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「孟子」一日一言』

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No.1398


 『「孟子」一日一言』川口雅昭編著(致知出版社)を読みました。
 「吉田松陰が選んだ『孟子』の言葉」というサブタイトルがついています。

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   本書の帯


 カバー表紙には孟子の肖像画が使われ、帯にはこう書かれています。

「野山獄に捕われた松陰が、長年獄にある囚人たちに、『孟子』の講義を始めた。その講義録が『講孟劄記』である。『孟子』の言葉に拠る松陰の講義はやがて囚人たちの心を打ち、牢獄が学びの舎になっていった。いつ、どこであろうと学ぶことを忘れなかった松陰が、牢獄で刮目した『孟子』の言葉」

 わたしは、当読書館でも紹介した『孟子』を愛読しています。
 「孔孟」と並び称せられるように、孟子は孔子の精神的後継者です。
 わたしがこよなく尊敬する吉田松陰は、孟子の研究者でした。本書のユニークな点は、『孟子』そのものではなく、吉田松陰というフィルターを通した『孟子』論の名言集であることです。いわば、孟子と松陰のコラボですね。
 特に、わたしの心に印象深かった言葉を以下に紹介したいと思います。


◇恒の産なくして恒の心ある者は、
惟だ士のみ能くすと為す。
(梁恵王上7章)
【訳】一定の収入がなくても、常に道を守り抜く心をもち続けられる者は、ただ学問修養のできた人物だけである。


◇天を楽しむ者は天下を保ち、
天を畏るる者は其の国を保つ。
(梁恵王下3章)
【訳】天下全てのものを正しく愛する者は、天下の人々から慕われ、天下を保つことができる。天の条理の公正さを知る者は、自国を保全してゆくことができる。


◇自ら反みて縮からば、
千万人と雖も吾れ往かん。
(公孫丑上2章)
【訳】自分で己を振り返ってみて正しいと思えば、相手がたとえ千万人の大敵であっても、私は恐れずに進むであろう。


◇夫れ志は気の帥なり。
気は体の充なり。
夫れ志至れば気次ぐ。
(公孫丑上2章)
【訳】志は気力を左右するものである。また、気力は肉体に充ちるものである。だから、志がしっかりと確立すれば、気力はそれにつき従ってくるものである。


◇力を以て仁を仮る者は覇たり。
覇たるには必ず大国を有つ。
徳を以て仁を行ふ者は王たり。
王たるには大を待たず。
(公孫丑上3章)
【訳】表面はいかにも慈愛にあふれているように見せかけるが、本当は武力で威圧するのは覇者である。だから、覇者は必ず大国である必要がある(大国でないと、威圧する際の実力が足りないからである)。また、身に付けた徳により慈愛に満ちた政治を行う者は王者である。王者は大国を必要としない(徳によって人民が心服しているからである)。


◇永く言に命に配し、自ら多福を求む。
(公孫丑上4章)
【訳】末永く天命に従って誠実に人生を送り、自らの幸せを求めよ。


◇人皆人に忍びざるの心あり。
(公孫丑上6章)
【訳】人には皆、他者の苦痛や不幸をみれば、憐れみや痛みを感じずにはおれない心がある。


◇天の時は地の利に如かず、
地の利は人の和に如かず。
(公孫丑下首章)
【訳】(全てことを行う場合には)天の時(天然自然の現象などのよき時期であること)は大切だが、地の利(山河や城池の堅固であること)には及ばない。更に、そんな地の利も、人の和(人々の心がよく和合し、団結していること)には及ばない。


◇道を得たる者は助け多く、
道を失へる者は助け寡し。
(公孫丑下首章)
【訳】正しい仁義の道を行っている者は自然と助けが多く、仁義の道を失った者は助けが少ない。


◇如し其の義に非ざるを知らば、
斯れ速かに已めんのみ。
(滕文公下8章)
【訳】もしも悪いことであると気づいたら、すぐにやめるだけである。


◇身に誠なるに道あり。
善に明かならざれば、其の身に誠ならず。
是の故に誠は天の道なり。
誠を思ふは人の道なり。
(離婁上12章)
【訳】身を誠にするには方法がある。それは、善(道理にかなうこととかなわないこと、正しいことと間違っていること)を理解することで、それができなければ、とても我が身を誠にすることはできない。このように、誠こそは(本性からのもので)天の道であり、全ての根本である。(この本性である)誠を十分に発揮して完全なものとすることこそ、人の人たる道である。


◇至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。
(離婁上12章)
【訳】至誠(まごころ)を尽くして天下を感動させないものはない。


◇事ふることを孰れか大なりと為す。
親に事ふるを大なりと為す。
守ること孰れか大なりと為す。
身を守るを大なりと為す。
(離婁上19章)
【訳】他者にお仕えするということで、どれが最も大切かといえば、親に仕えることが最も大切である。何かを守るということでどれが最も大切かといえば、自分の身を正しく守り、人としての道を外れないことが最も大切である。


◇非礼の礼、非義の義は、大人は為さず。
(離婁下6章)
【訳】形式的には礼に似ているが、実際には、礼に合わない礼、また、義に似てはいるが、実際には、義に合わない義は、心ある立派な人は行わないものである。


◇人、為さざるありて、而る後に以て為すあるべし。
(離婁下8章)
【訳】人は、不正不義は絶対にしない、という覚悟があってこそ、はじめて大事業をなし遂げることができる。


◇大人とは、其の赤子の心を失はざる者なり。
(離婁下12章)
【訳】徳の高い心ある人は、いつまでも赤子のような純真な心を失わないでいる者である。


◇博く学びて詳かに之れを説くは、
将に以て反つて約を説かんとするなり。
(離婁下15章)
【訳】博く学んで事細かに説明するのは、(己の博識をひけらかすためではなく)反対に、その本源に立ち返って、要旨をはっきりと説明して、分からせたいためである。


◇人の禽獣に異る所以のもの幾ど希なり。
庶民は之れを去り、君子は之れを存す。
(離婁下19章)
【訳】人間が鳥や獣と違っている点はわずかである(それはいうまでもなく、仁義の心があるか否かである)。普通の人はこのわずかな仁義の心を棄ててしまい、心ある立派な人はこれを大事にもち続けている。


◇君子の人に異る所以は、其の心を存するを以てなり。
(離婁下28章)
【訳】心ある立派な人が一般の人と異なる理由は、その心を常に反省し、本来の心を存して、失わないからである。


◇怒を藏さず、怨を宿めず。
(万章上3章)
【訳】(心ある立派な人は)怒る時には怒って、その怒りを隠さない。しかし、その怒りをいつまでも根にもつことはない。


◇孝子の至りは親を尊ぶより大なるはなし。
親を尊ぶの至りは天下を以て養ふより大なるはなし。
(万章上4章)
【訳】孝子の極致は、その親を尊ぶより大きなものはない。また、親を尊ぶ極致は、天下の富を傾けて親に孝養を尽くすより大きなものはない。


◇天は言はず、行と事とを以て之れを示すのみ。
(万章上5章)
【訳】天は何もものをいわれない。ただ、人の行為とそれにより生じた事柄とによってのみ、その意志をお示しになるだけである。


◇之れを為すなくして為るものは天なり。
之れを致すなくして至るものは命なり。
(万章上6章)
【訳】人が自分からそうしようとしなくても自然にそうなってくるのは天である。こちらから招かないのに自然にやってくるのは命である。


◇孔子は進むに礼を以てし、退くに義を以てす。
(万章上8章)
【訳】孔子は進んで仕えるにも、退いて去るにも、礼儀の道にはずれないようにした。


◇友とは其の徳を友とするなり。
(万章下3章)
【訳】友というものは、その人の人徳を友とするものである。


◇夫れ義は路なり、礼は門なり。
惟だ君子のみ能く是の路に由りて、是の門を出入するなり。
(万章下7章)
【訳】そもそも義は(人が歩くべき)道であり、礼は(人が通るべき)門である。ただ、心ある立派な人だけが、この道を通り、この門を出入りすることができる。


◇仁は人の心なり。義は人の路なり。
(告子上11章)
【訳】仁は人間が生来的にもっている心である。義は人間がふみ行うべき道である。


◇万物皆我れに備はる。
身に反みて誠なる、楽しみこれより大なるはなし。
(尽心上4章)
【訳】万物の道理は皆自分の本性に備わっている。我が身を反省してみて、誠実である(一点のいつわりもなく、まごころにも欠けていないという境地を認める)ことができれば、これ以上の大きな楽しみはない。


◇人以て恥づることなかるべからず。
恥づることなきを之れ恥づれば、恥なし。
(尽心上6章)
【訳】人は恥ずかしいと感じる心がなければならない。もしも、恥ずかしいと感じる心のないことを本当に恥ずかしいと感じるようになれば、自然に、恥ずかしいということからは遠ざかれるものである。


◇親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す。
(尽心上45章)
【訳】まず親族に心から親しみ、その心を推し広げて人民に仁をほどこし、人民に仁をほどこした後、物を愛するのが正しいあり方である。


◇仁とは人なり。合せて之れを言へば道なり。
(尽心下16章)
【訳】仁とは人の人たる徳である。この人徳を行うのは人である。それで、仁の徳と人の身とを合わせていえば、道というのである。