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呼び覚まされる 霊性の震災学』

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No.1418

 

  『呼び覚まされる 霊性の震災学』東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編(新曜社)を読みました。大学のゼミで霊体験を正面から扱ったとして大きな話題になった本です。

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    本書の帯

 


 カバー表紙には、震災直後の南三陸町防災対策庁舎の写真が使われています。本書の帯には、以下のように書かれています。

 

「タクシードライバーが邂逅した"幽霊現象"」「わが子のように慰霊碑を抱きしめる遺族たち」「霊性という高次の精神性にもとづく死生観が、震災復興に求められている。亡くした家族が「生きていた」記憶を刻む慰霊と鎮魂、未曾有の悲しみを越えて死者とともに生きる人びとの強さを描く。若者たちの真摯な筆致が深い感動を呼ぶ。」

 また、アマゾンの「内容紹介」には「震災による死に人々はどう向き合うか」として、以下のように書かれています。

 

「霊を乗せて走るタクシー タクシードライバーの幽霊体験、その真相とは?わが子は記憶のなかで生きていると慰霊碑を抱きしめる遺族、700体もの遺体を土中から掘り起こして改葬した葬儀社、津波のデッドラインを走る消防団員、骨組みだけが残った防災庁舎を震災遺構として保存するかなど、被災地の生と死の現場に迫るノンフィクション。亡くなった肉親や津波犠牲者の存在をたしかに感じるという、目にみえない霊性の世界に迫ります」

 

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    本書の帯の裏

 


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「はじめに―呼び覚まされる霊性」(編者)

第1章 死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象           

     宮城県石巻・気仙沼(工藤優花)

第2章 生ける死者の記憶を抱く―追悼/教訓を侵犯する慰霊碑            

     名取市閖上・震災慰霊碑(菅原優)

第3章 震災遺構の「当事者性」を越えて―20年間の県有化の意義            

     南三陸町・防災対策庁舎(水上推之)

第4章 埋め墓/詣り墓を架橋する―「両墓性」が導く墓守りたちの追慕             

     山元町坂元地区中浜(斎藤源)

第5章 共感の反作用―被災者の社会的孤立と平等の死            

     塩竈市・石巻市南浜町(金菱清)

第6章 672ご遺体の掘り起こし―葬儀業者の感情管理と関係性          

     石巻市・葬儀社「清月記」(小田島武道)

第7章 津波のデッドラインに飛び込む―消防団の道理的選択          

     岩手県山田町・宮古市田老地区(小林周平)

第8章 原発避難区域で殺生し続ける―猟友会のマイナー・サブテンス                

     福島県浪江町(伊藤翔太郎)

「プロジェクトを終えて」(東北学院大学 震災の記録プロジェクト)

 

 「はじめに―呼び覚まされる霊性」の冒頭で、編者の金菱清氏は、ラルフ・リントンの『文化人類学入門』の中の「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろうという。何かの偶然が水面に運び、大気に触れさせない限り、彼は水というものの存在を意識しないであろう」という言葉を紹介し、「深海魚は水以外の存在を知らないために、水面から出ない限り『水』を捉えることはない。文化人類学者のリントンは右のように述べている」と述べています。

 金菱氏は、いわゆる災害報道のその被害の実態のギャップについて以下のように述べています。

 

「普通の日本人が報道で知ることができる災害の被害とは随分状況が異なる。日本では多くの犠牲者が出て、何万人が死亡したという単なる数値の羅列だけがあり、死者そのものはタブー視されて巧妙なまでに隠されていることに気づかされる。プライバシーの問題、惨事ストレスの軽減、文化的要因など、死者をさらけ出さない理由は多数あげられるが、少なくともそれは世界共通ではなく、日本に特有かもしれない。死の世界を遮蔽することは、あたかもそれがなかったかのごとく、当たり前のように了解される」

 続いて、金菱氏はリントンの言葉に言及し、以下のように述べます。

 

「これはリントンが比喩で述べた深海の魚と水の関係であり、深海魚を日本人、水を死に変換すれば、無意識のうちに包まれている日本文化の外に出ない限り、死を知覚することはできないのかもしれない。身近に経験しながら『死』として意識されず、単なる出来事の1つとして押し流される。死を通過しない災害は、まるでドラマ仕立てであるかのように一部始終が美しく彩られる」

 また、金菱氏は「水(=死)を知覚した人びとがいる」として述べます。

 

「できれば誰しも忌避したいことであるが、突然災害に襲われて肉親の死に直面し、あるいは職業上ご遺体の収容や引渡しに対処する。遺体安置所で、口が開いたり、裂傷を負っていたり、砂や泥がこびりついた何百ものご遺体の中を捜し歩く家族や、たとえ運よく見つかっても、ドライアイスが不足し、警察からせいぜい自宅の風通しのよい所に置くように言われ、火葬の見通しも立たず、混乱した状況で待たされる人びとがいた」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「このように、災害において身を削られるような思いで肉親を捜し出し、最期の別れの時を過ごした人たち、行方不明のまま宙吊りにされた人たちの経験がただの数値に還元され、過ぎ去った歴史の1コマとして『復興』や『絆』の歯切れのよい掛け声の陰で葬られようとしている」

 そして、著者は以下のように本書を編んだ目的を述べます。

「本書はタブー視される『死者』に対して、震災の当事者たちはどのように向き合わなければならなかったのかを、綿密なフィールドワークを通して明らかにする。この試みを、意識の古層にあった死が呼び覚まされる"霊性"の震災学と名づけることにしよう。未曾有の災害において艱難辛苦を嘗め尽くした経験の末に、彼ら彼女らが到達したのが"霊性"であった」

 

 続けて、霊性について、著者は以下のように述べます。

 

「霊性の代表的な論者は『日本的霊性』を著した鈴木大拙であるが、批評家の若松英輔は、それを形而上学的超越とつながる、いのちの根源的な働きであるという(若松2015)。人間の秘められた高次の感情である"霊性"を、知識や概念としてではなく感覚的に"わかる"境地に、震災の当事者たちは到達している。私たちは本書でその痕跡をたどりたい。狭量な因果関係による科学的説明では捉えきれない、もっと深い宗教性にまで降り立った死生観が、被災地の現場では求められている。水面に接した深海魚が水を知覚した時の"わかる"感覚を大切にしたいと考える」

 

 第1章「死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象」では、宮城県石巻・気仙沼で起こった怪奇現象について、工藤優花さんが以下のように述べています。

 

「東日本大震災以降、東北の被災地を中心に、怪奇現象の体験談や噂話が相次いでいる。とりわけ宮城県石巻市において件数が多く、ネット上でも大量の書き込みがなされ、人びとの間でも話題にされている。そして、上の体験談のように民間人や復興業者にかかわらずさまざまな人びとが体験しており、『幽霊現象』と見なされている」

 続けて、工藤さんは以下のように述べています。

 

「しかし調査をしていると、幽霊現象と呼ばれるなかで、とりわけ異質な現象があることがわかってきた。それは、地元石巻のタクシードライバーたちが体験している幽霊現象である。一般的な怪奇現象は、『幽霊のような』現象であったり、『幽霊かもしれない』現象であったりするのに対し、それらは明らかに『リアリティ』を伴う幽霊現象なのである。そのようなにわかには信じがたい体験をしながらも、タクシードライバーたちはなぜ霊魂という存在をリアリティをもって受けとめているのか」

 石巻のタクシードライバーたちが体験した幽霊現象は、他の怪奇現象と比較してどこが特異なのか。工藤さんは「石巻の怪奇現象」として述べます。

 

「体験者がはっきりと、自らが体験した現象を幽霊現象と認知しており、また、その対象と対話をしていて、『見たかもしれない』『体験したかもしれない』『幽霊現象だったかもしれない』などというような不確かな現象ではないことである。これは、決してタクシードライバー以外の他の怪奇現象の存在を否定しているわけではなく、霊魂と思われる存在と間近で対話をしたり、触れていたりするケースもあるという点で、"特異"である」

 続けて、工藤さんは以下のように述べています。

 

「一般的な怪奇現象の多くは、石巻市沿岸部で確認されている。また、現象を遠目で確認していたり、間接的に確認していたりしていて、体験者本人も前述したように『~かもしれない』『~なはずだ』というように、自らの思い込みや、自らが体験した現象を逆に噂に当てはめているように受け取れる表現をしている。実際、調査中に確認を取ろうとすると誰しも『その方がつじつまが合う』『そうであったら、心が救われる』『そうじゃなかったら何だって言うんだ!』というような答えがかえってきた」

 さらに工藤さんは、「タクシードライバーの幽霊現象を支えるもの」として、「『幽霊をタクシーに乗せた夢でも見たのでは?』と尋ねたくなるかもしれないが、タクシーは乗客を乗せた時点で、表示を"空車"から"実車"(地方によって表示は異なる)や"割増"に切り替えてメーターが切られるし、走行距離の遠近にかかわらず燃料は減るし、GPSが備えられたり無線で連絡を取り合うため、タクシードライバーの場合、はっきりとした証拠というものが残る」と述べています。

 工藤さんは「無念の想いを伝えられたタクシードライバー」として、幽霊現象の謎を解くヒントは"無念"の想いであると指摘し、以下のように述べます。

 

「東日本大震災で亡くなった人たちは、本人自身もわけもわからず突然死が訪れてしまったため、家族、恋人、友達やお世話になった人たちに何のお別れの挨拶もできずに、この世を去らなければならなかったのである。したがって、この世に対する未練は病死などの通常の死に比べると強いのではないだろうか。死を受け止める時間がなかったのである」

 また、工藤さんは亡くなった人々の「無念」について述べます。

 

「この『無念』が、タクシードライバーが遭遇した霊魂がみな、見かけの年齢が低いことも起因している。幽霊現象の具体例にあるように、30代女性、20代男性、小学生の女の子、青年などなど、社会的にみればまだまだ将来があり、人生はこれからと言えるような年齢層の霊魂ばかりである。年齢が上がれば上がるほど人生において人が経験するであろうことの経験値が増していく」

 続けて、工藤さんは以下のように述べています。

 

「しかしながら、それに反して、若年層は経験するべきことも、経験するであろうことも、したいことも、それらはすべて未来にある。そういった時期に意図せず命を奪われたとしたら無念の想いはよりいっそう強くなる。やるせない気持ちや未練でいっぱいであろう。したがって、タクシードライバーが遭遇した霊魂はみな、若年層であると考えられる。もちろん、高齢の方に未来がない、と言っているわけではない。若者の方が"比較的"人生経験が浅いためにまだまだやりたいこともあり、無念の想いが強かったのではないかと考えられるのである」

 「恐怖心を引きずっていない理由」として、工藤さんは述べます。

 

「タクシードライバーたちの感情の推移としては、東日本大震災の甚大な被害に対する"悲しみ"と"驚き"から、"絶望"が生まれる。そうした心の状態において、怪奇現象が起こる。そこでは、"驚き"と"恐れ"から、"畏敬"、が生まれる。つまり彼らは、"絶望"と"畏敬"の板ばさみ状態だったのである。東日本大震災の被害には絶望しているものの、そういった現象に出くわして"畏敬"が生まれた。つまり、彼らにはどこか虚しいそんな時に、愛着のある地元の人が幽霊(霊魂)という形で現れ、どこか尊い感情を抱いたのである。その証拠に、筆者が調査の際"幽霊"と呼んだ時に、『そんなふうに言うんじゃない!』と怒鳴るドライバーも数人いた。良い意味での諦め、妥協、物事の受容という感情が働いた。そのため、彼らドライバーたちの幽霊現象に対する恐怖は長引かなかったし、心象の良い記憶として彼らの中に残っている」

 さらに工藤さんは、「死者たちが通う街」として述べています。

 

「まとめると、石巻市における怪奇現象の要因は絶望と霊魂への畏敬の念、加えて石巻という社会の地域性にある。未曾有の大震災によって、突如愛着のある土地を離れなければならなくなったり、住み慣れた家を失ったり、大切な人を亡くしたり、石巻の人びとは大いに傷つくことになった。タクシードライバーたちはそれらを身をもって体験し、または身近で彼らの傷ついた様子を目の当たりにしてきた。悲しみと驚きから、すべてがこの世の終わりのように感じられた絶望感があった。そこへ幽霊現象が起き、驚きと恐れを抱きながらも、そこから畏敬の念が生じた」

 続けて、工藤さんは以下のように述べています。

 

「突如その生涯に幕を下ろさなければならなくなった死者たちである。まだまだ人生はこれからという若者も多く命を奪われ、無念でいっぱいであっただろう。将来はこんなことやあんなことがしたかったのに、会いたい人がいたのに、いつも当たり前のように傍にいて、感謝を伝えずにいたから、一生会えなくなる前に感謝を伝えたかったのに、などなど、彼らの気持ちへの想像は尽きない。昼夜を問わず街中を走ったり待機したりする個室の空間であるタクシーは、そんな死者たちにとって、自らの無念ややり切れない気持ちを伝えるのに最適な空間であったのだろう。こういった2つの心の合致が、幽霊現象の発生につながったと考えられる」

 そして、工藤さんはタクシードライバーたちが遭遇した霊について、以下のように述べるのでした。

 

「『心』というのは宿している肉体がなくなっても残り続けるものであると、調査を通じて改めて考えさせられた。離れ離れになって会えなくなってしまった両親に会いたい。愛しい彼女に会いたい。忘れられない故郷に帰りたい。そんな『無念』の想いを、条件が重なって、タクシードライバーたちの『畏敬の心』が受け取った。受け取った彼らは各々の感情の推移を通して、怪奇現象を理解してきたのである。したがって、彼らに『わからないから怖い』として発生する恐怖はなく、今ではむしろ受容している。この心の相互作用は、霊の無念さと、タクシードライバーの畏敬の念によって起こったのである」

 第2章「生ける死者の記憶を抱く―追悼/教訓を侵犯する慰霊碑」では、菅原優さんが名取市閖上の震災慰霊碑を取り上げて、述べます。

 

「これまでの災害の歴史を眺めてみても、人びとは慰霊碑を建て鎮魂の祈りを捧げてきた。先行研究によれば、それらは犠牲者に対する『追悼』や、将来このようなことが2度と起こらないための『教訓』という、2つの枠組みに分類できるという」

 震災慰霊碑とは何でしょうか。「旧閖上中学校に建立した慰霊碑」として、社会学者の岩崎信彦氏はこれが意味するものについて、「歴史的に見て、死者のためだけでなく、残された人たちが『悲しみ』『苦しみ』を乗り越えていくために必要とされてきた。人間社会には、『悲しみ』『苦しみ』を『忘れたい』という気持ちと、『忘れてはならない』という思いとが相反しながら共存している。碑はそのバランスを取るための『装置』であるともいえる」(毎日新聞1999.7.17)と述べています。

 

 菅原さんは「『記憶』型の慰霊碑にどんな意味があるのか」として、「追憶ではなく記憶とする理由」を以下のように述べます。

 

「追憶と記憶の違いとはなんだろうか。この点について双方の霊魂観の違いから説明していく。まず追憶の霊魂観から考えていこう。宗教学者である村上重良は明治以降の政策における国家神道の内容に関して、『親への孝と祖先崇拝は、神を敬い崇敬することと一体であるとされた』(村上1988:338)と述べている。明治期以降の人びとは故人の祖霊を神格化し、祈りを捧げていたということである」

 

 続けて、菅原さんは以下のように述べています。

 

「民俗学者の新谷尚紀は、慰霊という言葉には『霊魂を慰めるだけでなくその慰められた霊魂が霊性を獲得して神に祀り上げられ、時としては霊験ある祭神として人々の祈願の対象ともなりうる、という動態までをも含む』と述べている(新谷2009:190)。これら2つの霊魂に対する見方は、人びとが祈りの対象とし生活の守護神になるという点において「追憶の秩序」における霊魂のとらえ方に非常に近いということがいえるだろう」

 さらに続けて、菅原さんは以下のように述べます。

 

「これに対して記憶の霊魂観を考えていく。前提として提示しておきたいのだが、社会学者の浅利宙は死や死別に関する近代化の経験や近代の記憶は、死のありようを自らにとって適切に位置づけていく作動性があるとした上で、『追憶の秩序』のようなあり方から『生や死をめぐる関心の社会的高まりとして示されるような今日的状況に対して、現在を秩序づけ、認識するための枠組みの1つ、道具の1つ』(浅利2002:76-77)に変容していると述べる」
  
 第3章「震災遺構の『当事者性』を越えて―20年間の県有化の意義」では、水上推之さんが南三陸町の防災対策庁舎を取り上げ、「震災遺構の負の宿命」として、以下のように述べています。

 

「震災遺構についていざ議論すると、保存か解体かの2つの相反する意見に分かれる。第三者が被災した建物に価値を見出し、『教訓として後世に残したい』『追悼の場として保存したい』といった理由で、保存を望むのは自然であるように思える。津波を目の当たりにした者にとっては、教訓としての震災遺構は必要ないのかもしれない。なぜなら、津波の惨劇の経験がそのまま恐怖となって彼らの中に深く刻まれているからである」


 水上さんは、「原爆ドームの保存に学ぶ」として、以下のように述べます。

 

「原爆ドームから学べることは、『時間』が重要であるということである。1966(昭和41)年に永久保存が決まった原爆ドームも、長い歳月を経て結論を出すに至っている。そのことを裏づけるように、原爆ドーム保存か撤去かの選択を迫られた広島市民からは『当時の広島も保存の議論で町全体がぎくしゃくしていた。つらい遺族の感情は、戦争も震災も同じ。防災対策庁舎も、残すかどうかの結論を焦ってはいけない』(河北新報2015.1.29)という声が寄せられている」

 第4章「埋め墓/詣り墓を架橋する―『両墓性』が導く墓守りたちの追慕」では、斎藤源さんが山元町坂元地区中浜を取り上げ、「中浜墓地の復興」として、早期復興に至った理由を2つあげます。1つめは、以下の通りです。

 

「1つめは、誰もが同じ場所で再建するのは無理だと思うほどの光景が広がっていたことである。震災後の中浜墓地は、がれきの山のようになっていたという。墓石は流され、あたり一面に転がっていた。当時の状況を目のあたりにして、同じ場所に再建しようと考えた人はいなかった。周囲の地盤が沈下したことで、危険と判断されたことも人びとのお墓移転の決断を早めた」

 また、2つめの理由は以下の通りです。

 

「2つめは、契約会によって形成された地域コミュニティの存在である。中浜でも昔から冠婚葬祭などの行事はほとんどが契約会によって行われていた。しかし、葬儀業者の普及などの影響で、最近では契約会としての仕事はなくなっていた。それでも契約会による地域コミュニティの関係性は、たとえ人びとがその土地を離れても根づいており、契約会のつながりがあったからこそ話し合いもスムーズに行うことができたのである。契約会のつながりは、親戚同士の関係に近い。人生の節目にあたる冠婚葬祭を共同で行うことによって、強い関係性が築かれてきた。また、金銭の貸借も契約会内で行われており、やりくりの苦しい時の葬儀費用なども出し合ってきた。助け合いの関係が構築されていたことが、共同の機会が減った今でも、地域コミュニティが根づいている大きな理由である。以上の理由から中浜墓地の早期移転が決まり、心のよりどころであるお墓を守ることができた」

 また、斎藤さんは「『両墓制』から見える中浜の祈り」として、以下のように両墓制の概念について述べています。

 

「『両墓制』において存在する2つの墓は、埋め墓(ウメバカ)と詣り墓(マイリバカ)に分けられる。埋め墓とは遺体を埋める場であり、詣り墓とは埋め墓と異なる地点に石塔だけを建てる場である。墓を2つに分ける大きな理由として、死穢忌避の観念が挙げられている。人びとが死者を穢れとして恐れ、死者を埋めた墓に足を運ぶことを嫌がったため、別の場所にお参りをすることになった」

 

 続けて、斎藤さんは以下のように述べています。

 

「これまで、埋め墓には基本的にお参りはせず、詣り墓にお参りに行くのが通説とされてきた。しかし、民俗学者の新谷尚紀は『石塔墓地の方へのみまいり埋葬墓地は早めに放棄してしまうというタイプの事例というのは、実際には非常に少なく、逆に埋葬墓地の方へも埋めたあとがわかる間はずっとまいり続ける』(新谷1991:233)という事例が圧倒的に多いことを明らかにした。もとは死穢忌避の観念から別々の墓を設けていたが、徐々に人びとの考え方が変化し、埋め墓にもお参りをする習慣が生まれたと新谷は見ている」

 さらに「心情に合わせた両墓制の意味」として、斎藤さんは以下のように述べています。

 

「2つのお墓が存在すると考えることによって、お参りする人の心情に合わせた先祖供養が可能になった。つまり、死穢観念から遺骨を大切にする考えへの変化に応じて、お墓参りの仕方も変えることができる。2つのお墓があるからこそ、両方をお参りして安心することが可能になったのである。即断するわけにはいかないがこれらの知見から考えられる可能性として、両墓制とは従来より、先祖の霊魂に対する人びとの心情、身の丈に合わせることができる柔軟性を持ったお墓の型といえるのではないだろうか」

 第5章「共感の反作用―被災者の社会的孤立と平等の死」では、東北学院大学教養学部地域構想学科の金菱清教授が塩竈市・石巻市南浜町を取り上げ、以下のように非常に重要な指摘を行っています。

 

「報道関係者は被災地のみを取材し、ボランティアは経済的・人的資源を避難所や仮設住宅に集中投下し、研究者は被災コミュニティにのみ焦点をあててきた。被災をクローズアップしてそこに光が当たれば、わかりやすい『物語』を描くことができるからである。ホットスポットができる反面、強い光の反作用として『コールドスポット』とでも名づけられる暗い影が、社会的に見過ごされてしまう」

 金菱教授は「心のケアの陰で取り残される家族」として、離れた場所に住んでいた年老いた両親を失った高橋匡美さんという女性を例にあげて、以下のように述べます。

 

「塩竃でも買物をするために、寒さに凍えながらスーパーに7時間並んだ。その隣はガソリンスタンドで、そこにも長蛇の列であった。寒ければ寒いほど、立ちっぱなしで腰や足が痛ければ痛いほど、亡くなった父母はもっと苦しかったのだと、自分を責め続けることしかできない。テレビをつけても、『あなたはひとりじゃない』と呼びかける公共広告や芸能人に怒り、テレビに物を投げつける日もあった。友人や知人からの電話にも応答せず、一切外出もせず、食事と排泄以外人間としての活動は何もできない状態に追い込まれていく」

 震災後は「グリーフケア」に注目が集まりましたが、金菱教授はグリーフケアについて以下のように述べています。

 

「震災の年の晩秋に、想いを話せる環境の整ったグリーフケアの集いに3回ほど参加してみた。参加者の共有時間が終わると、マスコミが囲み取材をするのだが、7ヵ月の赤ちゃんを亡くされたという夫婦に取材が集中していた。それに、会自体が親を亡くした子どもたちへのグリーフケアに力を入れていた。年老いた親を亡くした匡美さんは疎外感を感じてしまい、『自分よりひどい思いをしている人がたくさん、たくさんいるのだから、自分は我慢するしかないのかな、誰もわかってくれないのかな』と思うようになる。皮肉なことに、勇気を振り絞ってふらふらしながら出かけていったグリーフケアの会が、匡美さんの心を閉ざすきっかけになってしまったのである」

 

 金菱教授は、「災害における『その人だけの死』への共感」として、以下のように述べています。

 

「『共感』という、ともすれば歯がゆいキーワードは、人間の実存レベルで大切である。なぜなら共感とは、動物的な生に陥らずにすむ、人間の立居振舞いを支え、生活を成り立たせるための基底的な考え方だからである。それに対し、社会的孤立は食、睡眠、排泄だけの動物的な生へ人間生活を貶める。ただし、災害の悲劇に対して、通常の共感の作法は役に立つどころか、むしろ阻む方向に作用している。誰にも優しい標語である『絆』概念は、被災者である当事者にとっては、むしろ差別に映る。すなわち被災の重さを比較され、共感の選択と集中によってそこから外れる人びとがいるし、被災者みずからも共感の規則に縛られて、当事者資格を失っていくことになる」

 第6章「672ご遺体の掘り起こし―葬儀業者の感情管理と関係性」では、小田島武道さんが石巻市の葬儀社「清月記」を取り上げます。小田島さんは、「火葬ができない大規模災害」として、「なぜ土葬しなければならなかったのか」について、以下のように述べています。

 

「東日本大震災において、仮埋葬=土葬を行った要因は大きく分けて2つある。1つは、あまりにも遺体数が多く、あふれてしまったことがある。ご遺体は県内の遺体安置所に保管され、検視を終えた順に葬儀業者の手によって棺に納められ、遺族が引き取り、荼毘に付される。遺体安置所は廃屋や旧校舎だけでなく、公民館や学校の体育館、02年F1FAワールドカップの舞台グランディ21も対象となった。短期間に大量のご遺体が発生するだけでなく、津波で流されたご遺体の身元確認に多くの時間が費やされ、その結果、ご遺体があふれる事態を招いてしまった」

 土葬をしなければならなかった理由は、もう1つありました。

 

「2つめの要因は、火葬場の対応能力に限界が生じ、ご遺体の搬送ができなかったことにある。火葬場の不足に加えて沿岸部の火葬場は津波により水没したため、使用不可に陥ってしまった。その結果、わずかに稼働する県内の火葬場に大量のご遺体が集中し、対応能力の限界を超えてしまった。また、被害の少なかった内陸部や他県の火葬場より受け入れ態勢が整ったとの通達はあったものの、道路の寸断やガソリン不足のために早急に遺体の搬送を行うことができなかった」

 「改葬、いわゆる掘り起こし」として、小田島さんは「総合葬祭会社が請け負った仮埋葬と掘り起こし」について、以下のように述べています。

 

「震災直後、石巻市では仮埋葬は自衛隊が行っていた。しかし、4月4日以降、自衛隊は任務を被災者の救助に特化し、仮埋葬は民間業者へ委託されることになった。ここで大きな問題が生じた。火葬率99%を超える日本において、ご遺体を土中に保管する仮埋葬を業務とする会社は1社もない。石巻市から提示された条件のもと業務を請け負ったのが、総合葬祭業社である、株式会社清月記だった。株式会社清月記は1985年3月に創業した『絶対にNOと言わない』経営理念を掲げる葬儀社である。埋められたご遺体を掘り起こすという過酷な業務を、約4ヵ月ですべて終えることができたのは、総合葬祭業社が引き受けたことに意義があった」

 

 小田島さんは「感情労働としての葬儀業」として、以下のように述べます。

 

「平常時とは異なる震災のご遺体を扱う上で『感情管理』とはいかなるものであったのか。結論を先取りすれば、掘り起こし(改葬)を終えることができたのは、9人という固定されたチームで流れ作業のように仕事をこなし、チーム内で感情をコントロールできたからである。すなわち、掘り起こしの現場で1番大事にしたのは、厳粛なイメージから懸け離れた"笑い"であった」

 小田島さんは、「究極のサービス業である葬儀業」について述べます。

 

「たとえば私たちは葬儀業者に対して、ある2つの矛盾する役割を期待する。ひとつは、ご遺体に対して感情にとらわれずに冷静に対応することである。感情移入していては職務を全うできず、遺族はそのような葬儀業者にご遺体を託したいとは思わない。 その一方で、遺族に対して同情的な関心を示すことも同時に要求される。あたかも一連の作業のように葬儀を執り行う葬儀者は、冷淡だと思われる。遺族の気持ちに寄り添うそぶりを見せないのは、人情味がないと評価されてしまうだろう。極端な例ではあるが、2つの役割期待を同時にこなすのは、感情のコントロールに長けた葬儀業者でなければ困難である。葬儀という得意なサービス業に従事するには、感情管理が非常に重要になる。このように職務を遂行するうえで『ふさわしい感情』を抱くように感情管理することを"感情労働"という」

 

 小田島さんは、アメリカの社会学者ホックシールドが唱えた「感情労働」という概念に注目します。感情労働とは、職務を遂行するうえで「ふさわしい感情」を抱くように感情管理することです。ホックシールドは感情管理の2つの方法として「深層演技」「表層演技」をあげました。安部好法ほかの「感情労働についての研究動向」(2011)には以下のように書かれています。

 

「表層演技とは、顧客に対して自分が適切な感情をもっているとみえるように、表情や仕草を装うことである。労働者は表層演技を行っている際、顧客のために表情や仕草を装っていることを自覚している。(中略)深層演技とは、顧客に対して自分が適切な感情を感じるように、自らの感情を操作することである。そして労働者は深層演技を行っている際、感情を装っていることを自覚していない」

また、「感情労働についての研究動向」の中の「表層演技の具体例として、労働者のルーチンワークの笑顔、指導中の教師の怒った表情、深層演技は斎場、結婚式場の職員があげられ、感情管理は顧客に質の高いサービスを提供するために必要なスキルであるといわれる」という言葉を紹介し、小田島さんは以下のように述べます。

 

「こうした意味で究極のサービス業である葬儀業は、感情労働とうまく付き合っていかなければならない。つまり葬儀業には、期待されるさまざまな役割を担いつつも円滑に葬儀を終える感情管理のスキルが、求められている。すなわち、多くの役割を期待されるなかで時に遺族の気持ちに寄り添い人情味を滲ませつつ、感情移入せずに確実に職務を遂行する葬儀業者は、まさに感情管理のプロフェッショナルともいえよう」

 小田島さんは、「掘り起こしが流れ作業化した背景」について述べます。

 

「究極のサービス業といえる葬儀業者が、ご遺体を扱う職務を流れ作業のように感じることは本来ない。しかし、見ず知らずの多くのご遺体が遺体安置所に運ばれ、その光景を目にしたとき、『実際に対面した時には人形にしか見えなかった』『ご遺体の目を見ないよう心がけた』とか、『やっていることは(単純な)作業ですから』とスタッフは語る。その原因はご遺体の背景が見えないことにある。それはどういうことか。悲しみの排除、平等な棺、大量のご遺体という3つの要因が考えられる」

 また、「笑いのコミュニケーション・スキル」として、小田島さんは「セルフ・ストローク」について以下のように述べます。

 

「葬儀業者が用いる『セルフ・ストローク』という聞きなれない言葉がある。それは、ストローク(stroke=肯定・否定を表現・伝達する動作の単位)から派生した造語で、「自分自身でプラスの感情を喚起し、感情を平静に保つ心の管理」を指す。平常時の業務では遺族のまなざしのもと葬儀が執り行われるため、葬儀スタッフに深層演技が求められる。しかし稀に、たとえば自死(殺)した中学生の葬儀や、幼い子どもを亡くした家族との打ち合せ時には、遺族の悲しみを共有して感情移入しそうになってしまう。このような時には個々人の心を落ち着かせ、平常の感情に回帰するために『セルフ・ストローク』を行う」

 さらに小田島さんは、「笑い」について以下のように述べています。

 

「ご遺体を掘り起こすなかで大切だったのは"笑い"だったと、西村さんは言う。不謹慎に思われるかもしれないが、感情を管理する上で笑いは重要である。チームの雰囲気づくりを大事にするため、休憩時間や移動時にはコミュニケーションに気を配り、あえて業務からかけ離れた感情を形成し、共有すること。働く時は業務に徹し、休憩時間は他愛もなく笑いあい、お互いの感情をケアする。固定した9人のメンバーで作業を行うことでチームへの帰属意識が醸成されるだけでなく、チーム全体で笑いを共有し、メリハリのある労働によって仲間意識も形成された」

 続けて、小田島さんは「笑い」について以下のように述べます。

 

「本来弔いの行為である仮埋葬の現場で、途中から業務を肉体労働の流れ作業に変化させて職務を完遂したしくみとは、平常時の葬儀では個々の心の中で行うセルフ・ストロークをあえて表出し、仲間うちでつらさや苦しみを共有することにあった。それが笑いを含む非生産的なコミュニケーションのやりとりであった。もちろんこれらはご遺体を処理する職務遂行のために行う感情管理であり、他愛もない笑いが重要視されたのは、それが葬儀業という"形に残らない感情"を扱うプロフェッショナルならではのコミュニケーション・スキルであった」

 この一文に、わたしは非常に感銘を受けました。

 「清月記」さんはわたしもリスペクトする素晴らしい葬儀社ですが、わが社でも「笑い」というものを肯定的にとらえています。わが社のミッション・ステートメントである「S2M」に「スマイル・トゥー・マンカインド」を入れたとき、営業や冠婚部門に笑顔が必要なのは当然だが、紫雲閣には関係ないのではと思った人がいたようです。しかし、それは誤った認識です。仏像は、みな穏やかに微笑んでいます。これは優しい穏やかな微笑みが、人間の苦悩や悲しみを癒す力を持っていることを表しています。葬儀だからといって、暗いしかめっ面をする必要などまったくないのです。

 紫雲閣の「お客様アンケート」を読むと、「担当の方の笑顔に癒されました」とか、「担当者のスマイルに救われた」などの感想が非常に増えてきています。これは大変嬉しいことだと思います。もともと、人が死んでも「不幸があった」などと言わない社会にすることが当社の志です。もちろん、厳粛な葬儀の場で大声で笑ったり、ニタニタすることは非常識ですが、穏やかな微笑は絶対に必要です。わたしは、そのように確信しています。