No.1210 小説・詩歌 『深い河』 遠藤周作著(講談社文庫)

2016.03.17

 『深い河』遠藤周作著(講談社文庫)を再読しました。 先日わたしはインドに生まれて初めて行きました。ガンジス川を訪れた後、「ベナレス」とも呼ばれるバラナシからブッダガヤに向かう長距離バスの車内で読み始めました。20年ぶりぐらいの再読でしたが、小説の舞台であるガンジス川を見た直後ということもあり、物語の世界に深く入り込んで夢中になって読み耽りました。約2時間で読了しました。

 著者は、1923年(大正12年)生まれの人気作家でした。 父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごしますが、帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリックの洗礼を受けました。41年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表しています。翌42年に上智を中退しています。 その後、慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、50年にフランスへ留学。帰国後は批評家として活動しますが、55年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、文学界の「第三の新人」の1人として脚光を浴びました。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作には本書をはじめ、『海と毒薬』『沈黙』『侍』などがあります。60年代初頭に大病を患い、その療養のため町田市玉川学園に転居してからは「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、「ぐうたら」をテーマにしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けました。わたしも小学校の頃に愛読したものです。

 著者は数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センターを立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行いましたが、96年に昼食を喉に詰まらせ、肺に誤嚥し呼吸停止に陥りました。結果、肺炎による心不全で亡くなっています。享年78歳でした。葬儀は麹町の聖イグナチオ教会で行われました。教会は人で溢れ、行列は麹町通りにまで達したといいます。生前の本人の遺志で『沈黙』と本書『深い河』の2冊が棺の中に入れられました。

    本書の帯

 本書の帯には、以下のように書かれています。 「愛とは何か。魂は救われるのか。母なる河のほとりで、人々はその答えを探し続ける。遠藤文学の集大成」と書かれています。

 また、カバー裏には以下のような内容紹介があります。

「愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向かう人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人のふれ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。純文書下ろし長篇待望の文庫化、毎日芸術賞受賞作」

 本書『深い河』は著者が70歳の時に発表されました。著者の生涯のテーマであった「キリスト教と日本人」の最終章となった作品です。 物語は、戦後40年ほど経過した日本から始まります。インド旅行のツアーに5人の日本人が参加するのですが、彼らはそれぞれに深い業を背負っていました。すべての人間の業を包み込むという聖なる河ガンジスは、5人の魂も救ってくれたのでしょうか。 著者は複数の人間を主人公にすることによって、生涯のテーマであった「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」の融和点、和解点を探り出そうとしています。それまでの著者の小説では主に両者の矛盾の描写が主体でした。しかし、集大成としての本書ではさらに進んで「日本人のキリスト教」「世界に普遍的なキリスト教」を描いたのです。

 このような深い宗教的世界観を持つ本書は、イギリスの宗教哲学者であるジョン・ヒックの宗教多元主義が影響を及ぼしているとされます。それは、さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度であり、思想です。著者自身も「『深い河』創作日記」の中でヒックの思想に影響を受けたことを認めています。心理学者のユングの「シンクロニシティ」などの神秘思想にも影響を受けているようです。さらには、著者が傾倒していたフランスのノーベル賞作家であるモーリヤックの影響も見られる。

 著者は『沈黙』『死海のほとり』『哀歌』といった一連の作品で、キリスト教をテーマとしてきました。それらの作品では偉大なる救世主としてのキリストが描かれていましたが、この『深い河』では旧約聖書の『イザヤによる預言』に書かれているような「みじめで威厳のない」哀れな人間としてのイエスを見事に描いています。若い頃にフランスに留学して以来、「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」を強く感じ続けてきた著者ならではの作品であると言えるでしょう。本書は全13章から構成されています。執筆前にはインドに何度か取材に訪れるなど、著者の作品のうちでも事前に綿密に構成されている作品です。

 Wikipedia「遠藤周作」の「テーマとしてのキリスト教」では、「『深い河』において」として以下のように書かれています。

「日本人とキリスト教の矛盾に苦しんでいた遠藤は、晩年の作品『深い河』において『日本人のもつべきキリスト教像』『汎世界的なキリスト教像』を提示している。遠藤は元来から、キリスト教のみを至上の宗教とする、排他的な思想の持ち主ではなかった。西洋のキリスト教が唱えてきた、キリスト教を唯一の正しい宗教であるとする考えとの乖離は、キリスト教信徒である遠藤にとって大きな矛盾となっていたのである。 そんな遠藤にとって衝撃を与えたのは、イギリスの宗教哲学者ジョン・ヒックの宗教多元論であった。あらゆる諸宗教を等しく価値あるものとみなすこの思想は、遠藤が苦しんでいた矛盾を解決する光となった。 遠藤が興味を惹かれていたインドを舞台にして、新たなキリスト教像を提示したこの作品は、大きな反響を巻き起こした。熊井啓監督によって映画化され、また、歌手の宇多田ヒカルは、この作品に影響を受け、『Deep River』という楽曲を発表している」

 じつは、キリスト教徒であった著者は晩年、仏教の信者となり、仏教徒として死んでいったと言われています。そのきっかけこそ、ガンジス川での体験であったといいます。その真偽はわたしにはわかりませんが、若い頃にキリスト教を信じていた人物が老人になってから仏教に惹かれるようにあるというのは理解できる気がします。 先日、国民作家である五木寛之氏にお会いしました。 仏教に造詣の深いことで知られる五木氏ですが、最新刊の『嫌老社会を超えて』(中央公論新社)で述べておられる以下の言葉が印象的でした。

「これは、私の勝手な解釈でもあるのですけれど、キリスト教は青年の、人間関係や社会参加を重視するイスラム教は壮年の、そして80まで生きた仏陀がこの世の苦を語った仏教は老人のための宗教ではないか、と考えています」

    夜明け前のガンジス川を背に

   夜明け前のガンジス川を背に  夜明け前のガンジス川

 さて、わたしのブログ記事「ガンジス川」で紹介したように、2月15日の早朝、わたしは聖なるガンジスを訪れました。まず、ガンジス川で小舟に乗りました。日の出前は暗かったですが、次第に薄暗かった空が赤く染まっていく美しい光景が見られました。早朝からヒンドゥー教徒が沐浴をしている光景も見られました。ガンジス川で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれています。

    川で洗濯をする人々

   沐浴する人々

 わたしは、船上から火葬場の火が見えたとき、合掌しました。バラナシは「大いなる火葬場」という別名でも知られており、ガンジスの岸辺の2ヶ所に火葬場があります。わたしたちは船上から火葬場のハリスチャンドラ・ガートを視察し、本書にも登場するマニカルニカ―・ガートを訪れました。

   船上から見た火葬場「マニカルニカー・ガート」

   ガンジスのSUNRAY

 そのうちに朝日が昇って、周囲を明るくしました。 船上から朝日を拝んでいる人々がいました。ガンジス川はヒンドゥー教徒にとっての「聖なる河」ですが、太陽は宗教を超えてすべての人間を等しく照らしてくれます。わたしは朝日を眺めながら、「ガンジスのSUNRAYだ!」と感動し、思わず太陽に向かって手を合わせていました。 生涯忘れることのできない、わが「深い河」体験でした。

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