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古代祭祀論』

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No.1267


 『古代祭祀論』中村英重著(吉川弘文館)を読みました。
 1999年に刊行された本ですが、古代祭祀に関する興味深い研究書です。
 著者は1951年北海道生まれで、現在は札幌大学の教員です。

 カバー裏には、以下のような内容紹介があります。


「近年、古代祭祀に関する研究が隆盛を見せている。祭祀は古代の王権、天皇制を解明する上で最も重要な課題の一つであり、古代史学永遠のテーマといえよう。本書は従来の研究史をふまえながら、祭祀の構造を祭儀論的に分析し、『聖体祭祀』論を展開して新たな視座から古代祭祀を総括する。祭祀と王権・天皇との関係性に迫った注目の必読書である。」

 本書の目次構成は、以下のようになっています。


「古代祭祀論の課題」
第一 律令祭祀の形成
第二 律令祭祀の構造
第三 祭祀と天皇―聖体祭祀論―
第四 月次祭論
第五 大嘗祭論
第六 村落祭祀論
「あとがき」
「索引」

 第一「律令祭祀の形成」の三「律令祭祀の特質」には以下のように書かれています。


「神祗イデオロギーの最大の機能は天皇の神権化であった。神祗祭祀・制度の整備、伊勢神宮の整備、『古事記』の編纂などを通じて、祭祀の中心に天皇をおいて天皇の神格化をはかり、天皇を天照大神の皇孫として現人神とし、神話的天皇観を創出していったのである。このように古代のナショナリズムは神祗イデオロギーとして発現され、王権観念の中軸にすえられていた。神祗イデオロギーの創出も、当時の国際社会における日本のナショナリズム形成と密接に関係をもっていたのである」

 第二「律令祭祀の構造」では、二「国家祭祀と聖体祭祀」で以下のように書かれています。


「国家祭祀は祈年祭、月次祭、大(新)嘗祭、即位条祭祀の四祭で成り立つ。このうち、大嘗祭と即位条祭祀は天皇即位にともなう一代一度の特別な祭祀であるので、年間の恒例祭祀は祈年祭、月次祭、新嘗祭の三祭となる。この三祭は寛平5年(893)官符にて、『二月祈念六月十二月々次。十一月新嘗祭等者。国家之大事也。欲令歳災不起。時令順度』といわれ、『国家之大事』として災異の防御と気候の順調が祈念されていた。そして三祭は祭祀の等級でいえば大嘗祭の大祀に次ぐ中祀となっていた」

 著者は、鎮魂祭について以下のように述べています。


「鎮魂については主にタマフリ、タマシヅメの二説に分かれている。鎮魂は二説いずれにせよ、天皇のタマ(霊魂)に関係する祭祀であり身体の活力、精神の安定となるタマを充足させ、安定させることによって天皇の心身の健康と長命をはかるものであった」

 聖体祭祀とは、天皇のタマの保持・安定を図り、天皇の身体に付着するケガレを除去して聖体安穏を祈る祭祀でした。つまり、天皇自身の身体護持を目的にした祭祀だったのです。
 ここで、著者は、天皇の身体というのは、単なる一個人の身体としてあるのではなく、自然・社会・国家を広く包含した「宇宙の身体」に措定されていたことであると指摘します。

 さらに著者は、以下のように天皇の身体について述べます。


「天皇の身体が若々しく健康であれば、気候も平穏で作物が豊穣となり貢賦も豊かに納まり、人民の生活も安定し社会秩序にも安寧がもたらされ、臣下も忠誠をもって臣従して謀反もなく、外国からも王徳を慕っての入朝が続き外敵の侵攻もなく、国家も益々繁栄すると思考されていたのである。逆に天皇の身体が病弱で不健康であれば、天候が不順となって作物も実らず、社会も混乱し国家も凋落して自然・社会・政治などの宇宙秩序も不安定となるとみていたのである。聖体祭祀は天皇個人の身体をこえて社会・国家の『身体』と直接に結びついていたといえる。ここに聖体祭祀の意義があったし、古代人の祭祀観があったのである。聖体祭祀は天皇を現人神として浄化し、王としての聖性を付与することを目的に、律令国家が創作した政治的な祭祀であることは勿論であるが、それと共にもう一方では、聖体=自然・社会・国家(宇宙)の『身体』とみて、聖体祭祀を『宇宙身体』の祭祀的表現と思惟した古代人の祭祀観を認識しておく必要があるであろう。聖体祭祀を天皇一個人に対する玉体安穏、宝祚長久などの祭祀として短絡的に矮小化してとらえるのではなく、古代人の宇宙観、世界観に則したシンボライズな祭祀的表現として受け止める必要がある」

 「神宮祭祀」としては、著者は伊勢神宮に言及して以下のように述べます。


「伊勢神宮は天皇及び皇(王)族の氏神とみることができるのであろうか。あるいは伊勢神宮の祭祀は、天皇一族の氏神祭祀とみることができるのであろうか。岡田精司は、『天皇家と神宮の関係は、国家神が先行し、それが氏神に転化したもの』ととらえている。確かに伊勢神宮は皇祖神とされる天照大神を奉斎しているものの、神宮祭祀の中で最も重要なる神嘗祭についてみると、これを氏神祭祀ととらえ得ぬ点がいくつか認められる。第一は、氏神祭祀は基本的に農耕祭祀の性格をもち、春秋の二度に奉祀されるのに対し、伊勢神宮では秋の一度きりであることである。第二には、氏神祭祀は氏の一族が参集するのに対して、伊勢神宮には皇族、王族の参集はみられず、天皇の代理となる王氏に限られていることである。また古代では、藤原氏の春日神などのように氏神の分霊勧請もみられたが、伊勢神についてはそれも許されていなかった形跡がある。例えば、高階真人は大和国城上郡登美山に宗像神を奉祀していたが、創祀の時期は天武期であった」

 天皇にとって祭祀とは何なのか。著者は以下のように述べます。


「天皇からみればカムロギ、カムロミは皇睦、皇親である祖神であり、両神の方からみれば天皇は皇御孫となる。天皇の支配統治と皇位継承は両神によって決定されたものであり、天皇の正統性は両神に由来していた。祭祀の折にカムロギ、カムロミを奉祀するのは、両神が高天原における至高神であり諸神に命を下せる唯一の存在であったこと、天皇の祖神であると同時に天皇支配と皇位を決定した神であったことによる。律令祭祀は両神と天皇の関係からくる正統性を確認するものであった。このように本来はカムロギ、カムロミが皇祖神の位置を占めていたのであったが、やがて『古事記』『日本書紀』の編纂によって高皇産霊、天照大神の地位が高まると共に交替し、最終的には天照大神が唯一の皇祖神の位置を獲得するに至る」

 「神宮祭祀」に続き、著者は「神社祭祀」について以下のように述べます。


「神社祭祀は各社が独立に行う祭祀であるが、各祭祀は五穀豊穣の農神、水神、風神、疫霊の鎮圧神をまつるものであった。天皇・朝廷からは各社を尊崇する立場で奉幣がなされるのであるが、それは各社の祭祀を通路として天下にわたる災異の防御と五穀豊穣を祈請するものとなっていた。その点で神社祭祀は律令祭祀の中では一見、付随的な位置しか占めていないように見受けられるが、実は国家祭祀を補完する重要な役割と意義をもっていた。律令国家は朝廷内にはなかった農事や災異に対応する諸社の祭祀を律令祭祀に組み込むことによって、律令祭祀の補完と充実化をはかり、天皇や王権の勧農権を宗教的に貫徹していたのである」

 祭祀の基本は、月次祭です。第四「月次祭論」の冒頭で、著者は「月次祭」の祭儀体系の構成について以下のように述べています。


「月次祭は6月、12月の11日に百官、諸社の祝部が神祗官に会集し、中臣の祝詞捧読、忌部の班幣から成り立つ祭儀である。この儀式次第は祈年祭と全く同一でもあり、そのためか祝詞の文辞も、祈年祭の方に『御年の皇神』への祈請がある以外は同じとなっている。しかし、月次祭の方には祈年祭との大きな相違として班幣の祭儀後に、天皇が神饌を供えて神と共食を行う神今食の儀がある。月次祭と神今食は連続した一体の祭祀とみるべきであるが、祭祀としての主要な神事はむしろ神今食の方にあるといってよく、月次祭は前段的なものと考えられる。これは令制の月次祭が、神今食から分離されて神祗官による班幣の儀のみに改変された結果によるもので、もともとの月次祭とは天皇による奉幣と神人共食(神今食)から成り立っていたと思われる。そう考える根拠は後述のように、月次祭の祝詞は天皇を中心にすえた諸神への祈請からなっていること、神今食を執行するために天皇に関係するいくつかの予備的な神事が6月、12月の各1日から開始され、終了後にも付随した祭儀が執行されていること、以上の2点からである。月次祭には天皇と神今食を中心とした一連の祭儀体系の存在が指摘できるのであり、わたしはこの祭儀体系をここでは『月次祭』と総称したいと思う」