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渡部昇一、靖国を語る』

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No.1007

 

 『渡部昇一、靖国を語る』渡部昇一著(PHP研究所)を読みました。

 「一条真也の新ハートフル・ブログ」ブログ記事「渡部昇一先生と対談しました」に書いたように、わたしは今年の8月14日に「現代の賢人」である渡部先生と対談させていただきました。その内容はもうすぐ『永遠の知的生活』(実業之日本社)として刊行されますが、対談翌日となる15日の「終戦の日」に、わたしは靖国神社を参拝しました。詳しくは、ブログ記事「靖国参拝」をお読み下さい。本書『渡部昇一、靖国を語る』ですが、対談の少し前に読みました。

 

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   満を持して放つ「靖国」論の決定版!

 

 本書の表紙には夕暮れの靖国神社の大鳥居の写真が使われています。パープルカラーでノスタルジックな素晴らしい写真です。また、「日本が日本であるためのカギ」というサブタイトルがついています。帯には「後に続くものを信ず」と大書され、続いて「そう言って、それぞれの国難に遭って命を投げ出してくれた父祖たちを私たちは決して忘れてはならない。」「満を持して放つ『靖国論』の決定版!」と書かれています。

 

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   本書の帯の裏

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。


第一章:歴史の審判を騙った「東京裁判」という詐術
第二章:いまこそ「マッカーサー証言」に最注目せよ
第三章:日本人にとって「靖国」はいかなる存在か
第四章:「A級戦犯分祀論」という無知蒙昧
第五章:日本はシナ文明圏に属さない
あとがき―「カミの文明圏」というもの


 第一章「歴史の審判を騙った『東京裁判』という詐術」では、「常軌を逸した中国の対日非難」として、著者は以下のように書いています。


 「平成25年12月の安倍晋三首相の靖国神社参拝以後、中国の対日非難は常軌を逸しています。習近平国家主席は、今年初め、世界各国の自国外交官を総動員して安倍首相の靖国参拝批判を展開し、第三国を巻き込んで日本の孤立を執拗に図っています。
 いまや中国外交の最優先課題は『日本叩き』となり、その激しさは国内で反日教育を徹底した江沢民時代を思い起こさせます」


 著者は「歴史の事実を捻じ曲げて日本を貶め、悪意に満ちた誹謗中傷を国際社会にまき散らす相手には、事実を突きつけて毅然と反論していかなければなりません」と述べ、たとえば習主席が国際社会に向けて発言している「日本の侵略戦争の死傷者3500万人」とか、南京事件の「死者30万人以上」とかは、いずれも江沢民が日本を非難する際に喧伝した数字であり、これは中国側の見解にすぎず、その根拠が具体的に示されたことはないと訴えます。


 さらに著書は、以下のように述べています。


 「そもそも日本を侵略国家として一方的に断罪した東京裁判ですら、シナ事変(当時の名称をいまは日中戦争と呼ばれることが多い)の開戦責任を日本に問うことができませんでした。自分で戦争を始めたのだと中国政府には絶えず言い聞かせなければなりません。況や南京事件の死者は20万人とされましたが、今日では精密な研究がなされ、市民虐殺は限りなくゼロに近くなっていると証明されています」


 第二章「いまこそ『マッカーサー証言』に最注目せよ」では、「日本人の自虐史観を根本から取り払う証言」として、著者は1951年(昭和26年)5月3日に米上院軍事外交合同委員会で発言された「彼ら(日本人)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」というマッカーサーの証言を紹介します。


 このマッカーサーの証言は、東京裁判における東條英機の宣誓供述書の内容とも一致します。そのことについて、著者は次のように述べています。


 「私は、『日本国内で昭和史を書く人たちは、なぜ東京裁判における東條英機の宣誓供述書の内容に言及しないのか』と常々思っていました。東條に対する好き嫌いはどうでもよいのです。東條は、『日本は常に受け身であった』『断じて日本は侵略戦争をしたのではない。自衛戦争をしたのである』『国家自衛のために起つという事がただ1つ残された途であった』と述べましたが、これはマッカーサーの米議会証言録と重なるもので、最終的に東條とマッカーサーは同じ見解を披瀝したことになるのです(私はこれを、「東京裁判史観」を撃ち破る「東條=マッカーサー史観」と呼んでいます)」


 また、「『日本は侵略国』という主張が生んだ利得と面子」では、著者は「なぜ日本の新聞、テレビはいまだにマッカーサー証言を国民に伝えようとしないのか」と問います。証言時は被占領期間中だったためにGHQによる検閲があったでしょうが、今はまた自由のはず。これに関して、著者は次のような推測をしています。


 「私の推測では、日本の敗戦から数年の間、戦犯追及や公職追放によって(この経緯については、あとでまた触れます)、それまでの日本の公的機関や主要企業の幹部はほとんどの職場から消えてしまい、そのポストを下級者や、戦前のコミンテルン関係で『引かれ者』であった連中が何段飛びもして占めたのです。
 政治・経済・歴史に関する大学教授についても同じことでした。彼らにとって「日本は侵略国」という東京裁判の主張が『棚から牡丹餅(ぼたもち)』のごとき地位を呼び込んだわけで、それはジャーナリズムに関係したほとんどすべての人にも当てはまります。その利得と面子を守るために長い間事実を封じてきたということではないか、と思います」


 最近の著者の本では、宗教を紛争の種にしない「ウェストファリア条約」がよく言及されていますが、本書でも以下のように紹介されています。


 「ヨーロッパの歴史で最も重要な最初の国際条約とされているのが、1648年の『ウェストファリア条約』です。ウェストファリア条約の根本精神は、ラテン語で "cujus regio,ejus religio." と言います。「領主の宗教が領民の宗教になる」という意味です」


 この「ウェストファリア条約」について、著者は次のように説明します。


 「30年もの長きにわたる戦争を決着させる条約ですから、その条項には国境の画定問題などさまざまなテーマがありましたが、なかでも最も重要なポイントは、先に指摘した"cujus regio,ejus religio."にありました。『領主の宗教は領民の宗教』という意味で、ここから、『原則として他の領地(すなわち外国)の宗教に口出ししてはいけない』ということが演繹されます。
 その結果、ウェストファリア条約が結ばれたあとは、国家間の戦争で宗教が表立つことはなくなりました。たとえ背景に宗教的な軋轢があったとしても、表立たせることはしない、というのがルールになったのです」


 この「他の領地(すなわち外国)の宗教に口出ししてはいけない」という国際ルールに例外が生じたことがあります。著者は、第一次大戦後、その例外が2度あったとして、以下のように述べます。


 「最初は第一次大戦後、ドイツにヒトラーが登場し、ユダヤ人を殲滅しようとしたときです。シェイクスピアの『ベニスの商人』に見られるように、ヨーロッパではユダヤ人に対して小さな意地悪や差別をすることは以前からありました。しかし、国家としてユダヤ教徒を迫害しようとしたことはありません。ところがヒトラーは『ホロコースト』をドイツ国家の方針としたのです。これは明らかにウェストファリア条約に反するものでした。
 文明国同士の間で、ある国家が他国の宗教、信仰に介入した2番目の例は、GHQが占領下にある昭和20年12月15日に日本に出した『神道指令』です」


 第三章「日本人にとって『靖国』はいかなる存在か」では、靖国神社の境内には、昭和40年に外国人の戦争犠牲者をも祀る「鎮霊社」という社が建立されたことが紹介されます。この「鎮霊社」では嘉永6年以降の戦争、事変に関わって没した本殿に祀ることのできない御霊と、世界中で起きた戦争で亡くなったすべての御霊が祀られています。朝敵とされた西郷隆盛や会津の白虎隊の少年たちの御霊も、もちろん祀られています。また戦場で倒れた軍馬や軍犬、通信用の伝書バトの慰霊像もあります。


 また、靖国神社にはいわゆる官軍の兵士だけが祀られ、政府に反逆した賊軍の兵士は祀られていません。このことを批判する人は多いです。「死は最大の平等である」と唱えるわたしも、「死者に差別は許されない」と発言したことがあります。しかし、著者は次のように述べています。


 「戦というのは必ず敵味方の両方があるわけですから、明治政府が自らについた犠牲者の遺族や関係者に対して、敵も味方も同じように処遇するといえば、彼らが不愉快になるのは当たり前でしょう。そこで政府は、われわれとしては味方を祀るが、戦において敵方になったとはいえ地域に貢献した人を祀ることは自由にやってよろしいということを表明したというのです。 こんな道理をわきまえた人情深いやり方はないと思います」


 たしかに、西郷隆盛を尊敬する山形県庄内地方の人々は南洲神社を建立して西郷隆盛を祀っています。地域の人情を生かしつつも、しかし中央では政治的な筋を通さなければならにとして、著者は次のように述べます。


 「近代国家建設の過程で生じた内戦と、その後の国内融和に苦悩した明治の人々の歴史を汲まずに、一片の矛盾で靖国神社を非難するのはあまりに偏狭ではないでしょうか。初めに靖国神社の否定ありきだったら、そういう経緯を踏まえる必要はないでしょうが、知識人であろうとするならば、まず調べるということが必要です」


 本書のサブタイトルは「日本人が日本人であるためのカギ」ですが、著者は「神道は日本人とイコールである理由」として、以下のように述べています。


 「そもそものことを言えば、明治以後、神道以外に戦死者を祀ることはできなかったと私は考えます。
 私の田舎(山形県)の話をすれば、私の父の家は真言宗で母の家は曹洞宗でした。父の親類で戦死者が出たとすると、村から戦死者が出たら村で祀らないといけない。村の全員が真言宗ならいいのですが、ほかの宗派の人もいます。
 そういうとき、誰も文句を言わないのが『神様』なのです。だから招魂社(護国神社の前身)ができた。母の親類で戦死者が出れば、その村全員が曹洞宗ならいいけれど、ほかの宗派の人もいるから神社で祀るしかない。それで招魂社ができた。各家では自分のところの宗派で祀るが、宗派を超えて祀るとすれば、日本人の場合、神道の儀式しかないのです。だから神道は日本人とイコールであると言えるのです」


 なるほど、非常に説得力のある意見であると思います。さらに、靖国神社の役割というものについて、著者は述べます。


 「靖国神社が担っている役目というのは、単に慰霊してお祀りする場であるだけでなく、戦死者に対する国民の感謝を顕す場であるということです。また、そうでなくてはならない。功績者への顕彰という意味がある以上、宗派があるような施設は使えません。教派神道も使えない。だから宗派とは関係がない靖国神社が、いままでも多くの国民の慰霊という空間の中に無理なく存在してきたのです」


 著者は平成20年に八木秀次氏、稲田朋美氏と『日本を弑する人々』(PHP研究所)という共著を出していますが、そこで著者はリンカーンのゲティスバーグ演説(1863年)を引きながら、以下のように発言しています。


 「靖国神社に祀られている英霊の存在があって初めて、今日のわれわれがあるのです。そしてわが大東亜戦争の戦死者たちは、その多くが戦友、家族、肉親らに『靖国で会おう』といって散華していったわけですから、その犠牲によって生かされたわれわれ後生が勝手にその"黙契"を破っていいわけがありません」

 この発言には、靖国神社に対する著者の想いが凝縮されていると思います。


 第四章「『A級戦犯分祀論』という無知蒙昧」では、著者は以下のようにきわめて重要な事実を紹介しています。


 「A級戦犯批判を繰り返す人たちに、ぜひとも伝えたい話があります。
 戦前、ヒトラーからユダヤ人の取り締まりを要請されたとき、日本政府は総理大臣、外務大臣、陸海軍大臣、大蔵大臣で構成する『五相会議』で対応を協議しました。
 当時の陸相板垣征四郎は、神武天皇の『八絋を掩いて宇となす』という言葉を引いて、「特定の民族を差別することは、神武天皇以来の建国の精神に反する」と述べ、それが日本政府の意志としてヒトラーの要請を断ることになりました。
 当時の日本は、唯一、政府が反ユダヤ主義に与しなかった国でした。米英両国が、ポーランドを脱出したユダヤ人たちの船の寄港を許さず、乗っていた人たちが最終的にアウシュビッツ収容所に送られてしまったことすらありました。
 これは保守派の人々でも誤解している点があるのですが、多くのユダヤ人の命を救ったことで知られる杉原千畝がいくらビザを発給しようとも、もし日本政府がそれを拒否していたら彼らは日本に入国できなかったのです」


 わたしは、これを読んで「あ、なるほど!」と、目からウロコが落ちました。


 第五章「日本はシナ文明圏に属さない」の冒頭では、この読書館でも紹介した百田尚樹氏の国民的ベストセラー『永遠の0』が取り上げられます。ゼロ戦の天才パイロットだった宮部久蔵とその友人、子孫をめぐる感動大作です。百田氏と著者は対談本『ゼロ戦と日本刀』を刊行しています。本書を通じて靖国神社にこだわってきた著者は、次のように述べます。


 「『靖国』は、日本が日本であるためのカギなのです。靖国神社に対する姿勢でその人の歴史的知見と日本への想いの丈が察せられます。宮部久蔵の孫たちのように、父祖の歴史をわが身のこととして受け止める若者が1人でも増えてくれること、それによって日本という国に生まれ育ったことに誇りを感じ、国への愛情を注いでくれるようになれば、わが国はきっと大丈夫です。後に続くを信ず―そう言って、それぞれの国難に遭って命を投げ出してくれた父祖たちを決して忘れまい。この思いを、読者と共有できればこれに過ぐる喜びはありません」


 「あとがき―『カミの文明圏』というもの」で、著者は「日本という国全体にかかわる英語の誤訳が2つほど頭に浮かびます」として、その2つを紹介しています。1つは、本書でも詳しく述べられていますが、サンフランシスコ平和条約第11条にあるJudgmentsを「裁判」と訳したことです。2つめは、明治維新以後に、キリスト教のGodを「カミ(神)」と訳したことです。

 

 著者は「日本のカミ文明圏は独特のもの」であるとして。以下のように述べています。


 「日本というカミ文明圏では、2000年以上も昔のことが、物語としても生きているし、事物としても生きているのです。西洋の学問用語を使えば、文献としても事物としても現存、否、厳存しているのです。文献としての『古事記』『日本書紀』に記されていることは、史前史(神話)の部分も、国史(歴代天皇紀)の部分も、現在の皇室や国民と断絶することなく続いているのです。事物としても、伊勢神宮も出雲大社も古代から断絶することなく続いているのです」


 カミ文明圏=神道文明圏ではありません。そこには、仏教や儒教やキリスト教さえも入ってきたのです。著者は、以下のように説明しています。


 「このカミ文明圏の中には仏教も入ってきました。仏教徒の中にはカミを無視した人もいたでしょうが、カミ文明はこれをも立派に吸収して、その文明を豊饒化するのです」


 「儒教についても同じことが言えます。儒教を宗教として祀った儒学者も少しはいましたが、儒教はカミの文明圏の中では儒学になりました。そして儒学が最もよく残り、継承されているのは、このカミ文明圏の中においてなのです」


 「キリスト教についても同じことになっているし、そうなると思います。熱心なキリスト教徒であっても、晏如としてカミ文明圏の中で生きているのです」


 最後に、著者は以下のような靖国神社に対する外国人の誤解を紹介しつつ、カミ文明圏の重要性を説きます。


 「これは私が聞いた最もひどい誤解の話ですが、墓地だと考えている外国人は少なくないようです。また日本人のなかにも、戦犯の分祀ができると思っている人がいるようです。カミ文明圏の意味がわかっていないのです。
 カミは日本文明圏独特のものです。日本の成立や皇室とその歴史を併せて考えないと、わからないものなのです。アメリカの学者が示したように、日本という国は、1国で1文明をなし、その文明の主とはカミなのです」


 靖国神社の問題、およびカミ文明圏の問題については、わたしの専門テーマである「冠婚葬祭」に直結することもあり、『永遠の知的生活』でも大いに語り合いました。同書は来月初めに刊行されます。どうぞ、お楽しみに!