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東井義雄一日一言』

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No.0970

 

 『東井義雄一日一言』米田啓祐・西村徹編(致知出版社)を再読しました。

 東井義雄は、浄土真宗の僧侶にして偉大な教育者でした。1912年(明治45年)、兵庫県豊岡の浄土真宗東光寺に生まれています。1932年(昭和7年)に姫路師範学校を卒業し、小学校教師として奉職しました。多くの著作を著しており、ペスタロッチ賞、正力松太郎賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、文部省教育功労賞などを受賞しました。東光寺住職も務め、1991年(平成3年)に亡くなっています。


 本書の表紙には、自転車に乗った東井義雄の写真が使われています。坊主頭に眼鏡をかけて、いかにも実直そうな人柄が偲ばれます。帯には、「"教育界の国宝"と呼ばれた『いのちの教育』の実践者が残した人生に光をともす言葉」「根を養えば樹はおのずから育つ」と書かれています。


 「はじめに」の冒頭には、昭和39年、東井義雄が八鹿小学校に校長として着任したとき、校長室に額を掛けたというエピソードが紹介されています。それは詩人高村光太郎の書で、「いくらまわされても 針は 天極を指す」と書かれていました。これについて、東井義雄は編者に次のように話したそうです。


 「私の天極は子どもです。今日もいろいろな雑事や雑音がいっぱい押しかけてきて、私をふりまわしそうですが、どんなときにも、天極を忘れたり狂わせたりしないでいきたい、と自分に言い聞かせています」


 また、東井義雄著『培其根』復刻版序文で、教育哲学者として名高い森信三が「東井義雄氏の存在は、わが国現下の教育界の実状をかえりみる時、まさに『国宝』の名に値しよう」と述べたことが紹介されています。それでは、わたしの心に強い印象を残した「教育界の国宝」の言葉を以下に紹介したいと思います。

 

 

「不思議」
 目があって見ることができることも、耳があって聞くことができることも、呼吸や心臓が昼夜無休ではたらき続けていることも、手や足がそれぞれ自由にはたらいてくれることも、食べたものが血になり肉になり骨になり、はらたきのエネルギーになってはたらいてくれることも、みんなみんなただことではない不思議きわまることであった。
 生きているとばかり思っていた私が、生かされていた。

 

 

「しあわせ」
 生きている
 健康である
 手が動く 足で歩ける
 目が見える 耳が聞こえる
 このあたりまえのことの中に
 ただごとでない
 しあわせがある

 

 

「誕生日」
 誕生日おめでとう
 お父さんお母さんから
 いのちをひきついで
 おじいさんおばあさんから
 いのちをひきついで
 その前のおじいさんおばあさんから
 その前のその前のご先祖から
 いのちをひきついで
 何億年も昔からの
 いのちをひきついで
 あたらしいいのちの
 この世への誕生
 おめでとう おめでとう

 

 

「後輩よ」
 夜中、町中でやくざふうの青年にあった。青年は悪人ぶっていたけれども、それはうわっつらのことで底の浅い悪人、せいぜい近ごろなりたてのホヤホヤの悪人にすぎない。こっちは今に始まったくらいの悪人ではないんだぞ、という思いがして「後輩よ」と呼びかけたい思いがした。

 

 

「甘い夢」
 甘い夢は、志と違って毎日の生活現実まで変えていく力にならない。そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。

 

 
「十年先」
 志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという現実との取り組み方が問題となる。それができると「ぼくの十年先を見ていてください」ということにもなるだろう。志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方、生き方である。

 

 

「母の祈念」
 私がここにいるということは母の必死の祈念があるということ。

 

 

「母」
 母こそは、1つの幼い生命のために、大いなるものの祈りを背負った宇宙意志の実践者。

 

 

「最後の人」
 世界中何億のすべての人が「あの子はだめだ」と見放し、見捨ててしまっても、見放すことも、見捨てることもしない最後の人、それがお母さん。

 

 

「人生の卒業」
 私には次には「人生の卒業」という一大事が待ちかまえている。悠々自適、とてもそんなのんきなことは言っておれない。有り余る程のどうでもいいような余分の時はない。

 

 

「生も死も」
 臨終の際の父が「おまえがこうして案じてくれる。今、息が絶えても大きな大きなお慈悲のどまんなか。わしほどのしあわせものが他にあろうか」と言った。父は、「がんばってここまで来いよ」と私に教えたかったのではなく、生も死も、「み手のまん中」のことなんだよ、と私に教えたかったのだ。

 

 
「しあわせのどまん中」
 人間に生まれさせていただいた以上「生きても死んでもしあわせのどまん中」という世界に到達できなかったら、人間に生まれさせていただいたねうちはない。

 

 

 東井義雄の言葉は、けっして難しくありません。もともと子どもたちに語りかけた言葉ですから、当然といえば当然でしょう。でも、本当に人の心を打つ言葉は「やさしい言葉」なのだと思います。


 本書は、子どもの躾に悩んでいたり、反抗期の子どもに手を焼いている親ばかりでなく、あらゆる世代の人々に読んでほしいと思います。ここには、時代を超えた普遍の「人の道」があります。それにしても、東井義雄といい、森信三といい、昔は素晴らしい教育者がいたものです。