は一気にベッドに潜り込む。 (『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.164)

 耕一郎と彼女が結婚するという事実を知り、怜子は理性を失います。二人に憎悪、怒り、焦りが、怜子を犯罪行為に走らせます。第三者から見れば間違った行動だろうと思えるでしょうが、当事者の気持ちもよくわかります。怜子と同じ理不尽な失恋をした読者なたなおさらでしょう。著者は、ある日突然、自分を奈落の底に突き落とした相手だけが幸せになってゆくことに対する感情をリアルに描いています。そして、以下の一文が失恋という理不尽な出来事の本質を見事にとらえていると思いました。

 たかが恋愛じゃないか、と思う。
 たかが失恋、たかが男。そんなことに我を失うほど振り回されているなんてあまりに情けない。世の中にはいろんな事件が起きている。環境問題、経済問題。いったいどれほどの子供たちが飢えで苦しんでいるだろう。平和は崩れ、テロはくり返され、戦争は終わらない。どれだけの人間が命を落としているだろう。もっと世界に目を向けるべきだ。もっと大きな目を持つべきだ。そうしたら、つまらないことに捕らわれている自分が恥ずかしくなるから。自分がいかにみみっちいことをやっているか気付くから。
 新聞もニュースも、どうでもよかった。世の中がどうなろうと関係なかった。明日、地球に隕石がぶつかるなら、勝手にそうなればいいと思った。問題は戦争でも飢饉でもない。耕一郎があの女が結婚することだ。
(『燃えつきるまで』幻冬舎文庫版P.208~209)

 著者が描き出す女性特有の怖さや執念深さの描写が本当にリアルです。いわゆるハッピーエンドではないかもしれませんが、失恋というグリーフを経験したことがある人なら、誰でも深く共感できる作品です。読み終えたとき、過去の悲しみをなつかしく思い出すとともに、現在の配偶者や恋人に対して「自分を選んでくれて、ありがとう」という感謝の念が湧いてくるような小説です。