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プルーフ・オブ・ヘヴン』

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No.1037

 

 わたしのブログ記事「おみおくりの作法」で紹介したように、先日、「死」をテーマにした映画を観ました。そのとき、『プルーフ・オブ・ヘヴン』エベン・アレグザンダー著、白川貴子訳(早川書房)の内容を連想したので、同書を再読しました。「脳神経外科医が見た死後の世界」というサブタイトルがついています。また帯には、「フジテレビ系放送『奇跡体験!アンビリーバボー』で紹介!」「大増刷」「世界最高峰ハーバード・メディカル・スクールで教えた脳の専門医が断言。『死後の世界は存在する』」「全米200万部突破の世界的ベストセラー!」と書かれています。

 

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   著者の写真入りの本書の帯


 

 また、本書のカバー前そでには、「生死の境をさまよう医師が見た『死後の世界』とは? 全米200万部突破のベストセラー登場!」として、以下のような内容紹介があります。


 「名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたエベン・アレグザンダー医師。ある朝、彼は突然の奇病に襲われ、またたく間に昏睡状態におちいった。脳が病原菌に侵され、意識や感情をつかさどる領域が働かないなかで、医師が見た驚くべき世界とは? 死後の世界を否定してきた著者は、昏睡のなかで何に目覚めたのか? 回復後、その『臨死体験』のすべてを鮮明に語ったのが本書である。発売されるや全米で200万部を突破、賛否の渦を巻き起こしながら全世界で反響を呼び続ける話題作、待望の邦訳」


 わたしが本書の存在を知ったのは、2014年9月14日に初放送されたNHKスペシャル「臨死体験~死ぬとき心はどうなるのか」を観たときでした。番組のレポーターである評論家の立花隆氏の仕事机の上に本書が置かれていたのです。番組には本書の著者であるエベン・アレクサンダー医師も登場していました。彼は多くの患者たちから「臨死体験」の話を聞いていましたが、死後の世界の存在を真っ向から否定していました。しかし、彼自身も臨死体験をしたことによって、今では「死後の世界は必ず存在する。私は死後の世界を知ることで、今を生きる意味をより理解できた」と述べていました。


 本書はいわゆる「臨死体験」のレポートです。類書は山ほどありますが、体験をした当の本人が高い知性を持った現役の科学者だけあって、垣間見た死後の世界の描写の仕方に感心する部分が多々ありました。たとえば、死後の世界が美しく、夢のような世界であったことについて、著者は次のように述べています。


 「"現実"(リアル)という抽象的な単語では、説明しようとしている内容を伝えることができないのをもどかしく思う。夏の或る日に映画を観に行った子どもを想像していただきたい。映画は面白く、夢中で観続けた。上映が終わり映画館の外へ出ると、明るい陽射しのほっとする世界に引き戻される。太陽の熱や風の心地よさを肌に感じながら、こんなに気持ちのいい日を薄暗いところに籠って過ごしたとは、なんてもったいないことをしてしまったのだろう、と思ってしまう。その気持ちを一千倍にしたものと考えてもらえばいいだろう。だがそれでも、私がそこで感じた現実感にはとうてい及ばないのだ」


 著者が作家顔負けの卓越した説明能力の持ち主であることがわかります。


 また、著者によれば、脳のフィルターを通して見えるものしか、わたしたち人間には見えていないといいます。高次元の知識や体験を語る上で、言語や論理的思考をつかどる左脳の、分別や自我の意識を抱かせる部分が妨げになっているとして、著者は以下のように述べます。


 「人類はいま、重要な局面を迎えていると私は考えている。われわれは脳が(左脳の分析的な部分も含めて)完全に機能している状態で、"この世界で生を受けている間"に、より広大な知識を取り戻す必要がある。科学は―私が人生の大部分を捧げてきた科学は―あちら側の世界で気づかされたことに矛盾はしない。だが多くの人々、じつに多くの人々がむじゅんすると思い込んでいる。唯物的世界観に忠実な科学界の一部が、科学と霊的側面とは共存し得ないと繰り返し主張し続けてきたからである」


 人類は、かつて存在の核心にある意識という深い神秘とのつながりを持っていました。しかし、物質世界を拠り所にする西欧文明においてそれは失われてしまったと著者は述べます。近代以前の諸宗教では、意識と存在との関わりはしっかりと認識された間近なものでしたが、西欧文明のもとで現代科学やテクノロジーにのめり込んできた人々はそのような関係性を失ったとして、以下のように述べています。


 「西欧文明は繁栄を築く一方で、霊魂という人間存在の重大な要素にかかわる側面では、世界に大きな代償を強いてきた。現代戦争、無差別殺人、無意味な自殺、都市環境の荒廃、環境破壊、深刻な気候変動、経済の二極化など、高度先端技術が落としている影は、かなりひどいものである。なお悪いことに、やみくもに科学テクノロジーの進歩を追求する姿勢は、多くの人々から喜びや生きがいの充足を奪い、存在の永続性を視野に入れた巨視的な観点に立つことを忘れさせてしまった。
 既存の科学にもとづく方法では、魂や死後の世界、転生、神、天国などにかかわる疑問に解答を見出すことが難しいため、そうしたものの存在自体が暗に否定される状況が生じている。また拡張した意識によって起こる遠隔透視、超能力、サイコキネシス、透視、テレパシー、予知能力などの諸現象も、"標準的"な科学的考察に対しては頑強に解明を許そうとしていない。昏睡に陥る前の私がそれらの信憑性を疑っていたのは、主にひとつには一度も深いレベルでそれらを体験したことがなかったため、もうひとつには私の単純化されすぎた科学的な世界観にもとづけば、容易には説明がつかないためだった」


 著者は、自身が体験した死後の世界での出来事について述べます。


 「あちら側で抱いた畏怖、驚くべき創造の力は、"全知"という表現ですら物足りなく思えるほどのものだった。それは言葉を超えていた。神の名前を唱えることや伝道者を描写することを禁じている宗教は、正しく真理をとらえていることがわかった。神の真理は、地上の人間が言葉や絵画で表現できる範囲を完全に超えていた。
 あちらでは個人としての認識が、同時に隅々まで宇宙に融和していた。そのため、"自己"として認知される境界がときには収縮し、ときには永遠の存在すべてを内に感じるほど拡張したりした。認識している境界と周囲との境界が限りなく曖昧になってくると、自分が"宇宙そのものなった"ように感じられることもあった。別の言い方をすれば、以前からそこにあったに違いないのだがそのときまで気づいていなかった宇宙に対して、その間は自分を同一視していたと言うことができる」


 著者は、そのときの体験についてさらに詳しく述べます。


 「そこで体験したもっとも深いレベルの意識を説明するときに、私はよく鶏の卵をたとえにしている。コアの世界では、光のオーブや永遠の中にある高次元の宇宙とひとつになる体験をした。神とも融和していると感じられた。だがそれにもかかわらず、神の創造的な本源(原動力)の側面は、その外側にあると強く感じられた。その場所を卵の中身とすれば、神は卵の殻だった。神は全体の隅々に密接にかかわっていながら(そもそも意識とは、神の外延なのだ)、創造物の意識と完全に一致することはなく、つねにそれを超えたところにあるように感じられた。私の意識は永遠の宇宙のすべてとひとつになっていたにもかかわらず、万物を創造し森羅万象を動かす根源とは、完全な合一はかなわないように思われた。これ以上はないほどの一体化を体験していても、中核にはなお二元性があると感じられたのだ。それともそれは、そうした認識をこちらの世界へ持ち帰ってきたことによるものであるかもしれないが」


 最後に、著者は神について以下のように述べています。


 「私は神と直接やり取りをしていたのだろうか。それについては間違いない。このように言えば、尊大に聞こえることだろう。しかしその状態を体験している間は、そんなふうには感じられなかった。むしろ、肉体を離れればすべての人が体験できることのように感じられた。それは祈りや瞑想を通じて、だれもがこの場で体験することができるのだ。神との対話は想像し得る至高の体験だが、同時にこれほど自然な体験も考えられない。神はつねにここに存在しているからである。全知全能の、人格を備え、無条件の愛を表す神は、すべての人の中に内在し、すべての人が神とのつながりを通じてひとつにつながっているのだ」

 

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   本書の帯の裏

 

 

 本書の巻末には、京都大学教授であるカール・ベッカー氏による解説「他界の証拠」が掲載されています。ベッカー氏はこれまでに登場した膨大な臨死体験研究の事例を挙げた後で以下のように述べています。


 「医師自身が臨死体験について触れた例を挙げると、日本では、『霊』や『魂』といった科学の枠を超えた存在について著している東京大学教授で医師の矢作直樹が、患者のケースや自分の経験について紹介している。それらの中でも、過去数十年における臨死体験研究の白眉ともいうべき体験は、本書の著者エベン・アレグザンダー医師のそれであり、本書は世界的に注目を浴びている」


 ここで名前の出た矢作直樹氏とわたしは「生」と「死」をめぐって対談し、その内容は『命には続きがある』(PHP研究所)として出版されました。同書でも、矢作氏は自身の臨死体験について語っておられます。


 さて「他界の証拠」では、ベッカー氏は「視点を日本に向けてみよう」と読者に呼びかけ、以下のように述べています。


 「アレグザンダー医師の臨死体験は、じつは日本人にとってこそなじみやすいはずのもであろう。なぜならば、日本人はどの民族よりも震災や火災、津波や洪水など、多くの災害の惨禍を被ってきたからである。それだけの災害を乗り越えるために、しっかりした他界観がないと、生きていけないのである。高齢化が進み、今後、毎年百数十万人もの日本人が自然に他界するようになる。このような中で介護や看取りを続けていくためにも、しっかりした他界観を持っている方が、燃え尽きずに介護をやり続けられるのである。
 そして、日本人は古くから臨死体験のことをどの民族よりも徹底的に記録し、その記録を大事にしてきた。奈良時代以前から、遺体を数日の間安置する『モガリ』という慣習があり、それに関連して、遺体が葬られる前によみがえってきて周囲を驚かし、『あの世』の話を語るケースが記録されている。つまり、日本人が古くから知っていた『あの世』観と、アレグザンダー医師が語る『あの世』観は、かなり近いものなのである」


 ベッカー氏は「現代日本人は気づいていないが、唯物主義も一種の根拠の薄い宗教である。物体しか存在しないということは真理に反している。人生にとっては、希望や夢、目的意識ややりがいなど、つまり、物質として見えない『こころ』が、どんな物質よりも大事であろう」として、述べます。


 「じつは、日本文化こそがこころを大事にしてきた文化なのに、戦後教育では、こころの教育を二の次にし、希望や夢、目的意識や『生きがい』を黙殺し、数学や物理にウエートを置いてきた。そして、経済発展のためか、『幸福=ものの消費』という胡散臭い経済信仰さえ布教してきた。こころを黙殺する物質主義の教育を受け、さらには『人間=細胞』という科学教育を受けてきた医師なら、『細胞以外に人間はない』と信じても仕方がないと言えばそこまでである。だが、客観的に見れば、意識は脳にのみ存在するとは限らない。そして一旦死んだ人でも、よみがえった場合には、身体以外の意識の存在を報告してくれる人が数多くいる。日本人のみなさんには、この医学的先行研究をはじめ、日本の歴史的経験智をもぜひ理解していただきたい」


 解説の最後に、ベッカー氏は「日本人にとってこそ必読の一書として推薦したい」と書いています。わたしもまったく同感ですが、ぜひアレグザンダー医師には来日していただきたいものです。また来日の際には、矢作直樹氏との対談していただくことを希望いたします。なお、わたしは、臨死体験についての考えを拙著『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』 (幻冬舎文庫)にまとめています。いま再び、臨死体験に大きな注目が集まることにより、多くの人々が「死」について考えることは非常に良いことだと思います。