お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 儀礼文化序説
儀礼文化序説
Title

儀礼文化序説』

Category

 No.1192


 『儀礼文化序説』倉林正次著(大学教育社)を読みました。著者は、この読書館でも紹介した『儀礼文化学の提唱』の著者で、國學院大學文学部教授、國學院短期大学学長などを経て、現在は儀礼文化学会理事長です。『儀礼文化学の提唱』は、儀礼文化学会創立30年を記念して、2011年に刊行された本です。その30年前の1982年に刊行された本が本書『儀礼文化序説』です。つまり、儀礼文化学会の創立を記念して刊行された本なのです。一読して、素晴らしい内容に感動をおぼえました。

 本書の「目次」は以下のような構成になっています。


「序」
1 総論
  儀礼文化の分野
  儀礼文化の構造
2 原理論
  儀礼と儀礼文化―宗教儀礼の周辺―
  カタの論理
  儀礼文化における展開の論理
3 各論
  祭りの形と意味
  祭りと儀礼文化―芸術の儀礼文化の一面―
  生活の儀礼文化
  晴と褻
  「公事」の展開
  文学と祭り・行事―源氏物語と枕草子の場合―
  
 1「総論」の「儀礼文化の分野」には、「三.生活と文化」として以下のように書かれています。


「わが国の文化は、欧米の文化に比較してみると、確かに異質な文化であるといえる。そして同じ東洋圏にあっても、中国をはじめとする大陸系文化とは違うところが、種々存するのである。そこにわが国の文化のルーツを探る困難さとともに無限の興味もあるというわけである。
 それはともかく、わが国の文化は世界文化の中でも特色を有する文化であり、また幾多の優れた特性をも有している。こうした特色のある優れた文化をもっているということは、日本人の生活に深い関わりを持つことなのである。換言すると、日本人の生活が豊かであったということである」

 わたしたち日本人の生活にみられる特質とは何なのでしょうか。
 著者は、以下のように述べています。


「その特質は言い換えれば、日本人の生活における文化性ということになるのだが、その生活のもつ文化性の実体は何なのであろうか。私はそうした日本人の生活の特質や文化性を顕現し、その母胎となるものとして、『儀礼文化』の存在を考えることができるものと思う。日本民族の生活の中に『儀礼文化』の姿を発見することができるのであり、さらにそれは日本文化を育成する母胎の役目をもはたしてきたものであると思うのである。
 『儀礼文化』は、わが国の文化の中に、1つの分野を占めるものである。そして、それは日本人の生活に密着して発展した文化であり、そうした意味で、生活文化の1つであるという一面を有しているのである」

 「四.儀礼文化と分類と内容」では、以下のように書かれています。


「江戸以前の時代はその社会体制に順じて公家・武家の2つに分けることができる。そして鎌倉以降の時代は公家・武家が並んで存したわけであり、それらの生活も歴史的に考えることができる。これらの歴史時代には儀礼文化に関する関心が強く、「有識故実」と称する一種の儀式典礼学が行われた。『公家故実』『武家故実』と呼ぶ分野がわかれ、それぞれ伝統的研究と実修とが行われた。小笠原家などに伝わる『礼法』は、この武家故実の流れを今に伝えるもので、いわば生活儀礼学といったものである」

20151104143537.jpg
   芸術の儀礼文化(『儀礼文化序説』より)


 「芸術の儀礼文化」として、著者は以下のように述べます。


「宗教儀礼から直接導き出され、大きな発展を遂げた代表的なものといえば、茶道が第一にあげられよう。宗教儀礼の中、仏教を基盤として生まれた儀礼文化であった。具体的には禅宗の茶礼をその出発点としたものであり、それが日本文化の土壌の上で、ゆたかに育成されたものだったのである」

 茶道からは華道が派生しました。著者は述べます。


「この茶の湯の中からさらに生み出されたものが、華道であった。勿論、茶道の前身に仏前献茶の儀があったと同様に、華道の場合も仏前に花を献り、また花を飾ることが、基礎をなしたことは考えられる。さらにそれ以前に祭りに花を飾る風習も存した。しかし、そうした仏前献花の信仰習俗が、『活け花』として形成される段階に到達するためには、茶の湯の母胎を通ることが必要なのであった」

 著者は、芸能と祭りについても次のように述べています。


「わが国の芸能には、祭りと密接な関係をもって行われるものが多い。民俗芸能においては、特にそうした傾向が濃厚に窺われよう。祭りを芸能展示の場としてくり広げ、また祭りの仕組みの中に、芸能が織りこまれて行われているのである。そこには祭りとの密接不可分の関連性がみられる。それは祭りと芸能との本来の関係を暗示しているものだといえよう。わが国の芸能史をひもといてみると、それらの大部分が祭りを母胎として生まれ、また祭りを展開の場として発達してきた。演劇・舞踊・歌謡等の各分野にわたって、祭りとの関係が見出される。つまり、そうした意味では、わが国の芸能は、祭り文化圏に属するものだともいえよう」

 さらに著者は「カタの文化」について以下のように言及します。

 
「わが国の芸能の場合、共通する特色としてあげられるのは、カタを有し、それも重要視するということである。そうした意味から、わが国の芸能には『カタの文化』といった特性がみられる。このカタの問題は儀礼を考える上で、重要な事柄なのである。カタを有し、カタを生命指標とするところに、儀礼の本質があるともいえるのである。そうした立場から考えると、芸能と儀礼は大変密接な関係にあるといえよう。そして、前述の祭りとの関係を合わせて考えに入れると、わが国の芸能は、儀礼文化としての性格を有するものだとみられるわけである」


 わが国には種々の武術が発達しましたが、これらの武術の発生を考えてみると、それらは元来人間生活を脅かす悪い精霊どもを鎮圧する咒術的わざとして行われていたようです。

 著者は平安時代の宴会文化の専門家であり、『饗宴の研究』という大著もあります。そんな著者は「儀礼文化の構造」によれば、、大臣大饗の第一次会は「宴座」と呼ばれました。記録を見ると、「公宴座」と書いている例がありますので、つまり公式的、儀式的宴会といった性格を持つものであると考えられていたことがわかります。この宴座が終わると、客たち一同は母屋の座を立ち、寝殿の南側の簀子敷に席を移しました。ここで二次会が始まるわけであり、これを「穏座」と称したのです。

 著者は、宴座について以下のように述べます。


「つまり宴座は、威儀を正した堅苦しい雰囲気の宴会であったのであるが、この穏座は、それにひきかえ、それから解放され、おたがいに胸襟を開き、うちくつろいだ自由な気分に満ちた、楽しい宴会の座なのだ、というわけである。だから、宴座は第一次会に相当するもので、儀式的な性格であるのに対して、この穏座はつまり、二次会的なものであり、無礼講といったような雰囲気をもった宴会だというわけである」

 日本の儀礼文化を考えるうえで茶道を無視することはできません。
 特に「お茶事」は日本文化の深さがその中に鼓動しており、茶の湯というものが総合性をもった文化体であることがよくわかります。
 茶事は食礼と茶礼の結合であるといわれます。「初座」が食事とお酒をいただく食礼の席であり、「後座」がお茶を味わいたしなむ茶礼の席なのです。

 著者は、以下のように述べています。


「このように茶事は『初座』『後座』の2つの行事部分からなり立っているわけだが、この2つの座の間に『中立』の部分が置かれている。これは『初座』が終わると、客たちは一たんその席を立ち、外に出て腰掛に戻り、一息いれて寛ぐのである。一方、主人側は、この時間に『後座』の準備をととのえるのである。さらに行事構成の上からみると、この中立を挟んで行事性格がかわるのである。中立はそうした役割りをも果たしているわけである」

「儀礼文化の基礎構造」について、「祭りと宴会」に注目する著者は以下のように述べます。


「祭りの語源は、神にご馳走をたてまつることにあった。つまり、『たてまつる』の古語の『まつる』から出た言葉なのである。『まつり』は本来神に神饌をたてまつることという意味だったのである」

 続いて著者は、「祭り」について以下のように述べます。


「宣長は祭りは神に奉仕することだと説いた。即ち、その語源は神に『仕へまつる』ことにあるのだとするのである。誰が聞いてももっともだと納得できる考えである。しかし、こうした精神的・宗教的な内容が生まれてくるのは、後になっての事柄なのである。こんな内省的な境地が生まれてくる前に、私たちの祖先は長い時代にわたって実際の祭りを営んできていたわけである。
 だから、祭りは神を迎え、神にご馳走をさしあげるという形を基礎に置いているのである。大切なお客を迎えて饗応するという考えと、あい通じる考え方だといえよう。つまり、神を客としてお迎えして接待申しあげるというのが、祭りの基本だということになる。
 来臨される神もお一人であるというわけではない。お伴の神を連れて来られる場合が多いのである。そうすると何人もの神々を客として迎え饗応するというわけで、そのもてなしの形態は饗宴、宴会ということになる。祭りは神々を迎えての宴会ということになる」

 この祭りに臨む神を「まれびと」といい、この古語の屈折変化したのが、客を表わす「まろうど」という言葉でした。著者は述べます。


「『まれ』は度類の大変少ないことを表わす意味の言葉で、ここから尊貴といった意味をも生んだ。『ひと』は選ばれた人間という意味で、普通の人間よりは尊い質をもったものであり、『神なる人』といった感じの言葉である。神としての資格をもって祭りの場に臨む尊い人があったのである」

 さらに著者は「お茶事」について以下のように述べます。


「茶の湯の完成された姿である『お茶事』は、正客以下の客たちを迎え、主人が心をこめて饗応する形をとって催される。それは仏教との関係が説かれてきたが、その形態の上からみると、明らかにわが国伝統の饗宴の基盤の上になり立っているものであるといえよう。仏教関連の種子をわが国の文化土壌の中で成育発展させたものが、茶道であった。『お茶事』はそうした意味でわが国の饗宴文化の精華であるともいえると思う」

20151104150712.jpg
   『祭の構造』(NHKブックス)


 著者には『祭りの構造』(NHKブックス)という名著がありますが、本書でも「祭りの構造と儀礼」として、「わが国の祭りの基本形式は三部構成をとる」と述べています。祭りの構成は3つの部分からなりますが、その三部構成は、「神祭り―直会―宴会」という図式によって示されます。

 宴会について考えるうえでは「穏座」がキーワードになります。
 この「穏座」について、著者は以下のように述べます。


「穏座は祭りの『宴会』に相当する部分である。古語では『とよのあかり(豊明)』と称し、酒の効果が人々の顔色に明るい輝きをみせた状態を表わす言葉だといわれる。これ以上古代人にとって幸福な状況を示す言葉はなかったのであろう。平和の極地を意味する語だったのである。茶道における『和』の精神も、こうした『豊明』に示された祭りの心の延長上に構築された世界であったと思われる」

 「儀礼構造の意味」について述べた箇所では、「コミュニケーション」という言葉がキリスト教の祭りに由来することが明かされます。カトリック教会で行われる祭りを「ミサ」といいますが、この祭儀の中から生まれた言葉なのです。著者は以下のように説明します。
 司祭がカリスを捧げ、ぶどう酒を飲み、助祭者の者がそれをいただき、さらにその後で信者たちがパンをいただく。こうすることによって、信者たちは聖体、すなわちイエスの肉体を自分たちの体内に内在させることができると考えられています。「聖体拝領」です。

 著者は「聖体拝領」について以下のように述べます。


「聖体拝領をCommunionという。共有・共同などの意味をもつラテン語からでた言葉であり、神と人とが一体となるということである。この語からCommunicationということばは生まれたのである。この聖体拝領の考えは、わが国の『直会』とまったく同じ内容をもつものといえる。直会は神と人とが同じ食べものを飲食することによって神の恩寵にあずかることであり、宴会は人と人とのコミュニケーションをはかる場なのである」

 また著者は、「儀礼研究の視点」として、以下のように述べます。


「祭りの三部構成の図式は、ただ単に祭りにだけみられるものではなかった。平安時代の代表的行事である大臣大饗にも、その骨格としてこの三部構成の形は見出すことができた。また茶の湯のお茶事の行事構成の中にも、その精緻な展開の基礎原理として働いた三部構成の存在を窺知することができると思われる。
 これらは代表的な行事について検討を試みた結果であるが、祭りにおける三部構成の図式が、ただ祭りにだけ発見されるものではないことは納得されよう。つまり、祭りの三部構成はわが国の行事のさまざまの分野の中にみられる、いわば純粋図式であるといえよう。わが国の儀礼文化の基本的構造図式の1つであるということはいえると思うのである」

 さらに著者は「法要はシンフォニーのようなものだ」という中尊寺の僧侶の言葉を引用しつつ、以下のように述べます。


「法会がシンフォニーのようなものだ、という清水秀澄師の言葉を紹介した。儀礼の構造を考える時に、私はいつもこの言葉を想起する。音楽を聞き終わった後の深い感動は、結果として恵与されるものであるが、そうした感動を生み出すのは、音楽の演奏の過程によって醸成され、集積されるものであろう。
 儀礼および儀礼文化というものもそういう類にほかならないと思うのである。目的・意義・価値は全体として生み出されるものであるが、それを合目的的に、有意義に、より高い価値として成立せしめるのは、儀礼過程にある。いいかえれば、儀礼構成の如何にあるのである。
 儀礼構成の問題は、基本的には儀礼を形成する部分と、位相性の2つに集約されるとみられる。儀礼部分にはさらにそれを組みたてる単位としての儀礼行為がある。そうした儀礼行為の編成によって儀礼部分が形づくられるわけである」

 2「原理論」の「儀礼と儀礼文化―宗教儀礼の周辺―」では、「一.儀礼の定義」として、その冒頭に以下のように書かれています。


「『儀礼』とは何かという概念については、一般的に次のように規定することができよう。
 儀礼とは、信仰伝承や社会的慣習または生活的慣習などによって生じ、または形成されたところの一定のカタ(型)を有する行為一般、およびそれを構成する要素を意味するものである。わが国の場合、これに相当するものとしては、まず宗教および民俗信仰に伴う各種の儀礼が挙げられよう。わが国には多種にわたる宗教が行われている。その点、キリスト教1つを信奉するヨーロッパの諸国などとは様相を異にしている」

20151104143725-1.jpg
   生活の儀礼文化(『儀礼文化序説』より)


 「二.生活的・社会的慣習と儀礼」では、「冠婚葬祭」について次のように説明がなされています。


「冠・婚・葬・祭というのは、人生儀礼の主な名目であるが、いわばその通用名詞として用いられている。これらの各儀礼は中国の古儀に則り、わが国の習俗として発展したものであり、その主要部分は武家時代に形成されたものとみられる。
 冠は元服で今の成人式に当たり、婚は婚礼、葬は葬儀、そして祭は死後の回忌法要を含め、先祖祭りを意味している。このようにみてくると、そこには中国の『五礼』などの儀礼の影響が濃く窺われるように思われるが、実際にはわが国の人生儀礼はこうしたものだけに規定されているわけではなかった。
 特に民俗として伝承される人生儀礼をみると、そこには実に豊かで多彩な儀礼習俗を知ることができるのである。人の誕生から死に至るまでの一生にかかわる儀礼が、その人生過程に応じて豊富に伝承されている。誕生に関する儀礼といっても、それは出生に始まることではなく、誕生以前、さらに言えば母胎に宿る霊魂の時点からその儀礼は始まるのである。
 そして、幼児・少年・青年と成長する過程に則した儀礼が行われ、やがて一人前の村人として承認され、結婚し、村落共同体の構成員として活躍し、遂には長老として村の祭祀にあずかり、そして天寿を全うして死を迎えるまで、多様な人生儀礼が存するのである。
 さらに儀礼は死後も続行される。他界した霊魂に対して、魂祭りが催され、祖霊を合一する時まで、その儀礼は執り行われるわけである。年中行事がそうであったように、人生儀礼においても、その根源はわが国の固有信仰の問題にかかわってくるものなのである」

 さらに著者は、以下のような重要な指摘を行っています。


「誕生祝いや七五三の祝いなどをみると、それらはすべて、個人に対する祝福行事のように見なされるが、これはむしろ現代的な認識である。わが国本来の人生儀礼に対する理解は単なるそうした一面的なものではなかった。こうした認識は、村落共同体が崩壊し、核家族化した現代社会において、初めて生まれた結果なのである。
 人の一生に関する儀礼には、個人に対する祝福行事的要素があるのは勿論であるが、他方ではそれは対社会的な意味を有した。人生儀礼は社会との関連性の確認において行われた。子どもが生まれると、まずお宮詣りを行うが、これは氏神さまに氏子であることを認めて貰うためのものであった。
 七五三の祝いは、襁袪の育みから離れ、社会参加をする契機に関する祝いであった。また元服などの成人式も本来は通過儀礼の性格を有する行事であり、社会的性格を基本的に有するものであった。このように人生儀礼は、それは個人に関する行事ではあるけれども、同時に社会的目的をもって行われる儀礼であったのである。そうした意味で、人生儀礼は社会儀礼的性格を備えたものであったといえるのである」


 人生儀礼とは社会儀礼でもあったのです。これを忘れてはなりません。

 「まつりと儀礼」では、以下のように「まつり」という語について述べます。


「『まつり』という語の原義が、本来儀礼と深い関係を有するものだったわけである。
 そして、この『まつり』の原義を、場を替えて展開したものが、直会であり、宴会であった。直会の部分にも、さらには宴会の部分にも本来的に儀礼の要素が存したのである。これがわが国の祭りの姿であり、こうした意味で、祭りはそれぞれの部分において、儀礼と本質部に深いかかわりを有し、また儀礼を主体とする性格を存したのである。ここにわが国の祭りの特色があるといえよう。このように祭りは、それ自体全体として儀礼的性格を有するばかりではなく、それを構成する各部分において、それぞれ儀礼的内容を有するのである。祭典・直会・宴会の各部分がそれ自体儀礼として形成されている。つまり、それぞれが儀礼構成を有しているのである」

 次第に「儀礼の正体」が見えてきました。著者は述べます。


「儀礼の個性というものは、実はカタに存するのだといえよう。つまり、儀礼行為はカタの表現であるといえよう。このカタを表現し行うことによって、儀礼の意義は生まれ実現されるのである。儀礼の本来有する個性はそのカタの実現によってはじめて表明され、その価値はカタの表現によって初めて評価の対象となるといえるのである。言い換えると、儀礼の個性・価値は、カタの有する個性であり、またカタに対する価値の承認にほかならないといえよう。
 儀礼の目的というものは、勿論行為によって果たすことができるわけであるが、その行為は一定のカタに基づくものでなければならない。つまり、カタの正確なる実践によって、儀礼の目的は初めて果たされるというわけなのである」


 なるほど、儀礼とはカタの正確なる実践であるというわけです。
 また著者は、「儀礼は、それ自体によって人間生活を向上発展に導き、その民族や国の文化創造に関して、直接的な働きをなすものである」と喝破しています。

 「カタの論理」では、著者は以下のように述べています。


「カタが完全に具現されなければ、それはカタチとは言われないと思う。つまり『カタチにならない』というのはそういうことなのである。儀式・行事は故実に則って行われなければならない。なぜならそうした儀式・行事は優れた祖先たちの作り定めたことだからである。中国風に言えば『先王の道』だからである。これが故実の考え方である。しかもそれはカタの志向と一致することなのである。儀式・行事は定められたカタである。そうしたカタは適切な時をえて、実現されなければならないはずのものである。それが儀式・行事のカタチとして実践されるわけである。それらはカタの通り完全に行われなければならないのである」

 もともと「チ」とは「霊」すなわち「生命」という意味です。
 「カタ」に生命がこめられて「カタチ」となるのです。
 著者は、以下のように述べています。


「儀式・作法は言いかえればカタであるが、そのカタは先王の定めたものである。そしてそれは先王以来各時代を通して実行してきたことである。それを『道』という。つまり、カタの実情が道であるということにほかならない。先王の定めたカタを実践し、カタチとして実現するわけであるが、そのカタからカタチへいたる実践過程、即ち道程を『道』というのである。道は出発点から目的地へ到達するためにあるものである。目的地へ行くための手段である。カタを完全でしかも理想的なカタチとして表現するための実践過程が道である。カタを実践し、完成化するために努力し、精進するところに『道の世界』が存するのである」


 いわば、カタ → (道) → カタチ。こういうことですね。

 3「各論」の「祭りの形と意味」では、わが国の古代には、祭りが1つしかなかったことが明かされます。それは稲の祭り「新嘗祭」でした。この祭りが中国暦の輸入により、暦の考えが複雑になり、いろいろに分化したのです。
 著者は「魂の行方」として、以下のように述べています。


「仏教の入ってくる以前、村人の死後、その霊魂はどこに行ったのであろうか。これには時代や宗教観の変遷により、さまざまな答えが用意されなければなるまい。しかし、村人の考えの中に死者の霊魂をあずかるものとして、村の産土神の信仰のあったことは考えてよい。
 産土神には祖霊神としての性格がある。日本人の霊魂観では、死者の霊魂は祖霊に合一するものと考えていた。村人の魂はすべて産土の神霊に合一するのだと信じていた。しかし、死後直ちに神霊と1つになると考えたわけではない。何年忌・何十回忌といった法事が営まれるが、こうした仏教行事の基礎には、日本人の霊魂の昇華の段階の考えがある」

 さらに著者は、年忌法要について以下のように述べます。


「三十三回忌・五十年忌・百年忌というように、土地によりその年限に相違はあるが、ある年限に達すると、死者の霊魂は浄界に生まれ変わると考えられている。つまり、日本人本来の信仰からいえば、神になるのであろう。仏教が普及し、寺院が村々に建立されるようになると、産土神の霊魂管理者としての職能は、しだいに寺へ移行されてしまった。仏教以前、村人の霊魂は産土神にゆだねられていた。死後、やがて、霊魂は産土の森に帰り、また生まれ出ずる者の霊魂も産土神から分かち与えられていたのである。われわれ日本人の祖先崇拝の基礎はここにあったのである」

 「祭りと儀礼文化―芸術の儀礼文化の一面」では、「一.カタの文化」として、まず礼法が以下のように紹介されます。


「礼儀作法と呼び慣わされたものである。わが国には、平安時代の貴族社会に発達したものに有職故実というものがある。これは中国の儒教思想による『礼』の考えに基づくものであるが、そうした道徳的な意識よりも、むしろ実際的な作法に重点が置かれていた。カタを主とする晴れの生活知識であった。
 それはわが国古代の貴族社会が特殊な性格を有する点に起因したものとみられる。というのは、貴族生活の中心は宮廷を基盤とする政事生活にあった。そして、その政事生活の源は祭りの生活に存したのである。こうした説明は余りに短絡的に聞こえるかもしれないが、祖先たちの政治に対する考え方は、現代の政治意識とは、本質的に異なるものであった」

 著者は「政治」について以下のように述べます。


「政治は『まつりごと』といわれたが、これは言語的にみても『まつり』から出た言葉であり、実際的には『まつり』の拡大実践という形で発展を遂げてきたものであった。『まつり』は勿論祭祀儀礼を中心とするものである。『まつりごと』においても、儀礼的性格は継承された。わが国の政事の特性は、その儀礼性の尊重とその実践というところに存したともいえよう。こうした政事の性格の上に、中国の『礼』の思想を取りこみ、王朝時代に発展したのが、有職故実であるといえる。つまり、これはある意味では、古代の政治道であったのである」

20150125171522.jpg
   『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)


 著者は、「祭り」の語源を以下のように明らかにします。


「祭りの語源は、『たてまつる(奉献)』の根本の語である『まつる』という動詞に求められる。これは『さし上げる』『お供えする』という意味の古語であり、これが名詞形になったのが『まつり(祭)』である。
 神に御食・御酒をお供えすることが、祭祀の源であったのである。『まつる』という語は後に他の動詞について敬語表現を表わす補助動詞として使われるようになった。これは祭りの発展と深い関わりを有する現象の結果であった。
 『まつり』は神に神饌を献供するという素朴な祭祀の『かたち』から、神に奉仕するという精神面への深まりを意識するようになった。祭りのカタチから『こころ』へといった精神深化を示すようになったのである」


 わたしは『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)で、日本の「おもてなし」の源流が神道の神祭りにあることを示しましたが、まさに「まつり」こそは「おもてなし」のルーツだったのです。そして、祭りの本源とは、カタチを誠意をもって実践することにありました。

 著者はまた、「祭りは神話の再現であり、神の世界への帰巣を意味するということである。祭りの実践をこのように理解していたわれわれの先祖たちの真意を考えてみると、それは『皆々仏祖の行ひの跡を学ぶ』とする利休の考えに等しいものであるといえるように思う」とも述べています。「茶をたてて仏に仕へ」という仏前献茶の奉仕の後に、「人にも施し、我も飲み」という茶会の座が設けられるのです。両者の構成上の関係は、まったく祭りにおける神祭りと直会との位相関係と同様であり、茶会はこの直会にその目的も意義も等しいものであるとみられます。

 著者は茶会について以下のように述べます。


「そこに『仏祖の行ひの跡を学ぶ』境地が生まれるのであり、これは神に対する奉仕の心が、直会においては参会の人々に対してむけられると同様のことであろう。茶盛ということが行われ、それは酒盛と同じ内容のものとみられ、茶の湯にも酒宴と同様の催しが行われていた。この茶盛の流行を考えてみると茶の湯にも、祭りにおける三部構成、神祭り―直会―宴会(二次会)という構成に匹敵する行事的発展が示されていたのである。ただ茶の湯が一般の祭りと異なる点は、精神的展開に重点を置いたというところであろう」

 さらに、著者は「祭り」と「茶の湯」の共通性について以下のように述べます。


「祭りでいえば直会の精神を拡大し貫徹したということである。直会における精神を二次会にまでおし及ぼしたということなのである。その根底にあるのは、『祭りのこころ』と異なるものではあるまい。ただし、それを単に神の世界にとどめず、人間の世界のものとして発展させたところに、茶の湯の『こころ』の確立があったといえよう。こうした意味で、茶道は、祭りにおける複式展開を、仏事に対して具現したものであるといえよう」

 「茶の湯」に続いて「生け花」がありました。
 著者は、「花をたてる」ことについて以下のように述べます。


「直会の性格を有する会席にたてられた花には、この素朴な民俗をひきあいに出すまでもなく、神の依り代としての性格が付与されていた。そこに『花をたてる』という言葉の根拠があるのであり、花の形も自然と規定されてくるというわけである。
 会席の花は単なる装飾物ではなかった。花をたてる心構えは、茶をたてふるまうと同じものであるはずである。花をたてるということは、カタチによる表現であることは事実である。しかし、美しく立派に飾られたところの花のカタチだけを問題にするのではない。花をたてるというカタチの表現に同様に重要な意味が存するであろう。花をたてるという行為自体に実は意味が存するわけである」

 さらに著者は、会席にたてられた花について語ります。


「それは茶の湯の場合と等しいものであると思う。いかに美しく立派に活けられたかということのほかに、いかに美しく立派に活けるかという問題が存するように思う。そこには祭りにおける『直会』の精神が生きているはずなのである。そこに生け花が『華道』と呼ばれてきた理由が存するはずである。
 生け花は空間芸術の世界であるといわれる。彫刻や絵画と同様の芸術性が主張されている。現代社会に活路を開かんとする生け花においては、それは当然の正論であろうと思う。
 これは『カタチによる表現』という考えである。しかし、生け花の本質論として、『カタの表現』という問題の潜在するということは忘却されてはなるまい。そうでなければ、生け花は『華道』であることを、自ら放擲し、それを否定する帰結にたどりつくはずである。直会の『こころ』が置き去りになってはならないのである」

 「生活の儀礼文化」では、「一.儀礼文化とは何か」として、以下のように儀礼の定義を行っています。


「『儀礼』とは何かというと、宗教伝承や社会的・生活的慣習などによって生まれた、一定のカタを持った行為をさすといえよう。さらにはそうした行為を形造っている要素をも含めて、『儀礼』といえると思う」


 儀礼文化の特徴の1つは「カタの文化」にあり、祭りと深い関係をもって発展してきました。祭りこそは日本文化の母胎であると言えるでしょう。

 著者は日本文化について以下のように述べています。


「この国の文化は、長い歴史の間に、種々の祭りに関する外来文化を摂取してきた。仏教・儒教・また道教などを無差別といえるほど受け入れてきた。ヨーロッパでは、キリスト教の伝播に伴って、各国の文化は、キリスト教一色に塗りつぶされてしまった観がある。ところが、わが国ではむしろ雑多といえるほど、多くのものが混在しているのである。
 しかし、私たちの祖先は決してそれらの外来文化を野放図にお構いなしに受け入れたわけではなかった。ちゃんと選択をし、消化不良を起こさないように摂取しているのである」

 その消化不良を起こさない日本人独特の受け入れ方がありました。
 日本人は健康な胃腸を持ち、それらを消化し栄養とする消化能力を備えていたのです。その胃腸の役目を果たしたのが「祭り」でした。そしてそのたくましい消化能力こそが祭りのエネルギーでした。著者は次のように述べます。


「わが国の儀礼文化は、そうした種々の宗教および宗教文化を受けいれて、発達をしてきた。それは茶の湯や舞楽などを思い浮かべただけでも納得が行くところであろう。しかし、それを受けいれて、砂上の楼閣にしなかったのは、しっかりした基礎造りがされていたからである。それらの母胎になったのが祭りであった。しかもそれらを建物として構築する原動力に祭りの本源的力があったのである」

 具体的に「儀礼文化」というと、種類別に分けると、次の3つになります。
 「生活の儀礼文化」「芸術の儀礼文化」「宗教の儀礼文化」です。
 このうち、わたしたちの暮らしに最も身近なのは「生活の儀礼文化」です。わたしたちの年間の生活をみると、毎日の暮らしの連続の中に、時々折り目のような役目をしている「年中行事」というものがあり、とかく単調になりやすい生活にリズムを与えてくれます。

 この「年中行事」について、著者は以下のように述べています。


「年中行事には儀礼的要素がある。七夕など各地で盛んになり、観光祭のようになったところもあるが、元来は家々で行なうなつかしい行事である。正月には前年の暮れの中から種々の行事が続き、元日は若水汲みに始まる祝いの行事が、家々によって違った方式によって営まれる。このように考えてみると、年中行事は儀礼文化そのものであるといえよう。
 年中行事は家を基盤として催される。つまり、『家の祭り』であるともいえよう。これに対して社会的単位で行う祭りがある。村々の鎮守では祭礼が行われる。明治以後同じような祭り方になってしまったが、以前はそれぞれの社で違った祭り方をしていたところが多かったようである。そうしたなかで特別の古い祭りの次第の残ったものを『特殊神事』という」

 中国では「五礼」といって、儀式を5つに分類しました。
 吉礼(祭祀)、凶礼(喪礼)、賓礼(賓客)、軍礼(軍旅)、嘉礼(冠婚)です。
 これは公式の儀式で、最もオーソドックスな分け方でした。わが国では、一生に関する儀式を冠・婚・葬・祭と分けますが、これは中国のこの嘉礼・凶礼などの考え方に則ったわけ方なのです。著者は以下のように述べています。


「所詮、冠婚葬祭という分け方は、中国式の儀式を典拠とした考えにすぎない。私たちの祖先は、その成育の過程に応じ、また成人後も年齢を重ねるのに順じて、種々の祝い行事を催してきた。そこには人生に対する深い配慮が感じられる。それらを思うと、日本人は人生に対して労りと慈しみをもって、大切に考えていたことがよくわかる」


 そう、冠婚葬祭とは人生を肯定し、人生を謳歌することなのです。本書を読んで、冠婚葬祭に代表される儀礼文化の意味と意義をより深く理解することができました。これから何度も繰り返し読みたい名著です。