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渡部昇一 一日一言』

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No.1362


 『渡部昇一 一日一言』渡部昇一著(致知出版社)を読みました。
 「知を磨き、運命を高める」というサブタイトルがついています。
 それにしても存命の人物の「一日一言」は初めてではないでしょうか。
 さすがは「知の巨人」「希代の碩学」「現代の賢人」と呼ばれる方ですね!

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   本書の帯


 本書の表紙カバーには、読書する著者の横顔の写真が使われています。
 帯には「発想法、人生哲学、歴史学習法、志の立て方、生活の心得まで」「運を引き寄せる箴言366」と書かれています。

 本書には、致知出版社の若いスタッフが著者の膨大な著作群から拾った365の名言が集められています。「まえがき」で、著者は「運」に関する言葉が少なくないことを自ら指摘し、以下のように述べています。


「私自身、若い頃から『運』という不思議なものについて考えることが多かったからであろう。『運』などというものは学校では教科に入らない。しかし実生活においては常に直面することである。この本を読まれる方も、運について考えざるをえないことも多いであろう。参考にしていただければ幸いである」


 特にわたしの心に強く響いた30の言葉を以下に紹介します。


◇元気と愉快
 元気と愉快というのは、人生においてきわめて重要である。仕事はとにかく常に元気で愉快にやる。その気分が重要だということをわれわれは意識すべきだと思う。ジュリアス・シーザーの特色はいつも上機嫌だったことだそうだ。


◇本音と建前
 いくら誠実さを装っても、人にはかならず本音と建前がある。まずは、このことを大前提と考えなければなるまい。そのうえで言うならば、自分の心の本音と建前を見極めることこそ、誠実に生きることにつながると言える。建前と本音を分ける、自分に対する正直さを持つと言ったほうが、わかりやすいだろうか。自分に誠実であるということは、人にも誠実であるということだ。


◇天を意識する
 「天」を意識することで生まれるような「自信」があるのとないのとでは、やはり危機に対する反応が違ってくるはずですし、ひょっとすると起こる現象そのものが違ってしまうかもしれない。そういうふうに信じてもいいのではないかと思います。私は、本当の自信は思わざる幸運を引き寄せる力があるという感じがしているのです。


◇商業と道徳
 商業と道徳は相容れないものなのだと考えてはいけない。人として立派になるように努力する姿勢が仕事上の成果を導く。商業と道徳は深くつながっているものである。これは洋の東西を問わず、仕事で成功しようと考える人にとっての真理であるといっていいようである。


◇マンネリ
 商売をする人にしても、やはり一生懸命やっているうちにひらめきが出てくるのではないでしょうか。ただし、そこで注意を払う必要があるのは、同じ努力でもマンネリの努力とマンネリでない努力があるという点です。一生懸命にやっているとマンネリになりやすいのですが、マンネリになってしまうと、ひらめき、思いつきは出てきません。だから、マンネリにならない工夫が必要でしょう。たとえば、「もっといいものはないか」という意欲がマンネリにならない1つのカギを握っているようにも思います。


◇働き方、休み方
 小さな仕事でも、仕事を与えた人から見れば、重要な仕事である。実務上、つまらない仕事など1つもない。仮につまらないと見える仕事でも一所懸命やるような人でなければ、責任を持って仕事をする人とはいえない。ゆえにそういう人には重要な仕事が与えられないのだということを、青年はよく考えなければならない。


◇強い意志を持つ
 「何かをやりたい」とか、「何かになりたい」という欲求が気まぐれのものでなく、骨の髄から出てくる欲求であったら、その能力が潜在的にあることを、神様か大自然かがささやいてくれているのだと考えてよいだろう。「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ」とヴィクトル・ユーゴ―もいっている。強い意欲をいつまでも持ち続け、一歩一歩踏みしめていくことが、結果として成功をもたらすものなのである。


◇心の態度
 チャールズ・ダーウィンは、「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」と言ったという。つまり、価値ある人生を送るために本当に必要なのは、学問の世界で言う頭のよさではなく、真剣にものを考え一事専心する態度であると言いたかったのだろう。


◇少し苦労するのがいい
 アランは面白いことをいっている。
「少し苦労して生きていくことはいいことである。生きていく上で波瀾があることはいいことである。欲しいものが何でも手に入る王様はかわいそうではないか。もし、神様がどこかにおられたならば、きっと少しノイローゼになっているだろう」
 退屈したり、ノイローゼにならないためにも、今は少し苦労するように心掛けてみよう。"手応え"のある充実した人生は、そこからしか生まれてこない。


◇空部屋と発想力
 アメリカの学校では、おもしろい発想を示す子供の家庭的背景に、かなりはっきりした1つの共通点が認められる。それは、そういう子供の育った家には、何か目的のはっきりしないような空部屋みたいなものがある、というのである。わけのわからない空部屋がいくつかある、という物理的条件が、幼少年期の子供の空想力を刺激し、それが発想の豊かさに連なることがしばしばあるということらしい。


◇何がしたいのか
 私たちにとって、一番大きな「生きがい」は何だろうか。人によってさまざまであろうが、ただ食うために働き生きていくのではなく、自分が本当にやりたいことをやり、真に人間らしい一生を送ることであろう。
 その意味で、一番大切なのは、まず"志を立てる"ということだ。自分は何がしたいのか。自分は何になりたいのか。何をもって自己実現し、社会に尽くしたいのか。まず、それを見極めることである。


◇仕事は真面目に
 仕事をやってみたが面白くないというのは、真面目さ、真剣さの度合いが足りなかったからだ、と断言してもいいほどである。仕事は真面目にやると面白くなる。これは人間の本質だといっていいだろう。


◇逆境に処する態度
 最終的に、人間の一生には「これは天命だ」といわなければならないことが起こりうるものだ。それには良い命もあれば悪い命もあるが、とりわけ逆境に遭ったときの態度が何よりも重要なのである。どんな逆境にあっても、決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて心穏やかに道を楽しむ。「これは天命だ」と受け入れることが大事なのである。すると、霧が晴れるように視界が開けてくるものである。


◇交際の核心
 交際は人として社会に生存していく上で欠くことのできない根本要素である。しかし、あの人は交際が上手だとか下手だとかいうのは外形的な交際法をいっているのにすぎず、そこには最も大切な精神の部分が抜け落ちている。相手の貴賤上下にかかわらず、いかなる階級の人にも真摯に交わり、一言一句、一挙一動のすべてが自己の衷心から出るというのが本当の交際であろう。


◇女性の魅力
 昔の人間は、女の魅力というものを、娼婦的魅力と、主婦的魅力とにはっきり区別して考えていた。いまはそれが混同されているところがある。主婦的魅力とは、家庭での落ち着き、子供へのやさしさ、家事をスムーズにこなせるか、などである。


◇父親の権威
 父親の権威を立てないために、どれぐらいの家庭で不幸が起こっていることか。「お父さんは偉いんだ」と母親が子供たちに少しでも仰ぎ見させる癖をつけておくと、いざ非行に走る段に、親父がガンといえば終わる。「お父さんは駄目な人。あんな真似しては駄目」などといっていたら、本当に駄目になる。


◇プライドを持つ
 品格を保つために最も必要なものは何か。私は、誇り、プライドだと思う。品格というものは、「プライドある人間の行為」を指します。「品格ある人」イコール「プライドのある人間の外に表れた形」である、と定義すると、プライドを持つことが、すなわち品格のある人間を形づくる核になると言えるでしょう。


◇天が判断する
 「天が見捨てなければ死ぬはずはない。死ぬのならば、それは不要だと天が判断したのだ」という覚悟が、意外に人を生かすことはあり得ると、私は思います。孔子のように「自分が文王以来の文明を背負っている」といっている人であれば、その覚悟が「自分は死ぬはずがない」という自信、そしてついには確信といえるほどになっていくのは当然のことでしょう。


◇古典の力
 自分の人間性を深めようというようなとき、人間として成熟するというような感じのときは、やはり『論語』のように、とてつもなく深く、広く、長く人間のことを考え抜いた人がポツポツとおっしゃったことを噛みしめるのがいいのではないかと思います。


◇墓参り
 一般的には、よく先祖の墓参りをする家の子供は、だいたいよく育っている。年に一度でも二度でも、おじいさんやおばあさんの墓の前で手を合わせる。そういう場に連れて行ってもらっている子供は、そこに生命の流れを見るのだ。親父は祖父に手を合わせた。自分も親父が死んだら親父の墓に手を合わせるか、というような流れがイメージとしてでき上がってくる。そういうよいイメージをつくれるかどうかが大切なのである。悪いイメージを持っていると、悪いほうに人は行き、よいイメージを持っていると、よいほうに人は動くということだ。


◇孔子と老子
 老子の説に深い哲理を見るけれども、もう1つ老子の説で見落しえないのは、それが無責任者の言であるということである。それは政治の要路に立つ人間の生き方ではない。問題をその手で解決しなければならない人は、「柔」だけでやって行くわけにはいかない。剛も武も必要であろう。問題は回避すればよいというわけのものではないからである。それが孔子と老子の差でもある。


◇人命の見方
 人命というのはたしかに大切ですが、そのことだけに拘泥していると、さまざまな価値というものが見えなくなってしまいます。「人命とは泰山のように重く、また鴻毛のごとくに軽い」という両方を、しっかりと視野に入れて判断をする広がりや深みというものが、人間には必要なのです。何が何でも命が大切であるとしてしまえば、命懸けで行うことや守るものがなくなってしまいます。


◇使わない井戸は涸れる
 井戸というのは使わないと涸れてしまうのです。逆にどんどん使っていると、水は湧き出てくる。人間の頭も同じで、徹底して使っていると新しいアイデアが次々に湧いてくるし、使い惜しんだり、使わなくなると、とたんにダメになってしまうものなのです。


◇自分の品格
 人生でいちばん大事なことは何か、1つあげよと問われたら、私は躊躇なく「できない(やらない)理由を探すことなく、志を保ち、自分で自分を尊敬できる人間になれ」と言いたい。これが私の考える「自分の品格」でもある。


◇記憶こそが自分
 記憶は、反芻することによって定着し、磨かれ、鮮明になる。記憶力のいい人というのは、頭のハードウエアがいいのではなく、この反芻の度合いが多いからではないかと思うことがある。家庭も親も、その存在の本質は「記憶」以外の何ものでもない。人間の細胞は日々入れ替わっていくなか、記憶だけが続いている。自分というものは「記憶」以外の何ものでもないというのが、私の最近の確信である。


◇本を読む人の特長
 「学問は性行を和らげ、かつその乱暴なることを許さず」は、学問をすると性格が穏やかになることを指摘した言葉である。これは体験上、頷ける指摘である。ある程度学問をした人、あるいは名門といわれる学校を出た人で、かつ本を読み続けている人は、どこか温和なところがある。これは本を読む人の特長といってもいいだろう。


◇仕事と遊び
 本当の仕事というのは真面目に夢中になってやれば、比較的飽きないものであって、そこからの疲労は意外に早く回復する性質のものであり、永続的な喜びが生ずるものだ。それに反して、遊びというものは、意外に早く飽きがきて、意外に早く疲労がおきて、またやりたいという気持ちになるまで相当時間がかかる。


◇飢えと人間
 人類がこの世に誕生して約40万年。そのうち、39万9900年間、人類は飢えの中で過ごしてきました。大部分は飢えに耐えてきたのです。豊かさを享受するようになったのはごく最近のことです。それで飢えの中では生の本能が刺激され耐性ができていますが、豊かさには抵抗がありません。わがまま、引き籠もり、自分勝手といったどうしようもない人間が多くなっているのは、豊かさに対する抵抗欠如の結果です。飢えの厳しさは人間に不可欠なものなのです。


◇人生の戦略
 人生の終わりに差し掛かって、己の人生を振り返ってみる。自分は何をやっていたんだろう、と思う人が多いはずです。毎日毎日遊んでいたわけじゃない。結構忙しく働いていたし、そのときそのときで意気に燃えたこともあった。やり甲斐も覚えたし、充実感も感じた。それでも長い目で自分を振り返ってみると、自分は何をやっていたのか、という思いを禁じ得ない。こういう人は戦略がなかったと思っていい。戦術だけがあって戦略がなかった。それを戦略があると錯覚していた。そういうことでしょう。


◇敬意敬礼
 「敬意敬礼」は渋沢栄一が日常、人と接する時に忘れてはならないと説いていた持論である。これは簡単なようだが、なかなか面倒なものであって、表面だけで取り繕おうとすると、かえって慇懃無礼になってしまうこともある。したがって、形に表す具体的なものより、心の底に敬意を持つことが重要なのである。心の中に敬意があれば、たとえ互いの名前を呼び捨てにしたとしても、敬意は伝わっていくものだ。

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   渡部昇一先生の書斎で、先生と