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ディオニューソス―神話と祭儀』

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No.1240


 ゴールデンウィーク中は、ずっと『儀式論』を書いています。
 いま、ちょうど「神話と儀式」という章を書き上げたところです。
 『ディオニューソス―神話と祭儀』ワルター・F・オットー著、西澤龍生訳(論創社)を読みました。この読書館でも紹介した『神話と宗教』の著者であるドイツの古典文献学者が主著『ギリシアの神々』(1925年)に続いて33年に刊行した著書です。日本語版は1997年に刊行されています。格調高い美文による翻訳です。

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   本書の帯


 本書の帯には「遥曳する古代の霊気(アウラ)」と大書されています。
 それに続いて、以下のように書かれています。


「『ニーチェとともに、文献学者でありながら、ドイツ哲学史上に確固たる地位を要求しうる思想家でもあった』(K・ケレ二ィ)と謳われた著者が、ニーチェ的『ギリシア精神の開顕』を目論む、異色のバッコス論」

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   本書の帯の裏


 本書の「目次」は、以下のようになっています。


「はしがき」
第一部 神話と祭儀
第二部 ディオニューソス
1.序言
2.ディオニューソス祭儀の原郷
3.ゼウスとセメレーの後裔
4.その神顕現の神話
5.来臨する神
6.仮面の象徴
7.喧噪と静寂
8.魔法をかけられた世界
9.幽暗の狂気
10.ディオニューソス的狂躁を闡明する現代の諸理論
11.狂気の神
12.葡萄の樹
13.植物霊ディオニューソスの啓示
14.湿潤のエレメント
15.ディオニューソスと女たち
16.アリアドネ―
17.ディオニューソスの運命
18.ディオニューソスとアポロ―ン
19.悲劇に関する結語
「注」
「原典略号一覧」
「訳者あとがき」
「主要事項索引」

 第一部「神話と祭儀」の冒頭を著者は以下のように書きだしています。


「古代ギリシアの宗教を何とか理解しようと心を砕きつつ今日四つに組んで相争っている2つの学派がある。1つは民族学派、いま1つは文献学派と名づけて差し支えない。いずれもが、宗教信仰の初源にまで分け入ろうと努めているのは、このような初源からその後に成り変ったところを理解するためなのである」

 双方の党派とも、異口同音に「ただ祭儀のみが宗教信仰の醇乎たる証しと見做されるべきで、一方、神話は文芸以外の何ものでもない」と説き明かしているとして、著者は以下のように述べます。


「仮に祭式の諸制度からそれらの起因する心情とかそれらの目ざす諸々の力の性質とかを推しはかろうとしても、打ち克ち難い困難になど出会ったりするものかと人は思っている。つまりはこう考えるのだ。己が感情に忠実に、また少しばかり深く考えれば、原始的な諸文化が呈してくれる類比にも助けられて、どのみちそれでも実用目的をもっていたに違いない催しのもともとの意味は苦もなく認識させてもらえるだろう、と」

 ヴィラモーヴィツは、「祭儀の意図とそのあらゆる実修とは、神と関わりをもち、神にはたらきかけることである。そのことが生じてくるのは、2つの側面があって、神の慈悲と恩寵をかたじけなくすることと神の怒りを宥めることとである」と語りました。その他、「最初は神を己が祭儀行為を通じて己れの願望するところへと強制しようとする下心があった。いや、それどころか、そもそもその行為に魔詞不思議な影響力が帰されていた。そうした力が実を結ぶのになお神の慈悲が必須と見做されたのは、やっと後世になってのことでしかない、そのような影響力がである」と述べる者もいました。著者は「だがそのことは論究しないでおこう。いずれにせよ、誰しもの間で一致を見るのは、祭儀行為がもともとは人間に有益な影響を及ぼすことを目的としたものだったかもしれないということなのだ」と述べます。

 古代ギリシアの祭儀について、著者は以下のように述べます。


「祭儀は、いかなる要請に従ってそれが個々に育成されたにもせよ、全体としては1つの少なくとも潜在的な神話を前提にしている。祭儀がそれへの奉祀を本分とする由々しかりけるものは、かかるものとして、つまりは神聖なる存在、別言すれば現実充足的な全体として現前しているものでなければならない。すると、他方では、こう言わなくてはならないのである。本質的なこの特性が如何に多種多様で豊かに関連づけられながら考えられうるかを前もって決める権利は、如何なる普き念慮にも、理論にも、ありはしない、と」

 また、神話と祭儀の関係について、著者は以下のように述べます。


「古代そのものにおいて私たちのお目にかかる素朴なるものの見方は、この種の祭儀行為の中に、神話の鏡像、従って模倣を見てとる。昨今の学問は、この考えをきっぱり斥け、あべこべに、神話物語を祭儀行為によって惹き起こされる幻影として説明するわけである。けだしそれが成立する場合、祭儀行為本来の意味がしばしばとっくの昔に忘れ去られているような、そうした幻影としてだ。このような判断にどうやら歩み寄るかに見えるのが伝説口碑譚といった類のもので、これは不可解になってしまった名称とか慣習を説明しようとして明らかに案出され、それゆえ原因譚的と呼称されるものなのである」

 続けて、著者は以下のように述べています。


「けれど考えておくべきだったのは、こうした着想もその下心は完全には隠せおおせないこと、正にそのことにより、偉大なるかつての創造からは区別されるということである。けだし偏見なき観察者なら何らの偏見もそこに発見しえないようなかつての偉大な創造の数々からだ。事実、理性的な人といえども、それらの着想がいとも分別ある仕方ですべて生み出されてきたものであるとは信じていない。それはむしろ往古の神聖なる出来事という形式に祭式の諸行事を置き換えたもの、事実上奉祀する人間たちにより演じられた役割を今や神々とか半神たちが引き受ける、そのような物語へと祭儀行為を詩的につくり変えたものであってほしい」

 そもそも祭儀とは何か。人間にとって、どのような意味があるのか。
 著者は、以下のように堂々と自説を述べています。


「全体としての祭儀は、人間精神不朽の創造の一環である。祭儀に対する正しい視点を獲得するため、いずれもかつて神的なるものに仕えていた建築、造形美術、文芸、音楽とともに祭儀を並べてみなくてはならない。祭儀は、人類が崇高なるものを相手に語る大いなる言語の1つであり、語らずにはいられぬという以外の理由によっては語ることのないものなのである。崇高なるものと神的なるものとは、もしもそれがただもっぱらに人間を畏縮させるだけで、やむなく思し召しに添うことを以て御慈悲をかちとらざるを得なくするようなものであれば、その名に値せざるものであった」

 続けて、著者は祭儀の偉大さについて、以下のように述べます。


「それが偉大である証しは、祭儀の目覚めさせる力だ。祭儀に立ち会っているのだという感情あってこそ人間は、己れにふさわしい最高なるものをかたじけなくするわけである。そしてこの最高なるものとは、人間のもつ否応なき弁舌の力であり、それの証しする見事なまでの出会いを通じてこそ受胎し分娩させられたものなのである。啓示ひとつひとつが人間の心情をも打ちひらく。従って創造的な行ないこそがそれのじかの帰結だということになる。人間は己れをひっ捉える途方もないもののことを包み隠さず語らねばならない。かつての日、そのことを人間が行なったのは、神殿造営においてであって、このような造営は大聖堂なる大々的な所産において今日とは目と鼻の先の諸世紀にいたるまで依然としてつづけられてきたわけである」

 さらに祭儀について、著者は以下のように述べています。


「大いなる言語の、厳かさにおいて最たるものが祭儀のそれである。祭儀の時代は今日から雲煙の彼方に横たわる。そして正にそれの発する言語が、他のいずれの言語にもまし、私たちには無縁のものとなってしまったのは、まさに驚くには当らない。何故ならそれは、そのように崇高なものの身近にいることを証しして、そのため人間が直接みずから、人ひとりとしての己れ自身をさし出すことによりそれの表現形式とならなければならなかったからである。このような形式は、あれら諸々の爾余の言語をいっそう距離をおいたまま、石、色、響き、言葉などの媒体を介し創造することを使命としたものであった。そうであればこそ、それら諸々の言語は、神的なものへの身近さがたとえ消失しようとかえっていっそう威容を誇り、一方、祭儀の方は徐々に硬直化していったのである。祭儀はそれでも諸々のこうした言語となお何千年かは道連れだったのであり、祭儀の少なからぬ形式は後世にいたってさえも神的なものを喚起する力を有した。思うに、それの現前がかつてそれらの言語を日覚めさせた、そうした神的なものをである」

 著者は、祭儀の形式についても以下のように述べます。


「祭儀の諸々の形式は、神格の身近さによって規定される。であればこそ、それら形式の多くは、神格と直接的に交流するという性格を帯びるのである。生贄は、神格の嘉納し給う筈の施し、神格が卓を共にし給う筈の饗宴であるかに思える。祈りは、挨拶であり、賛嘆であり、乃至は懇願である。けれども祈る人の姿勢と態度は、疑いもなく、この人の出す言葉よりも古く、神が現前しているという感情の根源的な表現である。思うにそうした表現の有無を言わさぬ力については、人間なら経験上そうしたこともなくはなかろう感動などに頼っていては、もはや想像もつきかねるのだ」

 続けて、著者は以下のように述べています。


「祈る人が後になって神の栄光を讃えようと石もて築いたものについては、今日なお大聖堂が私たちに物語ってくれる通りだが、それはあたかも円柱を真っ直ぐに立て、その前に膝まずくように、腕を天へと差しのべたかつての祈る人 そのものなのであった。幾千年を通じてのこうした態度がもつ無限の意味のうち、依然人になるほどと納得させるのが、その懇願のほんのただ小さな残滓でしかなかったとするならば、それは、後世に理解させるという点において、ほか諸々の文化形式も蒙ったのと同じ貧寒化の一例でしかないことになる」

 祭儀ほど創造的な行為はありません。祭儀において人間は大いなるものと出会うとして、著者は以下のように述べます。


「ほかのあらゆる創造にもまし祭儀は超人的なるものとの出会いを証す。しかしその相違は当初には、今日そう見えるほどにまで大きなものではなかった。私たちが芸術と名づけている多種多様の創作はかつて祭儀とはるかにずっと身近であった。いやそれどころか、祭儀の固有の領分に属していたのだ。言語にしてからが、疑いもなく、崇高なるもの、この世を動かすものと交流の中で創造されたのである。人間同士の間での意志の疎通にそれが役立ちうるようになるのに先立って、言語は頌讚として、また祈りとして、本源的威力の下に姿をあらわしていた。諸々の芸術に関して私たちが更に観察しうるのは、如何にそれが祭儀との関連から解き放たれて、世俗化されたものであるかということである。それが生命を吹き込まれたのは、疑問の余地なく、驚嘆すべきもののいっそう力づよくて一段と深く感じられた息吹を通じてなのだ」

 祭儀の先には「神の顕現」があります。著者は述べます。


「ありとあらゆる種類の彫刻家や創作家が啓示や閃きについて知り、且つそれらが大きければ大きいほど、それらの上にはたらく神話への畏敬の念にますます包まれながら、注意を喚起するのに対して、祭儀は神的なものの顕現を証しする。あらゆる宗教の中心に位置するのが神の顕現なのである。神の来たりませること、現前し給えることが、宗教のあらゆる原=形式に意味と生命を賦与する。それを以て私たちは、もはや人間の思考、造型、生活環境の所産として捉えられうるのでなく、むしろ神の顕現する前提を成す第一義的な出来事に迎え入れられる」

 典礼行事についても、著者は以下のように述べています。


「典礼行事がそれの由来したとされる表象とどんなに釣り合っていないかが、もっとはるかに生き生きと感じられていたらよかったのに。たとえ参列者自身が時とすると典礼行事をそうした表象で以て動機づけることがあったにもせよである。それら典礼行事の性格を先入観なしで吟味する者であれば、次のような印象を禁じえまい。すなわち、それら典礼行事が存在しえたのは、ただただ気だかき心ばえ、情熱的な昂揚のおかげなのだという印象を。そしてこのような昂揚は、人間精神を捉える神話的相貌を通してのみ呼び醒まされた筈なのである」

 続けて、著者は典礼行事の根本にある神話について、以下のように述べます。


「この神話がどのような類のものであったか―それが開顕したのは、動物の本質的形相なのか、生殖力の目覚めゆくドラマなのか、太陽の運行の物語なのか、干戈にうったえる霊なのか、等々―ともあれそれは儀式の所作〔筋書〕として現実世界の中に歩み入って来ざるをえなかった。それこそは人間たちの間で神話が現に生きてある形式だったのである。それがかつて物語として表明されたものであろうと、否であろうと。ところが、もしこの神話の生命が掻き消え、魂の抜け殻みたいな儀式の所作ばかりが世代から世代へと受け渡されてゆくならば、いつしか思想の亡霊が虚ろなる足場のうちに巣喰うようになる。そうなると、零落し貧寒となった文化が恐らくはみずからこう信じてしまうかもしれない。すなわち、手の込んだ建造物だって、我らだけがまだ理解する実践的な必要からこそ築き上げられたものなのだ、と。そうして科学の方も、問わねばならぬとしているのは、中身なきあのような形式に影響力を満しえた心性とは、そもそもいかなる素姓なのかというただただそれだけでしかなかった」

 さらに著者は、祭儀の持つ本質について述べています。


「古代の伝統が祭儀を由来せしめたのは、一部は、かつて生身で登場した崇高なる本質のじかの組み込みであった。一部は、祭儀の所作がその思い出を維持しているとされた高次の神界の出来事であった。それは、だから、或る偉大なる事件を出だしに据え、その限りにおいて祭儀的創造の真の本質と完全に合致していることになる。たとえ何かが持ち上がって或る祭儀が誕生することになったにもせよ、それはどうしても、私たちが伝統の中に目のあたりにする歴史以上に肯綮にあたる像などありもしなかろう、そんな類のものであったに違いないのだ。何かしら大いなることが生起したに相違ない。驚くべき威力を帯びた示現が。人間たちの共同体がかかる示現にみずからすすんで1つの生けるモニュメントを創り上げたほどのだ。けだし崇高なるものに対しそれの表現たらんとし応答たらんとする聖なる情熱に身を献げつくしてであるが」

 祭儀と神話の結びつきについても、著者は以下のように述べます。


「祭儀が神話といかばかりがっちり結びついているか。祭儀のいかばかり多くの所作がそれのもともとの本質に従えば、超人間的存在や出来事の反映にほかならないか。そのことにつき、とりわけても、啓発的なのが、ディオニューソスの宗教である。それの中心に位置する神話の主は、ディオニューソス自身と、ディオニューソスを育んでこの神の常変らぬ取り巻きをかたちづくる神女たちにこそほかならない。彼女らはみな苦境と追跡にさいなまれ、ディオニューソス自身と同じく、死地へ赴かざるを得ぬ者たちなのだ」

 この神話と祭儀についての論考の最後に、著者は書いています。


「いかなる民族にも神的なものは出現した。神的なものが授けたのは、ひとり彼らの諸々の祭儀だけではない。祭儀と同時に、彼ら自身の存在と行実に性格を賦与したのであった。民族性に刻印を残したのであった。けれどもギリシア民族の信仰が証ししている神的なものは、その奥深さと豊かさとにより、永遠に私たちが思いを致すに値するものでありつづけるのだ」

 「訳者あとがき」では、訳者の西澤龍生が神話学者カール・ケレーニィの小文を紹介しています。ケレーニィが本書の著書オットーとクレタ島の道を歩いた散歩の情景を綴った回想文で、以下のように紹介されています。


「ギリシア時代以前の同島における風景と神話の関係という問題であり、全島に漂う独自の神話的な輝き、その古き聖性という話題である。オットーの主著『ギリシアの神々』(1925年)の上梓後ほどなくということであるから、ケレーニィがなおブダペシュト大学私講師だったときであろうか。年令的にも隔てること20有余。後年(1934年)スイスに亡命して健筆をふるうことになるそのハンガリー人が、自作を献呈した3人の理解者のうちに、C・G・ユング及びトーマス・マンと並んでこのW・F・オットーの名があることは、若き古典学徒の先達に寄せる共感と傾倒の程を窺わしめる」

 続いて、西澤はケレーニィの小文の内容を紹介します。


「ギリシア人が神々の形姿の中に受け容れ、吸収した蒼古たるその輝きとは、オットーに言わせれば、物のまわりに漂っている神的な『気』、先住民族の神話を取り入れて何ほどか異質な印象をも残す、輝きと意味との自明的な一体化の謂いであった。この神顕現の世界に我々を連れ込むのは、芸術家にこそほかならないが、かかる示現に応える霊感に満ちた祭祀の所作が、神の身近へと人間をたかめてゆく。人間が中心に立っているのではない。祭儀によって反復される神話の舞台としての広大な自然こそが、今日なお遍在する神的な『気』の現前を立証するのだと彼らは認識していたことになる」

 気(アウラ)の現前について述べた後、西澤は次のように書いています。


「オリュムポス神界に受け入れられる以前の古き聖性とは、どのようなものであったか。天界にいまだいまさぬ山野に定住する土着原生の民の神々は、人々の供犠や祈祷に一々応えるという神だったのである。遙けき残滓はホメーロスにも尾を曳いている。たとえば、見よ! パトロクロスの葬礼を。討死した刎頸の友の屍を慟哭のうちにアキレウスが荼毘に付したその葬儀には、牛や羊を屠った上、4頭の馬、2匹の犬、また生け捕った敵の若人12名も犠牲に供された。自然神のこんな段階が克服されなければ、高い理念的な超人間的次元へと昇華する筈もないのであるが、ギリシア人における比類なき天才の発露は、人間界のただ中での自然なる形姿を失わぬままに、ゼウス、アテーナー、アポローンなど最高神らが、新たな啓示により、そのまま崇敬の対象となったということである。この文化革命に関し、その世界支配を理論的に正当化すべき神義論は別に存しなかった。むしろ最高なる神々を取り囲んで数多の様々な神格が相共にホメーロスの世界を形成したのは、旧き大地の神なる巨人族を打ち従えて支配権を奪ったゼウスの一統が、地下の冥府に閉じ込めた先住民の神なるそれら族を再び救い上げて持ち場を与えた、心にくいまでの配剤の妙がそこに発揮されたということである」

 まるで神話のような美文ですが、続けて西澤は述べるのでした。


「こうして多様な諸要素から繰り返し繰り返し創造される新たな統一により儀礼もまた組織づけられるとき、陰陽2つの軸を両翼とするピラミッドは、底辺なる冥界を決して空虚なる無として閉め出しえたえたわけではなかった。運命の基調音の前では全能の筈の神すら無力で、人間と違うのは、全知なるがゆえに死の定命を聞きわけて、これを避けえたというにとどまる。結局、超自然へと舞い上ることなく、あくまで経験的自然の地平に踏みとどまることにおいて、たとえば死者も、吐く息だけの影でありつつ、うつし身としての生前の形姿でありえた。神々ですら人間のうつし身のままに不易なる存在の形相として開顕しえた。単なる否定や超克ではなかったからである。むしろ別種の現実へと変容を果すことによって、存在と非在(既在)という絶対の異次元同士が同じ形姿を維持したまま向き合うことが出来たからである」