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国家の盛衰』

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 No.1008

 

 『国家の盛衰』渡部昇一&本村凌二著(祥伝社新書)を読みました。

 「3000年の歴史に学ぶ」というサブタイトルがついています。共著者である渡部氏は上智大学名誉教授、本村氏は早稲田大学国際教養学部特任教授、東京大学名誉教授です。なお、本村氏の専門は古代ローマ史で、『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞しています。

 

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   本書の帯


 

 本書の帯にはアフロ提供の「アルマダの海戦」の絵が描かれています。1588年に英仏海峡で行われた海戦で、スペイン無敵艦隊がイギリス海軍に敗れたことで知られます。また、帯には「日本は衰退するのか 今こそ、歴史に学べ!」と書かれています。


 さらにカバー前そでには、「覇権国家はなぜ入れ替わるのか?」として、以下のような内容紹介が書かれています。


 「人類が国家という装置を作ってから、数々の興亡が繰り返されてきた。そして、多くの国や地域を従えた覇権国家が生まれた。それらの国々はどのようにして興隆したのか、その力の源泉は何か、そして、何ゆえ衰退あるいは滅亡したのか――これらの問いに、文明・歴史の通暁するふたりの学者が挑んだ。国内外に難問が山積する、現在の日本。日本はこのまま衰退するのか。そして、われわれ日本人は何をすべきか。本書では、蓄積された歴史から導き出された『解』を提供する。今こそ、歴史に学べ―」

 

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   帯の裏では「目次」を紹介


 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。


はじめに―歴史に学ぶ(本村凌二)
序章  国家繁栄と覇権の条件
第一章 ローマ―世界帝国の典型
第二章 スペイン、オランダ―海上覇権と貿易
第三章 イギリス―工業技術による産業立国
第四章 アメリカ―実験国家、人工国家の活力
第五章 中国―覇権国家になりうるか
第六章 日本―これから歩むべき道
おわりに―文明圏としての日本(渡部昇一)


 「はじめに―歴史に学ぶ」で、本村氏は次のように述べています。


 「人間は長く生きれば、個人としての歴史も刻まれていきます。
 それゆえ、人類の経験の積み重ねとしての歴史にも、自然に目が向くのかもしれません。また、歴史に興味を抱いた時、主にふたつの姿勢があります。ひとつは物語としての歴史です。それは、作りものではない史実として格別のおもしろさがあります。まさしく「事実は小説より奇なり」です。もうひとつは、範例としての歴史であり、しばしば『歴史に学ぶ』と語られるところです。同時に、はたしてわれわれは本当に歴史に学べるのか、という疑問も浮かんできます」


 続けて、本村氏は以下のようにも述べます。


 「物語にしろ、範例にしろ、これらは真摯な過去への問いかけですが、そのような姿勢を皮肉るような警告があります。『歴史家とは、耳の不自由な人のようなもの。誰も尋ねてもいない質問に答え続けているのだから』。こう語るのは、最高の歴史小説と言える『戦争と平和』を著した文豪トルストイなのですから、耳が痛いというしかありません」


 序章「国家繁栄と覇権の条件」では、渡部氏は以下のように「覇権国家」というものの定義をしています。


 「覇権国家とは『同じ文明圏における最強の国』と、私は考えます。ペルシア帝国や古代ローマは、最強=最富の図式です。最強であれば、周辺諸国からいくらでも富を奪えますから。
 ヨーロッパにペルシア帝国やローマ帝国などが興隆しても、地理的に遠く離れ、文明の異なる古代日本には、ほとんど影響がありませんでした。
 ところが、同じ漢字文明圏で地理的にも近いシナ大陸に強大な国家が出現すると、朝鮮半島や日本(倭)はもちろん、シナ北方、西域、東南アジアの国々に大きな脅威を与えます。このため、これらの国々は宗主国の天子に朝貢するという形で、シナ大陸政権の脅威から逃れようとします。いわゆる、冊封体制です」


 さすがは渡部氏。じつに明快な「覇権国家」の定義ですね。


 渡部氏はまた、「高度な文明は、国家の滅亡後にも残る」として、古代中国の周を例にあげます。シナ文明の根本は儒教文化ですが、それは周の文化にほかなりませんでした。孔子が生きていたのは周の末期ですが、周の思想は忘れ去られようとしていました。孔子は、その思想が消え去るのを惜しみ、弟子たちと懸命に「五経」を編述しました。すなわち、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』です。孔子は、謙遜して「述べて作らず」と語っています。つまり、儒教は自分の独創ではなく、あくまでも周の思想を編纂したものに過ぎないというのです。


 渡部氏は、現代人から見ても、周の思想は他と隔絶して高いと認めた上で、次のように述べています。


 「周が到達した高い文明や文化は、漢字という姿や儒教という形で残りましたが、周民族は、魏、呉、蜀の3国が鼎立した3世紀の終わり頃までに消滅しています。その後に成立した統一政権の隋は、孔子から見れば、鮮卑族だったのです。鮮卑族は、文字どおり漢民族が鮮卑と蔑んだ民族です。しかし、周の文明に対する尊敬は残っていました。
 文化大革命(1966~1977年、後述)で行なった『批林批孔運動(毛沢東の政敵である林彪と孔子を否定する運動)』で孔子と儒教を徹底的に排撃したにもかかわらず、今では、中国共産党政府はずうずうしくも『中華民族の先祖は孔子だ』などと言っています。しかし、現在の漢民族と周の人々に民族的なつながりはありません」


 第四章「アメリカ―実験国家、人工国家の活力」では、渡部氏がアメリカの特殊な中央銀行制度について以下のように述べます。


 「ドル紙幣の発行はアメリカ政府が決めますが、その時にアメリカ政府は新たに刷る紙幣に見合った額の国債を発行し、連邦準備銀行が国債を引き受ける形で、紙幣を刷るのです。連邦準備銀行は国債の利子を受け取れるのでもうかりますし、その利益は配当という形で国際金融資本に還流されます。
 結局、アメリカが大量の紙幣を発行すればするほど国際金融資本がもうかる―。その傾向が顕著になり、激しくなっているのが現代です。その意味で、金融の世界は非常に早い時期からグローバル化が進み、ヒトよりもカネのほうが先に国境を越えてしまった、と言えるでしょう」


 では、「グローバル化」とは何か。渡部氏は喝破します。


 「グローバル化は無国籍の金融集団である国際金融資本の意思、と私は解釈していますが、アメリカはそれに乗っかっているにすぎません。2008年の投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻から始まるリーマン・ショック後、アメリカは紙幣の発行量を2~3倍に増やしました。それは、とりもなおさず、国際金融資本の膨大な利益につながりました」


 また、渡部氏は以下のように「ふたつのアメリカ」について述べます。


 「アメリカの覇権が揺らぎ、絶対的なナンバーワンから相対的なナンバーワンになると、中国やロシアとのパワーバランスに変化が生じてきます。その意味では、アメリカおよびアメリカと同盟を結ぶ日本にとって、このままパクス・アメリカーナを維持するために、今後もアメリカがナンバーワン軍事国家である必要があります」


 ここで、渡部氏は「ナショナリズム」という言葉を持ち出し、次のように述べます。


 「私の青春時代までは、ナショナリズムは最高の美徳でした。それが、今は愚かしくもナショナリズムとナチズムが混同されて、あたかも、ナショナリズムは悪だと否定するメディアもあります。しかし、中国のようにあからさまに軍事力を押し出して、周辺諸国を圧迫するような国家に対応するためには、愛国心と軍事力は必要不可欠です」


 第五章「中国―覇権国家になりうるか」では、本村氏が「中華民族という民族はない」として、以下のように語っています。


 「現在の中国では『中華民族とは、中華人民共和国内に居住し、中国籍を有する者』とされているようですが、この表現はきわめて不正確です。
 なぜなら、中国大陸には漢民族、満州族、朝鮮族、ウイグル族、チベット族など多くの民族が住んでおり、これらを総称して中華民族と呼ぶのは無理があると思うのです。
 ヨーロッパの人たちに『あなたはヨーロッパ民族ですね』と言ったら、彼らは怒るでしょう。なぜなら、ヨーロッパにはゲルマン、ラテン、スラブなど数多くの民族が定住しており、そのなかに国家や国民が存在しているからです」


 わたしも、かねてから「中国は1つの国家ではない」と思っていました。


 「始皇帝の夢、アレクサンダーの志 東西二大英雄の心を読む」にも書いたように、古代中国の春秋・戦国時代は、それが当時の全世界でした。秦、楚、燕、斉、趙、魏、韓、すなわち『戦国の七雄』がそのまま続いていれば、その世界は7つほどの国に分かれ、ヨーロッパのような形で現在に至ったことでしょう。当然ながらそれぞれの国で言葉も違ったはずです。そうならなかったのは、秦の始皇帝が天下を統一したからでした。その意味で、始皇帝は中国そのものの生みの親と言えます。


 三国時代、南北朝、宋金対峙など、中国はその後しばしば分裂しましたが、そのときでも、誰もがこれは常態ではないと思っていたのです。中国が1つであることこそ、本来の自然な姿であると思っていたのです。これは、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国々に分かれ、20世紀の終わりになってやっとEUという緩やかな共同体が誕生したヨーロッパの歴史を考えると、本当にものすごいことです。よほど強烈なエネルギーがなければ、中国統一のような偉業を達成することはできませんし、始皇帝が発したそのエネルギーの量たるや、わたしのような凡人には想像もつきません。


 始皇帝が「東洋最大の英雄」なら、「西洋最大の英雄」はアレクサンダー。アレクサンダーは紀元前356年にギリシャの一角であるマケドニアに生まれました。そして20歳のとき王位を継ぎ、わずか12年の間に東はエジプト、西は中央アジアからインド北西部に至る広大な世界帝国を建国しました。そして、ギリシャの宿敵ペルシャ帝国さえも滅ぼしますが、悲願の世界征服の夢を果たさぬまま夭逝します。その後、アレクサンダーを深く尊敬していたカエサルも、その後のローマ皇帝たちもヨーロッパ世界を統一することはできませんでした。


 「中華民族という民族はない」という本村氏の発言を受け、渡部氏も「古代文明を作った民族と今の中国人は無関係」として、次のように述べます。


 「これはあくまでも仮定ですが、もしナポレオンがヨーロッパを支配したら、『ナ王朝』になります。これはフランス人が中心になるわけですが、それが2~300年続くと、今度はヒトラーが出てきてドイツ系の『ヒ王朝』ができる。それから100年後にスターリンのような人物が出てきて、『ス王朝』ができる。シナ大陸がまさにそうです。鮮卑族が権力を握れば隋や唐、モンゴル族が握れば元、ということです」


 「おわりに―文明圏としての日本」で、渡部氏は以下のように述べます。


 「ホメロスの詩は、ローマ帝国の成立より1000年も前の話であり、神話であると思われていた。ところが、19世紀にシュリーマンがトロイア遺跡を発掘し、ホメロスの詩に事実の裏づけがあったことがわかったのである。しかし、現在、トロイア王家の子孫がいるわけではなく、系図もない。アガメムノンもまた、子孫も系図もない」


 日本を「カミの文明圏」として位置づける渡部氏は続けて述べています。


 「日本が『カミの文明圏』という、少なくとも2000年も続いている独特の文明圏であることが、ギリシア文明圏の話と比べれば、よく実感されよう。この文明圏に6世紀、仏教という高級な宗教が入ってきた。そして、多くの高僧が出、多くの宗派が生じた。しかし、日本が仏教文化圏に入ったわけではない。西行は、伊勢神宮に参詣時『なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』と歌に詠んだ。
 今も、大乗仏教の大学が10校以上ある国は日本以外にない。日本は大乗仏教の中心地であり、それが栄えている国である。それは『カミの文明圏』を文化的・学問的・宗教的に豊かにしている。
 儒教も同様である。儒教を奉じた人もいたが、日本は儒教文明圏の国ではない。日本は儒学が現在、世界で一番栄えており、大衆もその名言をよく使い、大学でも研究され、世界一の漢字の大辞典も日本人が作った。儒教は儒学となり、『カミの文化圏』を豊かにしているのだ」


 本書は、渡部・本村両氏の対談本ですが、1人がトピック毎に自らの歴史解釈と解説を展開し、それを受けてもう1人が同様にトピックを広げていきます。ですから、それぞれの発言にボリュームがあって分担執筆のようにも思えました。メインテーマである覇権国家に求められるものは両者共通しており、それは「軍事力」「経済力」「国民の精神(美徳)」です。


 これから日本が覇権国家になることは現実的に難しいでしょうが、覇権国家ならずとも「軍事力」「経済力」「国民の精神(美徳)」の3つのバランスは、すべての国家に必要な条件と言えるでしょう。


 最後に、自分の国で国際会議を開いておきながら、国家主席が他国の首相と仏頂面で握手するという失礼きわまりない野蛮国家が覇権国家となることは絶対にないでしょう。孔子は最も偉大な聖人ですが、今の中国人は孔子の子孫ではないのです!