No.1116 国家・政治 | 評伝・自伝 『朝日新聞と私の40年戦争』 渡部昇一著(PHP研究所)

2015.09.17

 『朝日新聞と私の40年戦争』渡部昇一著(PHP研究所)を読みました。
 高校時代から「朝日新聞」の偏向報道には疑問を抱いていましたが、一連の従軍慰安婦についてのねつ造歪曲報道の真相が解明され、「とんでもない組織だな!」という思いが強くなりました。

   本書の帯

 本書の帯には「朝日新聞という巨大な『岩盤』に抗し続けた半生の回想録」「傷つけられた日本国と日本人の名誉を取り戻すために」「なぜ林彪事件を報道しない?」「角栄裁判は暗黒裁判」「『侵略』を『進出』に書き換えた教科書などない!」「南京大虐殺は幻」「慰安婦強制連行はなかった」と書かれています。

   本書の帯の裏

 本書の「目次」は以下のような構成になっています。

「はじめに」
第一章 「林彪副主席は健在である」!?
     ―朝日新聞と私の戦いの始まり
第二章 「ヒトラー礼賛者」と呼ばれて
     ―わが体験的”朝日新聞人観”
第三章 東京裁判以上の暗黒裁判!
     ―「角栄裁判」における朝日との戦い
第四章 「侵略」を「進出」に書き換えた?
     ―萬犬虚に吠えた教科書誤報問題
第五章 日本人の名誉にかけて捏造報道と戦う
     ―「慰安婦」の次は「南京」だ!

 「はじめに」の冒頭で、著者は次のように書いています。

「私は元来、英語の教師です。1960年代から70年代の初めにかけて、私は主として英語学の論文を執筆していました。質はともかくとして、その分野では『世界でいちばん厚い本』も出版していました。当時、私は英語で書かれた文献が一篇もないような英語学の分野を開拓して、本にしていたのです」
 また著者は、以下のようにも書いています。

「私が論争の世界に入った頃、朝日新聞は圧倒的な権威であり、岩盤のような硬さと威厳を持っていました。その朝日新聞がようやく私の人生の終わり頃に”夕日新聞”になりかけていることが、誰の眼にも明らかになってきました」

 第五章「日本人の名誉にかけて捏造報道と戦う」では、「『慰安婦問題検証記事』の無責任」として、著者は以下のように述べています。

 「30年以上にわたる『朝日新聞』のデタラメな慰安婦報道への猛烈な批判に耐えかねたのか、2014年8月5日付『朝日新聞』朝刊は、見開きで『慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます』と題した『慰安婦問題検証記事』を掲載し、読者からの質問に答える形で、これまでの批判に答えています」
 その内容があきれるほど無責任なものであったことは周知の事実です。

 また著者は「傷つけられた日本の名誉を回復させる責任を果たせ」として、朝日新聞社に対して以下のような要求をしています。

「まず朝日新聞の社長にアメリカに行って慰安婦像を建てた市の市長に会ってもらいたい。そして『慰安婦像の根拠になった話は全部嘘です。その嘘は私が社長を務める新聞社から出たものです。嘘話に基づいて建てられた慰安婦像をこのまま建て続けることは街の恥になります』と伝える。市議会の壇上でも演説する。それを慰安婦像が建つすべての市でやってもらいたいのです。
 次に韓国の朴槿恵大統領に面会を求め、『あなた方がやっている従軍慰安婦問題の反日キャンペーンは全部私の新聞の嘘に基づくものです。これは社長の私が責任をもって言います。このまま続けると、あなた方の恥になります』と言う。
 さらに、国連人権委員会に慰安婦問題についての報告書を提出したクマラスワミに会って、『あなたは報告書で、慰安婦問題について日本政府に法的責任を取るよう求めましたが、あなたが日本を非難した根拠はすべて私の新聞の流した嘘に基づくものです。あなたはオーストラリア人の意見も入れたと言うかもしれませんが、そのオーストラリア人の書いた本も100パーセントわが社の嘘に基づくものです』と言って、報告書の取り下げを勧告する」

 まったく正論です。日本の名誉を回復するためには、これくらい当然だと思います。

 「南京大虐殺は幻」と訴える著者は、以下のように述べます。

「朝日新聞も大虐殺を信じていませんでした。南京攻略戦には新聞各社、何十人もの取材班を派遣しています。朝日からは80人ほど行っていますが、虐殺を見たと証言している人はいません。だから東京裁判後もほとんど問題になりませんでした。知っている人が多過ぎたからです」

 では、なぜ「南京大虐殺」などという話が広まったのでしょうか? 
 著者は、以下のように述べています。

「『南京大虐殺』が広まったのは、本多勝一記者が『朝日新聞』に『中国の旅』を連載した1971年(昭和46年)頃からだったように思います。シナ事変当時のことを知っている人が減る一方、『戦前の日本は悪い国だった』という東京裁判史観はすでに深く浸透していましたから、『大虐殺』を受け入れる下地ができていたのです」

 こんな与太話を信じている外国人に対して、日本人は何と言えばいいのでしょうか。著者は、以下のように素晴らしいアドバイスを披露しています。

「一般の人は、外国人などで南京問題を持ち出す人があったら、たとえば次のように答えてはいかがでしょうか。『南京問題は蔣介石さんが最もよく知っていたはずです。この人が300回にも及ぶ外人記者会見で大虐殺なるものに一度も言及しなかったのはなぜでしょうか。あなたは蔣介石よりも当時のことをよく知っているのですか。そういえば毛沢東も大虐殺なるものについては何も言いませんでしたネ』」

 著者は「ただ心強いのは、当面、安倍首相がいてくれることです」と述べ、以下のように言います。

「戦後は東京裁判史観にとらわれて、『シナ事変は日本が悪かった』と思っている人が大半ですが、私の世代はそう思いません。そう思わなかった最後の首相が大平正芳氏で、そう思った最初の首相は細川護熙氏です。マッカーサーですら『日本の戦争は自衛戦争だった』と証言したというのに、細川首相は『侵略戦争だった』と言ったのです。彼は朝日新聞出身です」

 そして著者は、岸首相およびその孫である安倍首相について以下のように述べます。

「岸首相は『米軍の駐留は条約なしで占領されているのと同じだ。日本は独立国ではない』と気づき、少なくとも名目上は平等の形になるよう、政治生命をかけて、安保を改定しました。そしてその後を見ても、細川氏以前には東京裁判を認めるような愚かな宰相はいませんでしたが、岸首相以来、強烈な国家観を持つ宰相もまた、安倍首相が出てくるまではいませんでした。それほど安倍首相は確固たる国家観を持っています」

 「朝日新聞」といえば、わたしは、もっぱら広告主としての立場で付き合っています。
 というのも、わが社がさまざまなニュースリリースを流しても、朝日だけは絶対に取り上げてくれないからです。毎日も読売も産経も日経も西日本もすべて取り上げてくれるような話題でも朝日だけはいつも無視です。「隣人祭り」も「世界平和パゴダ」も、何であれ、わが社が関わっている案件には絶対に関わろうとしません。
 このわたしも、これまで新聞には数百回も写真入りで登場していると思いますが、なぜか朝日だけは無縁です。一度だけ、朝日の女性記者からインタビューされ、写真も撮影してもらいましたが、なぜかその記事はボツになりました。

 イデオロギーの違いとかなんとかではなく、要するに朝日とは相性が悪いのでしょう。例の謝罪会見をして辞任した某社長が西部本社の代表だったとき、ある月見会で会ったことがあります。わたしが名刺を差し出すと、相手は「名刺は持っていません。後で送りましょうか?」と言うので、ちょっと「?」とは思いましたが、「そうですか、では送っていただけますか?」と言ったのですが、とうとう送ってきませんでした。本当に尊大で失礼な男でしたね。その人物が後に社長になったと聞いたときには仰天しました。理由は「あんな人でも社長になれる会社だったの!」と思ったからです。

 というわけで、「朝日新聞」がこの世から消えても、わたしはまったく困ることはありません。まあ、わたしのブログ記事「朝日新聞に『唯葬論』の広告が掲載されました」にも書いたように、わがホームグラウンドである三五館が朝日を広告媒体として重宝していることと、実際に朝日の書籍広告は効果絶大ではありますが。おそらくは、朝日文化人には読書家が多いのでしょうね。

 さて、本書には「朝日新聞社長の呆れた”謝罪”会見以降、巷では『朝日廃刊論』や『朝日解体論』が飛び交っています。私もそれに反対はしませんが、その前にやってもらいたいことがあります。朝日には傷つけられた日本の名誉を回復させる責任があります」と書かれています。そうした思いを実現させるべく、著者を団長とする約1万人が、平成27年1月26日、朝日新聞を相手取って東京地裁に訴訟を起こしました。「吉田証言」関連記事や植村隆元記者の虚報記事によって日本国民は〈集団強姦犯人の子孫との濡れ衣を着せられ、筆舌に尽くし難い屈辱を受け〉、〈原告らを含む日本国民の国民的人格権・名誉権は著しく毀損せしめられた〉と主張し、謝罪広告の掲載と、原告1人に対して1万円の慰謝料を請求すると訴えたのです。「こうでもしないと、朝日新聞の体質も行動も変わらない」との確信が、1970年代より戦後言論空間で同紙と対決してきた著者にはあるのです。

  著者を議長として「朝日新聞を糺す国民会議」が昨年10月に結成されました。最後に、その結成国民大集会における以下の決議文を紹介します。

「私たちは、慰安婦問題等で明らかにされた朝日新聞のねつ造歪曲報道を徹底的に糺すべく、十月二十五日、多数の国会議員、地方議員、学者文化人、草の根国民が全国から参集し、国民運動組織、『朝日新聞を糺す国民会議』を結成しました。朝日新聞は、日本軍の兵士が朝鮮人女性を『強制連行』し、『従軍慰安婦』にしたとの吉田清治『証言』を報道し、その嘘とねつ造が明らかになっても訂正謝罪することなく、三十年以上も放置して来ました。その結果、世界中の人々は、日本の兵士が、朝鮮人女性を「強制連行」し、『性奴隷』のごとく扱ったかのような認識とイメージを抱くようになりました。朝日新聞のねつ造報道によって世界で最も軍律厳しく道義心の高かった皇軍兵士は野蛮で残酷な誘拐犯や強姦魔のごとき犯罪者扱いをされたまま、日本人の名誉と誇りを傷つけられて来ました。
 朝日新聞は、敗戦後、一貫して反日報道を続け、日本と日本国民を貶め、国内外に『日本』と『日本人』の悪印象をばらまき続けて来ました。また、『日本を取り戻す』ことを目指した様々な保守系国民運動に敵対し、黙殺や印象操作報道を繰り返して、戦後レジームからの脱却への妨害報道機関の役割も果たしてきました。その結果として、外国勢力の謀略宣伝機関の役割を果たして来たのも、まぎれもない事実です。朝日新聞を糺すことは、日本と日本人の名誉と誇りを取り戻し、また、『日本を取り戻す』戦後体制脱却への大きな第一歩となります。
 そのためには、日本国民が大同団結し、朝日新聞糾弾の一大国民運動を展開しなければなりません。私たちは、我が国の無数の先祖と戦火に斃れられた英霊に代わって、朝日新聞に断固抗議をします。私たちは世界最古の歴史と伝統の国の民として、日本と日本人をかくまで貶め続けた朝日新聞を許しません。私たちは、日本には報道の自由や表現の自由はあっても、捏造報道や嘘プロパガンダ報道の自由は無いことを朝日新聞に骨の髄まで知らしめます。私たちは、戦後最大の集団訴訟や新聞全段意見広告等々、あらゆる手段と方法で朝日新聞と戦い、勝利し、朝日新聞を『打倒』し、日本人の名誉と誇りを取り戻します。
 また、朝日新聞社長と河野洋平氏の国会証人喚問を実現させます。
 私たちは呼びかけます。決戦の時が来ました。
 今こそ、明治維新の志士・吉田松陰の掲げた「草莽崛起」を実現し、草の根国民は起ち上がりましょう。朝日新聞の性根を叩き直し、いや、叩き潰し、反日メディアを我が国から一掃して、「日本を取り戻し」ましょう。
 貶められ辱められた先祖の名誉と誇りの為に、これからの日本の子孫の為に、共に起ち上がりましょう。 全ての日本国民の皆さん「朝日新聞を糺す国民会議」に、総結集しましょう。以上、決議する」

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