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古代芸術と祭式』

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 No.1238

 

 次回作『儀式論』(弘文堂)の参考文献として、『古代芸術と祭式』ジェーン・E・ハリソン著、佐々木理訳(筑摩書房)を読みました。1913年に刊行された本ですが、芸術の起原を解き明かした古典的名著です。原始芸術の萌芽が古代の祭祀の中にあることを示した本です。周期的に催される祭りに、人々は「集団的情緒」を共有し、そこに美を見出しました。本書では、ギリシアを中心に、東西の祭式と古代美術、考古学、古代社会と宗教との関係を丹念にひもときながら、祭式から芸術への移行過程を探ります。


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   著者のジェーン・E・ハリソン


 著者は、ギリシアを中心とした古典・美術・信仰・芸術のイギリス人女性研究家です。1850年イギリス・ヨークシャーのコトナム生まれ。ケンブリッジのチェルトナム・カレッジおよびニューナム・カレッジに学び、のち母校ニューナムの古典考古学の講師を務めました。著書に『ギリシア宗教研究序説』『ギリシアの神々』などがあります。1928年に没しています。

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

「序にかえて」

「訳者序」

「新版はしがき」

第一章 芸術と祭式

第二章 原始芸術 無言所作踊り

第三章 季節祭式 春祭り

第四章 ギリシアの春祭り

第五章 祭式より芸術への移行      

     ドローメノン(「行事」)とドラーマ

第六章 ギリシア彫刻 

     パナテーナイア彫刻帯とアポㇽロー・ペルヴェデーレ

第七章 祭式と芸術と人生

「参考書目」

「付記」

「索引」

 「訳者序」で、元帝塚山大学教授の佐々木理が述べています。

 

「古代人の反応、情緒、活動の表出される第一のものは年中行事である。年中行事は村または国の人々が一様に毎年くりかえし取り行なう季節季節の習慣である。今日われわれはその宗教的意義を忘れようとしているが、古い古い時代からつづくこの行事の最初は宗教的なものであったことは言うまでもない。多くは季節の順当と作物の豊産と安全を確保する魔術の性質を持ち、個人的な祈りでなく常に社会的なものである」

 続いて、訳者は以下のように述べています。

 

「行事を産むものは集団的に感じられた不安であり希望である。集団の情緒が1つの行動に発展する。それは子供が物を欲しいときに、欲しいという言葉に形をとらせるよりも、直ちに手をのばして物を捉えんとするに似ている。そして部民族の最も原始的なそして最も重要な願望は食糧資源の確保と子供の確保であって、これらはつねに行事のうちの根本的なものとなった」

 さらに、訳者は以下のように述べるのでした。

 

「われわれはこの書にいかに多くの日本の行事を思い出させられるであろう。新年の門松に、左義長の竹に、節分の柊に、『若枝の運び入れ』や『人形の焼きすて』『死の追い出し』を思いだす。節分の行事はアテーナイの長官殿プリュタネイオンにおいて行なわれた『福と健康は内、牛飢えは外!』の豆配りの式を考えさせる。雛祭りや菖蒲の節句さえ決してただの遊びではないと思い出す。盂蘭盆会の供物に『パンスペルミア』が思われぬであろうか。元服の改名には、子供がここに一人前の男となって昔と縁の切れた新生命に入ったしるしの1つの入社式が心に浮かばぬであろうか」

 第一章「芸術と祭式」の冒頭で、著者は以下のように述べています。

 

「この本の題は読者に奇異の感じを抱かせ、あるいはちぐはぐの感じさえ与えるかもしれない。芸術と祭式とがお互に何の関わりがあろうか。近代人の頭にはリテュアリスト(祭式家)といえば固定した形式や儀式に凝る人、また固苦しく制定された教会や宗派の宗教的儀式の執行に、おそらく並はずれてこだわる人である。これに引かえて芸術家というと、われわれは思想が自由で行動が因習の拘束を受けない人を考える。彼の傾向は放縦に傾いている。芸術と祭式とはまったくのところ今日でははなはだしくかけはなれているが、しかし、この本の題はことさらに選んだものである。その目的はこれら2つのかけはなれてしまった発達が共通の根原を持ち、そしていずれも他の一方なくしては理解できないことを示すにある。その初めにおいては同じ1つの衝動が人を教会に向わせ劇場に向わせるのである」

 著者はまた、演劇について以下のように述べています。

 

「劇がその出発点において神的なるものであり、その根を祭式におろしているものならば、なにゆえにこれが深遠荘重の、悲劇的な、しかも純粋に人間的な芸術となってしまったのか。その役者たちはエレウシスの密儀を取り行なう人々のごとき祭式の衣裳をつける。なぜそれならばわれわれは彼らが宗教的礼拝となることはもとより、神々や女神等の劇さえも行なわないで、むしろただのホメーロス叙事詩の英雄や女たちを演ずるのを見ているのであるか。初めに糸口を与え祭式と芸術とのあいだのつなぎの環を見せるかに見えたギリシア劇は、さながら大事な瞬間にいたって腰が砕け、われわれを裏切り、そして問題をわれわれの手に謎のまま残すのである」

 著者はアドーニスの祭儀に言及し、以下のように述べます。

 

「アドーニスの祭儀は中夏に行なわれた。それは確実でもあり有名でもある。なんとなれば、ちょうどアテーナイの艦隊がシュラークーサイへの不運な船出をしようとしていたとき、アテーナイの街々は葬礼の行列で雑沓し、いたるところで死せる神の像が見られ、空気は婦人たちの哭声で充たされていたのだから。ツーキュディデースはこの偶合を別にあげようともしていないが、プルータルコスは、前兆を気にする人々は彼らの同国人の運命を気遣う不安の気持でいっばいであったと告げている。カナアンの『主』アドーニスの葬式祭儀の日に遠征に出発することは、キリスト教国の『主』の死んだ日、金曜日に船出するのに劣らぬ不吉であった」

 続いて、著者は以下のように述べます。

 

「夏に行なわれるタㇺムズおよびアドーニスの祭儀は、復活の祭りというよりもむしろ死の祭であった。重点は植物の誕生よりもむしろその衰えと死におかれる。その理由は簡単であり間もなく明白となるであろう。さしあたりわれわれはただ、エジプトではオシーリスの祭儀が祭式にも芸術にもひとしく表現されるのに、バビュローンおよびパレスティチナでタㇺムズおよびアドーニスの祭礼に行なわれるのは、芸術ではなくてむしろ祭式であることを、心にとめることが大切である」

 

 著者は、プラトンが『国家』の有名な一節で、「芸術とは模倣である」と告げたことを紹介し、以下のように述べます。

 

「芸術家は自然を模倣し、そして自然物そのものもまた彼の哲学では更に高い実在の写しにすぎない。芸術家のなし得る一切は写しの写しを作ることであり、大自然に向って鏡をかかげることであって、この鏡に、彼がこれをどこに向けようと『太陽と天と地と人と』何であろうとあらゆるものが『映る』のである」

 では、祭式も模倣なのか。著者は「祭式はされば模倣を含む、がしかし模倣から出たものではない。それは情緒を再現(recreate)しようと欲する―事物を複写(reproduce)しようとするのではない」と述べています。 祭事は、実際一種の固定化された行動、真に実行的ではありませんが、また全然実行から切りはなされてもいないものです。現実の実行される行ないの1つの追想または予想です。ギリシア人がこれをドローメノンdromenon「為されたること」と呼びました。著者はこの呼び方を「まったく正確とは言えなくとも、うまい言い方である」と評価しています。

 著者はオシーリスの芸術にも言及し、以下のように述べています。

 

「オシーリスの芸術と祭式の共通の根源は、死んだと見える大自然の生命がふたたび生き返るようにという、熱烈な世界的の願望である。この共通の情緒要素こそ実に芸術と祭式とをその初めにおいてほとんど区別不能ならしめているものなのである。両者ともにまず第1に、1つの行動を写す。しかし最初は写しのために写すのではない。感情が衰滅しそして忘れられてしまったとき、はじめて写しはそれ自体自的となり、単なる真似びとなるのである」

 第三章「季節祭式 春祭り」では、未開人の祭事および儀式について、著者は以下のように述べています。

 

「未開人は彼の生きんとする意志、彼の食物に対する強烈な願望を吐露する。しかし銘記すべきは、その吐露するのは願望であり意志であり憧憬であって、確信また満足ではないことである。そうしたわけで未開人の祭事および儀式はこれが周期的であるときはかなり長期間にわたるものであるのを知って興味が深い。冬と夏が唯一の自然の周期的循環ではない。昼と夜の循環がある。しかもなお原始民族のあいだでは昼と夜の周りに集中する祭式はきわめてまれである。理由は簡単である。昼と夜の循環はきわめて短く、きわめて頻煩に回帰するために、人は当然それをあてにし何ら不安となるべき理由がなかったのである。祭式に必要な情緒緊迫が欠除していた」

 続けて、著者は以下のように述べます。

 

「23の民、たとえばエジプト人は、太陽を呼び戻すために日ごとの呪文を行なっていた。おそらく彼らは初めには真剣な不安の緊張を感じたのであったろう。それから―習慣に狭苦しく捉われた民であったから―単なる旧慣墨守から行ないつづけたのである。太陽が長い間隔をおいて帰る国々、エスキモーのあいだにおけるがごとく6ヶ月もの長期間隠れてしまう所では、祭式は起らざるを得ない。彼らは太陽が沈んで永久になくなってしまうといけないから太陽の球を捕えるために綾取り遊びをする。月は循環が長いがしかしたいして長くはない。この月の周りには祭式がきわめて早くから集中したが、おそらく月の植物に対する影響なるものが憶測されてから初めて生じたものであろう。」

 第四章「ギリシアの春祭り」では、さまざまな祭事や儀式を紹介しながら、著者は以下のように述べています。

 

「これらの笞打ち、追い出し、土埋めの儀式は、すべて、未開人および現代の百姓と同じく、ギリシア人にもその真の目的は1つしかない。すなわち食物のために悪い季節を追い払い、新たな食料を迎え入れかつ蘇生せしめることである。このことはプルータルコスの時代までつづいてきた1つの儀式にはっきりと顕われてくるのであって、プルータルコスはこれが『父祖伝来』のものと言っているのである。それは〈牛餓えの追い出し〉と呼ばれた。『牛餓え』とは恐ろしくがつがつした飢餓のすべてをいうのであって、用語の猛烈とものものしさとは、饑饉が無慙な現実であった時代にわれわれを連れ戻す。プルータルコスが執政官のとき、プリュタネイオンすなわち市の聖炉の燃える長官殿において、彼は長官として儀式を執り行わねばならなかった。1人の奴隷が引き出され、ある魔呪植物の笞で打たれ、『牛餓えは外、福と健康は内!』の言葉とともに屋外に追い出された。ここにわれわれは餓鬼道におちたごとき飢えの生々しい感覚または情緒が名前を得て、その名前からまた1つの人格化を、もとよりそれは『死』または『夏』よりも抽象化の低いものではあるが、得るのを見る。われわれは〈牛餓えの追い出し〉が春に行なわれていたということは知らない。この例をここに出したのはただ、王が豆や豌豆を配るというあの〈カリラ〉の祭事にもまして、なお歴然とこの祭式が古代の模倣祭式と食料との関係を示すからである」

 

 これを読んで、わたしはまるで柳田國男をはじめとした日本民俗学の文献を読んでいるかのような錯覚にとらわれました。

 著者は、アテーナイにあった〈牡牛殺し〉Bonphoniaと呼ばれた年ごとの祭りを取り上げ、以下のように述べています。

 

「牡牛は荘重を極めた儀式をもって殺され、そして参列したすべての人々によって肉が食べられ、それから―皮が藁を塡めて縫い合せられ、次にこの塡め物をした動物は足を張って立たされ、あだかも耕作をしているように犂につながれる。『死』のあとに『復活』がつづいて来るのである。ところでこれがすこぶる大切である。われわれは犠牲(sacrifice)と言えばすぐ死を考え、何かを捨てること、諦めることを考えるのに慣れている。しかしsacrificeは少しも『死』を意味しない。それは神聖ならしむるの意味、神聖化を意味する。そして神聖は原始人にとって正に特殊な力と生命なのであった」

 続けて、著者はこの〈牡牛殺し〉について、以下のように述べます。

 

「彼らが『牡牛』から欲したものは正にその特殊な力と生命であって、これを1年がかりで彼につめ込み、養い育てていたのである。その生命は彼の血の中にあった。彼らはこれを殺さないではその肉を喫い、その血を飲むことはできない。そこで彼は死ななくてはならぬ。しかし彼を殺すのは神々に奉納するためではなかった、すなわちわれわれの意味で『犠牲にする』のではなく、彼を所有し、彼を保有し、彼を食べるため、彼で生き彼によって生き、彼の恵みによって生きるためであった」

 著者はまた、トーテム社会における動物秘密結社で新入者が神聖動物としてふたたび生まれ変わることに言及し、以下のように述べます。

 

「姿隠しと再出現は真似ごとの殺しと復活と同じくらい入社式に普通な祭事であって、目的は同じである。両方とも遷移、1つの状態から他の状態への遷過の祭事である。ギリシアまたはその他の儀式の研究者たちによって、誕生、結婚、死の祭事は、われわれにはまったく別々に思えるのに、原始人にとってはふしぎに同一であることがしばしば言われている。これはこれら祭事がその主意においてみな同じであること、みな1つの社会的地位から他の地位への遷過であることがわかれば説明がつくのである。どの祭事にも2つの要因しかない。すなわち旧態を脱すること、新態をとることの2つである。『冬』または『死』を運び出し、『夏』または『生命』を迎え入れるのである。その中間に君がこっちにもおらず向うにもいない中間状態があり、君は隔絶される、タブーの下にある」

 著者は祭事を意味する「teletē」というギリシア語について、以下のように紹介しています。

 

「ギリシア人および多くの原始民族にとって誕生、結婚、および死の祭事はだいたいとして一家の祭事でなんら社会的強調を必要としないものであった。しかし全部族に関係のある祭事、その本質が部族に入ることにある祭事は、発情期における入社式の祭事であった。このすこぶる重要な事実はギリシア語の中に大切に安置されているのも妙であれば、また意義も深い。祭事riteに対する一般的ギリシア語はteletēであった。それはすべての密儀に用いられ、またときには結婚式や葬式にも用いられた。しかしこの語は死とは何の関係もない。それは『成長する』という意味の語根から出ている」

 続けて、著者は「teletē」について以下のように述べます。

 

「teletēの語は成長の祭事、完成の祭事を意味する。最初これは成熟を意味し、それから成熟の祭事を、それから自然の意味延長から秘密的ないかなるイニシエイションの式をも意味した。発情期の祭事はその本質において秘密的である、なんとなればそれは部族の神聖事へのイニシエイションより成るからであり、これはその社団が認可し保護するところの事物であって、子供でも女でも、または他の部族のものでも、すべて入社式を受けない者は除外されるのである。それから伝染して密儀観念が他の祭事に拡がったのである」

 著者は祭事における「見物人」の登場を指摘し、以下のように述べます。

 

「『見物人』は新しいそして別個の要素である。踊りは単に踊られるばかりでなく、また遠くから見物されるもの、1つの見世物である。昔はすべての者が、あるいはほとんどすべての者が、演ずる信徒であったのに、今は多くの者が、実にたいていの者が、見物人であって、見物し、感じ、考えているが行なってはいない。この新しい見物人の態度のうちにわれわれは実に祭式と芸術の相異に触れるのである。ドローメノンすなわちあなたがた自らによって現実になされたことがドラーマとなった」

 

 これは、この読書館でも紹介した柳田國男の著書『日本の祭』を連想する内容です。同書で柳田は、日本の祭の大きな変化について述べているのです。

 

「日本の祭の最も重要な1つの変わり目は何だったか。 一言でいうと見物と称する群の発生、すなわち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観望する者の現れたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや毀れ、しまいには村に住みながらも祭はただながめるものと、考えるような気風をも養ったのである」

 さらに著者は、劇と踊りの関係について述べています。

 

「祭事の精神、その効力に対する信念は死ぬ、しかし祭事そのもの、現実の型、はいつまでも残る。そしてこのわれわれの慣習とは縁のない古代祭式の型こそ、実に今日、ギリシア劇の復活上演されるとき、われわれに奇態の、または恐らく興醒めの、感じを与える所のもののである。そこにはコロスすなわち一団の踊り手がいなくてはならぬ。なんとなれば劇は祭式踊りから出たからである」

 ギリシア悲劇の発生についても、著者は以下のように述べます。

 

「ギリシア悲劇は、アリストテレースの言うには、ディーテュラムボスの先導たちすなわち〈春祭り〉の先導たちから起った。〈春祭り〉すなわち『夏』と『冬』の真似芝居では、すでに見たように、役者はただ1人であった。1人の役者が2役をかねた―『死』と『生』である。演ずる芝居はたった1つであり、それも一人芝居であってみれば、舞台の必要はあまりない。言いかえれば天幕はわれわれの見たごとく、すべての踊り手が彼らの祭式装束をつけなくてはならなかったから必要があったが、舞台はほとんど用がなかった。粗末な壇上から前口上も述べられようし、その壇上で『新年』の『影向』すなわち『出現』を演ずることもできよう。しかし演ぜられる芝居、生命の精の一代記は、わかりすぎるくらいわかっていた。見る必要はなく、見る必要はなく、踊ることが大切であった」

 続いて、著者は舞台の必要性について、以下のように述べます。

 

「舞台が要るのは―必ずしも一段高い舞台ではなく、ただ踊り手から離れた場所であればよいのであるが―それは役者にやらせる新しい材料が、何か見物する必要のあるもの、見てやる必要のあるものが出来たときである。紀元前6世紀にアテーナイにはその大変革が来た。古い筋書き、生命の精の一代記の救いようなく単調なのに代って、新しい筋書きが、生命の精のでなくて個性的な人間の英雄達のそれが、紹介された。1ト口に言えば、ホメーロス詩がアテーナイに入り、ホメーロスの物語から劇作家たちが彼らの筋書を作り始めたのであった。この改革は祭式の単調およびドローメノンの、死滅を意味した。古いものが死ぬというよりもむしろ新しいものが殺すのである」

 第六章「ギリシア彫刻」では、著者は芸術と宗教の関係について、以下のように述べています。

 

「今やわれわれは、なにゆえあらゆる時代あらゆる場所の歴史において、芸術がいわゆる 『宗教の侍女』であるかを理解する。芸術は事実は『侍女』でも何でもない。彼女は祭事からまっすぐに躍り出でる、その最初の外へ向っての飛躍は神の心像である。ギリシア、エジプト、アスシュリアにおける原始芸術は、祭事、行列、犠牲、呪術儀式、具象された祈禱を表わすか、さもなければこれらの祭事から出てきた神々の像を表わす。いかなる神でもその根本までつきとめてみると、必ずある祭式の莢の中に潜みかくれているのがわかるのであって、この莢の中から徐々に現われ出で、最初は年のダイモーンまたは精として、次に成長しきった神格として現れてくるであろう」

 また著者は、芸術が祭式を支配することについて以下のように述べます。

 

「ある近代評論家は言う、『絵画はすべての芸術と同じく、その根底において、一種の身振りであり、紙上の舞踏の一方法である。』彫刻、絵画、すべての芸術が音楽だけを除いて模倣的である。彼らが生まれた踊りもそうであった。しかし模倣は一切でなく、また第一でもない。『踊りは模倣的でもあろう。しかし所作の美と熱とが感銘を与えるのであって、模倣の精密が与えるのではない。真実を平凡に追加することは邪魔になるだけで説得はしないであろう。踊りが無言所作を統御しなくてはならない。』言いかえれば、芸術がしだいしだいに単なる祭式を支配するのである」

 第七章「祭式と芸術と人生」では、著者は、芸術と祭式との関係について以下のように述べています。

 

「芸術にとって、この初期の段階、この単純形、実にそれ自身がいわば胚期(エンブリオ)芸術または初歩芸術であるものは、何であるかというに―祭式だったのである。 祭式はされば祭式そのもののために研究されたのではない。まして何か特定の教義との関聯のために研究されたのでない。もちろん、一種独特の重みと美しさをもつ題目として祭式は一生涯の研究にも値する。けれどもわれわれがこれを研究したのは、祭式が実人生とそして芸術と呼ぶあの特殊な人生観照または人生情緒とのあいだの、よくありまたおそらく普遍的な移行段階であると信ずるからである。動物踊り、五月祭、そしてギリシア劇まで入れての長い検討が目的としたところはまさにこれ―すなわち芸術は―おそらく23の特に天才的資質におけるほか―直接に人生から起らず、われわれの祭式と呼ぶことにきめたあの人生の要求と願望との集団的強調から起こったということを、明らかにすることであった」

 著者は「芸術は無道徳である」という言葉を紹介します。 それから「すでに見たごとく、芸術はその起原が既に社会的であり、社会的とは人間的ならびに集団的なることを意味する。道徳的と社会的とはその究極の分析においては同一である。舞唱踊りが生じたのを見たあの人間的集団的情緒は、その本質において道徳的である、換言すれば、合一せしめる。トルストイは『芸術は人々を合一させるという特性を持っている』という」と述べます。 この信念においてトルストイは、近代ユナニミスト運動動の先駆をなしているといいます。

 ユナニミストは"il buvait l'indistinction"(無差別性に酔う)と言うべきものです。ユナニミストにはローマ人の苛烈な命令(Divide et impera)「小さく別けて以て支配に便せよ」は死を言うに等しいです。彼の夢は帝国と個人財産ではなく、万人共通の人生の実現です。この派にとっては偉大な実在は社会集団であり、家族、村、または町、いかなる形をとるもよいでしょう。彼らの唯一の信仰教理は人生の一致とその無限の神聖です。

 そして、著者はこのユナニミストについて、以下のように述べるのでした。

 

「何よりもユナニミストは「何人も己れのために生きる者なし」という古い真理を記憶し、新たに実現する。表現派の信条にしたがえば、すでに見たごとく、芸術の目的は情緒を吐露し伝達することである。情緒の最も充実し、最も立派なものは、1人の人間が他の人間に対して感じる情緒である。1つ1つの同情がすべて人生の豊富化であり、1つ1つの反感が否定である。さればユナニミストには、『愛』こそ彼の『掟』の履行ということになる」