No.1345 経済・経営 『百年以上続いている会社はどこが違うのか?』 田中真澄著(致知出版社)

2016.11.14

 『百年以上続いている会社はどこが違うのか?』田中真澄著(致知出版社)を読みました。著者は昭和34年に日本経済新聞社に入社、長年営業畑を歩きました。
 その間、300年の歴史がある薬売りの街、富山勤務を経験します。
 そのとき、老舗の経営の素晴らしさを肌で感じ、興味を持つようになったそうです。その結果、書かれた本が本書です。

 著者は、昭和54年に独立し、79歳になる今日まで、いかに生きるべきかをテーマに講演を続けてきたそうです。その間、自らの生き方の規範になっていたのが、老舗の在り方でした。
本書では「なぜ日本には老舗が多いのか、その歴史的背景や老舗の経営哲学、家訓など」が幅広い知識で綴られていますが、単なる老舗の解説本ではありません。「独立時に、また仕事を展開していく過程で、老舗の歴史・家訓から学んだことを綴り、時折私の体験や意見を織り込みながら、老舗を説明しています」と著者自身が語るように、老舗のノウハウを自らの人生にも生かすことにより、「日々をどう生きるか」というヒントに満ちた書となっています。

   本書の帯

 本書の帯には「老舗研究50年のカリスマ講師が語る商売繁盛の法則」として、以下のように書かれています。

「高島屋、大丸松坂屋、住友家、鴻池家、三井家、塩瀬総本家、富山の薬売り・・・。時代を越えて商売繁盛を続ける永年企業は何が違うのか?」

   本書の帯の裏

 また、本書の帯の裏には「独立起業するための参考書にも」として、以下のように書かれています。

「満20年間サラリーマンとして過ごした後、43歳で独立、今日まで36年間、独立独歩の講演家としての人生を貫いてきました。その際の生きる支えになっているのが老舗の生き方です」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

第一章
日本は圧倒的に世界一の老舗大国
第二章 老舗が激動の時代を乗り越え生き残ることができたのはなぜか
第三章 老舗に学ぶ事業永続の秘訣
第四章
老舗の家訓から見えてくる「まともな日本人」の生き方
第五章 各地の老舗が先頭にた立って挑みつつある地方再生の姿
第六章
老舗に学び36年間独立人生を歩んできた私からの提言
「おわりに」

 第一章「日本は圧倒的に世界一の老舗大国」には、こう書かれています。

「私が講演会で紹介する資料の1つに、韓国の中央銀行の韓国銀行が2008年5月にまとめた報告書『日本企業の長寿要因および示唆点』に掲載されている「200年以上の老舗世界ランキング」の表があります。
 これによれば、世界で200年以上の老舗は5586社(合計41か国)ある中で、その3146社(全体の56パーセント)は日本にあり、日本は断トツの世界ナンバーワンの老舗大国であることが示されています。
 第2位ドイツ837社、第3位オランダ222社、第4位フランス196社、第5位アメリカ14社、第6位中国9社、第7位台湾7社、第8位インド3社、その他1152社で、韓国は0社となっています」

 著者によれば、韓国や中国などの反日的な国も、本音では一日も早く日本のような老舗が多く存在する国家になりたいという願いをもっているとして、以下のように述べます。

「それはエンロンやワールドコムやリーマン・ブラザーズなどの粉飾事件が、世界に大きな負の影響を残したからです。彼らは金融操作・決算操作・合併・買収による事業拡大などで株価を吊り上げ短期的な利益を図り、従業員や顧客よりも株主を重視する態度をとってきました。そうした金融資本至上主義は、世界の経済に悪影響を与え、人々を大きな不安に陥れることを、政治家も学者もビジネスマンも痛感しました。
 一方で、老舗をはじめファミリービジネス群は、従業員・顧客を大切にし、長期的に業績を上げていく態度を保持していることから、社会の秩序保持に貢献し、安定した社会を維持していく上で大きな役割を果たしていることが改めて見直されたのです」

 著者は、「なぜ日本に老舗が多く存在するのか」として述べています。

「事業で最も難しいのは顧客の創造・維持です。それは顧客へのビフォア・サービス(買い手に働きかけて好意を得、購買に結び付けようとする活動)とフォロー・アップ(顧客へのアフター・サービスを含めたきめ細かな後付けの対応)に力を注ぐことです。特にフォロー・アップは次期購買のためのビフォア・サービスになっていきますから、決して欠かしてはならないサービスです。老舗はこの2つのサービスに命を賭けています。これと見込んだ良客へのアプローチを重ねることで、良客形成につなげ、その層を厚くしています」

 著者によれば、事業がうまくいっている中小企業の経営者たちは、とにかくマメな人が多いといいます。特に「手まめ」の習慣が身についており、知人・顧客・取引先に対して、その状況に応じて、さまざまな便りを出しているといいます。まとめると、以下の通りです。

(1)お世話になったら、すぐに礼状・感謝の便りを出す。
(2)入院したと知ったら、見舞いの励ましの便りを出す。
(3)逝去の報に接したら、直ちに弔電を打つ。
(4)転勤・退職・独立の際には、感謝・激励の便りを出す。
(5)結婚・誕生の知らせには、祝福の便りを送る。
(6)贈り物をもらったら、心を込めた礼状を出す。
(7)著作物が届いたら、急いでまず序文と目次とあとがきを読んで、できるだけ早く称賛の感想文を送る。
こうした便りを出す場合、成功者ほど常に即時対応を心掛けているものであると、著者は指摘しています。

 また、「老舗の存在を支えた思想家・石田梅岩の『商人道』を知っておこう」として、著者は梅岩について以下のように述べます。

「梅岩が唱えた神・仏・儒(神道・仏教〈禅も含む〉・儒学〈朱子学・陽明学〉)の三教を習合した『人の道』は、江戸時代を通じて、藩主・武士・商人・百姓のあらゆる階層に普及していった人生哲学でした。特に商人の生き方を支えた思想でしたから、『商人道』とも称されているわけです。
 当時、『士農工商』の最下位にランクされた『商』に対する差別意識に毅然として反論し、しかも商人に対してどう生きるべきかを厳しく説いた石田梅岩の思想は、以後の老舗の生き方に影響を与え、老舗の存続に大きな貢献をしたのです」

 「梅岩の教えを後世に伝えた石門心学の歴史についても知っておこう」として、著者は、梅岩の没後から幕末までの100年間、石門心学は何を伝えたのかを以下のように3つにまとめています。

「第1は、日常生活の問題の原因を今日では社会や国の側に求める傾向がありますが、石門心学では、問題はすべて自分の心(=生き方)の側にあるとし、天地に通じる正しくて強い心を実践していけば、あらゆる問題は乗り越えられるという、まさに修身(=自分を修める)の道を歩むことで堂々と生きられるとしたのです。具体的には、「正直・倹約・勤勉・孝行」に徹し、自分を律して生きていく、つまり人間としてなすべき基本の行動を日々繰り返し実践していくことです」

「第2は、社会的な身分の差は社会的機能の差であり、士農工商の階級差は職分の差であり、四民は人間としては本来平等であるべきとしたのです。武士は君主の家臣、農民は農村の家臣、商人は市井の家臣に過ぎないとしたのです。なぜなら人間の存在は天理の性(本質)から見れば、そうした平等の考え方が当然であるからです」

「第3は、人間は天理の性(本質)から見ても、皆本来は正直な性格の持ち主であり、したがって何事も正直に行うのが当たり前の姿であるとしたのです。それを前提にすると、モノを売る場合は正当な利潤以外はできるだけ安くするのが正直なやり方です。そうしてこそ『相手が立ち、自分も立つ』ということになります。それが商いの原理原則というものです」

 第二章「老舗が激動の時代を乗り越え生き残ることができたのはなぜか」の冒頭では、「老舗を支えた家訓の存在」として、以下のように述べます。

「100年、200年、300年と事業が存続している老舗には、家訓・掟・遺訓と称する創業者が遺した明文化されたものか、あるいは口伝えによる経営上の教訓があります。これを一般には『家訓』と総称しています。
 この家訓には、事業を行う上で欠かせない経営理念が含まれています。経営理念とは事業の目的を明確にしたものです。創業者は自分がなぜこの事業を興したのか、その目的を明らかにし、それを後継者たちが決して忘れることのないようにとの願いを家訓の中で伝え残しているのです。同時に、多くの場合、その事業目的を具現化するために、どのようなことに注意して仕事をし、かつ日常生活を送るべきかを具体的に提示しています」

 300年の歴史がある薬売りの街、富山勤務を経験した著者は述べます。

「老舗の群れである富山の薬売りの業界では、『楽すれば 楽が邪魔して楽ならず 楽せぬ楽が はるか楽楽』という『七楽の教え』が昔から伝えられています。日々、快楽志向に陥ることなく、コツコツと自分の目の前の仕事を地道に着実に続けていくことが、本当の楽々人生、すなわち楽しい幸せな人生になっていくというこの教えは、すべての時代の人に通じるものです」

 第三章「老舗に学ぶ事業永続の秘訣」の冒頭では、「永続する老舗の家訓に学ぶ」として、著者は以下のように述べています。

「企業が永続するには、規模の大小にかかわらず、何のために事業を行うのか、その目的を明確化するための経営理念と、その理念を具現化していくための具体的な行動指針が欠かせません。
 何百年と永続している老舗がその事実を証明しています。それはちょうど、遠い外国の港を目指して航行する船舶には、必ず海図と航海計画が存在することと同じだと理解すればいいのです」

 また、著者は「経営理念」について以下のように述べています。

「昨今では『経営理念』を表す言葉として『クレド』がよく用いられるようになりました。そこでもう一度確認しておきたいのは『経営理念』とは何かということです。経営理念とは、会社(個業も含む)はなんのためにあるのか、その目的を明確にし、その目的に基づいて会社をどう経営していくか、その姿勢を具体的に示すことです。経営理念が経営者の基本的な考え方になっていれば、それを社内と社外の人たちに繰り返し伝えることができます。それによって、相互にその考え方を共有できるようになります」

 「三方よし」という言葉があります。「売り手よし・買い手よし・世間よし」を意味する近江商人の行動哲学で、老舗の社会的責任として一般的に知られています。この「三方よし」の理念が確認できる最古の資料は、1754年に現在の東近江市五個荘の中村治兵衛が遺した家訓の中にあるといいます。

 著者は、その言葉を現代語に訳して、以下のように紹介しています。

「他国に行商する時、すべて我がことと思わず、その国の人のためにと髙利を望まないで、利益は自分の努力に対して天から与えられる恵みと考え、あくまでもその国の人々を大切にすること」。

 著者によれば、これは近江商人の行商が、行商先の地域経済に貢献することで商業活動が許されることをお互いに自覚するためのものだったといいます。近江商人たちの社会的責任をまっとうすることを重視した共通の理念でもあったのです。「三方よし」の用語は戦後の研究者が分かりやすく標語化したもので、昭和以前には存在しなかったそうです。

 第四章「老舗の家訓から見えてくる『まともな日本人』の生き方」では、「勤勉に生きる~日本民族の特性であり宝である」として、著者は「なぜ、日本人は他民族と比較して勤勉性に富んでいるのでしょうか」と読者に問いかけます。その理由は日本という国土の成り立ちと大いに関係があるとして、著者は以下のように述べます。

「日本列島は2万年前頃まではアジア大陸と陸続きでしたが、1万2000年前頃に完全に大陸から離れて、海に囲まれた列島になりました。かつての日本列島が陸続きであったため、大陸にいたマンモスをはじめとする多くの動物が我が国にもいたことは、化石の発見で科学的にも確認されています。海に囲まれた日本列島になってからは、北方からも、南方からも、そしてアジア大陸からも、海を渡って様々な民族が渡来してきました」

 このような歴史を踏まえて、著者は以下のように述べています。

「今の私たちの祖先である日本人は、そうした困難を乗り越えて我が国にたどり着いた勇気と英知と好運の人々によって誕生した民族です。その人々と行動を共にしながらも途中で災難に遭遇し、我が国に到着できずに命を絶った人たちの人数のほうが数倍も多かったと言われています」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「つまり日本民族の起源は、アジアのみならず世界の各地から渡来した心身共に優秀な民族の集合体なのです。命懸けでやってきた人々は、苦労を共にした仲間たちと協力して生活するのは当然のことです。と同時に、まったく見知らぬ方面からやってきた集団とも、無駄な争いをすることよりも、お互いに和睦を図り、共存共栄を目指すという生き方を選択したと思われます」

 さらに著者は、日本人の精神的ルーツについて述べます。

「604年(推古12年)、聖徳太子は、当時の官僚や貴族のための道徳的な規範として『憲法十七条』を制定し、第一条で『和を以て貴しとなす(和を何よりも大切にし、いさかいを起こさぬことを根本にせよ)』と記したことはよく知られていますが、その第八条では『官吏たちは、早くから出仕し、夕方遅くなってから退出せよ。公務はうかうかできないものだ。一日中かけても終えてしまうことが難しい。したがって、遅く出仕したのでは緊急の用に間に合わないし、早く退出したのでは、必ず仕事を残してしまう』と、勤勉に働くことを促しています。日本の歴史を学べば、国の根本に『和』と『勤勉』があることに気づかされます。その国造りの基本は、今日の日本人の心の底に脈打っています」

 著者は、「正直に生きる~外国人が驚く日本人の正直で素直な行為」として、以下のようにも述べています。

「1620年、信仰の自由を求めて102名のイギリス人がアメリカ大陸に上陸した時は、彼らの仲間たちは同じ民族であったため、お互いの間では正直に付き合うことが当たり前で、取引に際していちいち契約を交わすようなことはしませんでした。アメリカが契約社会になっていったのは、アングロサクソンが築いたアメリカの新たな社会に、異民族が続々と移民してきて、お互いに知らない関係でも取引を行う必要があり、そのための手段として契約交換が商習慣に加わってきたのです。このことからも分かるとおり、お互いの間で信頼関係が構築されれば、口約束でもビジネスは通用するところを、わざわざ面倒な契約をしなければならないのは、その社会の人間関係が未成熟である証拠です」

 第六章「老舗に学び36年間独立人生を歩んできた私からの提言」では、「学校で教えない『商人道』の大切さに気づく」として、著者は述べます。

「『商人道』は江戸時代の町人たちの道徳律であったため、日常生活にすぐ役立つ具体性に富んでおり、しかもやさしく論じられています。『武士道』が君主に仕えるための道徳律であり、目線は目上志向であるのに対して、『商人道』は商売存続の基盤である顧客との関係を良くするためにはどうすべきかの顧客志向です。そこが『武士道』と大きく異なる点です」

 また、著者は「商人道」について以下のように述べています。

「『商人道』を一途に守ってきた代表選手が、江戸・明治時代から続く老舗です。老舗の生き方を子々孫々に伝えるのが家訓ですが、どの老舗の家訓にも顧客第一の思想が綴られています。明治維新や終戦前後の激動の時代においてさえ、その姿勢は変わりませんでした」

 「商人道」は、江戸時代初期の商人出身の思想家・石田梅岩が唱え、その後に石門心学という形で広がっていき、多くの商人の生き方の指針となっていった思想です。著者は、以下のように述べています。

「江戸末期には石門心学の塾が全国に170か所以上も開かれ、商人だけでなく一般庶民から武士階級までもが石門心学の塾に集い、梅岩の人の道を真剣に学んだのです。この梅岩の教えを最も吸収し、自分の生き方を確立していったのが老舗です。老舗の家訓には梅岩思想のエキスが数多く記されており、それが今日でも老舗の繁盛を支え続ける決め手になっています」

 梅岩は商人道徳を確立した人物として知られており、「正当な利益を取るのは商人の道である。利益を取らないのは商人の道ではない」という言葉を残しています。わたしは、石田梅岩をこよなく敬愛しており、石門心学にならって「平成心学」というものを唱えています。

 「石門心学」は神道・仏教・儒教を融合した日本人の心の豊かさを追求したものでしたが、「平成心学」は神・仏・儒のハイブリッドな精神文化である日本の冠婚葬祭をふまえ、さらにはグローバル社会を生きるためにユダヤ教・キリスト教・イスラム教をはじめとした世界の諸宗教への理解を深めることも目的とします。いわば、総合幸福学なのです。
 わたしが経営するサンレーは今年の11月18日にようやく50周年を迎えようとしていますが、「平成心学」の理念で100周年を迎えたいものです。
 サンレー創立50周年まで、あと4日!

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