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存在と時間(上中下)』

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No.1084

 

 『存在と時間』上 、ハイデガー著、桑木務訳(岩波文庫)を再読。

 『唯葬論』に「哲学論」という一章を設け、その参考文献としてじつに20年ぶりに難解な哲学書に取り組んだのです。ソクラテスは「哲学は死の予行練習」と語り、モンテーニュは「哲学することは、どのように死ぬかを学ぶこと」と書いています。哲学の根底には「死」の問題が厳然として存在するのです。近代になって、「死の哲学」を大々的に打ち出した哲学者がドイツに登場しました。マルティン・ハイデガーです。

 

 『存在と時間』は、20世紀ドイツ哲学の巨人であるハイデガーの主著です。古代ギリシャ以来ヨーロッパ哲学の課題であった存在一般の意味を、限りある個々の人間の根本構造の分析を通じて、時間の視界から決定しようという途方もない哲学書です。 その凄さは、以下の「目次」を見ただけでもおわかりかと思います。

 

序説「存在の意味への問いの究明」


   第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位    

      第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要    

      第二節 存在への問いの形式的構造    

      第三節 存在の問いの存在論的優位    

      第四節 存在の問いの存在的優位  

 

   第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題。 探求の方法とその概略    

      第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、

           現存在の存在論的分析論    

      第六節 存在論史を解体する課題    

      第七節 現象学的研究方法      

        A 現象という概念      

        B ロゴスという概念      

        C 現象学の予備概念    

      第八節 論究の構図


第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、

             および存在についての問いの先験的視界としての時間の解明


 第一編 現存在の予備的基礎分析  

 

   第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること    

      第九節   現存在の分析論の主題    

      第十節  人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別すること    

      第十一節 実存論的分析論と原始的な現存在の解釈。

                             「自然的世界概念」を得るための種々の難かしさ  

 

   第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般    

      第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在の略図    

      第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識  

 

    第三章 世界の世界性    

      第十四節 世界の世界性一般の理念      

        A 環境世界性と世界性一般との分析    

      第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在    

      第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、

             環境世界が世界に適合するということ    

      第十七節 指示と記号    

      第十八節 適在性と有意義性―世界の世界性      

        B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること    

      第十九節  延長するものとしての「世界」の規定    

      第二十節  「世界」の存在論的規定の諸基礎    

      第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論      

        C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」    

      第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性    

      第二十三節 世界・内・存在の空間性    

      第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間   

 

    第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」    

      第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り    

      第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在    

      第二十七節 日常的自己存在と〈ひと〉

  

    第五章 内・存在そのもの    

      第二十八節 内・存在の主題的分析の課題      

        A 「現」の実存論的構成    

      第二十九節 情態性としての現=存在    

      第三十節  情態性の一様態としての恐れ    

      第三十一節 了解の働きとしての現=存在    

      第三十二節 了解の働きと解釈    

      第三十三節 解釈の派生様態としての陳述    

      第三十四節 現=存在と「語り」。言葉      

        B 「現」の日常的存在と、現存在の転落    

      第三十五節 おしゃべり    

      第三十六節 好奇心    

      第三十七節 あいましさ    

      第三十八節 転落と被投性

  

    第六章 現存在の存在としての関心    

      第三十九節 現存在の構造全体の根源的全体性への問い    

      第四十節  現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根本情態性    

      第四十一節 関心としての現存在の存在    

      第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、

               関心としての現存在の実存論的解釈を保証すること    

      第四十三節 現存在、世界性および実在性     

       (a) 「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性     

       (b) 存在論的問題としての実在性     

       (c) 実在性と関心    

      第四十四節 現存在、開示性および真理     

       (a) 伝統的真理概念とその存在論的基礎     

       (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生     

       (c) 真理の在り方と真理の前提


 第二編 現存在と時間性    

      第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、

               この存在するものの根源的な実存論的解釈の課題

  

   第一章 現存在の可能な全体存在と、死への存在    

      第四十六節 現存在的な全体存在の存在論的な把捉および規定の、外見だけの不可能さ    

      第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する可能性    

      第四十八節 未済、終り、および全体性    

      第四十九節 死の実在論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈とを区別すること    

      第五十節  死の実存論的=存在論的構造の素描    

      第五十一節 死への存在と、現存在の日常性    

      第五十二節 終りへの日常的存在と、死の完全な実存論的概念    

      第五十三節 死への本来的な存在の実存論的投企   

 

   第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性    

      第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題    

      第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎    

      第五十六節 良心の呼び声という性格    

      第五十七節 関心の呼び声としての良心    

      第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め    

      第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈    

      第六十節  良心において証言されている本来的な存在可能の実存論的構造  

 

    第三章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性    

      第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、

               時間性の現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描    

      第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在可能    

      第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学的情況と、

               存論的分析論一般の方法的性格    

      第六十四節 関心と自己性    

      第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性    

      第六十六節 現存在の時間性と、これから発源する、

               実存論的分析のなお一層根源的な繰返しという諸課題

  

    第四章 時間性と日常性    

      第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時間的解釈の素描    

      第六十八節 開示性一般の時間性     

       (a) 了解の働きの時間性     

       (b) 情態性の時間性     

       (c) 転落の時間性     

       (d) 語りの時間性    

      第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題     

       (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性     

       (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのものを

                       理論的に発見する作用に変様することの時間的意味     

       (c) 世界の超越の時間的な問題    

      第七十節  現存在的な空間性の時間性    

      第七十一節 現存在の日常性の時間的意味  

 

    第五章 時間性と歴史性    

      第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること    

      第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起    

      第七十四節 歴史性の根本構え    

      第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史    

      第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源    

      第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、

                                 W・ディルタイの諸研究およびヨルク伯の諸構想との関連  

 

    第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性    

      第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ    

      第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き    

      第八十節  配慮された時間と、内部時間性    

      第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生    

      第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対して、時間性・現存在

                                  および世界時間という実存論的=存在論的連関を対照させること     

       (a) ヘーゲルの時間概念     

       (b) 時間と精神との関連についてのヘーゲルの解釈    

      第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、

              およそ存在なるものの意味への基礎的=存在論的問い

 

 本書において、ハイデガーは以下のように「死」について述べています。

 

 「現存在のうちに入りこんでくる死とその仕方とについて、〈ひと〉が日常的に語ることの完全な解釈は、確実性と無規定性との性格へと導いてきました。死の全面的な実存論的=存在論的概念は、いまや次の規定の形で限定されます。すなわち死は、現存在の終りとして、現存在の最も自己的な他と無関係な、確実な、このようなものとして無規定で、追い越すことのできない可能性です。死は現存在の終りとして、この存在するものの時分の終りへの存在のうちに、存在しています」

 

 非常に難解な思想ですが、ハイデガーこそは、死を正面から理解しようとした初めての哲学者であったとされています。西洋哲学は死を話題にした最初の哲学者であるソクラテスに端を発しますが、その後、中世から近世にかけての哲学では、キリスト教の影響もあって、死は「霊魂の不死」との関連においてのみ問題となりました。

 

 しかし、哲学者の貫成人氏は著書『ハイデガー』で次のように述べます。

 

 「ソクラテスのように考えるにせよ、中世近世哲学のように考えるにしても、そのやり方では『死』を正面からあつかったことにはならない。なぜなら、かれらにおいて死とは、肉体がその機能を停止したこととしかとらえられておらず、肉体とともに各人を構成すると考えられるもうひとつの部分、すなわち、『こころ』『たましい』『霊魂』といったものは、その後も生き続け、それどころかけっして滅びることがない、とされているからだ」

 

 ハイデガーこそは、「こころ」「たましい」「霊魂」といったものにとらわれず、死を正面から扱った哲学者であるというのです。現代日本を代表する哲学者の梅原猛氏は、『人類哲学序説』において、「死の哲学」を説いたハイデガーに付いて述べています。

 

 「私は、子どもの頃に、人間が死ぬということに大きな不安を持ちました。皆さんも経験がおありかと思います。どことなく不安が襲ってきて、そういうよるべない不安のなかに引き込まれることが、人にはある。それを彼はアングスト、すなわち『不安』であると言っています。 ハイデッガーは、ダーザインの本質は死への存在であると言っています。しかし、死は日常の世界では隠されています。しかし人が死んでも、それを人はダスマンの死として自分の死として自覚しません。しかし時あって、人は不安に陥れられます。それは、良心の声に呼びさまされたものであると言えます。不安は人間の隠された存在を露わにします。不安によって、人間存在の本質は死への存在であることが明らかになると、ハイデッガーは言います。この死を先駆的に自覚した人間観を実存と名づけるのです。ハイデッガーの実存哲学は、死の哲学の性格が強いのです」

 

 しかし、わたしはハイデガーの哲学を「死の哲学」としてとらえることに少々の違和感をおぼえます。というのも、彼の哲学の基軸は「死」ではなく、あくまでも現存在としての「生」に置かれているように思えるからです。 それは『存在と時間』の中の次のハイデガーの言葉にもよく表れています。

 

 「死は、現存在の最も自己的な可能性です。この可能性への存在は、現存在に、その最も自己的な存在可能を開示し、そこにおいては現存在の存在がもっぱら関心事なのです。そこにおいてまた現存在にとって、かれがかれ自身の優れた可能性において、〈ひと〉からひき離されていて、つまり先駆的にそのつどすでに、自分を〈ひと〉から引きはなすことができるということが、明らさまになりうるのです。しかしこの『できること』を了解する働きが、初めて〈ひと=自己〉の日常性への事実的な見失いを露わすのです」

 

  結局、ハイデガーの哲学は「自分」が中心であり、そこには「他者」の存在が欠けているのです。そこを批判し、自らが新しい「死の哲学」を構想したのが日本の田辺元でした。