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怪奇探偵の実録事件ファイル2』

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No.1446

 

 『怪奇探偵の実録事件ファイル2』小池壮彦著(扶桑社)を読了。

 この読書館で紹介した『幽霊は足あとを残す』(1999年3月刊行)のサブタイトルが「怪奇探偵の実録事件ファイル」でした。本書はその続編で、2000年7月に刊行されています。前作同様に、怪談好きにはたまらない内容となっています。そして、本書には怪談好きの頭に必ず浮かぶであろう疑問の答えが書かれています。著者はわたしと同じ1963年生まれで、日本を代表する怪談研究家として知られています。東京都新宿区の出身で、國學院大学文学部文学科を卒業しています。

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「まえがき」

第一章 怪奇探偵、怪奇事件の謎に挑む

謎の人骨火葬事件は七人坊主の祟りか?

伊豆半島最後の秘境「しらぬたの池」の怪異

「午前二時の花嫁」の謎は解けるか?

第二章 怪奇探偵、幽霊伝説を追う

東京タワーの下には女の死体が埋まっている?

少年霊が事故をいざなう「じゅんいち君道路」の謎

忘れられた祟りの現場、池袋「四面塔」

巨大観音に込められた昭和の祈り

第三章 怪奇探偵、身近な不思議を問う

幽霊はなぜタクシーの座席を濡らすのか?

誰もいない部屋で笑う赤ん坊は幽霊にあやされているのか?

幽霊を科学的に説明できるか?

「あとがき」

 「まえがき」の冒頭で、著者は東京の浅草の路地に、洗っても消えないシミが長らく残っていたことを紹介します。子どもたちは夕方になると、その路地を避けて通ったそうです。「あそこは怖いよ、ユーレイが出るよ・・・」と言いながら。著者は、その路地には恐ろしい記憶がひそむのだということは子どもたちは直観で悟っていたのだろうと推測します。それは、終戦の年の3月に下町の大空襲があったとき、多くの人々が焼かれた場所でした。焼いたバナナのような死体は、脂肪が溶けきって、外の歩道にまで流れました。それが戦後10年以上たっても、消えないシミとして路地に残ったのです。

 このようなシミの話題の後で、著者は以下のように述べています。

 

「いま私たちの生活の中に、そのような"シミ"は、ほとんどない。あってもすぐに消されてしまい、何事もなかったかのようにふるまうのが常である。だから子供たちも、見えないものを見る取っかかりを失い、直観を働かせることができなくなった。そういう傾向が急速に強まったのは、元号が平成になってからである。なぜその時期から強まったのかという理由は、いろいろあって一口には言えない。

 しいて言うなら、死にまつわるむごい話や、むごい写真や、事件にかかわる人の顔や、名前などについて、言ってはいけない、書いてはいけない、見せてはいけない、などの禁止事項が、平成になって増えた。怨念のやり場を設けず、むしろそれを封じることに神経質になり、現実を直視しない姿勢を、昭和時代よりも強くする方向で、私たちはこの10年ほどを過ごしてきた。その結果、生活の中から、どんどん"シミ"が消されていった」

 続けて、シミが消されていった社会について、著者は述べます。

 

「そのほうがいいだろうということで、そうしてきたのは間違いない。しかし、ふりかえってみて、世の中が暮らしよくなったかと言えば、なっていない。むしろ、悪くなったように感じる局面が多いことは、もう誰の目にも明らかだろう。やはり生活の中に、いくぶんかの汚れはあったほうが、私たちの暮らしはバランスを保てることがわかった。

 だから私は、私なりのやり方で、"シミ"を見つけては突っつくことにした。そしてできたのが、『幽霊は足あとを残す』という本だった。その中では、個人的な心霊体験が社会性を持つに至るプロセスや、その逆に、社会的な事件となった怪談が、そもそもいかなる個人の体験に基づいていたかなどを、戦後史という枠組みに重ねて検証した」

 第一章「怪奇探偵、回帰事件の謎に挑む」の「『午前二時の花嫁』の謎は解けるか?」では、東京都杉並区東荻町にあった学生寮に毎晩、午前2時になると花嫁姿の幽霊が出るという噂が取り上げられます。著者は幽霊屋敷の問題を考える上で「シックハウス症候群」に注目し、次のように述べます。

 

「シックハウス症候群が、日本で話題になったのは、1990年代になってからのことである。だが、その名が広く知られるようになったのは、近年のことであろう。不定愁訴というのも、変な言葉だが、要するになんだかわからないけれども気分が悪くなるという、漠然とした不快感を、もともとそう呼んでいた」

 続けて、著者は「不定愁訴」の具体例について以下のように紹介します。

 

「たとえば、新築の家に住むようになった家族が、なんだか不仲になったという話がある。母親は、頭痛がすると言ってはイライラし、父親はそれを見てうんざりする。

 『この家には何かいるよ・・・・・・変だよ・・・・・・』

と言って娘は涙をポロポロこぼし、しだいに家庭が崩壊していく。

 父親には感じないものを、妻子は感じているように思える。

 そこへ霊能者が来て、『ものすごい霊気じゃ』と言い、やはり頭痛を訴える。昔ならここで除霊の儀式ということになるのだが、その程度の霊のしわざなら、いまやすべてが不愁訴の4文字でかたづけられるようになった。父親が症状を訴えないのは、女性に比べて霊感が弱いからではなくて、家にいる時間が少ないからである」

 また「家具の正体」として、アンティークの椅子が買ったときとは異なる形に変容する話が紹介されています。椅子の背もたれが太くなり、椅子全体のバランスが崩れていく。そして、椅子の中からは無気味な音がする。このような怪奇現象について、著者は相談者と以下のような会話を交わします。

「椅子が太る・・・・・・。なぜそんな現象が?」

「虫です。虫の卵が木の中に入りこんでいることがあって、そのまま家具が組み立てられてしまうこともあるそうです。卵の殻が中身を保護して、防腐剤にも負けないんですね。それで、周辺の防腐剤の作用がなくなったときに、タイミングよく孵化する」

「すごい話だね」

「虫は、木の中で成虫になるまで過ごし、やがて内側から木を叩く。外に出ようとして。これは、実際にあったことなんですよ」
  
 第二章「怪奇探偵、幽霊伝説を追う」の「東京タワーの下には女の死体が埋まっている?」では、著者は「乱舞する都市伝説」として、東京タワーの怪談について以下のように述べます。

 

「東京タワーにまつわる怪談めいた噂は、ずいぶん息長く語り継がれてきた。いわく、東京タワーはよく見ると傾いている。またいわく、蝋人形館に幽霊が出る・・・・・・。さらに、東京タワーは台風に弱い、という噂もかつては流布していた。風速70メートルでタワーは曲がり、90メートルで折れる。そんな噂が、昭和40年代には、それなりのリアリティをもって語られていた。世間もそれを信じていた節がある」

 東京タワーの怪談に関しては、著者は「最新の建築技術が生んだ怪談」として、以下のように述べています。

 

「東京タワーの敷地は、創立者の前田久吉が、土地の所有者である『増上寺』から買収したものだった。戦後の荒廃した世の中にあっては、悪質な土地ブローカーや詐欺師の横行が悩みの種で、前田の苦労は並大抵ではなかったという。最終的に土地の買収がうまくいったのは、増上寺の檀家総代に前田と親しい政財界の有力者がいたからだったが、東京タワーの工事は、末端の関係者までの十分な理解を得られないまま始められた」

 続けて、著者は東京タワーの工事秘話を紹介します。

 

「もっとも、どんなプロジェクトでも、すべての人々に100パーセントの理解などが得られるものではない。どこかで妥協案を模索するしかなく、現に『心光院』の住職は、タワーの建設に必要以上の抵抗はしなかった。が、注目されるのは、最後までこのプロジェクトに反対だった檀家の一部が、怪談を立ち上げるという形で、その意思を表明したことである。工事現場のロープを伝って、人魂が鉄塔を這い上り、泣きながら墓場に戻ってくる・・・・・・。工事が始まってからすぐに、そんな噂が広まった。これが東京タワーの怪談のルーツである」

 著者は、「首を吊った女の死体までが・・・・・・」として、東京タワーの怪談について以下のように述べます。

 

「実は、東京タワーの下には、ある女の死体が埋められているという噂が、やはりタワー建設当時に流布していたというのである。その女は、明治時代に地元の料亭に勤めていたという。時の政府高官に凌辱されたのを苦にして首つり自殺した女。明治の地元の料亭で、政府高官が出入りしていたと言えば、『紅葉館』が思い浮かぶ。つまりこれは、東京タワーの噂というより、明治時代に『紅葉館』で自殺した女の死体が、ひそかに敷地内に埋められたという秘話の趣がある。この"お竹如来"の縁起というのは、そもそも江戸時代末期に爆発的なブームとなった一種の都市伝説である。江戸の大伝馬町に住む佐久間という家に奉公していたお竹という下女が、ある日、突然身体から光明を放ったかと思うと、大日如来と化した」

 続けて、著者はこの奇跡について以下のように述べています。

 

「なぜそのような奇跡が起きたかというと、お竹は日ごろからよく働く一方で、自分の食事を貧しい者たちや犬猫などに与え、自らは残飯の残りカスを食べて、つつましく過ごしていたからだという。その功徳によって、ついに生きながら大日如来になったというのである。このお竹の奇跡は、事実あったこととして伝わり、江戸中の人々を驚愕させた。そして、"お竹ブーム"に火がついた。その熱狂ぶりは、お竹を描いた当時の浮世絵や芝居などへの取り上げられ方に一目瞭然である。お竹の墓は、北区の『善徳寺』にあり、遺品は『心光院』に保存されている。彼女は実在したのである。信じようと信じまいと」

 そして、東京タワー怪談レポートの最後に、著者は述べるのでした。

 

「一説に、当初東京タワーでは、心光院と組んで"お竹大日如来"を大々的に宣伝し、信仰の面からも集客に努めようという計画があったという。それに反対する勢力が流した噂が、"お竹の死体"の話ではないかという見方もあったらしい。情報戦に怪談が使われるというのは、いまふりかえると、この時代の特徴だったとも言える。東京タワーの怪談を追って、最後に行き着いたのは、江戸の"お竹信仰"と明治の"紅葉館伝説"であった」

 第三章「怪奇探偵、身近な不思議を問う」の「幽霊はなぜタクシーの座席を濡らすのか?」では、都市における古典的な怪談ともいえる「幽霊タクシー」についての考察がなされます。著者は以下のように述べます。

 

「人が死者を思い出すとき、幽霊は実在感を発散する。すると幽霊が車の座席を濡らすのは、『失禁』を例外とするなら、死者が濡れていたことも合わせて思い出された結果であろう。車の座席を濡らす幽霊が、いまもしぶとく現役を続けているのは、海沿いの国道であった。水難の犠牲者が濡れているのは当然だから、幽霊が濡れる理由もとりたてて重視されない。いわば暗黙の了解事項なわけだが、そのヴァリエーションが噂となって、海から遠い都会に伝播したとき、幽霊が濡れる理由がわからなくなった」

 「タクシー怪談の戦前と戦後」として、著者は以下のように述べます。

 

「戦前のタクシー怪談において、車に乗る幽霊が座席を濡らすという話型は、まだ確立していなかった。そこで戦後の早い時期の資料を調べてみると、昭和23年(1948年)8月13日に、別府温泉でタクシーにまつわる幽霊事件が起きている。これは同年8月17日付の『長崎日日新聞』が速報したのだが、内容は円タク時代の怪談と同じである。金は家人に払わせると言って消えた女は、病院で腹部切開手術をした経過が思わしくなく、死亡していた。この幽霊も雨の中をタクシーに乗ったのに、座席を濡らしていない」

 

 続けて、著者はタクシー怪談について以下のように述べます。

 

「車に乗る幽霊が、あたりまえのように座席を濡らすようになったのは、いったいいつなのか? 松谷みよ子氏は『現代民話考』の中で、死者と水の縁が深いことを踏まえた上で、『もしかして人は、はるかな生まれる前の記憶から、座席はびっしょり濡れていたと語るのではなかろうか』と述べている。しかし、その松谷氏が蒐集した資料を眺めると、やはり戦前の幽霊は濡れていないことがわかる。幽霊が座席を濡らすようになるのは、昭和30年代ごろからだ。そのころの怪談は、幽霊が濡れた理由をきちんと説明するのが常道だった。伊勢湾台風や羽越大水害といった惨事の記憶とともに、座席を濡らす幽霊の話が語られていたのである。そうした話のディテールが、いいかげんになってきて、理由もなく幽霊が濡れるようになったのは、昭和40年代後半ごろからのようである」

 

 著者は、1冊の都市伝説に関する本を取り上げます。

  ジャン・ハロルド・ブルンヴァン著『消えるヒッチハイカー』という本です。

 アメリカの都市伝説を集めた同書には、幽霊が車に乗った証拠として何か品物を残していくというタイプの話が、すでに戦前には確立してことが紹介されています。著者は、「『消えるヒッチハイカー』という本が明らかにしたのは、アメリカのタクシー怪談において座席が濡れる話というのは主流ではないということだった。これはやはり、かなりの程度、戦後の日本で独自に成立した話型と考えられる」と述べています。

 続けて、著者は日本におけるタクシー怪談について述べます。

 

「私が知るかぎりで言うと、『濡れる幽霊のタクシー怪談』が決定的なリアリティを帯びたのは、昭和29年(1954年)に、青函連絡船『洞爺丸』が海の藻屑と化したときである。『日本版タイタニック』と言われた洞爺丸の悲劇は、昭和29年(1954年)9月26日に起きた。津軽海峡を襲った台風15号の猛威が、1175人の命とともに、青函連絡船を転覆させた大惨事であった。日本の船が沈没して1000人以上の死者を出した例は、戦時中に米軍の攻撃により撃沈させられた学童疎開船『対馬丸』や、日本郵船『阿波丸』などの悲劇があるが、平時としては洞爺丸のケースは空前絶後の海難事故であった。このときに、犠牲者の遺体が多く打ち上げられた函館の七重浜では、車に乗っては座席を濡らす幽霊が頻繁に出現した」

 「誰もいない部屋で笑う赤ん坊は幽霊にあやされているのか?」では、「幽霊に手をふる赤ちゃん」として、著者は以下のように述べています。

 

「赤ん坊が、奇妙なしぐさをする。と言ってもピンと来ないかもしれないが、まるでこの世のものではない何ものかに、あやされているような、そんなしぐさをすることがある。

 試しに人をつかまえてはその話をしてみると、

『そういえば、うちの赤ん坊も、確かにそっぽを向いて、驚いたような顔をする。あたかもそこに、何かがいるみたいだと言われれば、そんな感じだね』 と誰もが言う。実際に赤ん坊を見ていると、誰もいない方向をじっと見つめていたり、誰かにくすぐられでもしたかのように、身をよじらせて笑っていることがある」

 著者は、幼い頃、多くの子どもがそうであるように、夢の延長線上で生活していたそうです。小学校2年生ぐらいまで、自分の意志によらない何ものかの意志によって、日常生活を送っていたそうです。わけもなく学校の備品を壊したり、人に迷惑がかかるようなことをしてしまうことも多々あったとか。なぜ、小池少年はそんなことをしたのか? 

 その理由を、大人になった著者自身が以下のように述べます。

 

「真相は、夢に出てきた見知らぬ女の子が、学校に行くといるのである。その子は『ククッ』と笑って顔を寄せてきて、『ガラス、割っちゃいな』とささやく。ぼくはその子が好きだったから、命令に従った、などという説明で、教師が納得したとは思われない。 やがて私は、その子の要求を拒否することを覚えた。彼女の顔は醜く変貌し、2度と姿を現さなくなった。女の子が最後に見せた顔が、あまりにも恐ろしくて、私は泣いた。その後に苦痛に耐えて、私はしだいに社会性を獲得していった」

 この著者の思い出は、ちょっとゾッとする話です。

 わたしは、オムニバス怪奇映画の名作「世にも怪奇な物語」に登場する手毬を持った死神の少女を連想しました。著者は述べます。

 

「いつまでも幽霊を見つづけていてはだめなのである。大人になっても霊感が強いようでは見込みがない。だから社会性の獲得を自ずと拒否する天才詩人は、おおむね若くして他界した。天才でもないのに大人になれない人間は、たぶん小説を書こうと企てる。しかしそれにも挫折した場合、他人を恨み、社会を否定し、くだらないメッセージを残して人を殺すはめになる。失うべきものを失わず、得るべきものを得なかった結果、『またしてもこんな異常者がおりました』とだけ犯罪史に記録されることになる。

 そういう前提があればこそ、子供だけが幽霊を見ておびえるというタイプの怪談も成り立つ。つまり、私たちがしっかりとした大人であればあるほど、目前にたたずむ幽霊の姿は視界に映らない。しかしそれが確実に目の前にいるならば、これは恐怖であろう」

 幽霊とは何か。著者は以下のように述べています。

 

「いま世の中で一番怖いのは異常者による犯罪だが、幽霊はひところまで"畏れ"の対象ではあった。日本人が古来、幽霊の物語に認めてきた価値というのも、単なる怖さではなかったはずである。簡単に言えば、死者の前では畏まるべきであるという、素朴な倫理観が背景にあった。畏れというのは、恐怖の規範となる要素だが、それがあればこそ、異常者が怖いという即物的な感想とは一線を画する怖いものとして幽霊は存在した」

 続けて、著者は幽霊について以下のように述べています。

 

「その規範が急速に価値を失っていったのが、戦後この方であることは、さまざまな資料が明らかにしている。たとえば、『幽霊より人間が怖い』というフレーズが流行したのは、昭和30年代後半だった。異常者による犯罪にしても、大正時代に社会問題として噴出して以来、昭和初期から戦後にかけて世間の大きな悩みとなった。少年犯罪も同じような経過をたどり、『頭に来た!』という流行語を発しては、わけもなく人を傷つける中学生が増えたという記事が新聞紙面をにぎわせたのも、昭和30年代だった。古くて新しい問題が、解決されずに今日に至った。戦後50数年の間、"恐怖の規範"はひたすら壊れつづけてきたが、平成という時代は、その帰結点にあたっているのだという気がする。つまり、壊れるプロセスはもう終わり、完全に壊れたあとの時代を私たちは過ごしているのだろう。そう思える材料は、世間にいろいろ転がっている」

 そして、著者は以下のように述べるのでした。

 

「ある場所に、殺人事件があった物件がある。アパートの一室で、家賃はひどく安い。何があったにしても、安いなら借りたいという人は常にいるそうで、その部屋もこれまでに、何度も借り手が決まってきた。しかし、入居してもすぐに出ていく。やはり幽霊が出るからではなくて、近所の住人による徹底的な嫌がらせにあうからなのだ。

 地元のコミュニティの間で、その物件についてささやかれる噂は、今度あそこに引っ越してくるのはどんな人かしら、ということである。まんまと入居してきた人は、とたんに地元の有名人となる。あんなところに住むのはろくなやつではない、と決めつけて、あの手この手のイジメが始まる。住人は朝起きて窓を開けると、ひまな近所の年寄りが、いつもこちらを見張っているのに気づくことになる。出かけると尾行され、ゴミを出せば中身をあさられる。しょっちゅう警察官が来て、『通報を受けたもので』などと頭をかきながら言う。それも近所の人のしわざである。そんな日々が続くから、やがて迫害に耐えきれなくなり、住人は引っ越すことになる。それが"現代の幽霊屋敷"の姿なのである」

 本書が単なる怪談実話の紹介本ではなく、「怪談とは何か」「幽霊とは何か」をじつに知的に考え抜いた好著であることがわかります。そこには常に「科学」の視線があります。でも、著者は科学万能を信じる唯物論者ではありません。死者の想いに心を配り、生者の幸せを願う・・・・・・そんな人間に対する優しさが本書から漂ってきます。

 惜しむらくは、本書のタイトルです。『怪奇探偵の実録ファイル2』ではあんまりです。本書良さがタイトルに反映されていません。わたしならば、『幽霊の正体』とか『幽霊を科学する』などが良かったのではないかと思います。