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人類がたどってきた道』

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No.1064

 

 『人類がたどってきた道』海部陽介著(NHKブックス)を再読しました。『唯葬論』の参考文献です。葬儀の謎を探るには人類の起源から考える必要があります。著者は1969年生まれの人類学者で、東京大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科博士課程を中退。理学博士で、現在は国立科学博物館人類研究部研究官。専攻は生物人類学、古人類学です。

 

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    本書の帯

 


 本書には「"文化の多様化"の起源を探る」というサブタイトルがつけられ、表紙カバーには7万5000年前のオーカー片に刻まれた人類最古の抽象模様の写真が使われています。 また帯には「もし、あなたが5万年前の地球に生まれていたら・・・・・・」と大書され、「"知の遺産仮説"から読み解く新たな物語」と書かれています。

 

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    帯裏には池澤夏樹氏の推薦文が・・・・・・

 


 さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。 「人間の創造性の根源を解き明かす。文明を築き、ロボットや宇宙旅行までも可能にする私たちの創造性。この能力ゆえに私たちの文化は発展し、多様化した。世界各地で進められている遺跡調査から、今、私たちの創造性の起源が見えてきつつある。私たちの種、ホモ・サピエンスのアフリカにおける進化、そして5万年前に始まった祖先たちの世界拡散という人類最大のドラマを、最新の研究成果に基づいて鮮やかに描出、私たちの由来と、多様な地域文化の成立を解き明かす気鋭の労作」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

はじめに―人間の文化はいつ多様化したか

プロローグ

第1章  ホモ・サピエンス以前

第2章  ホモ・サピエンスの故郷はどこか

第3章  ブロンボス洞窟の衝撃―アフリカで何が起こったのか

第4章  大拡散の時代

第5章  クロマニョン人の文化の爆発―西ユーラシア

第6章  人類拡散史のミッシング・リンク―東ユーラシア

第7章  海を越えたホモ・サピエンス―ニセ・オセアニア

第8章  未踏の北の大地へ―北ユーラシア

第9章  1万年前のフロンティア―アメリカ

第10章 予期しなかった大躍進―農耕と文明の起源

第11章 もう1つの拡散の舞台―リモート・オセアニア

エピローグ

「参考文献」

「あとがき」

 「はじめに―人間の文化はいつ多様化したか」で、著者は書いています。

 

 「人間の文化がなぜ現在のようなかたちに多様化していったのかを知るには、その多様化の起源について探らなければならない。つまり時代をずっとさかのぼって、すべての人間集団の文化がほぼ一様であった時期からはじまり、世界各地にそれぞれ独自の地域文化が成立していく過程を追うのだ。本書では、どの歴史教科書にも書かれていない、この時期の歴史を描こうと思う。文字が出現した時点では、すでに世界の地域文化は明白な多様化を遂げていたのだから、ここで目を向けるのは、それ以前の先史時代である」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

  「最近の研究の進展により、この時期の歴史を描くための基礎材料が揃ってきた。いまなお詳細についてまで描くことはできないにしても、歴史をどこから語りはじめればよいのか、少なくともその枠組みは明らかになりつつある。新しい枠組みのヒントを与えたのは、伝統的な歴史学ではなく、生物としての人類の進化史を探ろうとする、古人類学と遺伝人類学だった」

 古人類学は人類の化石の形態や年代を研究する分野です。また遺伝人類学は現代人のDNAの解析をもとに、各地域の現代人集団同士の類縁関係を探ることができる分野です。 20世紀の最後の10年を中心に、これらの分野の研究者たちは、わたしたちの種である「ホモ・サピエンス」が、いつ頃、どこで進化してきたのかを明らかにしてきたとして、著者は次のように述べます。

 

 「私は、このホモ・サピエンスの誕生という出来事を、私たちの歴史のはじまりと捉えたい。最近の研究が示すところでは、ホモ・サピエンスはいくつかの地域で並行的に進化したのでなく、およそ20万年前ごろのアフリカにいた1つの人類集団に由来するものである。従ってホモ・サピエンスが誕生した時点では、この種の分布域は限られており、地域文化の多様化はもちろん生じていなかった。やがて、おそらく5万年前ごろから、この種、つまり我々の祖先たちは、全世界へと広がりはじめた」

 著者は「私たち現代人の基本的な生物学的能力とは、人類史のどの時点で出現したのだろうか。先史時代の人類の行動の、どこまでが生物学的進化によるもので、どこからが文化的なものなのだろうか。そもそも、現代人の基本的な生物学的能力とは一体どのようなものであるのだろうか」と問いかけ、以下のように述べています。

 

 「結論を先に言えば、『世代を超えて知識を蓄積し、祖先から受け継いできた文化を創造的に発展させていく能力』こそが、私たちホモ・サピエンスの最も重要な特徴と考えられる。そしてこの能力は、多くの人々の予想よりはるかに古く、ホモ・サピエンスがアフリカから世界各地へ分散しはじめた10万~5万年前ごろに、確立していた可能性が高い。ホモ・サピエンスという種自体は、20万年前ごろには成立していたと予想される。その後この種において、現代人的な行動能力というものが進化し、およそ5万年前までにそれが確立したと考えられるのである」

 そして、著者は「はじめに―人間の文化はいつ多様化したか」の後半で以下のように述べています。

 

 「5万年前の祖先は、私たち現代人と基本的に同様の知的潜在能力をもっていたのである。私たちは集団として、5万年以上の時をかけて現在の高度産業社会を築いてきたが、現代の個人は5万年分の知識の多くを一生の間に学ぶことができる。私たちの知的潜在能力とは、それだけ奥深くかつ柔軟なものなのだ」

 わたしが人類の起源についての本を読むのは、ずばり「埋葬」の起源に関心があるからです。第3章「ブロンボス洞窟の衝撃―アフリカで何が起こったのか」では、「最古の埋葬」として「私たち現代人にとって、埋葬という行為は、死者を敬う儀礼的意味を含むもので、まさにシンボリックな行為である。それでは、人類史の中で、こうした儀礼的行為はいつはじまったのだろうか。現在のところ埋葬の最古の証拠は、アフリカでなく西アジアで見つかっている」と書かれています。第2章「ホモ・サピエンスの故郷はどこか」で登場したイスラエルのカフゼーとスフールのホモ・サピエンスの墓がそれで、年代は約10万年前といいます。

 また著者は「旧人によるシンボル操作」として、次のように書いています。

 

 「死んだ仲間の遺体の取り扱いについても、示唆的な報告がいくつかある。スペインのアタプエルカからは、およそ30万年前の、最初期のネアンデルタール人の化石が大量に発見されたが、これらはどうやら洞窟の一番奥深い場所に、意図的に投げ込まれたものらしい。これがシンボリックな行為であるのか簡単にはわからないが、発掘担当者らは、ここからたった1点だけ美しく加工された石器が発見されたことなどから、そうであった可能性が高いと考えている。さらに西アジアでは、カフゼーとスフールのホモ・サピエンス以外にも、タブーン洞窟から12万年前の可能性のある墓が見つかっている」

 わたしは、これを読んで驚きました。一般にネアンデルタール人が埋葬を行っていたのは約7万年前というのが定説だと思っていましたが、もっと古くから彼らは埋葬行為を行っていたのでしょうか。第5章「クロマニョン人の文化の爆発―西ユーラシア」では、「ネアンデルタール人の姿」として以下のように述べられています。 「ネアンデルタール人の化石は、化石人類としては例外的に、覚えきれないほどたくさん見つかっている。しかも彼らは、7万年前ごろから積極的に死者を埋葬するようになったため、頭から足まで揃った化石も10以上ある。そのため、この種の骨格形態、文化、行動については、比較的多くのことがわかっている」

 ネアンデルタール人の後には、クロマニョン人が登場しました。 第5章で、著者は彼らの間には「社会間ネットワーク」が存在したとして、以下のように述べています。

 

  「クロマニョン社会に存在したであろう社会間のネットワークは、単に珍しいものを得るために機能したわけではなかったろう。部族間の交流を維持することにより、例えばある部族が何かの原因で食料不足に陥った際に、隣の部族の支援を受けるといったような、保険の役割があった可能性がある。この保険機能をもつ社会ネットワークは、ホモ・サピエンスが様々な自然環境を克服し、全世界へ定着していく上で、非常に重要な役割を果たしたと考えられている」

 

 さらに著者は、「部族内での個人間の関係はどうだったのであろうか」と問題提起して、以下のように非常に興味深い指摘をしています。

 

  「ネアンデルタール人たちが傷ついた仲間を介護していたという考えは、すっかり定説となっている。彼らの骨には多くの怪我の痕跡があるが、重傷なものでも治癒傾向の認められる場合が多い。つまり怪我してすぐに息を引き取ったのではなく、しばらくの間は生きていたのだ。有名なのはイラクのシャニダール洞窟で見つかった男性だ。左眼は失明していたかもしれず、右腕の肘から先を失い、右脚は引きずって歩くような状態であったにもかかわらず、この男性は40歳ぐらいと、ネアンデルタール人としては例外的に長生きをした。通常の野生動物であれば、こうはいかない。仲間からサポートを受けていたと考えるのが、最も自然である。ただしこのような仲間のサポートという行為は、もっと古く、彼らよりも100万年以上前の原人のころから存在していた可能性も示唆されている」

 

 わたしは2011年3月、東日本大震災の直前に書き上げ、直後に上梓した『隣人の時代』(三五館)において「助け合いは人類の本能だ!」と訴えましたが、その考えのベースにはこのようなネアンデルタール人の「相互扶助」の存在がありました。

 著者は「ネアンデルタール人の埋葬」として、以下のようにも述べています。

 

  「多くの研究者は、7万年前以降のネアンデルタール人が埋葬を行なっていたと考えているが、その実態をめぐっては論争がある。イスラエルのタブーン遺跡の墓は、10万年以上前のものである可能性もあるとされるが、まだ確かなことはわかっていない。1つの極端な考えは、彼らの埋葬行為は単なる遺体の処分に近いもので、シンボリックな行為ではなかったとするものである(墓とされるものは自然死した遺体が運よくそのまま保存されたもので、ネアンデルタール人には埋葬行為自体が存在しなかったという説もあるが、これは極論に過ぎる)。こうした説の支持者は、ネアンデルタール人の墓には明確な副葬品が存在しないと主張し、クロマニョン人の埋葬との違いを強調している。3万7000年前の以降のクロマニョン人の墓では、死者はアクセサリーを身につけ、赤色オーカーがまかれたり、火を焚かれたりした例も知られている。これはおそらく儀礼を伴う、明らかにシンボリックな行為だ」

 しかし、このような考えはネアンデルタール人の埋葬行為をあまりにも過小評価しているとの意見も多いとして、著者は次のように述べます。

 

 「イスラエルのケバラ、およびフランスのレグゥドーで発見されたネアンデルタール人化石は、身体の骨と下顎骨がありながら頭骨がない。これを何らかの葬送儀礼が行なわれた痕跡と見る意見もある。さらにわずかながら、ネアンデルタール人の墓にも副葬品があるという主張もある。一方のホモ・サピエンスにしても、4万年以上前の時代となると、儀礼的な埋葬行為の証拠は乏しい。西アジアで発見された10万年前のホモ・サピエンスの墓(カフゼーとスフール)に、動物の骨が供えられていたという主張もあるが、これ以降3万7000年前までの間の時期には、アフリカ、西アジア、ヨーロッパで、ホモ・サピエンスの墓らしいものはほとんど見つかっていない」

 続けて著者は、ネアンデルタール人の埋葬について述べます。

 

  「1957~61年にかけて、イラクのシャニダール洞窟で発掘が行なわれ、その結果、ネアンデルタール人が墓に花を添えた証拠が見つかったと報じられた。発見された1体の人骨の周囲の土壌から、様々な種類の花粉が検出されたのである。これは、ネアンデルタール人のイメージを、野蛮から人間味あふれる存在へと転換させる、大きな契機となった。しかし最近では、もっぱらこの見解に懐疑的な意見ばかりが聞かれる。花粉は、後から動物が巣穴を掘ったことなどによって、外部から紛れ込んだ可能性があるというのだ。花粉を伴う別の墓が新たに発見されれば決着はつくのだが、残念ながら現在までのところ、そうした報告はない」

 第6章「人類拡散史のミッシング・リンク―東ユーラシア」では、「大陸南方の文化」として、著者は沖縄の埋葬遺骨について述べています。

 

  「日本の沖縄県の港川フィッシャー遺跡からは、石灰岩の裂け目(フィッシャー)から、2万1000年前の人骨が数体見つかっている。これは通常の埋葬とは異なるが、興味深いことに、そのうちの1体(港川4号)の肘の部分は、左右の同じ場所が同じ形に割れている。調査した国立科学博物館の馬場悠男は、これは意図的に割られたもので、何らかの葬送儀礼が行なわれたのではないかと考えている。さらに港川フィッシャーからは、左右の中切歯が2本とも抜けている大人の下顎骨も見つかっている。これは、偶然の事故によるものかもしれないが、後の縄文時代に盛んに行なわれた、風習的な抜歯があった可能性もある。抜歯は、新石器時代の日本や中国など世界各地で、成人式や婚姻儀礼などの際に行なわれていた習俗である」

 沖縄の事例に続いて、以下のような埋葬例も紹介されています。

 

 「年代は比較的新しいが、東南アジアからは、疑いのない埋葬例が報告されている。マレーシア科学大学のズライナは、1992年にマレーシアのグヌン・ルンツ洞窟で、1万3000年前の人骨を発掘した。全身の骨格が残っていた遺体は、脚を折り曲げた状態で埋葬され、その周囲には、多数の貝殻と動物の骨と石器が配置されていた。一方、東南アジアの向こうのオーストラリアでは、4万年前とされる赤色オーカーを伴う墓、さらに火葬された墓が知られているので、こうした行為のもっと古い証拠が、将来、東ユーラシアの南方地域から見つかっても不思議ではない」

 「エピローグ」の最後に、著者は以下のように書いています。

 

  「私たちの歴史を、局所的にでなく大きな全体の流れとして捉え、人間の文化とその多様性の成り立ちを理解することにより、私たちは新しい眼をもつことができるようになるのではないだろうか。私たちが人間の文化の多様性を素晴らしいと感じることには、もっともな理由がある。それはどの文化にも、祖先たちの5万年以上にわたる歴史が刻まれているからだ」

 本書を読んで、わたしは自身のブログ「ホモ・フューネラル」に書いた内容を思い出しました。現生人類であるホモ・サピエンスは、約20万年前にアフリカで種として確立しました。そして、4万~5万年前にヨーロッパに進出しました。つまり、先住のネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタールレンス)と一時共存していたのです。そのため、頭骨化石の分析に基づき、混血(交雑)があったという説も存在していたのですが、この研究結果により、種の文化には影響しなかったことがはっきりしたと世界中に報じられました。

 数年前に「ネアンデルタール人と現生人類の間に混血なかった」という新聞記事を読んで、わたしは「まだまだ謎は多く残されている」と思いました。 わたしは、DNAのバトンタッチがなかったとしても、わたしたちの「こころ」にネアンデルタール人たちの心が流れていると信じていました。当然ながら、現代の人類がネアンデルタール人とつながっていないのなら、現代人が「ホモ・フューネラル」であることの根拠をネアンデルタール人に求めることは非常に危険であり、一種のトンデモ説になってしまいます。


 しかし、わたしは『葬式は必要!』の27ページに次のように書きました。

 

  「現代ではネアンデルタール人は、わたしたちの直接の祖先ではないとされていますが、まだまだ謎は多く残されています。 わたしは、DNAのバトンタッチがなかったとしても、わたしたちの『こころ』にはネアンデルタール人たちの『こころ』が流れていると信じています。つまり、物理的な遺伝はなかったとしても精神的な遺伝があったと思っています。その最大の証拠こそ、今日にいたるまで、わたしたち人類が埋葬という文化を守り続けていることです」

 

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   世紀の大発見!!

 


 しかしながら2010年になって、マックスプランク研究所とアメリカのバイオ企業などからなる国際チームが再度、ネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)を骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究結果が出たのです。そして、その研究結果は2010年5月7日付のアメリカの科学誌「サイエンス」に発表されました。 同年4月25日に『葬式は必要!』が刊行された直後に、人類史をひっくりかえすような大発見があったのです。しかも、それは人間にとって葬式が必要であることの根幹をなす大発見でした。わたしは、サムシング・グレートの存在を改めて思い知ったのです。ちなみに本書『人類がたどってきた道』は2005年4月に刊行されています。本書の刊行から5年後に、ネアンデルタール人に関する大発見があったわけです。

 わたしは、やはり人類は埋葬という行為によって文化を生み出し、人間性を発見したのだと確信します。ヒトと人間は違います。ヒトは生物学上の種にすぎませんが、人間は社会的存在です。ある意味で、ヒトはその生涯を終え、自らの葬儀を多くの他人に弔ってもらうことによって初めて人間となることができるのかもしれません。葬儀とは、人間の存在理由に関わる重大な行為なのです。本書を読んで、そのことを再認識しました。