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SMAPと平成』

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No.1382


 『SMAPと平成』中川右介著(朝日新書)を読みました。
 著者は1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長として、「クラシックジャーナル」や音楽家・文学者の評伝などを編集・発行。クラシック音楽、ポップス、映画、歌舞伎等の評論・評伝に定評があるそうです。主な著書に『月9』(幻冬舎新書)、『山口百恵』(朝日文庫)などがあります。

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   本書の帯


 本書の帯には「あれから僕たちは―唯一の国民的アイドルとその時代の軌跡」と書かれ、帯の裏には「2016年8月8日(天皇のお気持ち表明)から14日(SMAP解散発表)で、歴史が変わった」「『平成のいちばん長い一週間』から時代の総体に迫るメタ・ノンフィクション!」とあります。

 

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   本書の帯の裏


 さらにカバー前そでには、「国民的アイドルが映し出す平成の実像」として、以下のような内容紹介があります。


「かつて昭和天皇が亡くなった数カ月後、戦後を象徴する美空ひばりが亡くなったように、天皇が生前退位のお気持ちを表明して数日後、時代を代表するSMAPの解散が決まる。まさに『歌は世につれ』であった。平成とは、いったい何だったのか――。本書は時代の軌跡を、SMAPを前面に立て概説する試みである」

 本書の目次構成は以下のようになっています。


「はじめに」
第一章 改元と結成 1987―89年
第二章 即位とCDデビュー 1990-92年
第三章 象徴 1993-96年
終章  頂点での終焉
「あとがき」
「SMAP全シングル一覧」
「SMAP全オリジナルアルバム一覧」
「主要参考文献」

 「はじめに」で、著者は以下のように述べています。


「平成という時代と『SMAPの時代』とは、不思議なまでに合致する。平成の始まりとSMAP結成はほぼ同時だった。そして平成の代を終えたいと明仁天皇が宣言した直後にSMAPの解散が決まった。
 もちろん、単なる偶然である。だが『芸能』というものは古代から神に近いところにある。芸能人のルーツは巫女であり、『舞踊』は宗教行事として発展していったものだ。
 そして天皇はもちろん宗教的存在でもある。譲位したいという明仁天皇の表明とSMAPの解散が同時期になったのは、まったくの偶然とは言い切れない―と書くとオカルトめいてくるが、そう思わざるを得なかった」

 続けて、著者は以下のように述べています。


「たとえば、昭和の終わりを思い出そう。昭和天皇が亡くなったのは1989年1月だが、最初に倒れて手術をしたのは87年9月のことだ。昭和の大スター石原裕次郎が亡くなったのはその年の7月である。そして昭和天皇が亡くなった89年の6月にもうひとりの昭和の大スター美空ひばりが亡くなった。2人とも、52歳だった。若すぎる死である。この2人が昭和天皇の死の前後に相次いで亡くなったことで、人々は『昭和の終わり』を感じたのだ。同じように、平成の明仁天皇が譲位したいとの意向を表明した直後にSMAP解散が決まったことで、人々は平成の終わりがくることを意識しているだろう」

 第一章「改元と結成 1987―89年」では、著者は「異色の売り出し戦略」としてジャニ―喜多川のグループ戦略に言及し、以下のように述べています。


「最初のジャニーズが4人組で成功したので、それを踏襲したとも言えるが、ジャニー喜多川は、4人組がグループとしてひとつの理想形と考えていた。まずリーダーがいる。仲間たちから頼りにされ、対外的にはスポークスマンの役割を果たす。しかしリーダーは必ずしも舞台では主役ではない。次に、華やかなスターの素質を持つ者がいて、ステージではセンターとなりソロを歌い、主演する。その彼が最初に人気者となりグループの人気を牽引していく。美男であることよりも、笑顔の可愛らしさが第一条件だ。3人目がふざけてばかりいて、おどけたところがあり、みんなを笑わせる、親しみやすいタイプ、いわゆる三枚目だ。そして最後に、ちょっと影があり、かよわいイメージの、いわゆる母性本能をくすぐるタイプ。この4つのキャラクターが揃うことで、グループとして完璧になる。ジャニーズとフォーリーブスはこの4人組の原則によって作られ、成功した」

 「SMAPメンバーが生まれた時代―1970年代」として、著者は以下のように述べています。


「70年代前半はアイドルブームでもあった。南沙織、天地真理、小柳ルミ子が『新3人娘』と呼ばれ、その後を、森昌子、桜田淳子、山口百恵の『花の中3トリオ』が追い、男性では、グループサウンズ出身の沢田研二が先頭を走り、それを郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の『新御三家』が追撃していた。
 その熾烈な戦線には、毎年多くの新人が参戦し、一時的に天下を獲ったかと思えば『一発屋』で終わる者も多く、どうにか1年を通して活躍しても『2年目のジンクス』の通り、1年で退場する者もいた。
 70年代後半になると、76年デビューのピンク・レディーが一大旋風を巻き起こし、沢田研二と山口百恵とヒットチャート戦線を激しく争った。他の歌手たちはそれなりのヒットは出しても、持続性という意味ではこの3強にはとても及ばなかった」

 また、「相次ぐドラマ出演」として、著者は以下のように述べています。


「70年代に全盛期を迎え、当時の小学生であれば誰もが見ていた『8時だョ!全員集合』は85年で終了していた。SMAPのメンバーたちも見ていた番組に挙げている。ドリフターズの番組は『全員集合』以後も散発的に制作されていたが、それぞれの活動がメインになっていく。なかでも加藤茶と志村けんは2人による番組もあったし、ひとりずつでの番組も多かった。いかりや長介は重要な脇役でドラマに出るようにもなる。だが5人が平等にソロで出るようにはならなかった。SMAPは『平成のドリフターズ』と称されたこともあるが、メンバー全員がソロで活躍できた点では大きく異なる」

 第三章「象徴 1993-96年」では、「小選挙区比例代表並立制とSMAP的組織」として、著者はきわめて独創的な指摘を以下のようにしています。


「小選挙区比例代表並立制は、SMAP的な制度だとも言える。それぞれの議員は小選挙区ではその党の唯一の公認候補となり、他党の候補と競う。一方で、比例代表の名簿にも登載されれば、小選挙区で落選しても惜敗率が高く、その党の得票数が多ければ当選する可能性もある。
 SMAPの最大の特徴が、単独でドラマや映画・演劇に俳優として出ることと、SMAPとしてバラエティ番組に出てコントを演じ、そしてCDを出してコンサートツアーをすることだ。つまり、単独での活動が小選挙区であり、SMAPとしての活動は比例代表ともたとえられるのだ」

 また、ジャニーズ事務所のこれまでのグループとSMAPを比較して、著者は以下のように述べています。


「ジャニーズ事務所の歴代のグループは、ジャニーズ、フォーリーブスから光GENJIまで、グループの人気が高い頃は単独での活動はほとんどなく、解散してから、それぞれが活動した。あるいは最初からソロだった郷ひろみ、田原俊彦、近藤真彦といった系譜もある。SMAPは、それを同時期に並行させ、ともに成功した点で画期的だった。SMAPとしての人気が出るまでが長かったための苦肉の策の単独でのドラマ出演などではあったのだが、成功すれば、最初から戦略性があったようなイメージになる」


 さらに著者は、「SMAP的な緩い組織のあり方は人々にとって居心地がよさそうに見えた。だが、たしかにSMAPは緩くて自由度の高い組織だったとしても、彼らが属すジャニーズ事務所はそうではなかったことを、人々は2016年になって改めて知り、絶望する」と述べます。

 終章「頂点での終焉」の冒頭の言葉は、芸能ビジネス、そして最大の成功者であるジャニー喜多川という人物の本質を鋭く衝いています。
 それは、以下のような言葉です。


「男女を問わず、若者がその才能を見出され、スターダムを駆け上がっていく物語は躍動的で美しい。たとえどんな裏工作があろうとも、巨額のカネが動き芸能界の魑魅魍魎が暗躍した結果であろうとも、彼ら・彼女たちをスターにさせるのは、最終的には大衆の力による。そして大衆というのは、巨大な力に踊らされているように見えても、本能的にいいものを見つけ出す能力がある。一時的に人気が出るスターやアイドルは無数にいるが、何十年も第一線で活躍するスターはごく少数であり、仕掛けやマーケティングだけでは生き残れない。20年以上にわたり最前線で活躍し続ける者には、才能があるのだ。それを原石の段階から見抜けたジャニー喜多川は、やはり天才としか言いようがない」