No.1508 人生・仕事 | 心理・自己啓発 『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎著(岩波文庫)

2017.11.18

  いま大きな話題となっている『君たちはどう生きるか』吉野源三郎著(岩波文庫)を再読しました。ちょうど80年前に出版された小説ですが、今年の8月に漫画化され、不況に喘ぐ出版界の中で異例の大ヒットとなっています。また、宮崎駿監督の新作タイトルが「君たちはどう生きるか」になることが発表され、注目されています。

 著者の吉野源三郎は岩波新書の発刊にたずさわったり、「世界」の初代編集長を務めた人ですが、1937年に少年少女向けに『君たちはどう生きるか』を書きました。当初は「日本小国民文庫」の一冊として出版されましたが、現在では岩波文庫に入っています。多くの日本人が愛読した大変なベストセラーであり、今でも読まれているロングセラーです。

 本書のカバー表紙には以下のように書かれています。

「著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。著者の没後追悼の意をこめて書かれた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)を付載」

 わたしは『法則の法則』(三五館)の中で、『君たちはどう生きるか』を詳しく紹介しました。『君たちはどう生きるか』は、題名通り「人生いかに生きるべきか」と青少年に問う感動的な内容ですが、じつはこの本、自然法則から人生法則まで、ありとあらゆる「法則」へのまなざしに満ちた法則本なのです。

 主人公は「コペル君」というあだ名で呼ばれる中学2年生の少年です。もちろん、そのあだ名は、天動説に対して地動説を主張したコペルニクスに由来しています。このコペル君の個人的な体験を素材に、「おじさんのノート」というかたちで、読者に社会に対する認識の仕方や倫理観などを語りかける内容です。なんと、図解入りでニュートンが発見した「万有引力の法則」についてもわかりやすく解説されています。

 さて、コペル君は銀座のデパートの屋上から地上の人々の動きを眺めながら、身ぶるいしたことがあります。そして、「びっしりと大地を埋めつくしてつづいている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている!」と思います。それは、当たり前のことでありながら、あらためて思いかえすと、コペル君は恐ろしいような気がするのでした。コペル君の下に、しかもコペル君の見えないところに、コペル君の知らない無数の人々が生きているのです。そして、彼らは何かをしているのです。その不思議さを、コペル君はデパートの屋上で思い知ったのです。

 その後、コペル君は1つの発見をします。自分が赤ちゃんの頃に飲んでいた「オーストラリア製」と印された粉ミルクの缶を手にして、コペル君は牛の世話をした現地の牧場の人をはじめ、いかに多くの人々の営みが関係しているかを実感します。コペル君は次のように思います。

「僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました」

 それからコペル君は、電灯、時計、机、畳といった部屋の中にあるものを次から次に考えてみます。すると、どれもがオーストラリアの缶ミルクと同じで、とても数えきれないほど大勢の人間が、後ろにつながっていることに気づきます。あたかもそれは、一人ひとりの人間が分子として存在し、しかも、相互に編み目のように結びつきあっているようでした。かくして、コペル君はそれを「人間分子の関係、編み目の法則」と名づけるのです。大発見をおじさんに手紙で伝えたコペル君は、「人間分子の関係、編み目の法則」よりももっと良い名があったら教えてほしいと書き添えます。それに対して、おじさんは、「人間分子の関係、編み目の法則」とは、経済学や社会学でいう「生産関係」と同じであることを示すのです。

 岩波文庫版の巻末には、「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想~吉野さんの霊にささげる」という丸山真男の小文が掲載されています。丸山真男といえば岩波文化人の代表とも呼ばれた有名な政治学者であり、もっともマルクス主義を理解している日本人の一人とされた人物です。
 コペル君が缶ミルクから「人間分子の関係、編み目の法則」を発見し、おじさんがその足りないところを補いながら、それを「生産関係」の説明にまで持ってゆくところに読み進んで、丸山真男は思わず唸ったそうです。そして、「これはまさしく『資本論入門』ではないか」と思ったといいます。丸山真男は、『君たちはどう生きるか』を読んだとき、すでに東大生であり、『資本論』についてのそれなりの知識を持っていました。おそらく、その理解の深さは相当なレベルであったでしょう。

 その丸山真男をして、中学生の懸命の発見を出発点として「商品生産の法則」へと読者を導いてゆく筆致の鮮やかさに唖然としたというのです。そう、この本はマルクス主義入門、すなわち共産主義でもあるのです。現代日本に突如として80年前の小説である『君たちはどう生きるか』が注目された秘密がここにあります。「社会の右傾化」とか「左翼の逆襲」とか野暮なことは言いたくありませんが、謎のベストセラーが誕生するには必ず秘密があります。それもまた「法則」ではないでしょうか。いずれにせよ、マルクスやエンゲルスが追求した「法則」について知りたい方は、『資本論』にチャレンジする前に、ぜひ『君たちはどう生きるか』を読まれることをおすすめします。

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