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団塊嫌い』

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 No.1127

 新しい著書の出版が決まりました。『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イーストプレス、仮題)です。来年の3月には上梓の予定ですが、わたしは特に団塊の世代の人たちに読んでほしいと思っています。
 団塊世代といえば、『団塊嫌い』岩本真侍著(評言社)を読みました。
 サブタイトルの「俺達は団塊じゃない」「昭和サブカルチャー★プロレスからロックまで」に反応して思わずアマゾンで注文したのですが、最も敏感に反応した「プロレス」に関しては肩すかしでした。ちなみに昨日、「一条さん、プロレスの本を書きませんか」というオファーもありました。プロレスや格闘技についての本を書くのはずっと夢だったので、大いに心が動きますね。しかし、これ以上仕事を増やすと、時間破産になる恐れが・・・・・・

 

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   本書の帯


 

 本書の著者は1956年生まれ。グラフィック・デザイナーとしてスタートし、様々なデザインを手掛けました。その後、プロデューサー、プランナー、コピーライターとしても活動。"FM‐FUJI"のラジオ番組『ShinちゃんPonちゃんのOh!Yeah!』の番組構成及びナビゲーターをはじめ、数多くのラジオ番組に出演しているそうです。

 

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   本書の帯の裏


 

 「プロレス」に関しては、著者の叔父がプロレス好きだったようで、テレビでプロレス技を覚えると、必ず著者で試していたそうです。叔父さんは、自分も力道山のようになりたかったようです。著者は次のように書いています。


「僕にとっては、アメリカ人だろうが日本人だろうが、どこの国だろうとどうでもよいことで、力まかせに戦うよりも華麗な技を見せてくれるレスラーが好きだった。特に憧れていたのは、鉄人と呼ばれていた『ルー・テーズ』、神様と賞賛されていた『カール・ゴッチ』、必殺技アルゼンチン・バックブリーカーの生みの親『アントニオ・ロッカ』のお三方」

 

 そして、書名ににもある「団塊」について、著者は次のように述べています。


「団塊世代というのは、第二次世界大戦後、数年間のベビーブームに生まれた世代のことで1947年から1949年までに生まれた人たちのことだと言われていて、僕たちはそれよりも10年程後に生まれている。『ベンチャーズ』『ビートルズ』などに影響を受け、世界的に有名な『ウッドストック・フェスティバル』が青春真只中だった彼らは、さまざまな分野で実験的なことを行い、新しい文化を生み出していったのである。だから始末が悪く、自分たちが世の中を動かしているような発言を、僕たち世代にしてしまう。さらに、人の話を聞かないという節がある」


 拙著『永遠葬―想いは続く』(現代書林)にも書きましたが、わたしは「団塊の世代」のことを「唯物論の世代」ではないかと思っています。正確に表現するならば、「唯物論者が多い世代」ということです。団塊の世代の彼らがどのような葬儀を希望するのか、わたしは非常に注目しています。なぜなら、団塊の世代の大きな特徴の一つが「宗教嫌い」だからです。
 言うまでもなく、葬儀とは宗教儀礼にほかなりません。


 日本人はよく、「無神論者ではないか」と海外の人々から言われますが、けっして神を信じていないわけではないとわたしは思います。ただキリスト教やイスラム教といった一神教の世界宗教に比べ、多神教の日本人が「いいかげん」に映るのです。しかし、団塊の世代の多くは、明らかに宗教を嫌っている気がします。これは戦前・戦中の国家神道に対するアレルギー反応のようなものだと思います。親たちが信じすぎた国家神道によって、日本は侵略戦争を起こし、敗北してしまった、悪いのは宗教である、という図式です。実際、核家族化が進む中で、団塊の世代は日本的な伝統の継承が薄らぐという環境の中にもいました。

 

 団塊世代は、古い共同体が生んだ最後の世代です。戦争に負けて帰ってきた男たちによって、彼らは生を受けました。ゆえに彼らの精神には、否が応にも古い日本が刻印されているわけですが、それを否定することで、自分たちの存在理由を高めてきたといえます。だからこそ、彼らは、古い日本を否定し、大都市に集まり、新天地である郊外にマイホームを求めました。郊外には、面倒な人間関係も古くさいしきたりも必要なかったわけです。ただ自分たちだけの家族がいて、自分たちだけの幸せがあればよかった・・・・・・。そこに、もはや宗教が入り込むスキマはありませんでした。墓参り、村祭り、年忌法要などは、彼らは仕事を理由にして参加しませんでした。すべての宗教的な行為を無意味であると考えたわけです。

 

 国家神道へのアレルギーは、団塊の世代が有する「反抗心」の表れだと思います。団塊の世代は戦争を知らない世代ではありますが、その親は青春時代に終戦を迎えています。戦後、占領政策によって価値観の強制的な転換政策があったにせよ、戦地から引き揚げてきた父親や空襲などを体験している母親は「教育勅語」によって教育されてきた世代なのです。「教育勅語」が戦前の学校教育の柱であったことを考えれば、団塊の世代の両親は、自分の子どもたちに「人の道」に外れることを厳に戒める教育を受けさせていたのではと想像できないでしょうか。団塊の世代は小中学校では「個人主義」、「平和主義」に基づいた教育を受ける一方で、家庭では「愛国心」や「公」の精神を持った祖父母や両親から躾けられた世代でもあったはず。

 

 ちなみに現在、安保関連法案に反対する学生団体の代表とその家族に殺害予告が出ていますね。代表である学生のお父さんはわたしもよく知っている人なので複雑な心境です。何かを発言する者に対して殺害を予告する愚行には怒りを感じます。しかし、学生団体も首相に下品な暴言を吐いたり、中指を突き出すファックユーのポーズなどはいただけません。

 わたしの知っている父君は本当に立派な人格者なので、あのような行為だけは親御さんとして正していただきたいと思います。いくらデモでも、やはり最低限の礼節がなければなりません。そして、そこには「愛」がなければなりません。政治にしろ、宗教にしろ、結局すべての基は愛ではないでしょうか?

 

 下品な行為といえば、わたしのブログ記事「葬式ごっこ許すな!」で紹介した山本太郎の暴挙には大きな怒りをおぼえました。しかし、彼はあっさり謝罪しましたね。支持者からは「簡単にあやまるな」「裏切りでは」の批判が噴出しているそうですが、本当につまらん男です。それにしても、山本も馬鹿なら支持者も馬鹿ですね。もしかして団塊世代が多いのでしょうか? 


 戦前と戦後の価値観が大きく転換していくことに悩むことはなかったにしても、総じて貧しかった時代でもあり、子ども心に、日本に勝ったアメリカの物質的な豊かさ、民主的な夫婦や家庭などに憧れない方が不自然というものです。身を粉にして働く両親に育てられながらも、新しい時代の理想的な生活とのギャップが時に反抗心となって現れることもあったでしょう。しかし、団塊の世代=全共闘、学生運動という単純な図式ではなかったはずです。団塊の世代の大学進学率は23%程度でしかなく、多くは中学、高校を卒業して「金の卵」と称された真面目な労働者となっていくのです。

 

 大学に進学した団塊の世代の人々も、そのすべてが学生運動に参加していたわけではないでしょうし、いわんや全共闘の闘士などは少数派に過ぎなかったはずです。しかし、実数として多い世代であるため、あたかも「反抗する世代」という印象を強めているのでしょう。とにかく、わたしは団塊世代が嫌いです。本書を読んでもっと嫌いになりました。