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アジア史概説』

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No.1071

 

 『アジア史概説』宮崎市定著(中公文庫)を再読しました。

 著者は1901年(明治34年)に生まれ、1995年(平成7年)に満93歳で没した、戦後日本を代表する東洋史学者です。中国の社会、経済、制度史を専攻し、科挙に関する論考が有名で、通史としての東洋史論考でも高く評価され、いわゆる「京都学派」における東洋学部門の中心人物として歴史学界をリードしました。また本書のような概説書の執筆によって、一般読書人にもファンが多いことで知られました。

 

 562ページある本書のカバー裏には、以下のような内容紹介があります。


 「東アジアの漢文明、西アジアのイスラム・ペルシア文明、インドのサンスクリット文明、そして日本文明等、異質文明が交通という紐帯によって結びつき、相互に競い、かつ補いあいながら発展してきたアジアの遠大な歴史を解き明かし、人類全体の真の歴史を発見する」


 本書の「目次」は、以下のようになっています。


「新版の序」
「緒論」


第一章  アジア諸文化の成立とその推移
 第一節  アジア諸文化の黎明
      1 考古学上から見たアジア
      2 アジア諸民族の開国説話
 第二節  古代ペルシアとその近傍諸国の文化
 第三節  古代インドとその文化
 第四節  古代中国とその文化
      1 中国社会の発展
      2 中国社会の発達


第二章  アジア諸民族の相互的交渉
 第一節  イランの形勢とアラビア帝国の盛衰
 第二節  インドとインドネシア民族の盛衰
 第三節  北方民族の活躍と中国への影響
 第四節  漢民族の更張とその隆盛


第三章  アジア諸文化の交流とその展開
 第一節  海陸通商の発展とアジア循環交通の形成
 第二節  ペルシア文化の東方への波及
 第三節  インド文化の流伝
 第四節  中国文化の更生とその隆昌


第四章  近世的ナショナリズムの潮流
 第一節  近世史段階の地域による傾斜
 第二節  北方民族の活躍と宋朝下の漢民族
 第三節  猛虎の大征服
 第四節  明王朝とチムール帝国
 第五節  清代のアジア


第五章  近世文化の展開
 第一節  イスラム文化の光輝
 第二節  中国近世の新文化
 第三節  三種近世文化の交流


第六章  最近世文化の東漸
 第一節  ヨーロッパ勢力膨張の由来
 第二節  ヨーロッパの最近世化にたいするアジアの寄与
 第三節  インドの没落
 第四節  清朝の開国とその滅亡
 第五節  西アジアの衰頽


第七章  アジア史上における日本
 第一節  日本古代史の諸問題
 第二節  日本的中世
 第三節  中世的近世


第八章  現代アジア史
 第一節  中華民国の変遷
 第二節  中華人民共和国の成立
 第三節  南アジアと西アジア
 第四節  近代化後の日本


「結語」
「著書目録」
「解説」礪波護
「人名・事項索引」


 著者は「緒論」において、次のように書いています。


 「アジアの歴史は他の地方の歴史にくらべてもっとも古く、悠久なる古代からそうとう明白にこれを伝える資料があるとはいうものの、なおかつその奥に、まだうかがい知ることのできない悠遠な未知暗黒の年代が横たわっている。こうした神秘の世界を照らす一縷の光明ともいえるものは、ジャワ、あるいは北京などで発掘された最古人類の骨化石である。その他いたるところで発見される史前人類の遺跡・遺物は、以後の人類社会が、旧石器文明時代、新石器文明時代をへて、金属器文明時代に進んでいく進化の道程について、きわめて不完全ながら、実物をもって歴史を物語るものにほかならない」


 このような通史を読むとき、わたしは儒教をどのように論じているかに注意するのですが、著者はまず「宗教思想」として、以下のように述べています。


 「中国古代人の宗教的信仰は現今もなおアジア北部に生命をもつ原始的なシャーマン教に類似したものであったらしい。シャーマンとは巫(みこ)のことで、この信仰においては、自然界の万物はいずれも霊妙な精神作用をもち、人生に有効な影響を与えるとされている。この間の消息をもっとも熟知して禍福の理を知り、禊祓の業を行なうことのできるのは巫で、じつに巫は神人間の媒介者であった」


 孔子の母親がシャーマンであったことは、今ではよく知られています。著者は続いて、「儒教の成立」について次のように述べています。


 「天の思想が発達して政治倫理学説の根拠が置かれても、実際社会における智的職業者がシャーマン的な巫、これに類する祝史(しゅくし)の階級に限られている限り、その思想は結局宗教的な、しいていえば迷信的な色彩からぬけでることができず、かつ古来の宗教的祭儀に束縛されて自由な発展をとげることができなかった。ところが春秋時代、諸国の間に同盟交聘が頻繁に起るとともに、政治はようやく宗教から分離してさらに現実的な意義を帯び、政治・外交の必要から過去の事実に関する知識が要求されるようになった。ここに有職故実に通ずる礼師が歓迎されてきたが、その内に現われて儒教の開祖となったのが孔子である」


 著者はまた、仏教についても「仏教思想の発展」として、以下のように述べています。


 「釈迦入滅後、仏教教団は教祖の教説や規制に関して保守的態度を堅持する一派、いわゆる上座部とこれにたいし進歩的な解釈を加え時処に応じた取捨を加えることを当然と主張する一派、大衆部とに分岐した。この両派はさらに数派に分裂するが、これらはすべて小乗仏教に包含される。小乗仏教中、インド西北のカシミール・ガンダーラ地方を中心として栄えたのは上座部から分派した説一切有部であり、一世紀ごろに多くの論著を残したが、つぎの二世紀ごろおそらく大月氏カニシカ王の時代には『大毘婆娑論』二百巻が編集されるようになった。これは有部派の教義を中心として小乗各派の教義を収録批判した大集成というべきものである。ついで五世紀ごろになり、世親が現われ、『大毘婆娑論』を基礎として『俱舎論』を著し、有部驚愕を整理した。これらの著作は、仏教の信仰を鼓吹する経典にたいして、哲学的根拠を与えるもので論部といわれ、後に中国にも伝訳され、中国・日本の小乗教学の基本となった」


 著者がいう「小乗仏教」というには、大乗仏教側からの蔑称であり、この言葉は現在ではほとんど使われません。日本でも「上座部仏教」とか「上座仏教」という言い方が一般化してきました。著者は、大乗仏教の発生についても述べます。


 「小乗仏教が各派に分裂し、おのおのその主張の中にたてこもって細かい分析註解と論争を累積して他を顧みないうちに、かえって仏教の理想と真義を見失い、しだいに現実社会にこれを活用して共済の実をあげようとする新運動が台頭した。ここに般若経、法華経、華厳経、維摩経、浄土教経典などのいわゆる大乗経典が述作された。大乗家は従来の仏教各派をもって自己個人の解脱のみに跼蹐し、仏教の浅薄な理解に甘んじる小乗教とけなし、みずからを大乗真仏教と誇称した。ここに大乗と小乗の分離が起きたのである」


 著者は現代の上座仏教についても説明しています。


 「現在インドシナ半島における仏教国の代表はビルマとタイであるが、ビルマでも最初は直接インド本地から伝えた大乗仏教が優勢であったらしく、タイはこれと趣きを異にし、カンボジアから仏教を輸入したが、その大乗である点では変るところがなかった。ただ最初に伝わった大乗仏教はついに民衆の間に確実に根を下ろすことがなくてやみ、後にセイロン仏教が隆盛に向かうようになって、セイロンからビルマへ、ビルマからタイへ、タイからカンボジアへと教線が拡張されて今日の盛大をもたらす源となった」


 また著者は、「インド仏教と日本」として、次のように書いています。


 「日本では古来インドを普通に天竺、中国を唐(から)とよび、日本・唐・天竺の三国が世界の文化を代表するものと考えた。いわゆる三国一は世界一を意味し、三国伝来はもっとも珍奇基調という意味であった。インドの文明は日本では仏教文化で代表されていたが、この仏教文化はたんに宗教思想としてでなく、インド文化を日本に紹介する通路となったものであった。『今昔物語』にはインドの寓話が数多く転載され、盂蘭盆、施餓鬼などのインド行事は中国社会を通じて日本にも伝わり、暦術、音韻学も日本に輸入された。今日もなお日本で盛んな囲碁や将棋もその起源はインドにあると認められる」


 著者は日本に伝来した仏教についても紹介していますが、親鸞が開いた浄土真宗とプロテスタントの類似性について述べた部分が興味深いです。


 「親鸞は弟子一人も持たずという在家仏教の理想は、ヨーロッパのプロテスタント理念とあまりにもよく似ており、この思想はさらに西アジアのイスラム教の信条にまでさかのぼることができる。真宗は特殊な僧侶階級を必要とせず、信者の指導者が僧侶であり、信者の集会所が寺院であった。その寺院も民家様式にそのまま範をとることができた畳敷である。従来王公貴族を檀家として特権階級の独占していた宗教は一般大衆に門戸を開き、猟師、漁夫、賤民の区別なく阿弥陀仏の大慈悲に包摂されることになった。仏教は学ぶものではなく信じるものとなった。
 真宗布教運動のもっとも大きな特色の一つに所行雑修の排斥がある。ただ一念に弥陀を頼むためには、他のあらゆる祈祷呪術の類を揚棄しなければならない。この点においても真宗ははなはだしくプロテスタント的であり、合理主義的である。そしてこのひたむきな迷信密儀の排斥が、どれほど日本国民の精神浄化に役立ったかもしれないのである」


 本書は、もともと昭和48年に学生社から刊行されたものです。京都大学名誉教授、大谷大学教授である歴史学者の礪波護氏は、「解説」で本書の由来について以下のように述べています。


 「学生社版は、その四半世紀前に人文書林から出版された旧版の『アジヤ史概説』正編(1947年12月)、続編(1948年9月。正編との合冊本は同年11月)をもとに、第八章の現代アジア史の部分を増補して索引を付したものであり、すでに同社から刊行されていた尾鍋輝彦『西洋史概説』と対にすべく企画されたのであった。そして、その旧版『アジヤ史概説』こそ、実は先般の大戦中にすでに刊行していた『国史概観』と対にすべく、文部省が第一線の東洋史学者を動員して編纂を始めながら、敗戦の所為で刊行には至らなかった幻の『大東亜史概観』の稿本に由来する概説書だったのである」


 世界を大まかに両分して東洋・西洋と呼ぶ方法は、19世紀後半に日本で起こりました。それは中等学校における歴史教育の必要によって促進されたそうですが、1894年には文部省から「東洋史」という新設教科の教授要領が発表され、翌年からこれに則した教科者が刊行されています。その代表格は、本書の著者である宮崎一定の恩師にあたる桑原隲蔵の『中等東洋史』でした。おそらくは同書を意識して書かれたと思われる本書は、アジアの通史としては最高傑作ではないでしょうか。本書の刊行後、著者は岩波全書から『中国史』上下を上梓しました。これは、わたしの愛読書であります。2015年5月、同書は新たに岩波文庫から刊行されます。