No.1599 芸術・芸能・映画 | 評伝・自伝 『一発屋芸人列伝』 山田ルイ53世著(新潮社)

2018.09.13

 『一発屋芸人列伝』山田ルイ53世著(新潮社)を読みました。この読書館でも紹介した『芸人「幸福」論』を読んだら、もっと芸人のことが知りたくなりました。本書には、凄い芸人たちの凄い人生が詰っていました。

 著者は、本名・山田順三で、お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当です。 兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中途退学。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。現在は山梨放送「はみだし しゃべくりラジオ キックス」、文化放送Podcast「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」のパーソナリティーを務めるほか、ナレーション、コメンテーター、イベントなどでも幅広く活動中。著書『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)も版を重ねています。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞の「作品賞」を受賞しました。

   本書の帯

 本書の帯には芸人たちの名前の上に「それでも、人生は続く。」と大書され、「不器用で不屈の人間たちに捧げる、涙と笑いのノンフィクション!」「雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞」と書かれています。
 帯の裏には、以下の3人による推薦文があります。

「ブームには例外なく終わりが来る。そして、終わった後も生き続けなければならない。不器用だけれども、一歩一歩前に進んでいる一発屋芸人達。決して憐れな存在などではない。それを髭男爵の山田ルイ53世がホロ苦く教えてくれた」(東野幸治)

「ここに出てくる芸人さんたちは、当たり前だが本当は誰も終わってなどいない。むしろ皆さんに共通しているのは、見えにくいけど『今を一所懸命生きている』ということだ。 私はその姿に胸を打たれた」(ジャパネットたかた創業者 高田明)

「人の弱さを勝ち誇ったように刺すのは、もういいじゃないか。僕は最近、人はどうやって再生するのか、その人にとっての幸せは何か、ということに興味がある。この本には男爵の驚くような華麗な筆致で、弱さを抱えた人間たちの愛すべきルネッサンス(再生)が描かれている」(テリー伊藤)

   本書の帯の裏

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」
レイザーラモンHG─ 一発屋を変えた男
コウメ太夫─”出来ない”から面白い
テツ and トモ─この違和感なんでだろう
ジョイマン─「ここにいるよ」
ムーディ勝山と天津・木村─バスジャック事件
波田陽区─ 一発屋故郷へ帰る
ハローケイスケ─不遇の”0.5″発屋
とにかく明るい安村─裸の再スタート
キンタロー。─女一発屋
髭男爵─落ちこぼれのルネッサンス
「おわりに」

 本書では、世の中から「消えていった」芸人たちのその後の人生を、自らも「一発屋」を名乗る著者が追跡取材しています。この世で、「一発屋」と呼ばれるお笑い芸人ほど数奇な運命の人間もあまりいないでしょう。とにかく、その人生はアップダウンのきわみ。そんな一発屋芸人の中から、特にわたしのお気に入りたちの凄みを紹介したいと思います。なお、以下の文章は本書からの引用です。

●コウメ太夫
「彼には、芸人なら本能的、あるいは経験則に備わっている筈の常識や回避能力……”反射”がないのである。言ってみれば、指で突かれても、目を見開いたままの人間。まるで、恐怖心がないようにさえ思える。そうでなければ、『たこ焼き買ったら、1個足りませんでした……チクショー!!』
 そんな弱い武器で、舞台に上がることなど出来ない。
 少なくとも、僕には。
 失礼を承知で言えば、全てが的外れ。しかし、言い方を変えれば、『必ず的を”外せる”』ということでもある。一度『的を外すことが正解』とルール改正が行われれば、全ては正解になるのだ」

●テツ and トモ
「当時のお笑い界、特に若手芸人の世界を見渡しても、テツトモの二人は群を抜いて”ダサかった”。あの頃の若手芸人シーンは、ポップ至上主義。女子高生に『ワーキャー』言われるお洒落な格好と、スマートなネタを披露する芸人が人気を獲得していた。そんな時代に、ギター片手にジャージ姿。古いタイプの『苦節顔』。とてもじゃないが、売れる方程式に該当するスタイルではない。歌ネタの節回しも、若者らしいポップさは皆無。かといって『あえてやっているんだ!』という”戦略的な昭和回帰”でもない」

「一般的なお笑い界から隔絶された環境で、のびのびと”閉鎖的に”笑いに取り組んだ結果、その芸は、独自の進化を遂げた。謂わば、芸風のガラパゴス化。ガラケー(携帯)が失った競争力も、ガラゲー(芸)ならむしろ倍増。テツトモは、『井の中』とも言える環境で、蛙ではなく、イグアナになったのである」

●波田陽区
「そもそも、彼の”毒”は、その成り立ち、前提条件からして違っていた。かつて、事務所の先輩ふかわりょうは、『負け犬みたいな奴が芸能界の外からギャンギャン吠えているから面白かったけど、それが芸能界の内側に入ると、「身内を斬る」ことになってしまう』と分析したそうだが、言い得て妙である」

「遠く離れた外野席から、不意に響き渡る無責任な罵声……”負け犬の遠吠え”だからこそ、人は皆許容し思わず笑ってしまう。しかし、金と名声を手に入れ、”芸能人”の仲間入りを果たした波田の毒舌は、その拠り所を失った。(中略)皮肉にも、ギター侍は、売れていない方が面白いという構造的問題を孕んでいたのである」

●キンタロー。
「顔のデカさは長年彼女のコンプレックスだったが、お笑いの世界では強力な武器。とんねるず・石橋貴明にも、『君のその体型は宝だ!』と太鼓判を押された。目測四頭身のアンバランスな体型が醸し出すマスコット感、ギャグ漫画感は唯一無二。そこに佇むだけで既に面白く、笑いを誘う。もう1つは、過剰にキレのある動き。日本トップレベルの社交ダンスの実力に裏打ちされた彼女の動きは、男性芸人の”ギャガ―”に匹敵すると言っていい。
 最後に、忘れてはならないのが、モノマネ芸、それ自体の精度の高さ。ブレイク前、徐々に披露していた光浦靖子のモノマネなどは、『滅茶苦茶似てる。凄い子が出てきた!』との称賛の声が、筆者の周りでも多数聞かれた。
 面白体型の人間が、キレのある動きで、そっくりのモノマネをする……出世作、『元AKB・前田敦子のモノマネ』はキンタローの”強み”が全て詰まった真骨頂。売れないわけがない」

 「おわりに」の最後には、著者は次のように書いています。

「記憶の玩具箱、そこに詰め込まれた一発屋達を、『消えた』、『死んだ』と捨て去る前に、もう一度、目次のページを眺めて欲しい。(中略)ズラリと並んだ芸人達の名が諸君の目に未だ、戦没者リスト、あるいは、墓標のように映るのであれば、それは筆者の力不足。潔く認め、降参しよう。しかし、もしそうでないのなら……グラスを酒で満たし、祝杯を挙げさせて頂く。手前味噌で申し訳ないが、勿論、乾杯の発声は、『ルネッサーンス!!!』
 フランス語で『再生』と『復活』を意味する言葉である。
 掲げられた杯は、彼ら一発屋の復活の狼煙、再生の幕開けとなるだろう」

 本書を通読して、わたしは、「一発屋」と呼ばれる芸人たちの”いま”が、ブレイクした”あの時”より面白かったりすることに、ちょっと感動しました。
 どうしようもなく不器用な人間たちの生き様が描かれた本書を読めば、「生きる」ことへの勇気が得られるように思います。サンレー本社の近くには「チャチャタウン小倉」というシネコンなどが入った商業施設があるのですが、そのイベント広場には、ときどき一発屋芸人が営業で来ています。今度からは、映画鑑賞の前後に彼らの生き様を見てみたいと思います。

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