No.1354 国家・政治 | 日本思想 『三島由紀夫100の言葉』 適菜収監修・別冊宝島編集部編(宝島社)

2016.11.26

 『三島由紀夫100の言葉』適菜収監修・別冊宝島編集部編(宝島社)を読みました。 この読書館でも紹介した『田中角栄100の言葉』で紹介した本と同じ編者、版元ですが、角栄も三島もともに昭和を代表する天才だけに、その言葉には重みがあります。かつて、わたしは20世紀の終わりの日に「私の20世紀」を振り返りましたが、「日本の20人」には角栄と三島の2人を選ばせていただきました。それほど、この2人はわたしにとっての超重要人物なのです。

   本書の帯

 「日本を心の底から愛するための心得」というサブタイトルがついています。
 カバー表には三島由紀夫の顔写真が使われています。帯には「文化を守り、自分を守れ!」と大書され、「日本人はこの先どう考えるべきか?」「現代日本の混乱を予見した昭和の大文豪の警告集」と書かれています。

   本書の帯の裏

 本書は「政治を語る」「日本文化を守る」「文学・芸術・ダンディズム」「盲信を脱する」の4つの章に分かれ、田中角栄の100の言葉を紹介しています。巻末には「年譜」が掲載されています。冒頭には作家・哲学者の適菜収氏が「はじめに」を書いていますが、三島について以下のように述べます。

「社会や時代に強烈なNOを突きつけるために、あえて反時代的人間、少数者であることを強調した。しかし、世間のイメージとは違い、三島は真っ当な保守主義者だった。保守とは本来『常識人』のことである。三島は民族主義や国家主義の限界を見抜いていた。単純な反共や復古主義の欺瞞も嫌った。愛国教育や国粋主義も嫌った。昭和の軍国主義を批判し、徴兵制と核武装を否定した。三島は基本的には『常識人』の立場において、非常識な社会に警告を発したのである」

 また適菜氏は、三島の予言がほとんど的中したと指摘し、述べます。

「戦後日本で発生したのは、あらゆる価値の転倒と言葉の混乱である。現在のわが国では、急進的改革、国柄の破壊、中間共同体の解体を推し進める勢力が『保守派』に支持されるという奇妙な現象が発生している。言葉の破壊が全体主義につながることを三島は正確に指摘した。三島が最終的に守ろうとしたのは『日本語』だった。そこにあらゆる日本の価値が含まれているからだ。それを破壊するのは、右と左から発生する全体主義という近代特有の病だった。三島が戦ったのは全体主義である。抵抗の手段として三島が重視したのが、議会主義と言論の自由と皇室だ」

 さらに適菜氏は、三島がめざしたものについて以下のように述べます。

「三島は『政治に理想はない』というところから出発すべきだと考えた。 だから議会という『妥協の産物』『相対的な技術』を守れと説いたのだ。 また、皇室という日本人のあらゆる感情を統合する仕組みも必要になる。 『人間理性』に懐疑的であるのが保守の本質である。 保守とはイデオロギーを警戒する態度である。 三島は『言葉』を扱う専門家として、そして真っ当な保守主義者として、近代という病の根幹に迫っていった。三島は、日本の軍隊が自主性を失い、アメリカの傭兵となることを危惧した」

 本書には三島の100の言葉が紹介されています。
 それぞれの言葉には、貴重な三島の秘蔵写真が添えられています。本書は、三島由紀夫写真集でもあるのです。ここでは、特にわたしの心に響いた20の言葉を以下に紹介したいと思います。

「選挙公約」
しかしわれわれが
一等ごまかされやすいのは、
一見現実的、一見具体的、一見実現可能に
みえるような公約です。

「現実的であること」
楽天主義と悲観主義、理想と実行、
夢と一歩一歩の努力、
こういう対蹠的なものを、
両足にどっしりと踏まえたバランス、
それこそが本当の現実的な政治、
現実的な経済、現実的な文化
というものであると思う。

「恐るべき子供たち」
私がむしろおそれるのは、
少年犯罪あるいは幼児犯罪を、
映画やテレビをふくめて、
すべてを社会的原因から
説明しようとする親たちの、怠慢な意識が、
子供たちに及ぼす反映である。

「8月15日」
日本人は、8月15日を転機に
最大の屈辱を最大の誇りに
切りかえるという
奇妙な転換をやってのけた。

「反動的な形態」
いちばん尖鋭な近代をめざすものが、
いちばん保守的な、反動的な形態をとったり、
一見進歩的形態をとっているものが、
いちばん反動的なものである場合もある。

「民主主義とペシミスム」
民主主義というのは非常に
ペシミスティックな政治思想です。

「卑しい人間」
「役にたつ」ことばかり
考えている人間は、
卑しい人間ではないか。

「青二才」
日本には妙な悪習慣がある。
「何を青二才が」という青年蔑視と、
もう1つは「若さが最高無上の価値だ」という、
そのアンチテーゼとである。
私はそのどちらにも与しない。

「文化を守る」
守るとは何か?
文化が文化を守ることはできず、
言論で言論を守ろうという企図は
必ず失敗するか、単に目こぼしを
してもらうしかないにすぎない。
「守る」とはつねに剣の原理である。

「守るべきもの」
守るべきものは日本という
ものの特質で、それを失えば、
日本が日本でなくなるというものを
守るということ以外にないと思う。

「文化とは何か」
文化というものは、
目に見える、形になった結果から
判断してもいいのではないかと思う。

「日本語について」
今さら、日本を愛するの、
日本人を愛するの、というのは
キザにきこえ、愛するまでもなく
ことばを通じて、
われわれは日本につかまれている。
だから私は、日本語を大切にする。

「スランプの克服」
いわゆる芸術的スランプなるものは、
十中八九、生活に原因がある。

「表面的なもの」
一番表面的なものが、
一番深いものだとさえ
考えるようになった。

「不徳のススメ」
たった1つの不徳を
持つべきではない。
沢山の不徳を持つべきである。

「美とは何か」
飛行機が美しく、
自動車が美しいように、
人体は美しい。
女が美しければ、男も美しい。

「多数派と少数派」
なぜ多数を恃むのか。
自分一人に自信がないからではないか。
「千万人といえども我行かん」という
気持がないではないか。

「生と死」
人間というものは
“日々に生き、日々に死ぬ”
以外に成熟の方法を知らないんです。

「アドルフ・ヒトラー」
ヒットラーは、20世紀そのもののように暗い。

「近代に抗する」
天皇はあらゆる近代化、
あらゆる工業化による
フラストレイションの最後の救世主として、
そこにいなけりゃならない。
それをいまから準備していなければならない。

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